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イベントやら消費税増税前の駆け込み需要などでしばらくご無沙汰していた久万造林が驚くばかりの変化を遂げていました!先日久々に久万高原町に足を伸ばしてみると、製材機を片付けた倉庫の中が大変身。空になったこの倉庫で何が出来るのか、何をしようかと盟友・井部健太郎君と散々妄想を語り合ってきましたが、その妄想が見事なまでに実現していたのです!久万造林㈱は創業明治6年で、今期100周年を迎えるという木材業界でも指折りの老舗企業です。
数年前より、製材事業を縮小して文字通り造林事業に集約する一方で、創業100周年を機に、空いたスペースを使った新たな『山の活かし方』を模索していたのですが、こういう事ってある意味やったもの勝ち!高邁な理屈をダラダラ言ったり、デザインしてみたって実践できなければただの絵に描いた餅でしかありません。私も何らかの形で手伝いできないかと相談は受けていたのですが、すっかり自分の事で手一杯になっていましたが、ここまで出来ていたとは!
まだまだ完成したわけではなく、これでも妄想の一部に過ぎませんが、そこはやっていくなかで軌道修正したり不足を補ったりしていけばいいだけで、ついつい最初から完成形を求めがちですが、こういう取組って答えがないので、反応を見ながら微調整していくしかありません。全国各地で似たような取り組みはあるものの、それぞれの地域によって山の形態も違うし、業態も違います。どこかで成功したスタイルをそのまま持ち込んだってうまくいくはずありません。
既に地域の方を集めたミーティングや大学生たちとのワークショップなどをこの場で実践されていて、課題や成果も沢山出ていることだと思います。私は久万高原町の人間ではありませんので、直接的にこれからの久万高原町の自治に参加するというわけにはいきませんが、山の事を町の人に伝える仕組みやそのための商品開発として関わることが出来ればと考えています。しかしそれについても既に健太郎君が着実に、久万の木を活かした商品として現実化している様子。
しかもこのスペースのほとんどが、何か新しいものを持ってきたというわけではなく、そこにあったものを再利用したり使い方を変えただけのもので、ほぼ自分たちの手による手作りというところにも感動するし、それでこそ意義もあるというもの。わずか数か月前まで何もなかった製材跡とは到底思えません。一角には以前購入してもらった『木の玉プール』コーナーもありました。顧みて、『誕生木商品』が1月で停滞している自分が恥ずかしい・・・。いや〜これは負けてはおられませんぞ!!
その影響は今なお残り、瀬戸内の木材産業を長らく支えてきたマツはもはや壊滅的な惨状で、続々とマツ製材工場が撤退していったのです。その中で、なんとかこの中国地方のマツの文化を残そうと奮闘しているのが岡山県の(株)鈴鹿製材所さん。代表取締役の鈴鹿雄平君とは旧知の仲ですが、倉庫には今では手に入らないような立派なマツのストックが豊富にあり、地松の専門工場としてマツ材にかける心意気は半端ではありません。 |
縄文の時代決して目立つ存在でなかったマツが、日本人の暮らしと共に晴れやかな舞台に引っ張り出され、日本の名勝を作り上げ、日本の原風景とまで親しまれ、住宅や土木の主要部材として大活躍したものの、マツクイムシの問題はあったとはいえ、ライフスタイルの変化に合わせて用無しにさせてしまうなどというのは失礼な話。誕生木の商品を作るにあたっても、この歴史的な背景をよく考えて、マツの特性を活かしたいと思います。 |
建築材以外にも、その特性を生かして土木資材(杭や矢板など)としての利用も進みました。その後明治時代に入ると、国として本格的な土木事業。治水事業が行われるようになりました。大型重機も導入されるようになると、それに合わせてマツの需要も飛躍的に増えていきます。全国各地で伐採が進み、天然林が開発枯れる一方、至る所で植樹も盛んに行われ、遂にマツは全国津々浦々に繁殖しわが世の春を謳歌することになります。 |
マツが一気に全国区の売れっ子になるのは江戸時代。人口に急激な増加に伴い、江戸に人が集まるようになると、多くの耕地が必要になります。耕地拡大をはかるために、決して好条件ではなかった場所にも田畑が作られるようになり、その飛砂防止、防風などを目的として砂浜という砂浜にマツが植えられました。砂との長い格闘の結果砂地に根づいたのがクロマツです。こうして、白砂青砂と呼ばれる日本の海岸風景が誕生しました。 |
天の橋立や美保の松原、松島など今では「日本の原風景」のように思われる海岸のクロマツですが、それは景観づくりとしてではなく、もともとは耕地拡大のための防風林・防砂林として江戸時代に植えられたのが起源だったのです。松島は残念ながら先の震災で壊滅してしまいましたが、江戸時代から潮と戦ってきたクロマツの復活を願っています。地元の学生たちと共同で被災したマツを使って「森のしるし」を作らせていただいています。 |
江戸の話に戻りますが、大都市に人が集まるようになると周辺から大量の物資が運びこまれるようになります。農林業を生業としていた周辺の村々では、里山の木を使って薪や木炭を作り町に売りに行くようになります。里山=雑木林という生態系は、縄文時代に集落が営まれるようになって、周辺の雑木林を恒常的に利用することで確立されたものですが、その過剰利用が進むと雑木林の再生産のスピードが間に合わなくなります。
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その時代になると、中国地方辺りで盛んに「たたら製鉄」が行われるようになります。たたら製鉄は、映画「もののけ姫」でも登場しましたが、砂鉄を採集するために大掛かりに山を崩して土砂を流します。その結果、山は荒れ地となります。以前に、世界遺産で有名な石見銀山に行った時、たたら製鉄の名残り「清水谷製錬所跡」を見ましたが、かなりの山奥で製鉄がされていて事がうかがい知れました。製鉄に欠かせないのが火です。 |
その火を作る原料として大量の薪が必要となります。周辺では多くの木々が伐採されました。そんな開かれた荒れた土地を好むのがアカマツ。成長力も旺盛で、日当たりのよい場所を好む『陽樹・マツ』は、待ってましたとばかりに勢力を拡大。成長に時間のかかる広葉樹を凌駕し、原生林のマツが伐り尽くされると二次林が生まれ、それは薪の材料としても大量に消費されました。製錬所跡の薪の分析でも圧倒的にマツが多いそうです。 |
マツは、広葉樹に比べると火持ちこそしないものの火力が強い事から、高い燃成温度が求められる陶器などの焼き物や製塩などにも燃料として利用されました。その結果、たたら製鉄や陶器、製塩などの盛んだった西日本中心にマツの分布域が拡がっていきました。東日本ではクヌギやナラ、クリなどの広葉樹が燃料として使われた痕跡は残っているものの、まだまだマツは近畿から中国地方の一部にとどまるローカルな木だったようです。 |
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