森のかけら | 大五木材


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この項、引っ張るね~という声も聞こえてきますが、今週は最期までこれでいきます!

20090925 二月堂・お水取り『薬師寺』に行く前に、『二月堂』で言いたかった事をひとつ忘れていたので、話が戻りますが、『二月堂』といえばやはりお水取り(修二会)』でしょう。実際にここを訪れるまでの私にとっての『二月堂』のイメージは、さだまさしさんの歌『修二会』に登場する『二月堂』でした。勿論テレビなどで建物や『お水取り』の様子は何度も見たことがありましたが、さださんの歌は『お水取り』の様子そのものを実にダイナミックに官能的に歌い上げられ、燃え盛る紅蓮の炎が眼前に浮かんでくるほどの凄まじい描写力と激しいリズムが圧倒的です。歌詞だけ読むと、これでどうしてリズミカルな曲が出来るの?と思うでしょうが、さだ音楽の旋律が加わると僧の走る足音と炎の熱さが伝わってくるから不思議です。私は、さださんの『体言止め』が続き余韻を残す歌詞や、和歌や俳句のような『韻を踏む』ようなリズミカルな歌詞が好きです。『修二会』の歌詞はこういうものです。

春寒の弥生三月花まだき
君の肩にはらり 良弁椿
ここは東大寺 足早にゆく人垣の
誰となく独白く南無観世音 折から名残り雪
 

君の手は既に 凍り尽くして居り
その心 ゆらり 他所にあり
もはや二月堂 天も焦げよと松明の
炎見上げつつ何故君は泣く 雪のように火の粉が降る

走る 火影 揺れる君の横顔
燃える 燃える 燃える おたいまつ 燃える

歌詞というよりもはや文学ですね。どうしてこういう詩が書けるのでしょうか・・・日本の伝統行事をここまで美しい言葉で表現できる歌い手が他にいるでしょうか。プロです。念のためですが、『修二会』・・・「しゅうじかい」じゃないです、「しゅにえ」と呼びます。旧暦の二月に行われる仏への供養をする法会の事です。

20090921 奈良・東大寺 二月堂3長い引用は避けたかったのですが、長年の思い入れがありましたのでご容赦下さい。実際に松明が運ばれる場所に立ってみると、意外なほどに狭くて驚きました。歌詞の世界観が、『二月堂』のイメージをかなり大きなものにしていました。木にとって大敵である火をあえて導きいれる事そのものも修行の意味合いがあるのでしょうか。古建築におけるタブーと美が渾然一体になって、『修二会』は恍惚を迎えるのでしょうか。

 左は湯屋に展示してあった『修二会』で使われる『おたいまつ』です。

今の子供たちに、『松明(たいまつ)』といっても理解できないようです。マッチが擦れない子供がいる、という事が問題になったのも随分昔の話です。今はむしろマッチを擦れる子供が珍しい存在でしょうか。学校なども危機感から機会を増やして体験させているので、少し変わってきているのかもしれませんが、松明のような『大きな炎』は確実に子供たちの身近な所から消えつつあります。

松が明るいと書くぐらいですから、松明には『』が使われますが、そもそも樹脂分(松ヤ二)を多く含む松などを束ねて炎をともした事が起源だそうです。名前の由来も、タキマツ(焚松あるいは焼松)あたりが転化したという説があります。意味を知ると、なるほどと思わせる当て字です。『修二会』では、『籠松明』という特殊な形の物の他にも数種類の松明が使われるようです。バチバチと激しい音を立てて燃えそうです。バットの滑り止めから松明まで、ヤ二のありがたみは充分分かってはいるのですが、松の木を触ったとき見えないところにマツヤニがあって、不意にべったりと手についてしまったときの感触は・・・石鹸で洗ったくらいでは簡単に落ちない超頑固者です!洗っても洗っても落ちないあのネトネト感には、ほとほと手を焼きますが、なにせ松明で煩悩を焼いてしまうくらいですから・・・

これで思い残すことなく、『薬師寺』に迎えます!いよいよ最終章・・・?




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