森のかけら | 大五木材

今日のかけら116

ヤマボウシ

山法師

ミズキ科ミズキ属・広葉樹・宮城、三重産

学名:Cornus controversa

別名:車水木(クルマミズキ)

 英語名:Giant dogwood

気乾比重:0.88

 

灯台もと暗し、山法師*

★今日のかけら・#116【ヤマボウシ/山法師】ミズキ科/ミズキ属 ・広葉樹・宮城産

 

自宅の東側に植えている『ヤマボウシ(山法師)』が可憐で美しい白い花を咲かせていたのは5月も半ばの事でした。今年はその姿もカメラに収めていたので、いまだに手つかずだった『今日のかけら』のヤマボウシの項を埋めようと思っていたらすっかり忘れてしまっていました。その事に気がついたのは、先々週にすっかり伸びてしまった庭木の手入れをした時。ついでにヤマボウシの枝を剪定していた最中に、そういえば以前に花の写真を撮っていたなと・・・。そんな事の繰り返し。

ということで写真もようやく蔵出し。ヤマボウシという変わった名前の由来ですが、花に見える中央の球形の花序を僧侶の頭に、それより下の花びらに見える4枚の総苞片を白色の頭巾に見立てて比叡山の延暦寺の山法師になぞらえたものだと言われています。比叡山延暦寺の僧侶と聞くと、私は織田信長による比叡山の焼き討ち(1571年)の事を連想するので、僧侶のイメージも屈強で戦闘的な集団のように感じてしまい、可憐なこの花とどうしても結びつきにくいのです。

私の中では勝手に信長と対峙する僧侶=山法師=ヤマボウシとなっているだけなのですが、果たして本来のイメージはどうだったのか?寺院の僧侶が武装するようになったのは、大寺院が巨大な荘園を持つようになった平安時代の中期とされています。寺領を守るために僧侶が武装するようになりました。その頃から「戦う僧侶」がいたということですが、ではヤマボウシはいつ頃からそう呼ばれていたのか?細見末雄氏の著書『古典の植物を探る』によると、ヤマボウシという名前が初めて現れたのは江戸時代後期『物品識名』(1809)において

 

それまでは美濃尾張地方の方言名であったヤマボウシという呼び名が標準和名として採用されたのだと書かれています。それまでは、『日本書紀』(720)に出てくる『イツキ』がヤマボウシの古名で、江戸時代まではイツキが標準和名だったとされています。愛媛県においても新居浜市西条市の一部では今でもイツキの名前が使われている地域もあります。このイツキは、ケヤキの古名のツキ(槻)とは関係が無いようです。日本書紀の時代から僧侶の頭巾に見立てられていたということは・・・明日に続く。




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