森のかけら | 大五木材


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20120229 1萬翠荘ネタはまだまだ尽きませんが、本日は建物の外に出てみます。建物の裏手は、昨日ご紹介した『愚陀佛庵』があり、その先の斜面は城山へとつながっています。その周辺にはいろいろな種類の木が生い茂っています。一方、建物の正面には手入れの行き届いた潅木が数多く植栽されています。その中でも目を引くのが、国籍不明風でエキゾチックな情緒漂う『ソテツ(蘇鉄)』。フランス風で瀟洒な萬翠荘のシンボルのような顔でそこにただずんでおります。

 

20120229 2国籍不明風と言いましたが、れっきとした日本産で、九州や沖縄などの南方に多く自生しているようです。ソテツは種類が多く、中国原産のものなどもあるようです。かなり前に拙ブログで『ソテツ』に軽く触れさせていただきましたが、ここでもう一度改めて。ソテツはソテツ科ソテツ属で、漢字では「蘇鉄」と書きます。鉄を肥料にすると樹精がよくなるからとか、葉が松傘のような堅いことから、鉄のように堅いという意味でこの字があてられたとも言われますが、定かではないようです。英語名はジャパニーズ・サゴ・パーム

20120229 3その根拠の無いエピソードから、本当に釘を刺されたソテツがあったりして、まったく迷惑な話です。そのエピソードとは、『その昔、織田信長が安土城を築城したときに、全国各地の銘木を集めようということになり、堺市の妙国寺にあったソテツを強引に移植させました。するとそのソテツが「信長に傷つけられたので肥料として鉄くずを与えてくれ」と枕元に現れて懇願したので、鉄を与えるとよみがえった事から、鉄で蘇生したので『蘇鉄』という漢字が充てられ、鉄釘が好物となった・・・』というものです。

 

20120229 4ソテツにとってはまったくもって本当にいい迷惑な話ですが、面白いエピソードにはモノを広めていく力もあります。今では全国の多くの学校などでも見かけられるソテツにしてみれば、全国各地に子孫を広め、種の繁栄の一助を担ったと考えればそれも功罪と言えるのかもしれません。写真ではうまく捉え切れていませんが、鮮やかな橙色の種子が少しだけ顔を見せていました。この木でも【森のかけら】を取れないものかと思案したのですが、いつもうまい具合に端材があるわけではありません。次のご縁を信じて断念。わざわざ伐っては罰があたりますぞ!のう、信長公。




20120228 1萬翠荘シリーズ第3幕。何しろ材木屋にとって(私にとって)見所満載!今では到底使えないであろう素材がふんだんに使われていて、そのどれもが洗練されていて、素材の魅力をより輝かせているのですからたまりません!今でもワンポイントにそういう木材を使いたいとかいう話はありますが、どうしたってつけた感は否めません。それでも関心を持って使っていただくだけで十分にありがたい事なのですが・・・。【森のかけら】を販売させていただいていて、建築関係の方からよく耳にするのが「こんな木知らない」とか「こんな木、使うことなんかないだろうな」という言葉。規格型の建売住宅だと構造材から造作材まで含めても10~15種類もあれば事足りるのではないでしょうか。沢山の種類の木を使う事がいいという訳ではありませんが、知らずに過ごすなんてモッタイナイ

 

 

20120228 2時々「今の仕事が合ってるね」なんて声を掛けていただく事もあるのですが、全ての材木屋がこういう(どういう?)仕事ばかりをしているわけではありませんし、皆が世界中の木に興味津々で【森のかけら】を作っているわけでもありません。私は自分がそうしたいので、そういう風に流れを仕向けているだけ。そういう仕事があって、それに適していると思われるぐらい、その仕事が社会的に認知されてきたという事の裏返しであるのならば、それとてもありがたい事です。

 

20120228 3さて、萬翠荘の周辺には多くの木々が植栽されていて、こちらも私にとっては貴重な記録のチャンス。いずれ『今日のかけら』でご紹介させていただき(たいという気持ちで無数にストックしているのですが、溜まる一方・・・)ます。萬翠荘の裏手には、かの夏目漱石が英語教師として松山中学校に赴任した際に、下宿していた離れを忠実に再現した『愚陀佛庵(ぐだぶつあん)』があり、萬翠荘と並んで松山観光の目玉でもあったのですが、残念ながら2010年の豪雨による土砂崩れで全壊してしまいました。

 

20120228 4こちらが在りし日の『愚陀佛庵』。正岡子規も療養のために居候し1階に正岡子規、2階に夏目漱石が共に住んだ時期があるそうです。そこで子規は俳句を作り、漱石はここでの暮らしを基に小説『坊ちゃん』の構想を練ったとか。今はすっかり整地され見る影もありませんが、現在再建に向けて準備が進んでいるようです。再建場所の選定で激しい議論があるようですが、両人の思いが散在するこの地が安全性さえ確保できれば一番相応しいような気がします。

 

20120228 5街の喧騒から少し離れたこういう場所で、かつての文豪たちの息遣いに静かに思いを馳せるのがよろしいんではないかと思うのですが。当時、『愚陀佛庵、全壊す!』の記事は地元では大きく取り上げられました。かなりの勢いで土砂が崩落したようで、痛々しい姿に・・・。この時は土砂崩れでしたが、戦禍や火事や落雷など木造建築物の保存・保護には多くの困難がつきまといます。だからこそそれらの困難をくぐり抜けてなお悠然と立ち続ける木造建築物は毅然と神々しくさえあるのでしょう。新たな歴史を刻むべく、愚陀佛庵の速やかなる再建を望みます。




20120227  1では、襟を正して萬翠荘のお二階へいざ!真紅の絨毯の敷き詰められた宝塚の舞台に出てくるような幅広い階段を上ると、その踊り場の壁面には巨大なステンドグラスがあって、そこには鮮やかな海と帆船の姿が描かれています!演奏会を抜け出してきた長女と息子を立たせて記念撮影。今は素直にモデルをこなしてくれていますが、やがて付いても来てくれなくなるのでしょうか・・・。それはさておき、このステンドグラス圧巻です!大正時代の建築物をいくつも知っているわけでもありませんし、歴史的考証も出来ませんが、遊び心と優雅さを併せ持ったモダンで耽美的な時代だったんでしょうね。ピアノの演奏会の会場の扉は開けぱなしになっているので、一般の見学者も覗く事が出来るのですが、そのピアノの生演奏の音色を階下に聞きながら贅沢な建物探訪です。

 

 

20120227 2萬翠荘を建てられた久松 定謨(ひさまつ さだこと)伯爵は、そもそも別邸として建設されたそうで、当時の裕仁親王(後の昭和天皇)の松山訪問の際に、ここにお招きするために完成を急がせた・・・と、解説が添えられていました。当日は日曜日でしたが、我々以外にも純粋な観光客の方の姿を数多く見かけました。日頃からどれぐらいの方がお見えになっているのか存じませんが、(失礼ながら)それほど来観者がいると思っていなかったのでちょっとした驚きがありました。

 
20120227 3戦火を免れて建築当時の姿をそのまま伝える萬翠荘の建築学的な価値は私の想像をはるかに超えておりました。『神々はディティールに宿る』という言葉がありますが、専門的知識はなくともそれらが尋常ならぬこだわりと意思によって備え付けられたのであろうという事は見当がつきます。フランスに留学し、海外生活の長かった久松定謨伯爵は、新進気鋭の建築士と名を馳せていた木子七郎(きご しちろう)氏にその思いを託して、当時としても斬新な(今でもまったく色褪せしていないと思いますが)フランス風の瀟洒な建物が出来たそうです。ちなみに設計士の木子氏は他にも愛媛県庁や母校・松山大学温山記念館などを手がけられたとの事・・・嗚呼、そんな事など露ほども知りませなんだ、恥ずかしい・・・。松山の観光客の減少が云々と嘆く前に、まずは自分がその地の足を運んでから言えという事を痛感。

 

20120227 4バルコニーを望むこちらの部屋には、かつてお泊りになった皇太子時代の陛下の姿を描いた絵画がうやうやしく飾ってありました。室内の装飾どれもが決して金ピカの豪華絢爛というわけではありませんが、だからこそ光るセンスの良さとエレガントな雰囲気。ただ高価なモノを集めて飾ったというのではなく、どことなく全体の雰囲気から醸し出される本当の『上質』というのこういう事を言うんだろうなあとじみじみ感じました。それは子供たちにも伝わったようです。

 

20120227 5子供が長時間居られる場所でもないと思うのですが、はしゃぎ回るはずの二人が珍しく解説のパネルに見入っていたり、「凄え、凄え」と連発して感嘆していました。小学生の息子は「天皇陛下」という言葉にも漠然としたイメージしかないので、その言葉としての存在観ではなく、この萬翠荘という建物の放つオーラに圧倒されたのかもしれません。たっぷり館内を鑑賞して階下に行くとちょうど最後の合唱の場面。子供たちも心なしか、いつもの会場よりも緊張感が声に出ていたような・・・。これぞまさにパワースポット、木子七郎恐るべし!




20120226 1今日は、下の娘が習っているピアノ教室の発表会が『萬翠荘(ばんすいそう)』で開催され、家族で観覧&応援です。萬翠荘は、2011年に国の重要文化財に指定されている歴史ロマンを感じさせる建物です。大正11年に旧松山藩主の子孫にあたる久松 定謨(ひさまつ さだこと)伯爵が、別邸として建設したもので、陸軍駐在武官としてフランス生活が長かった定謨伯爵好みの、純フランス風の建物は、当時最高の社交の場として各界名士が集まり、皇族方がご来県の際は、必ず立ち寄られたとか。

 

20120226 2かつては1階が高級レストランとして営業もしていたそうで、今でも今回のようなイベントや古典などが定期的に行われているようです。大正の歴史ロマンを今に伝える愛媛県を代表する建物のひとつなのですが、恥ずかしながら中まで入ったのは今回が初めて。写真とかでは見たことはあったのですが、実際に見るとその格式の高さは驚くばかり!しかし、ガチガチに緊張して出番を待つ娘にとってはそれどころではありませんが・・・

 

20120226 3豪奢な舞台で娘が弾いた曲は「マルマルモリモリ」!少し駆け足になりましたが何とか無事に演奏を終えました。時々泣き言も言いながらも練習をしていますが、何でもひとつの事に打ち込んでくれれば、親としては安心。この道で生きていくわけではないのでしょうが「夢」なき人生は無味乾燥。涙の中からいつか夢も見えてくるでしょう。さて、演奏後は最後の合奏まで出番がありませんので、家内と次女を残して、私と長女と息子の3人で萬翠荘の探検に出発!2階は有料となっています。

 

20120226 4自宅から車で20分足らずの距離にあって、ほぼ1週間に1回はその前の道を通っているものの灯台下暗しとはまさにこの事。全国の有名建築物を巡る前にまずは地元の事をしっかり学ばねば・・・本当にお恥ずかしい限りです。せめて今からでもしっかり地元巡りをしようと思います。近いとついつい、いつでも行けるような気分になるのですが、案外行けそうで行けないのが地元の観光地。しかし一度結界を越えれば、道後のように『わが街の財産・観』が増します(私の場合ですが)。では早速お二階へ!




20120225 1本日は、岡山県美作より美作木青協の皆さんと島根県出雲より出雲木青協の皆さんをお招きしての3会団合同例会の開催です。この合同例会は、今から7、8年前に私が美作にお招きいただきお話をさせていただく機会を得たのですが、その時の心温まるおもてなしに感激して、ぜひ他の会員にも共有してもらいたいとの思いで、隔年で互いの地を訪れて例会を開催しています。今年は愛媛にお集まりいただき、愛媛プレカットさんで工場見学の後、ホテルに会場を移して講演会。

 

20120225 2まずは、各会団長からご挨拶。愛媛の井上会長の歓迎の挨拶に続いて、美作の鈴鹿雄平会長からもご挨拶がありました。鈴鹿君は、中四国地区でも有数の地松(国産の松)の専門製材工場です。以前に何度か訪問させていただきましたが、まあ松山では見かける事のない製材の光景。国産の松が土場に所狭しと居並ぶ姿は圧巻です!地松というと、主に梁丸太や構造材のイメージですが、こちらではフローリングやパネリングも作られています。松に光沢の美しさに開眼させられました。

 

20120225 3この話はいずれ『今日のかけら』の『アカマツ』の項で詳しくお話させていただきます。それでは銘建工業の将棋王・安東真吾さんから「オーストリアの林業の現状」について。一般の方にしてみると、「木の仕事」というと森林伐採から製材、小売、加工などすべてをこなしているような印象を持たれる方も多いのですが、植林から最終加工まですべてを自社で行っている企業はごくわずか。実際には細分化していて、弊社も通常は原木を触ることはありません。ですので安東さんのお話全てが新鮮。

 

20120225 4オーストリアの森林は日本によく似た急峻な地形で、小口賞所有者が多いのも似ていて、人件費も対して変わらず、出てくる素材の生産コストにも大差がないのに、山に残るお金に雲伝の差があるのはなぜか?安東さんの分析によると、高性能機械の導入や技術者の育成など、つまり生産者の意識の差が原因であり、それを解消するためには、世界の林業の現状を知るべきではないのかと。明快です!器の箱物づくりから、人間の中身づくりへのシフトは日本の全産業の命題です

 

20120225 5外を知る事で、内なる自分の輪郭もはっきりしてきます。無垢の内装材を取り扱うにあたって、全国各地の生産者を訪ね、そのものづくりの姿勢やこだわりに触れたことが、自分の進むべきの骨格を作ってくれました。それぞれの立場で知識の習得と研鑽に励み、ものづくりの意識を高めていく事の重要性は、企業レベルの代償を超えて共通のテーマです。大変勉強になりました。その後は、ワールドな安東さんの話から一転して、私がミクロな「森の出口」の話を少しだけさせていただきました。物事には両極がある方がわかり易いでしょ!

20120225 6私もいよいよ来月に卒業を控え、会員の前で現役会員として木の話をさせていただくのも遂に最後となりました。20年前の入会当時、饒舌な緒先輩を前にたじろいだ引っ込み思案な私でしたが、去って行く今に至っては話し足りない寂しさもあり。我が身の事ながら、ああ人間って変われるものなんだと実感それも県外にライバルとして立ちはだかっていただいた美作木青さんのような存在あればこそ。美作木青の皆さんはこれからも私にとって永遠の目標であり、永遠の良き酒友であります。最後の例会に花を添えていただき感謝!安東さん、ありがとうございました~!




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