森のかけら | 大五木材

【タイワンヒノキ/台湾桧

Taiwan cypress

ヒノキ科・針葉樹・台湾産

学名:Chamaecyparis taiwanensis

別名:台桧(タイヒ)、

Taiwan Red Cypress, Taiwan Yellow Cypress

中国名:台灣扁柏

気乾比重:0.48

タイヒ・ノスタルジィ物語Ⅰ*

 

1月はかなりの数の酒席がありましたので、今月は控えめに必要最小限にしてえおこうと思っています。回数が多い分、最近はほとんど2次会には行きません。行ったとしても一人でカウンター飲みということがほとんど。別にさびしん坊なわけでも、友達がいないわけではありません!いつも1次会では大声で語りあってしまう(製材、木材関係者は仕事柄、私も含め難聴の人が多いので、知らず知らずのうちに大声になっている、らしい)ので、その後は独りでしみじみ飲まないと喉が(気管支が弱いので)もたないのです。おネエちゃんの居る店は体質的に苦手なので、もっぱらショットバーか小料理店のカウンターで、カクテルか日本酒をチビリチビリ飲ましていただくという至って控えめな大人の飲み方なのですが、そこでいろいろお店を観察して改めて気がついた事がありました。そう、ただ飲んだくれているわけではないのです! 20110202 タイヒ・ノスタルジィ物語Ⅰ①

20110202 タイヒ・ノスタルジィ物語Ⅰ② 最近、店造りのコンセプトに「」を取り入れられている造りがかなり増えているという感覚。まあ、自分が無意識にそういう店を選んで行っているのかもしれませんが。松山市内の飲み屋さんの数は、人口比でいうと東京並みという話を聞いた事もあります。さすがにこの景気で新規開業は「居抜き」でというお店も多いようですが、それでも店の内外に無垢材をふんだんに使われる比率は、昔に比べると断然多くなっていると感じます。通りすがりにも外壁や看板などにたくさんの木が露出しているのに気づきます。

以前は、お店で使う木といえば、カウンターが代名詞でしたが、カウンターは言わずもがな、テーブルや内装、部屋の細かなしつらえ、トイレのカウンターなどにも木のモノを見かけます。それは決して高級な無節の1枚板ばかりではなく、大節のたくさんある杉の板とかも多いのですが、それでも充分。こってりとウレタン塗装というのがほとんどですが、それでも耳付きの場合は触れずにはいられません。かつて鮨屋の大将は、カウンターに「台湾桧(タイヒ)の1枚板」を使っているというのが、お店の味と共に自慢のひとつでした。 20110202 タイヒ・ノスタルジィ物語Ⅰ③

20110202 タイヒ・ノスタルジィ物語Ⅰ④ 今でも老舗の鮨屋さんでは、台湾桧の白木の無垢のカウンターをお見かけしますが、新しいお店だと貼り物(合板)のカウンターも珍しくありません。今のご時勢ですから、コスト削減でもっとも先に仕分けの俎上(そじょう)に乗るのが無垢のカウンターなのかもしれません。さすがに鮨屋さんでも合板(とか人工大理石など)のカウンターとなると、私のような者はひと味食べ損ねたような気分になります。正直、気分の問題ではありますが、無垢のカウンターは店の心意気の象徴のようにも感じていますので。それでは、明日から少し「台湾桧(タイヒ)」について。

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タイヒ・ノスタルジィ物語Ⅱ*

台湾のヒノキには、この台湾桧(タイヒ)紅桧(ベニヒ)があります。この2つの樹種は、日本でいえばヒノキとサワラのような関係に似ていると言われています。湾最大の紅桧は、樹高55m、幹周り27.3m、推定樹齢2500年にならんとするまさにご神木。その生命力は台湾桧をも凌ぎ、急峻な台湾の山地でもしっかりと生育しています。数千年を越える巨樹は、揃って樹形が扁平なものが多く、そびえ立つ岩盤のような趣きがあり、内部は空洞になっていたり、虫害の影響を受けているものが多いとされています。台湾桧を使った有名な建築物としては、薬師寺金堂と西塔、東大寺大仏殿、平安神宮などがあります。日本の桧と遜色のない肌艶、光沢、芳香そして何よりもその巨躯、皮肉にもその素晴らしさゆえに台湾桧は悲劇の主人公となってしまったのです。値段が日本の桧の同質材に比べて割安だった事も購買意欲に輪をかけました。 20110203 タイヒ・ノスタルジィ物語Ⅱ①

20110203 タイヒ・ノスタルジィ物語Ⅱ② かつての鮨屋の花形・台湾桧も今や叶わぬ夢。現在は現地でも原則伐採禁止となり、台風の倒木などの一部の例外を除いて、輸入されることはありません。もはや一般建築業界では、「思い出の中で語る幻の木」となってしまいました。今でも持っている所は持っているのでしょうが、完全に市場性は消えてしまったと言わざるを得ません。ノスタルジイとその美しさに魅せられて、今でも必死に探していらっしゃる方もいるでしょうが、望むほどに遠ざかっていくのが世の常。

コレクターの探すレア度は増すばかりでしょうが、【森のかけら】のような特定のマニア層の特殊な商品(少しずつそこを抜け出していますが)と違って、極めて汎用性の高い「家」などの場合、ある一定の需要と供給のバランスが崩れてしまうと、市場がそれを求めなくなり選択肢から外れるようになります。今でも商社や老舗の材木店では、かつて輸入された台湾桧を大量に保有しているようですが、一度市場性を失ってしまうと最初の選択肢にも入らなくなりますので、その先行きは決して安穏としてはいられません。 20110203 タイヒ・ノスタルジィ物語Ⅱ③

20110203 タイヒ・ノスタルジィ物語Ⅱ④ 台湾桧でなければ対応できないという巨大な寺社仏閣など特殊な建築物でも出なければ、庫の奥深くで塩漬けにされたまま化石と化してしまうのはあまりに悲しい事です。若い設計士さんだと、台湾桧の実物を見た事がない方も当然いらっしゃるでしょうし、その魅力を伝える人がいなければその価値にも気づかないでしょう。素晴らしいモノがあっても良さが伝わらない、理解できないというのは、銘木と呼ばれる木々の最大の不幸です。

かつて台湾桧に魅了された日本人は乱伐を繰り返し、幻のような存在にまで追い詰めてしまいました。鬱蒼としていた台湾の原始の森も、昭和40年代以降に日本各地で広く利用されるようになり、急激にこの地上からその姿を消しました。が、当時どれくらいの方が台湾桧の特性を理解していたのか分かりませんが、みんなが良いと言うからいいんだろうぐらいの感覚であったのかもしれません。しかし、それは当時住宅資材として「木」が確固たる地位を占めていたことの証拠でもありますし、悔恨や反省はあったとして材木商としては燃えた時代ではあったのでしょう。 20110203 タイヒ・ノスタルジィ物語Ⅱ⑤

20110203 タイヒ・ノスタルジィ物語Ⅱ⑥ 台湾桧は日本の桧に比べても非常に密度が高く、鉋でひと削りするとブワッと刺激的な癖のある芳香に包まれます。また色合いも、日本の桧のような艶のあるピンク色というよりはむしろ淡白で、植物性オイルを塗ると深く浸透して、濃い黄褐色のような色合いになります。鮨屋のカウンターはほとんど白木で使われるので、淡白な色合いがやや濃くなった程度ですが、年輪幅の緻密さが違いますので桧との区別は容易につきます。原木そのものの直径が大きいために、500~600㎜幅くらいのカウンターサイズだと、ほぼ均質な調子の年輪幅で揃う場合もあるようです。加工直後よりも、経年変化でこそ味わいが楽しめる木だと思います。それは、数百年を経て初めて生まれる天然の光沢と艶です。その長寿に畏敬を込めて、この項もう少しだけ続きます。

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タイヒ・ノスタルジィ物語Ⅲ*

かの西岡常一棟梁が、昭和40年代に薬師寺金堂、西塔再建を手掛けられた際には、遂に日本では1000年の風雪に耐えれるだけの桧を入手する事が出来なくなり、台湾まで行って用材を探したというのは有名な話です。当時はまだ伐採可能な樹齢2000~2500年の超高齢の湾桧ったそうで、西岡棟梁のお眼鏡にかなった台湾桧が伐採され、更にこれから1000年の歴史を刻もうとしています。木には森としての文化と、伐られてから刻まれる文化のふたつの文化があります。 20110204 タイヒ・ノスタルジィ物語Ⅱ①

20110204 タイヒ・ノスタルジィ物語Ⅱ② 悠久な時間を掛けてゆっくりゆっくり成長してきた台湾桧からは、余分な木の癖や主張が抜け去り、どこを切っても素直で狂いや暴れのない老成した成熟感が滲み出てきます。まるで諦観したようないさぎよさ、静かなる貫禄、決して派手でも優雅でもないけれど、伐採後も地上で1000年君臨しようとする木の風格、凄みが伝わってきます。時間が経つほどに色合いに深みが増し、鈍い艶と光沢が現われてきますが、広葉樹のようにキラキラ輝くような感覚ではありません。あくまでも地味に控えめに、超高齢木は数年では微動だにしないのです。その値打ちが木から伝わってくるのは最低でも10数年の時を経てからでしょうか。加工直後にはあまり感じられなかった妖しさまでが滲み出てくるような・・・。もはや霊木の域でしょう。

私が入社した頃(20数年前)は、普通の大工さんの倉庫の奥の方にでもタイヒのきれっぱしのひとつやふたつぐらいは転がっていました。弊社の倉庫にも幾つかありましたが、残念ながら当時は知識が皆無でその価値にまったく気づかず、いつの間にかまとめて廉価で売ってしまいました。その頃に台湾桧で作られた門扉などを見ると黒ずんではいるものの、材は微動だにしていません。むしろその汚れさえも己の誇りとしてそこに佇む姿に頼もしさすら感じるのです。 20110204 タイヒ・ノスタルジィ物語Ⅱ③

20110204 タイヒ・ノスタルジィ物語Ⅱ④ こちらは師寺白鳳伽羅復興用材に台湾より寄進された2500年生『紅桧』。復興用材として大量の台湾産の桧を使用した証しとして永久保存するとして展示されていました。私にとって木は商売道具ではありますが、台湾桧に関わらず、自分の人生よりも遥かに生きた木を簡単に売り買いしていいんだろうかと思うこともよくあります。あまりそれを考えてしまうと仕事にならなくなるのですが、やはり生きとし生けるもの同士、畏怖や感謝の気持ちを忘れしまっては申し訳ない事です。

もしも今私が台湾桧を持っていれば、ああしようこうしようとも考えるのですが、【森のかけら】のような端材は別にしても、少し大きな建築部材を揃えるとなると、供給以上に価格の面でハードルが高過ぎるように思います。バブルならばいざ知らず、特に昨今の経済事情では。でも、だからこそ今の時代に台湾桧を求める方は、ブームではなく本当に木の好きな方だと思うので、ある意味今使われる台湾桧の方が幸せかもしれません。もはやそういう特定の方向けの嗜好品的な色合いを帯びてしまいましたが、それでも倉庫で誰の目に触れることなく塩漬けになってしまうよりは余程ましだと思うのです。はり木は使ってなんぼです。台湾桧の素晴らしさが図鑑の記述でしか分からなくなる前に、幻の木に追い込んでしまった材木屋に身を置く者のひとりとして、口伝としても台湾桧の存在と魅力を次世代にも伝えていく責任があると切に思うのです。 20110204 タイヒ・ノスタルジィ物語Ⅱ⑤




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