森のかけら | 大五木材

 

 

 

今日のかけら177

ダグラスファー

Douglas fir

マツ科トガサワラ属・針葉樹・北米産

学名:Pseudotsuga menziesii

別名:ダグラスモミDouglas fir

オレゴンパイン (Oregon pine) 

和名:べイマツ(米松)

アメリカトガサワラ(アメリカ栂椹)

気乾比重:0.55

 

ダグラス博士の愛した木*


★今日のかけら・177【ダグラスファー】Douglas Fir マツ・針樹・北米産

ダグラスファー』と聞くと「?」と思う方が多いのではないかと思いますが、『ベイマツ』と聞くと「ああ、あの家の梁や桁に使う木ね」とご理解いただける方が多いのではないでしょうか。実はこれ、同じ木の事なのです。構造材に国産材を使って欲しいという要望がなければ、ほとんどのケースでこの『ダグラスファー』が構造材として使われると言っていいぐらい、国内の住宅産業資材に広く浸透し、ほぼ全国的に使用されています。それに合わせてこの『ベイマツ』という名称も一般の方の間にもすっかり定着したようです。

ベイマツ』を漢字で表わすと『米松』、つまりアメリカ産のマツであるという事を言い表しています。植物学的な分類では、マツ科トガサワラ属に分類され、『アメリカトガサワラ』というのが正式な名称になるようなのですが、これだとまずトガサワラを説明してからになるので二重に面倒くさくなります。さら葉の形がモミに似ている事からファー(モミ)の名前もついていて余計にややこしくなっています。現地では主にダグラスファー、あるいはオレゴンパインの名前で親しまれています。日本では一般的には日本の松に似た木という意味で『米松』と呼んでいます。

世界中でもカナダからワシントン、オレゴン州にかけての太平洋沿岸の丘陵地に生育する単一種です。北米産の木材林業界においても重要な地位を占める木で、日本に原木として輸出される木材の中では最大の規模を誇ります。ダグラスという名前は、1791年にカナダのバンクーバー島でメンチェス博士によって発見され、その後1826年に植物学者のダグラス博士によって再発見された事に由来しています。つまりダグラスというのは人名なのです。学名にもダグラス博士の功績が織り込まれていますが非常に珍しい例です。『シュードツガ・ダグラシー(ツガに似たダグラスの意)』

地元愛媛にある、鶴居産業㈱さんがベイマツ製材の大手の一角を形成されていて、日々ベイマツの製品を大量に生産されています。この仕事に就いて初めて木材団地に行って、その工場を見たときは、国産材のワビや味といった概念が一気に吹き飛んでしまうような、その圧倒的なスケールに度肝を抜かされました。鶴居産業さんのある木材団地の港にベイマツの原木を満載した船が入港している姿にたまたま出くわすことがあるのですが、なんとも壮大な眺めです。大きな原木から大きな梁や桁をイメージするかもしれませんが、その用途は意外に広いのです。

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オールドなヤニの功罪*

住宅の梁や桁など構造材としての利用頻度が高い『ダグラスファー(米松)』ですが、それは大きなサイズの材料が取れる(製材出来る)という前提と合わせて、部材相応の粘りと強度が確保できるという特徴を持っているからであります。一口にベイマツといっても、その材質によって取引価格には大きく異なります。一般的には200年生以上の高齢木原生林の事を『オールドグロス(Old Growth、植林した2次林の事を『セカンドグロス(Second Growth』と呼んで区別をしています。当然、高齢木のオールドグロスが高額で取引されます。

このオールドグロスの材は、主にバンクーバー島からカナダほんどのカスケード山脈の太平洋側沿岸から産出されていて、その事から別名『カスケード』とも呼ばれています。その材質によっては、やや目粗の『セミカスケード』などと区分され取引されています。高齢木になると、板目部分にはえも言われぬような野趣溢れた表情が現れます。しかし汎用性の高い木材であり、またもともと大きな木が得やすいというイメージが強いため、木目の面白い木も割合ぞんざいに扱われることが多いのも悲しい現実です。

「面白い杢が出たベイマツがあります」と言っても、「所詮ベイマツだからなあ」的な受け止め方をされがちです。また『現(あら)わし』といって、外部などに化粧材として使用する際にも、例えば尺(およそ300㎜)を越えるようなサイズのものになると、スギヒノキだと木取りするのも難しそうだろうと理解して頂くのに、「ベイマツなら(木が大きいのだから)取れて当然だろう」と言われたりするのは不遇と言わざるを得ません。私がこの仕事について20数年、今まで一番多く触った材はベイマツだったかもしれません。

ベイマツは多くの樹脂分を含み、ヤニ(脂)が出ることが多いのですが、経験から言うと木目の詰まったオールドグロスになればなるほどヤニが吹いてくる事が多いです。右の写真のような玉になる物は、時間が経過するとザラメのように多少固まるので簡単に取り除けます。また軽微なヤニはシンナー系の溶剤で拭き取れば取れますがこれも程度問題。見た目は美しい飴色に見えるものの結構手につくと厄介物で普通の石鹸では容易に落とせません!一方、深いヤニ壺があると最悪!いつまでもいつまでも無尽蔵なくらいにヤニが溢れてきます。

もうこうなると外科手術でヤニ壺の周辺ごと切り出して除去してしまわなければ根本的な解決には辿り着けません。もっともマツにしてみれば、ヤニ分が多いから粘りや強度も生まれるわけで、しかもそのヤニもバイオリンやバットの滑り止めに使っているにもかかわらず、やれヤニが悪いだのねとつくだの都合勝手な事ばかりを言うな!と叱咤されそうです。ところで今や日本での住宅産業に欠かせないベイマツですが、日本に最初に持って来たのはあの黒船ペリー提督だと言われています。この話、長くなりそうなので続きは後日改めて・・・。

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歴史に名を残したコレクター*

先日のブログの、『1791年にカナダのバンクーバー島でメンチェス博士によって発見され、その後1826年に植物学者のダグラス博士によって再発見された』という記述に対して、厳しいご指摘がありました。その間の空白の35年はどうしたのか?という、予想だにしない質問です。質問の主は、偏執狂的な熱血『森のかけら』マニア(これは最大の賛辞!)のF氏。さすがに目の付け所が違います。この業界にいて何も疑問に思った事もありませんでした。まさに目から鱗が落ちるとはこの事です。 慌てて資料や文献を読み漁りました。

常識とか定説を「なぜ?本当?」と思うところから人間の成長があるのかもしれません。こういう質問、とてもありがたいです。それをきっかけに自分も調べ物をしたり、知識を得れたりと勉強になりますので。さあ、そのマニアックな疑問にお答えしましょう。ところが定説というのは誰も疑問に思わないからこその定説。この空白の35年を紐解く記述はどこにもありません!F氏のほくそ笑む姿が脳裏に浮かんできます。それでココからは、資料や文献を元にした私の推察になりますが、まるっきりの間違いでもないと思います。

1780年代に植物学者のメンチェス博士は世界各地に探検に出向いていたようで、1791年にバンクーバー島で『ダグラスファー』を発見しました。しかしそれだけでは第一発見者の名誉は手に入れることはできないのです。当時は、発見してもその種や生きた標本を本国(イギリス)に持ち帰って、国の最高権威である王立園芸協会に届けなければ正式に認められなかったようです。その時当時王立園芸協会は絶対的な権威を誇り、かの万有引力の発見者ニュートンも歴代の会長を務めていたほど国の威信を背負ったアカデミーという存在だったのです。

国が認めるというお墨付きがつくわけですから、そこにはそれ生きた標本やら種子は必要最低条件であったことでしょう。メンチェス博士にそういう野心があったかどうかは別にして、その偉業は博士は記憶の中にのみとどめることになりました。先住民は大昔から木の存在には気がついていたのでしょうが、登録とか認定とかには別段興味も無く時が流れました。それから35年後の1826年、王立園芸協会の会員であり植物学者にして収集家のダグラス博士が歴史に名を刻むのです。執狂的なコレクターであった(?)ダグラス博士は、自分が偶然「発見」したダグラスファーの種と生きた標本を王立園芸協会に送りました

偏会員であるダグラス博士は当然、それによって自分が発見したという偉業が歴史に刻まれることも熟知されていたのでしょう。そうして見事ダグラス博士は、『ダグラスファー』の発見者となり、その功績により自分の名前を冠するという名誉を得たのです・・・というのが、私が推察する『メンチェス博士の不幸とダグラス博士の幸運物語』の一部始終です。どこまでが本当?と尋ねられても責任は負えません。ただ当時こういう事は珍しくなかったようで、記録に残っている発見者が真の発見者かどうかは怪しいところです。手続きに長けていた場合もあるでしょう。今ほどデータが重要視されなかった頃、記録に名を残すことがどれほどの価値があったのかも分かりません。そんなことより大切な事が世の中に溢れていた素敵な時代だったのでしょう。

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ペリー提督と黒い商船とベイマツ*

ダグラスファー』で、もう少し触れておきたい事がありましたので、補足させていただきます。今や日本国内でもっとも馴染みの深くなった感のあるダグラスファー、つまりベイマツですが、日本に入ってきた歴史も最古参です。記録として残っているのは、嘉永6年(1835)に黒船が浦賀に来航したのですが、その時ペリー提督が幕府に献上した幾つかの品の中に、ベイマツの製材品が入っていたというものです。まさか梁や桁のようなサイズの物ではなかったろうと思いますが、少し厚めの板材のような物だったのではないでしょうか。

その時のベイマツはしっかり保存されていて、かつて佐藤栄作首相がこのベイマツの一部を使って、シガレットケースを作らせて、アメリカ大統領のお土産として渡米したという逸話が残っておりますので、170年前のベイマツを是非とも拝んでみたいものです。相手はジョンソンだったのでしょうか、あるいはニクソン?そういう記述もありますから、これはかなり確かな事実だと思われます。それから百数十年後、まさかその木が日本中の建築の主流になろうとはよもやペリーも想像だにしていなかった事でしょう。

いや、もしかしてその来るべき未来を予知してベイマツをこの国に持ち込んだとしたら・・・!実はペリー提督が米国林産会社の特命を帯びたスーパーバイヤーだったというまことしやかな話もあるのです。かつて日本の野球の創成期に、アメリカ大リーグが来日して日本のチームと各地方で試合を行いました。来日してメジャーリーガーの中には、ベーブルースゲーリックなどの名だたるスーパースターがいたのですが、その中にメジャーでは成績の振るわない無名選手が混じっていたのです。

実は彼らは野球選手の名を借りた米国の秘密諜報部員で、野球の全国遠征に帯同しながら野球そっちのけで諜報活動に励んでいたという、嘘のような本当の話がありましたが私こういう都市伝説的な話大好き!アメリカならやりそうなところがリアリティを感じます。なのでペリーもただの手土産としてではなく、アメリカの圧倒的な森林資源を知らしめるため、そして日本の住宅資材にベイマツを普及させるために、トップダウンの営業戦略を取っていたのかもしれません。また同時期に幕府は大型船舶の建造も解禁したのですが、造船の甲板材としての売り込みのカットサンプルだったのではないかとも言われています。実際にペリーが乗船していた黒船にもたくさんのベイマツが使われていたそうです。黒船は商船だったのか・・・

その後日本の軍艦の甲板などにベイマツは使用され、急速に輸入が増えたという事ですから、ペリーの目論見通りになったという事でしょう。そうしてベイマツは初めて日本の土を踏み、その後の戦後復興の急激な木材の需要に国内木材だけでは供給が追いつかなくなり、木材鎖国政策が解かれ再び日本の土を踏むことになるのです。日本を開国させたペリーが最初に日本に持ち込み、それから長い時を経て、輸入解禁後に市場を席巻したダグラスファー、何か歴史の因果を感じずにはいられません。

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別の名前で出ています*

何か面白い木って無いですか?」若い設計士さんからそんな問い合わせがよくあります。そんな時に、「それではこんな木がありますがいかがでしょうか。その木は1826年にバンクーバー島の西海岸で、イギリスの王立園芸協会会員の植物学者ダグラス博士によって再発見されました。その木は、鎖国中の江戸時代に浦賀にやって来た黒船にも積まれていて、かのペリー提督が幕府に献上した数々の品の中にも含まれていました。そんな歴史的な背景のある木ですがどうですか?」
「それは面白い!何という木?」大抵の場合は食いついてこられます。それから更に丁寧に説明します。「今やその木は北米大陸を代表するような木になりました。中でも200年を超えるような高齢の原木を『オールドグロス(Old Growth)』、植林した2次林の事を『セカンドグロス(Second Growth)』と呼んでいます。正式な名前は『ダグラスファー』、正確な和名は『アメリカトガサワラ』です。いかがですか?」「ダグラスファー?聞いたことも無い名前だけどサンプルってありますか?」
待ってましたと、ここでようやくサンプルをお見せします。先方の反応は大抵「・・・これって米松じゃないですか?」「ええそうですよ。英名ダグラスファー、和名アメリカトガサワラ、商業名米松です。」「米松かよ~(ガッカリ)!」ペリーの黒船や200歳以上のオールドグロスの話にはあれほど食いついていたのに。あまりに身近にあり過ぎると、逆にその本来の価値が見えなくなる事があります。ベイマツと聞くだけで途端にそれが安っぽく見えてしまうのはその典型でしょう。
とはいえ最近は、スギ並に目の粗いベイマツも出回っているので、ベイマツ自体の評価が低くなるのも致し方ありません。もはや『ピーラー』も死語に近い。なので若い設計士さんにとってベイマツは、人工乾燥機ですっかり油っ気の抜けてしまったパサパサの目の粗い木という印象しかないのかもしれません。先日、そんな印象を一変させるような迫力あるベイマツ、いやダグラスファーに出会いました。デンマークのスカンジナビアンリビング社の幅広・長尺の一枚板のダグラスファーのフローリング
弊社が取り扱ったわけではなく、現場に収められたモノを拝見したのですが、長さ3m、幅300㎜、厚み28㎜の一枚板の豪快な商品。ほとんど木裏使いで、裏面に浅めのバックシールが3本入っていましたが、反り止めというよりはほぼ気休め程度。しかしこれぐらいの商品になると、節がどうのこうの言ったり、多少の反りやねじれなんて野暮な話。それらも本物の木の魅力のひとつじゃないかと言われれば納得してしまうほどの圧倒的な存在感!もしも黒船にもこういう木が積まれていたならば徳川幕府の心もさぞかし揺れたのでは?!

 

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大いなるピーラーの幻影①*

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