森のかけら | 大五木材

 

 

今日のかけら プレミア004 

【オリーブウッド】

 Olive wood 

モクセイ科・広葉樹・スペイン産 

学名:Olea europaea

 

 

小豆島のオリーブ物語① 二十四の瞳

 

 

先日、あるご縁から香川県小豆島産のオリーブの端材を分けていただきました。四国では小豆島といえばオリーブの島といってもいいぐらい特産品として定着していますが、他の地域の方にとっては『二十四の瞳』の島というイメージが強いかもしれません。

戦争が終わって7年後に女流作家・壺井栄が発表した小説『二十四の瞳』は、瀬戸内海べりの一寒村を舞台に、戦前から戦後まで時代のうねりに翻弄された12人の生徒と赴任してきた女教師の心の触れ合いを描いた名作。

 

その後、何度も映画やテレビドラマになって多くの人の涙を誘いました。1954年に巨匠・木下恵介監督が高峰秀子主演で1回目の映画化をしましたが、私はその映画をまだ10代の頃にテレビ放送で観ました。モノクロでしたが、戦前の平和な時代に、小豆島の美しい自然の中で子供たちと触れ合う姿が繰り広げられ、正直つまらない映画だと思って観ていたら、戦争が始まり小さな島にも軍靴が迫り、成長した少年たちは戦場へと駆り出されその多くが戦死し、大石先生(高峰秀子)の夫もで亡くなりました。

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前半の緩やかで牧歌的な雰囲気からドラマは一変。戦争が終わり大石先生は再び学校に戻ることになります。そして、かつての教え子たちが開いた同窓会に招かれることに。その席には戦争で失明した、子供のころお調子者だった磯吉の姿もあります。磯吉は思いで深い学生時代の写真を記憶を頼りに指差すのですが、その位置は微妙にずれて皆が涙を流します・・・。もうこの場面では涙を禁じえません。激しい戦争場面はなくとも戦争の悲惨さを激しく訴える名場面で、若かった私の心にも深く刻まれることになったのでした。

 

2度目に映画化されたのは、私が大学時代で、監督は朝間義隆、主演は田中裕子でしたが、木下恵介版ほどの感動はありませんでした。小説ではそもそも「瀬戸内海べりの一漁村」という設定で、島の名前は特定していなかったそうですが、作者の壺井栄が小豆島出身だったことから、二十四の瞳といえば小豆島と認識されるようになったそうです。今では映画のロケで使われた廃校舎が岬の分教場として観光地化されるなどして、多くの二十四の瞳ファンが訪れています。

 

私も若い頃に家内と何度か尋ねたことがあります。島なのでフェリーに乗る必要があるのですが、高松市からおよそ1時間ぐらいかかったと思います。それからずっとご無沙汰していたので今は交通アクセスなどどうなっているのか分かりませんが、今回のご縁でまた行きたくなりました。ところでその小豆島町にはオリーブ課があって、オリーブを活用した地域振興及び産業連携、情報の発信などを行われています。小豆島がなぜオリーブの産地となったかという話は明日・・・

 

 

小豆島のオリーブ物語② 選ばれし島

 

さて本日は昨日に続いてオリーブの話ですが、ちなみに【森のかけらプレミアム36】に入っているオリーブはスペイン産のものですが、ここでお話しするのは小豆島で育った国産オリーブの話です。まずは小豆島とオリーブの歴史について。四国に来られたことのない方には小豆島がどこにあるのか分かりづらいかもしれませんが、瀬戸内海・播磨灘にある島で、香川県小豆郡に属し、小豆島町、土庄町の2町からなり、人口は3万弱。淡路島に次いで2番目に大きな島です。

 


こ の島がなぜオリーブの産地になったかというと、今から100年と少し前の明治41年(1908年)に、当時の農商務省がアメリカから輸入したオリーブの苗木の試作をするために日本で3か所が選定されました。なぜそれらの場所が選ばれたのかというと、オリーブの原産地のイタリア、スペイン、ギリシャなど地中海地方に似た温暖な気候の場所であるということと、小豆島については当時沢山獲れたニシン(鰊)をオイル漬けにして輸出する狙いもあったとか。小豆島以外の2ヶ所は鹿児島と三重。

 

その後、小豆島以外の地域ではオリーブがうまく育たず栽培を断念。小豆島の環境にはうまく適応したようで、順調に生育し、大正時代の初めの頃には搾油ができるほどに地域に定着したのだそうです。栽培農家の努力もあって、その後栽培面積も増えて、昭和29年には県花、昭和42年には県木にも指定されています。しかし昭和34年の農産物自由化以降は、スペインなど海外から安価なオリーブ製品が輸入されるようになって厳しい価格競争の波に飲み込まれることに。

 

当初考えていたニシンのオイル漬けも、漁獲環境が一変して激減します。ちなみに明治30年には国内の鰊の漁獲量はおよそ100万トンもあって、海藻なども含めたあらゆる漁業の総漁獲量が174万トンだったので、全体のおよそ6割をニシンが占めていた計算になります。個体数で換算すると、約30~40億匹という天文学的な数字!しかしその後ニシンは急速に獲れなくなり、「あれからニシンは どこへ行ったやら ~♪石狩挽歌で歌われたように激減の一途を辿ります。

 

 

小豆島のオリーブ物語③ 鰊は何処へ?

 

オリーブの話からニシン(鰊)の話へ脱線。かつての100万トンから平成26年の全国の鰊の漁獲量合計は4600トンと、見る影もありません。なので小豆島におけるオリーブも新たな出口を求められるようになります。その結果、現在ではオリーブオイルだけでなく、オリーブの実を使った塩蔵や化粧品、オリーブの木を使ったクラフト、苗木など様々な用途に利用されています。しかし、子供だった私には北原ミレイや八代亜紀が「あれからニシンは どこへ行ったやら ~♪」と歌っているのを聞いても、鰊漁の哀感など分かろうはずもなく、おどろどろしい暗い歌としか思っていませんでした。

 

 

しかし今改めて、作詞のなかにし礼の幼少期の鰊漁にまつわる一家離散の実体験がベースになっていたことや、木材業界よりも更に激しい鰊漁の波乱万丈の変遷などを知るにつけ、その歌詞ひとことひとことに込められた思い、北海道の過酷な漁場の様子までもが浮かんでくるような、叙情溢れる言葉が心に染み入ります。このブログを書きながら何度も何度も石狩挽歌を聞き直し、北原ミレイや八代亜紀、石川さゆりなどの情感溢れる歌い方も相まって、聞いているうちに涙が溢れそうになるほど・・・。

 

昭和の歌って作詞者って、ひとつひとつの言葉や情景描写を大切にする人が多くて、1曲にちゃんと物語が出来上がっていて、歌謡曲がそのまま映画になることだって珍しくなかったほどでした。作詞者の人生観とかが込められていて、歌い手もそれを自分なりに表現しようとする凄みがあって、高いレベルでプロフェッショナル同士の技の凌ぎあいがあったんだと思います。そういえば、石狩挽歌は鰊漁の哀愁を歌っていますが、歌謡曲で魚の種類まで特定する歌も最近ではあまり聞きません。

 

それは樹についても同様で、サクラのように単なる樹種を超えて、言葉自体がいろいろなイメージを膨らませるようなケースは別にして、昨今の歌謡曲の中で特定樹種の名前が出る歌って、私が知らないだけかもしれませんがほとんど無いように思います。それって日常生活の中で樹の名前を使い分けて話す機会が減ったからということでしょうか。オリーブの事を書くつもりで話は脱線しましたが、1本の木は地下茎で多くの事象や世界と繋がっているという事の証明。明日こそオリーブの話。

 

 

小豆島のオリーブ物語④ 島だが縞はなし

 

さて今日は本題である小豆島産のオリーブの話に戻します。今では島全体で5万本ものオリーブが栽培されているほど、生育に適した環境だった小豆島ですが、材木屋である私にとって気になるのは、オイルの品質や実の味よりも材質のこと。今回いただいたのは、小豆島で育てられた正真正銘の国産オリーブの小枝と割とやや広めの板。オリーブは年輪が非常に分かりづらいので識別しにくいのですが、小枝でも20年、板は50年を越えているのではなかろうかとの見立て。

 

弊社で【森のかけら・プレミア36】に使っているオリーブはスペインから輸入されたもの。また最近、ピザのお店などでトレイや食器などに使われているのは、主にアフリカのチュニジア産のもの。それらの海外産のオリーブには、特徴的な不規則な縞柄が現われ、オリーブの特徴を形成しています。弊社でも依然に購入したチュニジア産のオリーブのスプーンにも魅力的な縞柄が入っていました。実はチュニジアは、世界第5位のオリーブオイルの生産国なのです。

 

それに対して小豆島産のオリーブは、根本的に生育の歴史が100年ちょっとなので、そこまで大きな材が得れないという事情もありますが、地中海産のオリーブなどにみられる独創的な縞柄があまり見られません。いただいた耳付きの板の端にわずかに縞柄が見えていますが、その方も小豆島産でガッツリ縞柄が出ているものは見かけないと仰っておられました。生育に適した環境であったとはいえ、土壌の性質なども違うので、国産オリーブでは縞柄は求めにくいものなのかもしれません。

 

それならそれで、ないものねだりをしても仕方がないので、縞柄の出ない小径木の国産オリーブの枝から何が作れるのかを考えることが大事。いただいた枝と板を眺めながら私なりの出口を探ってみたいと思っています。最近観賞用のオリーブはあちこちに植えられています。同じ1本のオリーブの木を見ても、その姿を愛でる人、その実を食すことを考える人、その実からオイルを摂ることを考える人、その木を加工して使おうと考える人。入口はひとつでも出口は多し。

 

たまたまの偶然ですが、今朝の愛媛新聞に小豆島のオリーブ農家が作ったオリーブオイルの一面広告がありました。たぶん今までにも何度か広告を出されていたと思うのですが、気に留めることもありませんでしたが、さすがにこのタイミングだったのでガッツリ広告を読み込んでしまいました。こういうのって日常的にはよくあることなのに、こちらが一方的に運命を感じてしまうタイプなので、オリーブの風が吹いていると勝手に自分の都合のいいように解釈しておきたいと思います。

 

 

小豆島のオリーブ物語⑤ かももと新漬け

 

小豆島からやってきたオリーブの木ですが、実は私の子供たちの通っている地元の鴨川中学校の校歌・校章にもオリーブが(校歌の2番:清き香もオリーブの徽章に見ゆる真善美♪)。学校の校庭にはオリーブの木も植えてあります。オリーブの花言葉は、「平和」、「知恵」であることから、多くの学校でも校歌や校章に取り入れられているところが多いようです。鴨中には『かもも』という独自のゆるキャラがいますがその頭にもしっかりオリーブの葉が!

 

そのようにイメージの広がりと認知度いう点では非常に優れた木であるオリーブですが、国産のオリーブとなると通直な材が採りにくく、径級も小さいため、クラフト材としても、小さめのコースターや器、皿、スプーンなどに限定されています。なので私としては、得意の『物語の付加』という観点から出口を考えてみるつもりです。こうやって当初の目的であったニシンのオイル漬けから、ニシン漁の変遷などを調べてみるのも、物語を構築するために必要不可欠なこと。

 

今回オリーブの小枝と板と一緒に小豆島産の新漬けのオリーブもいただいたのですが、新漬けのオリーブって実は初めて食べたのです。新漬けオリーブは、オリーブ果実を収穫後に脱渋し、塩水に漬けこんだもので、化学調味料、防腐剤などは使用されていません。ビタミン、ミネラル、抗酸化作用のあるポリフェノールも含んでいるという特徴があります。鮮度抜群の新漬けオリーブですが、秋に収穫した時期限定のもので、賞味期間も開封前の状態で製造後90日という大変貴重なものなのです。

 

塩っけが効いていてビールのつまみには最高でなかなかの美味でした。私の中ではオリーブというと、まず素材としての「材」、次にオリーブ畑の視覚的な「樹」、シンボルとして描かれることも多い「葉」、料理やアロマとしてのオリーブの「オイル」、そして最後に食用の「実」という位置づけでしたが、今回新漬けオリーブをいただいたことで多少順位の変動もありそうです。頭で考えてばかりいては見えないものが沢山あります。目にも口にもとってもありがたいご縁でした。

 

私にとっては小豆島産のオリーブも大切ながら、いま在庫しているスペイン産のオリーブの方も気になるところなのです。現在のところ、こちらのオリーブの方にも【森のかけらプレミア36】という出口しか作れていません(サイズの関係で、今の材だと『森のりんご』が取れません)ので、スペイン&小豆島産併せて出口を考えてみるつもりです。『かもも』に『新漬けオリーブ』と、材木屋の小さな視点で見ていては見えないことばかり。酉年だけに鳥瞰の視点でモノ語り造りに励みたいと思います




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