森のかけら | 大五木材


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大手門跡からおよそ180m、一直線に延びる大手道は圧巻です。安土城の石段は、頂上天主まで405段ありますが、さまざまな種類の石が使われていて、建物がすべて焼失している事もあって、見た目の雰囲気はまるで『石の城』。しかも石段のところどころに『石仏』というプレートが貼ってあって、石仏が階段として利用されている箇所があり、そこには申し訳なさそうに賽銭まで備えられていました。比叡山延暦寺を焼き討ちしたことで、仏教を憎んで弾圧したと言われていますが、これは当時の寺の多くが武装して既得権益をも持った敵対勢力であったからだと思われます。

一方でキリスト教は手厚く庇護していますので、宗教そのものを否定していたのではなく、敵対する勢力に対する戒めと仏すらも畏れぬ存在になるという己の圧倒的な権威を誇示するためだったのかも。しかしこういうエピソードって後付けで盛られる事も多いのでどこまで信憑性があるのかどうか。当時の城はあくまで戦うための要塞ですから、少しでも早く完成させなければならなかったので、罰当たりな話ではありますが、墓石や石仏なども結構使われたりしていたのではないかとも思うのですが。さすがに露骨に見えるところに使うのは躊躇したかもしれませんが。

これだけの石を運び込んできて積み上げるだけでも相当な労力であったろうと思われます。安土城の石段の写真都かはよく見ていましたが全体像がよく分からなかったのですが、実際にその場に立ってみると想像以上に道幅が狭い。いや、城としては十分な道幅なのかもしれませんが、以前に呼んだ小説『火天の城』やその映画などで勝手にイメージを膨らませていたので、その感覚だとこの角度のある石段を使って運ぶのは相当大変。今とて、「もしもし、こちら安土城の現場だけど、今日午前中に野縁50束天主まで納品しといて~」なんて言われたらどうしようか・・・。断ったら打ち首ものやろうなあ・・・ここ、木を担いで上がるの3回が限界やなあ・・・(涙)

当時あった豪奢な建築物はすべて灰燼に帰していますが、その部材を運び上げるだけでもさぞかし大変な事だったでしょう。小説『火天の城』では、石工たちが大きな巨石を運び上げる様子が躍動感たっぷりに描写されていましたが、この急斜面を押し運んでいたと思うとゾッとします。それでも伝票に「現場名:安土城」なんて書いてみたい。そういえば麓の駐車場には目の詰まった立派なヒノキの丸太が数本転がされていたけれども、あれはこの山で伐採されたものなのかしら?安土城が出来たのが1579年だからおよそ440年前。もしかするとこのヒノキのご先祖は信長公に愛でられたヒノキかも?!

そんな事を考えながら石段を登っていきます。この石段が当時のままの姿なのか、復元されたものなのか分かりませんが、信長をはじめとする戦国時代のオールスターキャストがこの道を通っていたことは間違いがないと思うと、武者震いしそうになります。180mの一本道を過ぎるとそこからは急に石段が曲がりくねって道となります。その先に信長の長男・信忠邸(伝)がありますが、そのルートは平成になって作られた仮設道らしく、本来の登城路はかなり荒れていて、整備に費用がかかるため現在は立入禁止となっていました。これは何とかしてもらいたいが、国宝とかでなく、特別史跡なので予算もつかないんだろうなあ・・・涙。




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