森のかけら | 大五木材


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さあ、いよいよ安土城の天主へ!安土城に限り、天守を「天主」と表わすのは有名な話ですが、これには諸説あって、私が好きなのは、キススト教を庇護した信長らしく、当時のキリスト教の神である「デウス」を「天の主=天主」と称していたことから、ラテン語の「デウス」が訛って天主となったというもの。他にも、歴史上唯一天主閣で生活をしていた主の住まいであることから天主閣と名づけたという説もあるようですが、自らが天をも越える存在を目指した信長らしい話だと思います。さあ、念願の天主跡に到着!

築城からわずかに6年で焼失してしまった信長の夢の跡には、今はただ人の背丈ほどに積まれた石垣と、その中にかつてこの上に城があったことを忍ばせる礎石が並ぶばかり。一緒に登城していたひとも全員追い抜いたので、私たちが辿り着いた時は誰もいなく、ひっそりと静まり返っていました。さすがには天主には何かあるのではと思っていたのですが、古くて破れた案内板がぽつんとあるばかり。周辺の木々も生い茂り、ここが第六天魔王として恐れ崇められた主の城であったとは・・・複雑な思いが込み上げてきます。

天主に辿り着くまでに結構な高さを登って来たのですが、石段の周囲には大きな木が居並び下の景色がよく見えていませんでした。それが、天主の石垣の上からは下界が一望!まさしく絶景の眺め。現在は安土城がある安土山の周辺で干拓が進みすっかり埋め立てられて田園が広がっていますが、信長が安土城を築いた当時は、山の東側や西側の北半分は湖だったそうで、まさしく琵琶湖のほとりにそそりたつ名城だったことでしょう。今から400数十年前にここで、天下布武を願った男と今同じ場所に立っている。観ていた景色は違えども、ここに間違いなく第六天魔王が生きていたのだ

天主に来て実感できますが、まさにここは安土山という山をまるまるひとつの城にしたという感じで天然の要塞のよう。木々に守られた城のようでもあります。許されるものならずっとこの場で余韻に浸っていたかったのですが、さすがに私には信長公のような力はなく、名残を惜しみながらほどなくこの場を離れる事にしました。安土城については残っている絵図が極端に少なく、まだ謎も多いようですが、調べれば調べるほどに当時からすれば安土城がいかに規格外の城だったかが分かるとか。地下1階、地上6階の6階建てで、その高さはおよそ35m。5階は八角形の形をしていて、外側の柱は赤色、内側の柱は金色・・・

材木屋らしく専門的な言葉で表現すればいいのかもしれませんが、私が安土城に惹かれたのは、ある人物記した言葉によって。誰しもの頭の中に妄想の名城の姿を思い浮かばせてくれます。イエズス会の巡察師ヴァリニャーノが消失する前年に天主を訪問した時の記録。大好きなので長くなりますが引用します。「石垣のほかに、多くの美しい豪華な邸宅を内部に有していた。それらにはいずれも金が施されており、人力をもってしてはこれ以上到達し得ないほど清潔で見事な出来栄えを示していた。そして(城の)真中には、彼らが天守と呼ぶ一種の塔があり、我等ヨーロッパの塔よりもはるかに気品があり壮大な別種の建築である。

(中略)この天守は、他のすべての邸宅と同様に、我らがヨーロッパで知る限りのもっとも堅牢で華美な瓦で掩われている。(中略)屋根にはしごく気品のある技巧を凝らした形をした雄大な怪人面が置かれている。このようにそれら全体が堂々たる豪華で完璧な建造物となっているのである。これらの建物は、相当な高台にあったが、建物自体の高さのゆえに、雲を突くかのように何里も離れたところから望見できた。それらはすべて木材でできてはいるものの、内からも外からもそのようには見えず、むしろ頑丈で堅固な岩石と石灰でつくられているかのようである。」(『フロイス日本史』の第3巻)続く・・・

 




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