森のかけら | 大五木材


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さて、時間とともに車がドンドン集まって来て、人波で溢れ返るアウトレットパークは、高橋家にとって決して居心地のいい場所ではありませんでした。早々にリタイアした私と息子の男チームをよそ目に勇んで人混みに飛び込んで行った女チームも結局目当てのものを見つけられずに退散することに。駐車場に戻ると車の列は更に伸びていて、ナンバープレートを見ると関西圏以外からも沢山の車が来ていて、なかなか出れなかったのですが、どうやら私達が駐車場に就いた直後に交通事故があったらしく車が大破。多分数分遅かったら巻き込まれていたと思われ冷や汗・・・。

そして次に向かったのは彦根城。これは勿論私のリクエストで、娘たちからはNGでしたが、ここまで運転してきたことに対する論功行賞として許しが出ました。若い頃はそうでもなかったのですが、歳を重ねるにつれて城に興味が増してきました。材木屋だから城に興味があって当然と思われるかもしれませんが、城の建築とか様式美というよりも誰がどういう経緯でその城を作ったのか、そしてその後城苦難の時代をどう生き抜き、歴史にどのように翻弄されたのかという事の方に興味が湧いてくるのです。彦根城城主は徳川四天王の一人、井伊直政。歴史の宝庫です。

なので時間があればなるべくその地に残る城を訪ねるようにしているのですが、家族旅行だと大抵多数決で却下されるものの、今回は600キロも運転してきた甲斐がありました。この時期だからという事もあるのでしょうが、お堀の水は松山城に比べても全然綺麗。堀を挟んですぐの所に映画のセットのように整然と風情のある城下町が作られていました。まずは国宝である天守を目指すことに。いきなり急傾斜の石の階段が現れました。そこを子供たちは勢いよく駆けあがっていきますが、そういう光景を見れるのもあとわずかと思うと何気ないこんな事すら大切に思えます。

私だけゼエゼエと息を切らしながら階段を登り切って振り返れば結構な傾斜でした。彦根城は松山城と同じ平山城ですが、こん体力ではとても山城など無理・・・。今年は体力増強に努めます(毎年言っているようにも思いますが、今年は正月からの階段登りでそれをつくづく実感)。事前の自分調べで、彦根城の石垣は特徴があると読んでいたので、よく見ておこうと思っていたのですが、あれもこれもと写真を撮っていたら独りだけ遅れて、子どもたちに急ぐように促されてじっくり観察するに至らず。行くつもりだった埋木舎』(うもれぎのや)の事もすっかり頭から消えてしまっていました。

埋木舎とは、17歳で父を亡くした13代藩主であるかの井伊直弼が、17歳から32歳までの15年間を過ごした舎の事で、井伊直弼が自ら「世の中をよそに見つつも埋もれ木の埋もれておらむ心なき身は」と和歌を詠み、『埋木舎』と名付けました。庭から表座敷、奥座敷など見ることができ、井伊直弼ゆかりの資料などを展示してあるということでした。その展示物に興味があるというよりは、埋もれ木に例えられた事に興味があったのです。ちなみに直弼は、彦根城内の欅御殿というところで生まれたということでしたが、先人たちの暮らしの中にいかに木が密接に関わっていたという事の証だと思います。




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