森のかけら | 大五木材

今日のかけら115

ヤマザクラ

山桜

バラ科サクラ属・広葉樹・愛媛産

学名:Cerasus jamasakura

別名:ホンザクラ

 英語名:‎Wild cherry 、Hill cherry

気乾比重:0.48~0.74

桜咲く、さくら道*

今日のかけら・♯011【山桜/ヤマザクラ】バラ科・広葉樹・愛媛産

 

昨日テレビで読売テレビ制作のドラマ『さくら道』を観ました。岐阜県の荘川桜が舞台です。以前に『適材適所』でも書きましたが、数年前に実際にこの荘川桜を見に行きました。その場所に、不可能といわれた「400年生の荘川桜」の移植に尽力した電源開発㈱の高橋総裁が語った言葉が石碑に刻まれていました。その言葉は、其のとき以来、「巨きな木」に接する私の考え方の骨格となりました。進歩の名のもとに、古き姿は次第に失われていく。だが、人力で救えるかぎりのものは、なんとかして残していきたい。古きものは古きがゆえに尊いのだから。」

ダムを作ろうという会社のトップの言葉だとは思えません。昔の方は本当に気概と哲学があったのだと思います。特に「古きものは古きがゆえに尊い」というくだりに感銘を受け、自分なりに「(木も)巨きものは巨きがゆえに尊い」とアレンジして、その後の巨木に対する畏敬と感謝の念の指針とさせていただいています。そもそもこの「400年生の荘川桜」の移植話は有名で、本や雑誌にも取り上げられ映画にもなっています。私は、中村儀朋著「さくら道」(風媒社)を読んでいて、是非一度直接「400年生の荘川桜」を見てみたいものだと思っていました。桜の季節ではありませんでしたので、ドラマのような桜吹雪という訳にはいきませんでしたが、それは堂々として太古の昔からそこに鎮座していたかのような風格と威厳がありました。仕事柄、大きな木を見ると「これで座卓が何枚取れる」とか野暮な事を考えてしまいがちですが、この木はとてもそんな気分にはなれませんでした。「材料」などと考えることが物凄く粗野で不遜に思えます。

ドラマでも言っていましたが、桜の木はとても「力」のある木です。それは、強度運云々ではなく「霊的」というか、人を惹きつけてやまない魔力のような力があります。部屋に桜のテーブルをひとつ置いただけでも、全ての雰囲気を持って行ってしまうくらい「木力(きぢから)」とでもいうべきオーラを発する木です。それゆえに、あまり考えなしに使うと全体のイメージを壊しかねません。赤身の中身に、緑や黒の淡い縞の入った山桜の美しさはいつまで付き合っても飽きることがなく材としても別格です。

ドラマの中でもこういうセリフがありました。「長い時間かかって分かることもある。何に意味があって何に意味がないかなど神様にしか分からない。」、「世の中にはいい事を言う奴もくだらない事をいう奴もいる。いい事だけ受け入れて後は聞き流してしまえ」正確ではありませんが、確かこういう内容だったと思います。どれも考えさせられる言葉です。【森のかけら】を作り始めた当時、いろいろ言われました。道楽とか遊びごととか、そんな物が売れるわけがない、ゴミを拾ってきて儲けていいななどとも言われ口惜しい思いもしました人の噂を気にせずに生きられるほど卓見していませんが、自分には信念があったので迷いはありませんでした。

ドラマの緒方直人も信念の人・佐藤良二さんを熱演していましたが、個人的には僅かな出番の大滝秀治のほとんど動かない静の演技は、笠 智衆を彷彿させる枯れの境地で素晴らしかったです。世間の評価の渦の中、長年戦った末にたどり着いた文豪の境地のようでもありました。その姿は、パッと咲いて散る桜のいさぎよさに通じるものがあるのかもしれません。日本人が愛してやまない桜は、かつての日本人そのものの生き方でもあったのだと思います。なにものにも屈しない高潔な信念のような桜の姿が、佐藤良二さんや高橋総裁の心の琴線に触れたのではないでしょうか。我々凡人には、なかなかそういう域には達せませんが、桜の季節を迎えるにあたり、ただ愛でるだけではなく桜という木についてもう少し考えてみようと思います。

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桜の行く末*

 

「どじょうすくい」の夜は粛々と更けて、翌日は早朝5時から朝風呂に浸り、来た時から気になっていたホテル前の桜並木を散策。ちょうど宿泊した日が満開だったようで、美しい桜並木がホテル前の川に沿って延々と続いておりました。昨晩したたかにお酒を飲まれた皆さんはまだ深い眠りの床でしょうか、ほとんど人通りも無い川辺の道をのんびりと独りで散策。旅行にでも来ないとこんな贅沢な時間は得られません。このあたりは温泉街が軒を連ね、この桜並木が玉造温泉の名物だそうです。

職業柄、花よりも幹(材)の方が気になるのですが、さすがにこれだけ美しい満開の桜の見ると圧巻です。随分立派な桜並木ですが、幹の方を見渡せば大きなものでもせいぜい1尺(約303㎜)あるなしの大きさ。しかもそれが曲がりくねりのた打ち回っていて、とても用材として使えるものではありません。自然界はよくで来たもので、もしこれで幹が通直であったなら、桜はその花を愛でる事無くサッサと用材として伐られていたことでしょう。その美しさを愛でてもらうために我が身をくねらせたとしか思えません。

我々が建築材や家具で使う『ヤマザクラ』とは別物ですが、その妖しげではかない桜の姿を見ていると、その端材といえどもとても粗末に扱う気にはなれません。最近何かとサクラの問い合わせが多いのですが、用材として使えるサクラの入手はますます困難を極めています。弊社のように極めて少量をモッタイナイ、モッタイナイと念仏を唱えながら売るような零細材木屋にとってすらもその影響はありますので、サクラで大量に商品を生産する企業にとっては死活問題でしょう。

サクラに限らず多くの樹種がこの数年で供給困難な状況に陥るのは確実で、根本的な樹種変換、あるいはそれが適わなければ木材以外の素材そのものの見直しが進むことになると思われます。今までにも『台湾桧』や『ラワン』など、瞬間的に隆盛を極めては過剰伐採で衰退していった樹種はいくつもあります。もはや『木が永続的に供給可能な自然素材』というフレーズが使えるのも特定の樹種、特定の職種に限定される事になってしまうかもしれません。

我が身を刻まれまいと苦しみながらも体をうねらせ生き延びた桜は、ゆえにその情念が結集して妖しげではかない緋色の花を咲かすのでしょうか。リサイクル可能な自然素材という恵まれた環境に胡坐をかいてきた木材業界に大きな分岐点が来ています。幹を守るか、花を咲かすか。決して永遠ではない「用材供給」に自分がどれだけ身の丈を合わせられるか。小さな幹に小さな花を少しだけつけて、永らく人に愛でてもらう、そんな生き方が望みです。水面に流れる桜の花びらの行く先やいずこ・・・

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「製品の端材」と「原木の端材」*

今までに何度かご紹介させていただいた愛媛産の広葉樹ですが、もっとも初期に仕入れて乾かせていた『ヤマザクラ(山桜)』にもそろそろ表舞台へ立つ日が近づいてまいりました。今日はどれぐらい乾いているのか確認するために何枚か削ってみて確認作業。このヤマザクラについては、ヤマザクラ本来の木の艶と光沢、そして赤身の妖しい色気を失いたくなかったので、敢えて天然乾燥で乾かしています。そのため念には念を入れてたっぷり乾燥させるつもりで、数年間ほったらかしていました。

数年乾かしたからといって完璧に乾燥できるわけではありません。さすがにそれ1枚でテーブルやカウンターにしようというぐらい大きなサイズになると、人工乾燥機の力を借りないと難しい場合もあります(最終的にはどこまで待てるのかという費用対効果の問題となりますが)。今回確認しているのは長さが2m以下の小幅で、比較的厚みの薄いものを数枚引っ張り出してみました。ベルトサンダーを表面に走らせると、滑らかな削り心地ですが、木目がとぼけて不明瞭です。ところがここにオイルを垂らすと・・・

ヤマザクラの妖しい赤身が材中からすう~と滲み出してきて、表面に紅がのって、艶っ気のある赤身に染まります。これこれ!この艶やかさを求めていたのです!木そのものは直径300㎜前後の曲りの多い中径木で、辺材には幾つもピンホールがあって、節や割れも絡んでいて、お世辞にも立派な木とは言えません。建築材や家具材としても価値の低い材です。昔の私であれば、歯牙にもかけなかったことでしょう。それが今ではこの虫穴のある、節の大きな、曲がりくねったヤマザクラが宝物に感じるのです。

この木で『森のこだま』や『誕生木ストラップ』、『モザイクボード』などを作っていきます。お陰様で製材品の端材をベースに作ってきた自社商品たちも少しずつ軌道に乗って来ておりますので、供給的に不安定な「不本意ながら発生する端材」だけに頼らず、原材料の安定供給の道も探っているところであります。このヤマザクラとて、原木で購入しているので、虫穴も節もない立派な「トロ」部分もあります。それはそのまま板として売り、虫穴や節のある「赤身」部分を使うわけですから、これもある意味立派な『原木の端材』!


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赤身王国へ越境するツワモノの足跡*

数年前から愛媛県の山から出材された広葉樹を少しずつ集めております。板に挽いて天然乾燥したものが順次出番待ちの状態を迎えています。建築用材や家具に使うというよりも、クラフト細工に使ったり、【森のかけら】の原料にするために始めたモノなので、銘木と言われるような大きなモノを持てめているわけではありません。『明確な出口ありき』ではなく、仕上がった材に合わせて用途を考えていくのが楽しみなのです。今回、ちょっと変形の『ヤマザクラ』をご案内。

長さ2m、幅120〜150㎜程度の細い板ですが、ちょっと形が面白そうなので、店舗のディスプレイやオブジェをはじめ、耳付きのカウンターなど向けにこのままの状態で販売する事にしました。杢目を確認していただくために片面を削っています。たっぷり時間をかけて天然乾燥に徹したお陰で、小さな材ながらサクラ独特の艶と光沢、妖しい色気が小さな漂っています。当然大きな節や小傷もありますが、それとてこの小さなヤマザクラのキャラクターマークのひとつ。

すべての板の白太部分にボールペンの先で突いたような小さな黒い点々があります。それは『森の履歴書』たる、虫穴(ピンホール)。虫の穿孔跡なので、既に虫は退出した後と思われますが、板によっては白太(辺材)の国境を越えて赤身王国まで進出した強者どもの足跡も。銘木クラスの板として取引有れる場合は、決定的な『欠点』として忌み嫌われ、品質並びに価格を著しく下げ評価させるピンホールですが、考えたかを変えれば、そこさえ許容出来ればお買い得。

ひと昔に比べれば、一般の施主さんがピンホールに対して随分寛容になったと思うのですが、考えれば昔はピンホールのあるような材を材木屋が直接、施主さんにご説明するような場面は少なかったように思います。私自身、ピンホールの有る無しに関わらず、施主と直接木を通じて対話する機会はほとんどありませんでした。結果、大工さんがうまい具合に使い分けていたのだと思うのですが、「虫が喰っている」という事実に対して材木屋があまりに腰が引けていた時代でした。

会社にお越しいただき、実際にその板に触れていただき、木の話をさせていただくと、ピンホールとてその木にとっての肉体の一部であり、それを抜きにする事はその木そのものを否定する事になってしまうという事を材木屋、施主互いが感じるようになります。話していく私自身も自分の言葉で勇気づけられるというか、その正当性を強く主張するようになり、つい言葉にも力がこもっていくのです。傷や虫穴など、いわゆる木の弱点が愛おしく思える年齢になったという事かも・・・

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美しき木型*

その道の方には有名な話のようですが、ラ・コリーナ近江八幡を運営する『たねやグループ』さんのご先祖は材木商だったそうです。初代は近江八幡で江戸時代頃に材木商をされていて、かなり儲けられたらしいのですが、儲かりすぎて遊びほうけて全財産を失くしてしまい、そこで鞍替えして穀物や根菜類の種子をうる仕事を始まられました。その後、明治になって菓子屋に転じられて今の仕事の基礎が固まったと、山本昌仁社長の著書に書かれていました。私は著書を読んで初めて知りましたが、まさか先祖が材木商だったとは・・・。

材木商だったからというわけではないのでしょうが、ラ・コリーナではいくつか『木で出来た気になるモノ』がありまして、そのひとつがメインショップの壁面にずらりと飾られた木型。その昔は、砂糖を水に溶いて木型に流し込んで固めた砂糖菓子などを作るのに必要だったもの。私が子供の頃は、『めで鯛』ということで鯛の姿をかたどった和菓子をよく見かけたものです。さすがに今ではほとんど使われる事がなくなったので、装飾として展示されているのだそうですが、これだけズラリと揃うとまるで美術工芸品のよう!

どれもが経年変化で黒ずんでいて、実際に使われていたのだと思いますが、そのデザインは素晴らしくずっと眺めていたいほど。実は今でもたまに京都などから菓子の木型に使いたいのだけど、ヤマザクラの材は無いかという問い合わせが入ることがあります。なかなか取引にまで至る事は少ないのですが(今どきですからあちこちから相見積もりを取られているのだと思います)、今でもそういう需要もあって、やはりそこで使われているのは摩耗性が高く滑らかで彫りにも適したヤマザクラ(山』のようです。

私は実際に木型を使って菓子を作った事もありませんので、ヤマザクラがどれぐらいこういう適性があるのか本当のところは分かりませんが、昔から木型と言えば桜と言われているぐらいですから、先人たちが長い経験の中で桜がもっとも適性があると見出したんだと思います。ここに展示してある木型が何の木なのか、近づいてみたのですがサクラっぽくも見えるのですが、全部が全部そうなのかは判断できませんでした。昔であればもしかしたら入手しやすい里山の広葉樹あたりを使われたのかもしれません。

海外では美術品としても人気があるということですが、日本人にだってこういうものに目が無い好事家は多いと思います。木型に限らず昔の職人さんが使っていた道具って、実に緻密で精巧に出来ていて、その割に構造がシンプルで修理しやすくなったりと驚くほど機能的だったりします。特に木の道具って時間が経てば経つほどに味わいや趣きが生まれて来て、いい感じになってきます。これが貼りものだったらこういう味わいは出ていないでしょう。やっぱり本物って時間が経ってもしっかり残ります。




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