森のかけら | 大五木材


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20160731-1最近、県内外の行政のかなり上の方や偉い大学教授の先生などとお話しする機会が増えてきて、そういう場面でしばしばある事です。【森のかけら】はじめ弊社の商品をたまたま御覧いただく場面があって、無言でジッと眺められた後でひと言。「こんなのがあるの知らなかったなあ、面白そうだけどもっと沢山宣伝しないと売れないぞ!」えっと、一応お褒めのお言葉を頂戴したのだと理解すればいいのだと思うのです。分別のある大人ならば、ひきつりながらも相槌を打てばいいのでしょう。

 

20160731-2しかし、そんな器用な真似ができるぐらいならこんなモノ作ったりしてません。カチ~ン!「(とりあえずとんでもない上から目線でも)評価していただきありがとうございます。ええ、それは仰る通り全然宣伝も足りていません。一地方の弱小零細企業なもので、宣伝広告費なんてかけられません。その代わりと言ってはなんですが、日々ホームページでブログを書かせていただいて、お金をかけない宣伝活動に邁進しております。そんな些末なブログの事なんて当然ご存じないでしょう。

 

テレビCMや雑誌や新聞などにドカーンと出ないと認知度なんて上がらない、その通りだと思います。たかだか5000万ページアクセスプレビュー程度の、マニアが集うスーパーニッチ商品でございます。これからだって莫大なお金をかける全国CMなんて出来っこありませんから、弊社の商品などもう二度とお目にかかることもないと思います。でも企業のものづくりをご支援されたり、そういう学問を教えられる立場であれば、ご自分で商品情報を拾うという事はなさらないのでしょうか?

 

20160731-4テレビや雑誌に躍る大手メーカーの商品ばかりがすべてではないはず。ご自分の目や耳に飛び込んで来ないものは宣伝不足だという認識でしょうが、ひとの物差しはどれも同じではありません。ご自分でモノをお作りになったことはおありでしょうか。ひとが作ったものに後から、どうしたらいいこうしらいい、こうすれば売れるなんて無責任な事は私だって言えます。ぜひその高い見地からオリジナリティ溢れる、売れる商品をお作りになって迷える子羊に道をお示しいただきたい。

 

20160731-5どうすれば売れる商品が、お金もかけずに国民の誰もが知ることのできる商品が作れるのか、言葉ではなくて実践していただきたい。さすれば私もただちに足元に跪き教えを乞います。」なんて丁寧な言葉で毒を吐きたいところではありますが、私も50歳になりましたので心には思うが口には出さず。かといってお愛想笑いができるほど人間もできておりませんので、「御心配には及びません。もう十分に売れておりますから!」と、奥歯を噛みしめながら捨て台詞を吐くのが精一杯、まだまだ若い。




日頃から何かとお世話になっている松山大学の甲斐朋香准教授(以下、甲斐先生)から、ご注文をいただいていたモザイクボード仕様のブックシェルフをご自宅に納品させていただきました。大学の先生という職業柄、本棚はいくらあっても足りないはずなので、大手家具屋で販売されているメイドインチャイナの本棚を数台買って並べた方が効率的なんでしょうが、あえて弊社にご注文をいただき、しかもそれがモザイクボードでお願いしたい、って仰っていただくところがオトナのたしなみ!

 

20160730-2モザイクボードは、弊社で作っているオリジナルの異樹種混合のフリーボードです。製作開始から試行錯誤を重ねて辿り着いた現在のサイズは2m✕500✕30㎜3m✕600✕30㎜の2種類。過去には27㎜厚も作ったりしていましたが、端材の状況や現場からの要望でこの2種類に決定しました。基本はこのボードの状態での販売ですが、ご要望に合わせて甲斐先生のようなモザイク仕様の注文家具も作らせていただきます。在庫は大体それぞれのサイズ、常時20枚前後。

 

モザイクボード換算で2m、3m合わせてようやく100枚を少し超えた程度売れただけの、まだまだこれからの商品なのですが、相当手間暇のかかるこういう商品を作ろうという無謀な会社も少ないようで、競合商品が無いというのと自社オリジナルということが強みです。わずか100数枚とはいえ、このお陰で弊社の端材もからりの量が光のあたる表舞台に立たせていただくことができました。もしこの商品を思いついていたなら今頃倉庫の中は端材の海、考えるだけでゾッとします。

 

20160730-4ところで甲斐先生は大学の先生なので(時々それを忘れることがあって、全国に神出鬼没のひとりNPOの活動家と思ったり・・・いい意味で)、本は山ほどあるものの納品直後に「本が並んだ画が欲しいので、さあすぐに本を並べて!」なんて言うことも出来ず、それよりもシャイな私としては独身の女性の部屋に長居することなど出来ずに納品を済ませるとそそくさと部屋を後にしたため、本が並んだ姿はいずれ甲斐先生に撮ってもらうことに。その時には隣にもう1、2台並んでいるかも・・・

★最新価格 2000✕500✕30mm  ¥35,000(税別)  3000✕600✕30mm  ¥55,000(税別)




ただ近年になってようやく『天国の門』にも「復権」が言われるようになってきたのは救いです。数年前にも、初公開から実に30年を経てのことではあるものの、監督自らの監修でデジタル修復完全版が上映され、ワイオミングの美しい風景が蘇ったとのこと(残念ながら私はそれは未見ですが)。昨年末に逝去した天才カメラマン、ビルモス・ジグモンドによる奇跡のような映像はデジタル化されることで本来の美しさを取り戻したのです。今改めて観直したい映画です。

ところで、チミノは本当に天国の門を叩いてしまいましたが、チミノにとっての天国であったろう『ディアハンター』について少しだけ。まだベトナム戦争がどういうものなのか、その背景や経緯についてよく分かっていなかった学生時代の私に、とにかくそれはとんでもなく悲惨で酷いものだと教えてくれたのがこの映画です。その数年後に公開された『地獄の黙示録』と『ディアハンター』の2つの作品が、私の中のベトナム戦争のイメージを良くも悪くも作り上げました。

米軍の蛮行も、不可解極まりない政治的なイデオロギーも、人が虫けらのように死んで、理性が壊れていったりと、観ていて決して楽しい映画ではありません。カタストロフィなんて微塵もないし、エンドクレジットが流れる頃には陰鬱な気分にさえなるはずなのに、不思議と数か月に1度はデ・ニーロはじめクリストファー・ウォーケン、ジョン・カザール、ジョン・サヴェージ、メリル・ストリープなど、いずれもが生涯ベスト級の熱演を披露した演技合戦に心酔したくなるのです。

私がマイケル・チミノから学んだことはいくつかあります。完璧主義者になってはいけない、芸術家気取りになってはならない、そして栄光は長くは続かないということ。ある意味不遇であった人生だったかもしれませんが、マイケル・チミノという名前の響きは同時に私に多くの事も示唆してくれます。残された数々の傑作(その中には脚本として加わったサイレントランニングやダーティーハリー2も)と共に、どんな困難にぶち当たろうとも信念を貫き通すバカな勇気と男の浪漫を教えてくれるのです。合掌。




ディアハンター』の成功により、好きな映画が撮れる環境になったマイケル・チミノは本当に自分がやりたかった事をやってしまった、やり切ってしまったのです。完璧主義者にして天才肌の芸術家気取りのオタクな映画青年にとって、社交辞令やオトナの分別など理解できるはずもなく、湯水のように資金が投入され、当初1100万ドルでスタートした撮影は、最終的に4400万ドル(当時のレートで約80億円)にまで膨れ上がるのです。上映時間はなんと5時間30分!

当然そんな上映時間が許されるはずもなく大幅にカット。300分を超えていたフィルムは219分に削られ(後に試写での評判の悪さから149分にまで短縮され上映)話が繋がらなくなり物語は破綻。1890年代のワイオミング州を舞台にしたロシア・東欧系移民の悲劇を扱った内容もアメリカ国民の市民感情を逆なでしたともいわれ、映画は酷評でわずか1週間で上映打ち切りになり、『天国の門』という言葉が失敗作の代名詞となるほどの散々たる結果となってしまったのです。

『天国の門』にまつわるとんでも話は数知れず。馬が通れないからという理由だけで完成していたセットを壊したり、わずか数分しか映らない機関車のシーンを撮るためだけに、当時走っていた本物の機関車を調達させたりと、誰か傍に言ってきかせるまともなオトナはいなかったのかと思うのですが、アカデミーの栄光は人心をも迷わせ、あわよくば2匹目のドジョウを、という思いだったのかもしれません。途中で気づいたところで、今更引き返せるわけでもなく進むしかなかったのでしょう。

伝説はこれでは終わりません。散々たる興業成績はわずか350万ドルほど。製作費の1/10の回収すらできずに、制作会社のユナイテッド・アーティスツは遂に倒産に追い込まれてしまうのです。1本の映画が制作会社を潰してしまったのです。これによってチミノの栄光は失墜。それから長い間冷遇されることになり、後年『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』において私的には劇的に復活するものの、ハリウッドではそうは見なされなかったようで、その後大きな仕事は任されませんでした。




嗚呼、知らなんだあ・・・マイケル・チミノが亡くなられていたなんて・・・。 ベトナム戦争を描き、アカデミー作品賞を受賞した1978年の傑作「ディア・ハンター」で知られるマイケル・チミノ監督が7月2日、米カリフォルニア州ビバリーヒルズの自宅で死去した。享年77歳。亡くなった事に驚きでなのすが、晩年の写真も衝撃!すっかり痩せこけられて、まるで憑き物がすっかり取れたGACKTのようになってしまっていた姿にも困惑。晩年の不遇に胸が痛くなります。  

                                   

私の中のチミノは、パーマをかけて肉づくがよくて目つきの鋭い若かりし頃のままのイメージだったので、あまりのギャップに「誰?」と思ったほどでした。私にとって、監督名で映画を観ようと思わせ、観終ったら必ずDVDも買おうと思わせる数少ない映画監督の一人でした。後は勿論リドリー・スコット、フランシス・コッポラ、ウォルター・ヒル、ジョン・ミリアス。こうして並べると相当にタカ派的であり、スコット以外はほとんど休職状態というのも笑えますが。  

                      

好きな映画を並べれば必ずその名前がある私好みの監督でありました。晩年はほとんどお休み状態でしたが、もう一度スケールの大きな映画を撮って欲しかった。もう新作が永久に観れないと思うと残念。マイケル・チミノほど浮き沈みの激しかった映画監督も珍しかったのではないでしょうか。監督第2作目となる『ディア・ハンター』で、当時はまだタブー視されていたベトナム戦争の悲惨で不条理な現実や帰還後の人間喪失などを描きアカデミー賞の作品賞、監督賞など5部門を受賞。

スター監督の道が約束され、将来を嘱望されたものの続作では隠されていた完璧主義者&芸術家の側面が顔を出し、結果的に栄光の極みから地獄へと真っ逆さまに堕ちてしまうしまうのです。ひと昔前のハリウッド映画のランキングの1つである、「もっとも製作費を回収できなかった映画は?」、「史上最大の失敗作は?」の答えとして挙げられていたほどに汚名を着せられ冷遇された映画が『天国の門』。原題 Heaven’s Gateの直訳なのですが、皮肉を込めて『地獄の門』とまで呼ばれることも。




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