森のかけら | 大五木材

今日のかけら195

ヒッコリー

Hickory

クルミ科・広葉樹・北米産

学名:Carya spp.

別名:ピグナット・ヒッコリー(Pignut hickory)、

シャグバークヒッコリー(Shagbark hickory)

気乾比重:0.72~0.90

 

ヒッコリーのきのみ*

★♯127【ヒッコリー】Hickory クルミ科・広葉樹・北米産

とりわけ珍しいという木ではないのですが、なかなか縁がなく出会うことが出来ませんでした。私も所属している愛媛木材青年協議会で「『どうぞのいす』を子供達に贈る」という活動をしているのですが、その絵本がとても好きで子供が小さい頃はよく読んでやりました。香山美子先生の親しみのある語り口と柿本幸造先生の温かみのある絵が子供達にも大人気です。本が好きになるか、嫌いになるか、子供の頃の読み聞かせは本当に大事だと思います。その両先生のコンビ作は多いのですが、「どうぞのいす」に続く名作こそが「ヒッコリーのきのみ」。この本を子供に読んでからというもの、「ヒッコリーってどんな木?見てみたい」とせがまれます。しかし当時うちの会社にヒッコリーはなく、恥ずかしながら私もヒッコリーを扱ったことがありませんでした。

木を見たことはありましたが、なにぶんヒッコリーでという注文が入りることももなく、またわざわざヒッコリーを勧める業者もいなく、そんなことでずーと縁がなかったのですが、実は子供に見せてやりたいという一身で探していました。しかし出会いにくいという事は、あまり需要がないということでもあります。ヒッコリーの木はしなやかで弾力がありかつてはスキー板としてよく利用されていました。いまではほとんど見かけることはなくなったようですが、衝撃の吸収力が高く曲げにも強いよいう特徴があるので、スキー板のほかにもハンマーピック、斧の柄にも最適だとされています。

他にも釣竿とかドラムスティック、ゴルフクラブラクロスのラケット車輪のスポーク、はしごの踏み子など結構用途は広いのです。けれども国内で有名なのは材料よりも、肉の燻製用チップの方かもしれません。いい香りがつくようです。スーパーなどでも販売しているのでよく見かけることもあると思います。植物学上トゥルーヒッコリーピーカンヒッコリーも分類されます。ピーカンヒッコリーの方が褐色なのですが材の性質そのものはほとんど変わらないようです。レッドヒッコリー、ホワイトヒッコリーと呼び分けることもありますが、これは心材に近い赤身か、辺材の白身かの違いだと思います

散孔材なので、肌目は結構ザラザラした感触ですが仕上がりは綺麗です。オイルを塗っても木目は明瞭ではありません。白太部分も淡い褐色で、ホワイトアッシュと比べても少しくすんだ印象です。クルミ科と聞くと軽いのではと思うかもしれませんが、比重06~1でかなり重たいです。伸縮が出やすいのでよく乾燥した木を使う必要があります。ヒッコリーの木はリスとある約束をしています。これこそ動物界の素晴らしい循環システムです。どんな約束か?知りたい方は「ヒッコリーのきのみ」を買って読んでみてください。

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マートンとオールドヒッコリー*

 

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オールドヒッコリー大統領*

阪神タイガースのマートンの1本のバットから壮大な話になるのですが・・・アメリカ合衆国の第7代大統領のアンドリュー・ジャクソン、その人が深く関わっているのです。A・ジャクソン大統領(1829-1837)は、サウスカロライナの未開拓森林地帯で生を受けました。現在のサウスカロライナは、建国期の雰囲気をそのまま残したような町並みが人気の観光地ですが、南部貴族が残した優雅な建物は、かつてこの地で行われていた黒人奴隷の貿易が犠牲となっていて、この町には歴史の影が深く刻み込まれているのです。奴隷解放を主張したリンカーンが大統領に就任が決まると、サウスカロライナ州は就任式を待たずに合衆国を独立しました。その後も幾つかの州が分離・独立しそれが南北戦争の引き金となるのです。

サウスカロライナにはそういう歴史的な背景があるためか、同州出身のA・ジャクソン大統領も典型的な南部思考の持ち主だったようで、その政策も極端でした。彼の唱える民主主義はあくまで白人に限定としたもので、「黒人は私的財産だ」と発言して、奴隷解放運動を否定しました。また、インディアン強制移住法を提案して、先住者であった彼らの土地を取り上げ強制的に東部に移住させ、残った肥沃な南部の地に広大な綿花を植えたのです。そういう強行的な手法は、君主国になぞらえて「アンドリュー王一世」とも揶揄されたそうです。

実はアンドリュー・ジャクソンは、初の貴族出身ではない大統領であり、正規の教育を受けていなかったとされています。肉親全てを南北戦争で失くし、自身も英国軍の捕虜になった経験があり、決して恵まれた環境にあったわけではありません。戦後の混乱期において自らの力だけで這い上がってきた彼にとっては、力こそ正義だという偏ったイデオロギーだけが拠り所だったのかもしれません。軍人時代には頭角をあらわし、大佐になって米英戦争では輝かしい戦歴をあげました。その時の戦果によって彼は後にアメリカ合衆国大統領にまで上り詰めるのです。活躍した米英戦争の主戦場が森林地帯であった事から、(きっとその地でたくさん生えていたのであろう)ヒッコリーになぞらえて、古いヒッコリーのように頑丈」(tough as old hickory) という意味の、「オールド・ヒッコリー」というニックネームが付けられたというのです。

しかし、その強権的な手法には批判も多かったようで、史上唯一、議会から不信任決議をされた大統領でもあり、独立戦争や南北戦争という暗黒の時代の象徴として、その期間を「エイジ・オブ・ジャクソン」と呼ばれたりもしています。未遂に終わったものの暗殺の標的にもなるなど、問題の多かった大統領でした。、「オールド・ヒッコリー」という愛称にも、タフであるという意味と同時に、硬くてどうにもならないほど頑固という皮肉も込められているようにも思うのです。それではヒッコリーが可哀想ですが・・・。

さてアンドリュー・ジャクソンの愛称にも使われたほどこのテネシー州からミシシッピ州、アラバマ州一帯は、19世紀以前には広大なヒッコリーの森が広がっていたといわれています。まだ本格的な伐採機械もない当時、ほぼ手付かずの原始林が延々と連なっていたのでしょう。それは人間の介入を拒むような鬱蒼とした森で、さぞ神々しいものだったと思います。それが何かの例えになるぐらいですから、当時の人々には畏敬の対象でもあったと思うのです。あくまでも私の推論ですが、物の木としても丈夫な高齢木のヒッコリーの木にちなんで、長く丈夫でありますようにとの思いも込めて人造湖に「オールド・ヒッコリー」の名前を冠したのではないでしょうか。 その思いは、湖からバット製造会社の社名へとつながっていくのでしょう。南北戦争からマートンのバットまで、ああ、果てしなき『木物語』!

 

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あなたの知らないヒッコリー*

弊社のホームページ中の端材のネット販売コアーナー『ちょこっと端材』には、通常造作材や家具材を製作する際に発生した端材のうち、【森のかけら】や『モザイクボード』などに使わなかったものの一部をアップしています。その流れが基本なのですが、中にはその流れに逆行する材もあります。例えばその1つが『ヒッコリー』です。ヒッコリーは北米産のクルミ科の広葉樹で、クルミの仲間の中ではもっとも堅い木でが、いかんせん愛媛では全くといっていいほど知られていません。

この辺りは、もともと輸入材の広葉樹を使う文化がが浸透している土地柄ではないので、住宅資材や家具材としての馴染みも薄く、大工さんや設計士さんでもヒッコリーの名前すらご存知でない方も多く、使う以前にまずはその存在を知っていただく必要があります。そういう材はヒッコリーに限らないのですが、その中でも特に愛媛の地で少しでも広めたいと思う材については、どういう形であれその存在を認知していただく事が大前提となります。まずはその名前。

そしてその特徴と適性。どういう用途に適しているかという事。それを分かってもらうには実際に使ってもらうのが一番なのですが、誰かが使って間違いないものでなければ手を出さないという保守的な地域性なものですから、いくらアピールしても浸透するまでにはかなりの時間を要します。ヒッコリーについてはかなり早い時期から仕入れして、地元でもPRしてきたつもりですが、施工事例が少ない事もあって苦戦しています。そこでとりあえず端材からでもと、

ちょこっと端材』からでも、実物をご覧いただければと思っていたのですが、その問い合わせをいただくのは県外ばかり。現在、厚み32mmと38mmの挽き板のヒッコリーを在庫していているのですが、クルミとは思えないほどの重さと、メリハリの効いた表情は実際に手にとっていただかないと言葉ではなかなか伝えきれません。かつてはスキーの板にも使われたほど弾力と衝撃力に強いヒッコリーなのですが、私自身どうしても強く押し切れないのはその重さ。

クルミといえば、その表情と名前から全般的に柔らかい印象があると思いますが、このヒッコリーは気乾比重0.83ですから相当に重たいのです。自らそう言ってしまっては身も蓋もないのですが、重たい材は家具を作る方にしてもついつい二の足を踏んでしまいます。「ヒッコリーよく使ってるよ」という大工さん相手ならこちらも躊躇はないのですが、使われた経験がないとちょっと不安になって・・・ヒッコリーの『使いやすい出口』を考える事を来年の命題としてたいと思います。

 

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クルミ一族最強ヒッコリーの野望①*

先日収めさせていただいたのが、『ヒッコリー』のダイニングテーブル。長さ2400mm、幅950mm、高さ710mmというかなり大きなサイズです。ヒッコリーは数あるクルミ科の中でも最強最重量を誇る、『もっとも硬くて重たいクルミ』ですオニグルミブラック・ウォールナットで、クルミを認識している方にとっては、これもクルミの仲間なんですと説明しても違和感を感じるほどに見た目の印象と触り心地が違うというのが、ヒッコリーの最大の特徴です。

淡いクリーム色のような生地に、赤身がブチ状に現れたりすることもあり、クルミの仲間の中でも個性的な木だと思います。それゆえに一般的な知名度は低く、その名前を聞いたことがないという人も多いほど、馴染みの薄い木なのですが、衝撃吸収力や曲げにも強い性質から、ドラムスティックや釣り竿、スキーの板などには重宝されてきました。弊社でもかなり早い時期から仕入れていたものの、知名度の低さからなかなか思うように販売する事の出来ない時期が続きました。

その特性からテーブルやカウンターなどにも適した素材であるのですが、誰かが使って世間で広く認知されたもの以外のものに対する警戒心が強い愛媛では、耳慣れない樹種やいわゆる『初もの』を売るというのは相当なエネルギーが必要なのです。それでも弊社などは、そんな初ものを恐れぬチャレンジャーが集まってきてくださるのでまだ、認知度の低い樹種でも売れる店、いや無理矢理でも売ろうとする店だと自負しております。そんな店が1軒ぐらいはないと面白くないでしょう。

まあ、ヒッコリーなんてその筋では珍しくもなんともない普通の木なのですが、広葉樹後進県の愛媛に置いてはまだまだ知られざる木の1つなのです。今でこそメールで詳しい画像も送れるものの、質感に関しては実際にご来店していただき直接見て、触っていただかねば伝えきれません。ひと昔前に比べれば「木を伝えるツール」も随分発達したものの、やはり最後はご来店いただくのがベスト。今回、お決めいただいたヒッコリーについても何度かご来店いただき決めていただきました。

 

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クルミ一族最強ヒッコリーの野望②*

一見すると、コントラストの激しいホワイトアッシュのような印象を与える『ヒッコリー』ですが、その重さには随分差があるように思えます。1枚1枚でも結構な重さがあるのですが、テーブルの天板のように複数枚を幅剥ぎすると、その重さはかなりのものになります。今回のご注文は、なるべく赤身のもので揃えて欲しいというご要望でしたので、表面全体にに赤身が出るような木取りをさせていただきました。ヒッコリーは赤身と白身で、見た目の印象が大きく変わります。

こちらはヒッコリーで作った『円(まる)い森』ですが、赤身と白身で別の木のように見えるかもしれません。撮影時の照明の関係で、『円い森』を置いているテーブルのヒッコリーとは色合いの濃淡などに差があるように見えますが、いずれも最終仕上げに植物性オイルを塗ったものです。『円い森』は決してコースターを主たる目的として作っているわけではないのですが、衝撃にも強く充分な硬さと重みのあるヒッコリーは、コ―スターとしても適性があるように思えます

ヒッコリーの木が触れ合って鳴る音も高音でなかなかよい響きです!衝撃をよく吸収する事から器具などの柄にはもってこいの素材なわけですが、主産地である北アメリカの中部~東南部でも、家具材やパネル材というよりフローリングなどのインテリアやカッティングボードや器具の柄などに利用されています。それは、ヒッコリーが乾燥過程で表面割れなどが発生することが多いのと、収縮・ねじれが出る事も多い、雅致に富んだ木目があまり期待できないことがその理由かもしれません。

確かに木目自体はかなり大柄で杢の妙味を期待できにくい木ですが、しっかり乾燥させた材を木組みすれば安定はしますし、曲げや衝撃に強い特性は家具材としての適性を有していますので、もっと家具材として使われてもいいのではないかと思います。今回はそんなヒッコリーのよき理解者に恵まれ、受け材や脚もすべてヒッコリーのみで作り上げさせていただきました。サイズが大きなこともあって、おとな二人で持ち上げてもズッシリと『最強クルミ』の重みが掌に伝わります。

 

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傷だらけのヒッコリーと伝説のハスラー!*

ヒッコリーが使われる有名な用途のひとつにビリヤードのキューがあります。恥ずかしながら私はビリヤードをしたことがないので、その実物を詳しく見たこともないのですが、ビリヤードが舞台となる映画は何度も観ています。そう、あの名作『ハスラー』!ロバート・ロッセンがメガホンを取り、ポール・ニューマンが若き天才ハスラーに扮し、ビリヤード対決が目玉の作品です。私が生まれる前に製作された映画で後々ビデオで観たのですが、若きニューマンの颯爽とした姿が眩しい!
後年になって(確か私が大学生の頃だったと思うのですが)、今度はニューマンが立場を変えて老いた伝説のハスラーとして、若きトム・クルーズの挑戦を受ける役として続編が作られ、ニューマンはそこで念願のアカデミー主演男優賞を受賞する事となるのです。監督は、大好きなマーチン〔タクシードライバー〕スコセッシなのですが、1作目に比べると正直かなり見劣りがして、主演男優賞にしても何を今更この作品でという、映画界への貢献に対する功労賞的意味合いが見え隠れ。
ただしビリヤードの技の数々は、未経験者の私でさえ凄いと感じるほど見事なもので、特に1作目はそれまでまったくビリヤードの経験のなかったニューマンは、撮影前に猛特訓受けて、もともとプロ並みの腕前であった、15年間無敗の伝説のハスラー、ミネソタ・ファッツ役のジャッキー・グリーンと並ぶほどに上達し、スタントなしで妙技の数々をこなしたというのは有名な話。ただし、その時に使われていたのがヒッコリーのキューなのかどうかまでは分かりませんが・・・。
そういう事から、万が一、ご注文でも舞い込めば、ビリヤードの台を頑丈なヒッコリーで作ってみたら面白いのではなどと考えたりもしましたが・・・。ビリヤード台ではありませんが、昨日、一昨日とご紹介した特大サイズよりも少しだけ小さなサイズの同型のヒッコリーづくしのダイニングテーブルがもう1台あります。かなり大きめなので、最低でも12畳以上のスペースは必要だと思われますが、もしご興味の湧いた方いましたら、ビリヤード好きでなくとも結構ですので、是非!!

※ 上記テーブルは販売済みとなりました(2014 .11.10)

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IL BancoⅡ/ヒッコリーの引力*

本日は『IL Banco(イルバンコ)』さんの店内の様子をご紹介。L型のカウンターとテーブルの天板に弊社の『ヒッコリー』を採用していただきまいた。ヒッコリーは北米原産のクルミ科最強最重量の広葉樹ですが、同じクルミ科でもブラック・ウォールナットオニグルミなどの木を使い慣れている方にはとても同じクルミの仲間とは思えないほどに重硬で雰囲気も質感も随分違うので驚かれると思います。私も初めてヒッコリーに出会った時はこれらが同じ仲間だとは思えませんでした。

このヒッコリーの材、かなり以前に仕入れていたものですが、このあたりでは認知度が低いのと辺材と芯材の色ムラが顕著な事から、張り切ってPRしても最終選考までは残るもののいつも最後に落選して涙を飲んでいました。それが不思議な事に昨年あたりから、そのヒッコリーの質感や硬さ、激しい色ムラがオモシロイと言っていただく方が次々と現れて、あれほど売るのに苦労したヒッコリーに注文が舞い込んで、あれよあれよという間に在庫が底をつく事になってしまったのです。

木の売買にも不思議なバイオリズムのようなものがあって、一端それが動きだすと連鎖反応のようにそれを求めるお客さんが続いたり、その木に関わるひと・モノが次々と自分の前に現れるという不思議体験はしょっちゅうある事です。これはきっと端材を無駄にせずに商品化しているんで、端材の神様のお導きだと信じています。何だか危ない人の話になってきましたが、そう思わなければ到底理解できないほどにある特定期間に全然関連のない方々から特定樹種に次々声がかかる事があるのです。まさにこのヒッコリーはその流れに乗ったのです。

玄関ドアにヒッコリーの柄の斧を使おうとされていた山田さんの思いと合致したのは偶然とは思えないのです。何か引き合うような力が働いたのだと・・・。そんな風に考えた方が面白いし、木にとってもそんな巡り合わせで「この木を探していたんだ〜!」「そんな方を待っていたんです〜!」なんて皆が笑みを浮かべる場面で使っていただく事が幸せじゃないかと思うのです。2階では8台のテーブルを並べて会議などにも対応可。このパンチの効いた濃淡の激しさがヒッコリーの魅力。

削って仕上げて塗装してあるとはいえ、倉庫の中でくすぶっていた頃とはまったくの別人(樹)のような表情に里親としては感慨深いものがあります。こうして材料特性を熟知された方がその特性を発揮できる使い方を見せていただけると、私も今後の具体的な提案の参考になるので本当にありがたいです。こういう雰囲気の店だったらヒッコリーの荒々しいダイナミックな表情が受け入れていただけるのだなあと。頭で考えるのではなく実際に完成形に触れて使ってこそひと様にもお薦めできるというもの

 

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食べられる森の出口・ヒッコリーナッツ*

繁華街に飲みに出た時にいつも最後の立ち寄る馴染みのショットバーで、アーモンドやピスタチオに混ざって酒のおつまみに出してもらったのが『ヒッコリーのナッツ』。その店がオープンしてからもう何十回も来ているので、今までにも何気に口にしていたのかもしれないのですが意識した事すらもありませんでした。たまたま仕事でヒッコリーの材の注文が集中していた時だったので何か不思議な縁を感じたのです。

少し前の事なのでことの経緯をよく覚えていないのですが、今ちょうどヒッコリーの仕事が多いとか喋った流れでマスターが気を利かして出してくれたか、容器に「HICKORY」の文字でも書いてあってこちらからリクエストしたかのどちらかだったと思うのですが、掌に乗せて改めて見てみるとかなり特徴的な形をしています。口に含んでみればサクサクとクルミよりも軽い舌触りで美味!そうか、これがヒッコリーのナッツだったのか。

恐らくヒッコリーの木の事を意識してなければ今でもそのナッツがヒッコリーだとは気付かなかったでしょう。今までにも無意識のうちに食べてきてたんだと思いますが、モノを知らないとは実にモッタイナイこと。こんな身近なところで「森の出口」を見過ごしていたとは!。『今日のかけら』でヒッコリーの事を書くにあたり、それぞれの樹種の用途などを調べたりするといかに自分が無知であったかを思い知らされます。

それでもこのブログを書いてなければ、それにすら気づかず日々を過ごしたいたのだろうと考えるとぞっとします。木が鉄やプラスチックなど非木質素材にとって代わられたと嘆く前に、実は身近なところに形を変えたり、名前を変えたりしながらも潜んでいる「森の出口」を感じ取れるアンテナを磨いておかねばならないと痛恨。しかしヒッコリーの不思議な磁場には何か特別な力を感じずにはいられないのです。

年によってやたらと特定の樹の事が頭と心を支配することがあるのですが、私にとって今年はどうやらヒッコリーの当たり年なのかも?!そのヒッコリーのナッツは、16世紀の頃からアメリカでは食されていて、バーボンを飲むときには欠かせないおつまみだったようです。残念ながらバーボンよりは日本酒党なので、その醍醐味は味わい尽くせてはいないのかもしれませんが箱買いしたいほどはまっています。

 

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大五木材社外ショールーム②*

昨日に続いてお弁当作家・尾原聖名(ミナ)さんの新居、いや大五木材社外ショールーム(ご本人さんからのご承諾を得て、ブログでも宣言していただいておりますので)のご案内。1階のLDKの真ん中にド~ンと鎮座ましますモザイクテーブル以外にも、様々な材をお使いいただいております。ミナさんとは以前からの友人でしたが、ご主人の太郎さんこそが実は弊社の【森のかけら】をご購入いただいている、職人仕事フェチで、ものづくりに対して強い愛情をお持ちなのです。
そういうお二人だからこそ、こういう形で木のモノをたっぷりと新居に受け入れてくださったのです。また、大手のハウスメーカーであれば、いくら施主の要望とはいえ、ここまでの自由度はないでしょうが、普段からお付き合いのある地元のコラボハウスさんだからこそ、こういうわがままも受けてもらったのだと思います。キッチンのカウンターには、スキーの板に使われる(最近はほとんどなくなりましたが)ことでも知られているクルミ科最強の木、『ヒッコリー』!
見た感じではブラック・ウォールナットオニグルミとは同じ仲間とは思えないヒッコリーですが、まぎれもなくクルミ科。こちらではミナさんが料理教室等をされるという事で、タフで堅牢なヒッコリーをカウンターにさせていただきました。結構色ムラの激しい木ですが、それもこの木の個性。かつてなかなか地元では知名度が低くて持て余していたヒッコリーですが、今頃になってようやく私の周辺で静かなヒッコリー賛美が起きてきていて、密かに喜んでいるのです!
通常、建材商品を使うところに無垢を使う場合、普段から無垢材に接していない大工さんだと、余計な手間がかかると毛嫌いする大工さんもいたりするのですが、こちらの現場では木の大好きな棟梁が喜々として無垢材を施工していただいた様子が随所に見受けられます。折角、施主さんと楽しみながら無垢材を選んでも、現場で歓迎されないと悲しいのですが、今回のようなケースはこちらのテンションも上がります!施主さんは勿論、設計にも営業にも棟梁にも皆に愛される木は幸せ
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炙り屋と燻製屋とスモークの木②*

昨日に続いて「炙り」とスモークの話・・・一軒目の炙り料理で予想以上に盛り上がったお陰で、次の店もこの路線で行こうという事になり、二軒目は市内二番町の『燻製酒場 むう』。こちらは、看板通り燻製専門酒場で、私の故郷の隣町の城川町の「城川自然牧場のベーコン」はじめ、さまざまな食材が燻製となって登場します。いつもいつも行くとなるとあれですが、たまにはこういう流れもいいもんです。

こちらのお店はスモーキーでフレーバーなハイボールが売りで、燻製との相性の抜群でした♬燻した香りをグラスに閉じ込めて、蓋を開けて香りを楽しみながら一気にハイボールを喉の奥に流し込みます。鼻腔をくすぐるスモーキーな香り。私はタバコはたしなみませんが、この香りはなんとも刺激的。ところで、昨日「名前が知られているのと特徴が分かりやすいので針葉樹ビッグ3は知名度がある」と書きましたが、実は暮らしの中で身近にあるのは、名もなき広葉樹たちなのです。

名もなきというのは語弊がありますが、特徴が似ているのと、そこまで世間様に名を出すなんて恐縮です~という控えめで慎み深い広葉樹は、いろいろな器具の柄や、器や椀などキッチン廻りで実は沢山広葉樹は使われているのです。それで、このお店ではどんな広葉樹が使われているのか気になっていたのですが、こちらでは素材に合わせて「サクラヒッコリーカシ」などが使われていました。酔ってなければもう少し突っ込んで聞いたのですが、多少記憶も曖昧・・・。

その中のひとつ『ヒッコリー』といえば、先日ご紹介した尾原ミナさんのご自宅の料理教室用のキッチンカウンターの素材燻煙業界でもっとも知名度と人気があり、どういう料理にでも合わせられるオールラウンドプレーヤー。燻製木材を買うのに迷ったら、ヒッコリーを買っておけば間違いないと言われるほどのスターで、家具などの原料として提案しても「燻製の木ね」と言われるほど。たまにはこうして、家具や内装材以外などの木の「出口」に触れてみるのも大事なこと。

 

 

 

 

今日のかけら177

ダグラスファー

Douglas fir

マツ科トガサワラ属・針葉樹・北米産

学名:Pseudotsuga menziesii

別名:ダグラスモミDouglas fir

オレゴンパイン (Oregon pine) 

和名:べイマツ(米松)

アメリカトガサワラ(アメリカ栂椹)

気乾比重:0.55

 

ダグラス博士の愛した木*


★今日のかけら・177【ダグラスファー】Douglas Fir マツ・針樹・北米産

ダグラスファー』と聞くと「?」と思う方が多いのではないかと思いますが、『ベイマツ』と聞くと「ああ、あの家の梁や桁に使う木ね」とご理解いただける方が多いのではないでしょうか。実はこれ、同じ木の事なのです。構造材に国産材を使って欲しいという要望がなければ、ほとんどのケースでこの『ダグラスファー』が構造材として使われると言っていいぐらい、国内の住宅産業資材に広く浸透し、ほぼ全国的に使用されています。それに合わせてこの『ベイマツ』という名称も一般の方の間にもすっかり定着したようです。

ベイマツ』を漢字で表わすと『米松』、つまりアメリカ産のマツであるという事を言い表しています。植物学的な分類では、マツ科トガサワラ属に分類され、『アメリカトガサワラ』というのが正式な名称になるようなのですが、これだとまずトガサワラを説明してからになるので二重に面倒くさくなります。さら葉の形がモミに似ている事からファー(モミ)の名前もついていて余計にややこしくなっています。現地では主にダグラスファー、あるいはオレゴンパインの名前で親しまれています。日本では一般的には日本の松に似た木という意味で『米松』と呼んでいます。

世界中でもカナダからワシントン、オレゴン州にかけての太平洋沿岸の丘陵地に生育する単一種です。北米産の木材林業界においても重要な地位を占める木で、日本に原木として輸出される木材の中では最大の規模を誇ります。ダグラスという名前は、1791年にカナダのバンクーバー島でメンチェス博士によって発見され、その後1826年に植物学者のダグラス博士によって再発見された事に由来しています。つまりダグラスというのは人名なのです。学名にもダグラス博士の功績が織り込まれていますが非常に珍しい例です。『シュードツガ・ダグラシー(ツガに似たダグラスの意)』

地元愛媛にある、鶴居産業㈱さんがベイマツ製材の大手の一角を形成されていて、日々ベイマツの製品を大量に生産されています。この仕事に就いて初めて木材団地に行って、その工場を見たときは、国産材のワビや味といった概念が一気に吹き飛んでしまうような、その圧倒的なスケールに度肝を抜かされました。鶴居産業さんのある木材団地の港にベイマツの原木を満載した船が入港している姿にたまたま出くわすことがあるのですが、なんとも壮大な眺めです。大きな原木から大きな梁や桁をイメージするかもしれませんが、その用途は意外に広いのです。

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オールドなヤニの功罪*

住宅の梁や桁など構造材としての利用頻度が高い『ダグラスファー(米松)』ですが、それは大きなサイズの材料が取れる(製材出来る)という前提と合わせて、部材相応の粘りと強度が確保できるという特徴を持っているからであります。一口にベイマツといっても、その材質によって取引価格には大きく異なります。一般的には200年生以上の高齢木原生林の事を『オールドグロス(Old Growth、植林した2次林の事を『セカンドグロス(Second Growth』と呼んで区別をしています。当然、高齢木のオールドグロスが高額で取引されます。

このオールドグロスの材は、主にバンクーバー島からカナダほんどのカスケード山脈の太平洋側沿岸から産出されていて、その事から別名『カスケード』とも呼ばれています。その材質によっては、やや目粗の『セミカスケード』などと区分され取引されています。高齢木になると、板目部分にはえも言われぬような野趣溢れた表情が現れます。しかし汎用性の高い木材であり、またもともと大きな木が得やすいというイメージが強いため、木目の面白い木も割合ぞんざいに扱われることが多いのも悲しい現実です。

「面白い杢が出たベイマツがあります」と言っても、「所詮ベイマツだからなあ」的な受け止め方をされがちです。また『現(あら)わし』といって、外部などに化粧材として使用する際にも、例えば尺(およそ300㎜)を越えるようなサイズのものになると、スギヒノキだと木取りするのも難しそうだろうと理解して頂くのに、「ベイマツなら(木が大きいのだから)取れて当然だろう」と言われたりするのは不遇と言わざるを得ません。私がこの仕事について20数年、今まで一番多く触った材はベイマツだったかもしれません。

ベイマツは多くの樹脂分を含み、ヤニ(脂)が出ることが多いのですが、経験から言うと木目の詰まったオールドグロスになればなるほどヤニが吹いてくる事が多いです。右の写真のような玉になる物は、時間が経過するとザラメのように多少固まるので簡単に取り除けます。また軽微なヤニはシンナー系の溶剤で拭き取れば取れますがこれも程度問題。見た目は美しい飴色に見えるものの結構手につくと厄介物で普通の石鹸では容易に落とせません!一方、深いヤニ壺があると最悪!いつまでもいつまでも無尽蔵なくらいにヤニが溢れてきます。

もうこうなると外科手術でヤニ壺の周辺ごと切り出して除去してしまわなければ根本的な解決には辿り着けません。もっともマツにしてみれば、ヤニ分が多いから粘りや強度も生まれるわけで、しかもそのヤニもバイオリンやバットの滑り止めに使っているにもかかわらず、やれヤニが悪いだのねとつくだの都合勝手な事ばかりを言うな!と叱咤されそうです。ところで今や日本での住宅産業に欠かせないベイマツですが、日本に最初に持って来たのはあの黒船ペリー提督だと言われています。この話、長くなりそうなので続きは後日改めて・・・。

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歴史に名を残したコレクター*

先日のブログの、『1791年にカナダのバンクーバー島でメンチェス博士によって発見され、その後1826年に植物学者のダグラス博士によって再発見された』という記述に対して、厳しいご指摘がありました。その間の空白の35年はどうしたのか?という、予想だにしない質問です。質問の主は、偏執狂的な熱血『森のかけら』マニア(これは最大の賛辞!)のF氏。さすがに目の付け所が違います。この業界にいて何も疑問に思った事もありませんでした。まさに目から鱗が落ちるとはこの事です。 慌てて資料や文献を読み漁りました。

常識とか定説を「なぜ?本当?」と思うところから人間の成長があるのかもしれません。こういう質問、とてもありがたいです。それをきっかけに自分も調べ物をしたり、知識を得れたりと勉強になりますので。さあ、そのマニアックな疑問にお答えしましょう。ところが定説というのは誰も疑問に思わないからこその定説。この空白の35年を紐解く記述はどこにもありません!F氏のほくそ笑む姿が脳裏に浮かんできます。それでココからは、資料や文献を元にした私の推察になりますが、まるっきりの間違いでもないと思います。

1780年代に植物学者のメンチェス博士は世界各地に探検に出向いていたようで、1791年にバンクーバー島で『ダグラスファー』を発見しました。しかしそれだけでは第一発見者の名誉は手に入れることはできないのです。当時は、発見してもその種や生きた標本を本国(イギリス)に持ち帰って、国の最高権威である王立園芸協会に届けなければ正式に認められなかったようです。その時当時王立園芸協会は絶対的な権威を誇り、かの万有引力の発見者ニュートンも歴代の会長を務めていたほど国の威信を背負ったアカデミーという存在だったのです。

国が認めるというお墨付きがつくわけですから、そこにはそれ生きた標本やら種子は必要最低条件であったことでしょう。メンチェス博士にそういう野心があったかどうかは別にして、その偉業は博士は記憶の中にのみとどめることになりました。先住民は大昔から木の存在には気がついていたのでしょうが、登録とか認定とかには別段興味も無く時が流れました。それから35年後の1826年、王立園芸協会の会員であり植物学者にして収集家のダグラス博士が歴史に名を刻むのです。執狂的なコレクターであった(?)ダグラス博士は、自分が偶然「発見」したダグラスファーの種と生きた標本を王立園芸協会に送りました

偏会員であるダグラス博士は当然、それによって自分が発見したという偉業が歴史に刻まれることも熟知されていたのでしょう。そうして見事ダグラス博士は、『ダグラスファー』の発見者となり、その功績により自分の名前を冠するという名誉を得たのです・・・というのが、私が推察する『メンチェス博士の不幸とダグラス博士の幸運物語』の一部始終です。どこまでが本当?と尋ねられても責任は負えません。ただ当時こういう事は珍しくなかったようで、記録に残っている発見者が真の発見者かどうかは怪しいところです。手続きに長けていた場合もあるでしょう。今ほどデータが重要視されなかった頃、記録に名を残すことがどれほどの価値があったのかも分かりません。そんなことより大切な事が世の中に溢れていた素敵な時代だったのでしょう。

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ペリー提督と黒い商船とベイマツ*

ダグラスファー』で、もう少し触れておきたい事がありましたので、補足させていただきます。今や日本国内でもっとも馴染みの深くなった感のあるダグラスファー、つまりベイマツですが、日本に入ってきた歴史も最古参です。記録として残っているのは、嘉永6年(1835)に黒船が浦賀に来航したのですが、その時ペリー提督が幕府に献上した幾つかの品の中に、ベイマツの製材品が入っていたというものです。まさか梁や桁のようなサイズの物ではなかったろうと思いますが、少し厚めの板材のような物だったのではないでしょうか。

その時のベイマツはしっかり保存されていて、かつて佐藤栄作首相がこのベイマツの一部を使って、シガレットケースを作らせて、アメリカ大統領のお土産として渡米したという逸話が残っておりますので、170年前のベイマツを是非とも拝んでみたいものです。相手はジョンソンだったのでしょうか、あるいはニクソン?そういう記述もありますから、これはかなり確かな事実だと思われます。それから百数十年後、まさかその木が日本中の建築の主流になろうとはよもやペリーも想像だにしていなかった事でしょう。

いや、もしかしてその来るべき未来を予知してベイマツをこの国に持ち込んだとしたら・・・!実はペリー提督が米国林産会社の特命を帯びたスーパーバイヤーだったというまことしやかな話もあるのです。かつて日本の野球の創成期に、アメリカ大リーグが来日して日本のチームと各地方で試合を行いました。来日してメジャーリーガーの中には、ベーブルースゲーリックなどの名だたるスーパースターがいたのですが、その中にメジャーでは成績の振るわない無名選手が混じっていたのです。

実は彼らは野球選手の名を借りた米国の秘密諜報部員で、野球の全国遠征に帯同しながら野球そっちのけで諜報活動に励んでいたという、嘘のような本当の話がありましたが私こういう都市伝説的な話大好き!アメリカならやりそうなところがリアリティを感じます。なのでペリーもただの手土産としてではなく、アメリカの圧倒的な森林資源を知らしめるため、そして日本の住宅資材にベイマツを普及させるために、トップダウンの営業戦略を取っていたのかもしれません。また同時期に幕府は大型船舶の建造も解禁したのですが、造船の甲板材としての売り込みのカットサンプルだったのではないかとも言われています。実際にペリーが乗船していた黒船にもたくさんのベイマツが使われていたそうです。黒船は商船だったのか・・・

その後日本の軍艦の甲板などにベイマツは使用され、急速に輸入が増えたという事ですから、ペリーの目論見通りになったという事でしょう。そうしてベイマツは初めて日本の土を踏み、その後の戦後復興の急激な木材の需要に国内木材だけでは供給が追いつかなくなり、木材鎖国政策が解かれ再び日本の土を踏むことになるのです。日本を開国させたペリーが最初に日本に持ち込み、それから長い時を経て、輸入解禁後に市場を席巻したダグラスファー、何か歴史の因果を感じずにはいられません。

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別の名前で出ています*

何か面白い木って無いですか?」若い設計士さんからそんな問い合わせがよくあります。そんな時に、「それではこんな木がありますがいかがでしょうか。その木は1826年にバンクーバー島の西海岸で、イギリスの王立園芸協会会員の植物学者ダグラス博士によって再発見されました。その木は、鎖国中の江戸時代に浦賀にやって来た黒船にも積まれていて、かのペリー提督が幕府に献上した数々の品の中にも含まれていました。そんな歴史的な背景のある木ですがどうですか?」
「それは面白い!何という木?」大抵の場合は食いついてこられます。それから更に丁寧に説明します。「今やその木は北米大陸を代表するような木になりました。中でも200年を超えるような高齢の原木を『オールドグロス(Old Growth)』、植林した2次林の事を『セカンドグロス(Second Growth)』と呼んでいます。正式な名前は『ダグラスファー』、正確な和名は『アメリカトガサワラ』です。いかがですか?」「ダグラスファー?聞いたことも無い名前だけどサンプルってありますか?」
待ってましたと、ここでようやくサンプルをお見せします。先方の反応は大抵「・・・これって米松じゃないですか?」「ええそうですよ。英名ダグラスファー、和名アメリカトガサワラ、商業名米松です。」「米松かよ~(ガッカリ)!」ペリーの黒船や200歳以上のオールドグロスの話にはあれほど食いついていたのに。あまりに身近にあり過ぎると、逆にその本来の価値が見えなくなる事があります。ベイマツと聞くだけで途端にそれが安っぽく見えてしまうのはその典型でしょう。
とはいえ最近は、スギ並に目の粗いベイマツも出回っているので、ベイマツ自体の評価が低くなるのも致し方ありません。もはや『ピーラー』も死語に近い。なので若い設計士さんにとってベイマツは、人工乾燥機ですっかり油っ気の抜けてしまったパサパサの目の粗い木という印象しかないのかもしれません。先日、そんな印象を一変させるような迫力あるベイマツ、いやダグラスファーに出会いました。デンマークのスカンジナビアンリビング社の幅広・長尺の一枚板のダグラスファーのフローリング
弊社が取り扱ったわけではなく、現場に収められたモノを拝見したのですが、長さ3m、幅300㎜、厚み28㎜の一枚板の豪快な商品。ほとんど木裏使いで、裏面に浅めのバックシールが3本入っていましたが、反り止めというよりはほぼ気休め程度。しかしこれぐらいの商品になると、節がどうのこうの言ったり、多少の反りやねじれなんて野暮な話。それらも本物の木の魅力のひとつじゃないかと言われれば納得してしまうほどの圧倒的な存在感!もしも黒船にもこういう木が積まれていたならば徳川幕府の心もさぞかし揺れたのでは?!

 

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大いなるピーラーの幻影①*

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