森のかけら | 大五木材


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先日のブログの、『1791年にカナダのバンクーバー島でメンチェス博士によって発見され、その後1826年に植物学者のダグラス博士によって再発見された』という記述に対して、厳しいご指摘がありました。その間の空白の35年はどうしたのか?という、予想だにしない質問です。質問の主は、偏執狂的な熱血『森のかけら』マニア(これは最大の賛辞!)のF氏。さすがに目の付け所が違います。この業界にいて何も疑問に思った事もありませんでした。まさに目から鱗が落ちるとはこの事です。 慌てて資料や文献を読み漁りました。

常識とか定説を「なぜ?本当?」と思うところから人間の成長があるのかもしれません。こういう質問、とてもありがたいです。それをきっかけに自分も調べ物をしたり、知識を得れたりと勉強になりますので。さあ、そのマニアックな疑問にお答えしましょう。ところが定説というのは誰も疑問に思わないからこその定説。この空白の35年を紐解く記述はどこにもありません!F氏のほくそ笑む姿が脳裏に浮かんできます。それでココからは、資料や文献を元にした私の推察になりますが、まるっきりの間違いでもないと思います。

1780年代に植物学者のメンチェス博士は世界各地に探検に出向いていたようで、1791年にバンクーバー島で『ダグラスファー』を発見しました。しかしそれだけでは第一発見者の名誉は手に入れることはできないのです。当時は、発見してもその種や生きた標本を本国(イギリス)に持ち帰って、国の最高権威である王立園芸協会に届けなければ正式に認められなかったようです。その時当時王立園芸協会は絶対的な権威を誇り、かの万有引力の発見者ニュートンも歴代の会長を務めていたほど国の威信を背負ったアカデミーという存在だったのです。

国が認めるというお墨付きがつくわけですから、そこにはそれ生きた標本やら種子は必要最低条件であったことでしょう。メンチェス博士にそういう野心があったかどうかは別にして、その偉業は博士は記憶の中にのみとどめることになりました。先住民は大昔から木の存在には気がついていたのでしょうが、登録とか認定とかには別段興味も無く時が流れました。それから35年後の1826年、王立園芸協会の会員であり植物学者にして収集家のダグラス博士が歴史に名を刻むのです。執狂的なコレクターであった(?)ダグラス博士は、自分が偶然「発見」したダグラスファーの種と生きた標本を王立園芸協会に送りました

偏会員であるダグラス博士は当然、それによって自分が発見したという偉業が歴史に刻まれることも熟知されていたのでしょう。そうして見事ダグラス博士は、『ダグラスファー』の発見者となり、その功績により自分の名前を冠するという名誉を得たのです・・・というのが、私が推察する『メンチェス博士の不幸とダグラス博士の幸運物語』の一部始終です。どこまでが本当?と尋ねられても責任は負えません。ただ当時こういう事は珍しくなかったようで、記録に残っている発見者が真の発見者かどうかは怪しいところです。手続きに長けていた場合もあるでしょう。今ほどデータが重要視されなかった頃、記録に名を残すことがどれほどの価値があったのかも分かりません。そんなことより大切な事が世の中に溢れていた素敵な時代だったのでしょう。

 




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