森のかけら | 大五木材

今日のかけら225

シルバオ

MERBAU

マメ科・広葉樹・東南アジア産

学名:Intsia bijugaおよびIntsia palembanica

別名:メルバウ、クイラー(Kwila/パプアニューギニア)、

イピル (Ipil/フィリピン)、太平洋鉄木

気乾比重:0.74~0.90

 

 

太平洋鉄木・メルバオとクイラー①*

今日のかけら♯225【メルバオMerbau マメ科・広葉樹・東南アジア産

別名はクイラー(Kwila)で、昔はこの木に着色した床柱があったのですが、とにかくやたらめったら重たくて、扱うのが嫌だった記憶があります。当時は、何か別の商業名もついていたと思うのですがそちらは失念しました。メーカーの人に、本来の木の名前はと尋ねると「クイラー」だと教えてもらったので、私の中ではずっとクイラーという認識でした。その後、和室の減少に伴い床柱の需要も激減して、クイラーの床柱を見かけることもなくなりました。あれだけ持つのも嫌だったクイラーの床柱も無くなってしまえば妙に懐かしく思ってしまうものです。

それから月日は流れ、【森のかけら】を作ることになって久しぶりにクイラーを扱う事になります。かけらにに使っているのは、昔加工ミスした床柱の一部です。かまぼこ型に加工した表面をガチガチにウレタン塗装で固めているのですが、そこに鑿を入れると、塗装面が弾けたりして使い物にならなくなってしまった床柱の欠品が残っていて、それを転用してかけらを作っています。なので日々かけらとしては目にしたり、触る事があるのですが、角材や板材としてクイラーに出会う事はすっかり無くなってしまいました。

【森のかけら】を作る際にいろいろ調べていたら、一般的にはクイラーではなくて『メルバオあるいはメルバウ)』の名前の方が浸透しているようで、全国各地の木材関係者に訊いてみても、多くの人が『メルバオ』で認識されていました。もの本によると、メルバオとは『マレー語地域におけるIntsia 属の樹種の総称』らしく、元来はIntsia palembanucaという樹種につけられている通称名で、それ以外はメルバオ〇〇などのように呼ばれていることが多いとありました。クイラー(Kwila)というのは、ニューギニアで使われる名称。

フィリピンではイピル(Ipil)と呼ばれるようです。それで、【森のかけら】を作る際に、日本では一般的に認知度の高いメルバオ(Merbauの方に改めることにしました(メルバウとも表示されますが)。業界の中では、『太平洋鉄木』の和名で呼ぶ方も多いかもしれません。気乾比重が0.74~0.90もあり文字通り鉄のように重たい事が名前の由来です。その名が示すように、タイ、インドシナ、アンダマン諸島、マレー半島から東南アジアの島々を経てニューギニアまで広く太平洋に面した国々に分布しています。続く・・・

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太平洋鉄木・メルバオとクイラー②*

昨日の続きです・・・東南アジア産のマメ科の広葉樹、『メルバオ(Merbau』が含まれるIntsaia属という種類には、12種類の木が含まれているそうで、私が認識しているメルバオがその中のどれに当たるのかは分りません。製材されて板になったり床柱やフローリングなどの商品になったものしか見たことがないので、大きな板材の状態で見たことはないのに、見たり触った経験は多いという木の1つです。材木屋仲間では、昔からメルバオといえばこれが見極めるポイントというのが伝えられていて、その特徴が分りやすいので、その特徴のある木はメルバオだと認識してきました。

木の材面を見て、黄色いチョークみたいなのがあったらメルバオや、というもの。左の写真は材面をアップで撮ったものですがところどころに黄色い筋状のものが見えると思いますが、これの事です。専門的に言うと、道管の中に黄色のシュウ酸石灰を含んでいる状態なのだそうですが、私には詳しい事は分りませんが、とにかくこれがメルバオを見極めるポイント。とはいえ、35㎜角の【森のかけら】にしてしまったら、そのサイズの中に都合よく「見極めポイント」が入っているものだろうかと、改めてメルバオのかけらを引っ張り出して観察してみると、

わずか35㎜角の立方体の中すべてにちゃんと「見極めポイント」が入っていました。シュウ酸石灰シリカなどの鉱物質が含まれている木は結構多くて、南洋材においては大きな特徴の1つにもなっているほどです。代表的な例で言えば、アピトンレンガス、ホワイトメランチ、チーク、タンギールなどなど。チークなどは、シリカの影響ですぐに刃物が切れなくなるので、なるべく刃物を替えたばかりの時には加工しないようにしています。メルバオについてはそういう話を聞いたことがないのは、板として加工する頻度が圧倒的に少ないためか、含まれる好物質の違いか?

科学的な話は分かりませんが、前述したように荒板などの素材で流通しているケースが少ない(特に愛媛ではほぼ皆無)ため、メルバウを鉋で削った経験値が少ないので、話題にならないだけかもしれません。最初に床柱で加工ミスがあった(それをかけらに転用している)と書きましたが、もしかしたら塗装の問題だけでなく、シュウ酸石灰の影響もあったりしたのかも?ルーペで小口から導管を覗いてみると、黄色いシュウ酸石灰がしっかりと詰まっているのがよく分ります。明日は久しぶりに『かけら』以外のメルバオに会った話。続く・・・

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太平洋鉄木・メルバオとクイラー③*

今まで床柱やフローリングでしか扱った事のなかった『メルバオ(Merbau』ですが、海外ではどういう用途に使われているのでしょうか。まずその特徴ですが、気乾比重が0.74~0.90と非常に重たく沈木である。その硬さの割りに加工性はよくて、乾燥による歪みやねじれも強くない。耐久性も高くて、シロアリなどの虫に対しても高い防蟻性を持つ反面、防腐剤の注入は困難であるというもの。床柱、フローリング、かけら以外での利用実績が無いので、書いていてもいまひとつ実感が湧かないのですが、典型的な硬質系南洋材の1つです。

こういう木の用途として木材事典などに記されている用途は、主に床材、キャビネット、パネル、家具、楽器、挽物、柄、指物、重構造用材など。つまり、メルバオでなければならないというマストな出口は定まってはいないようです。大きな材加工したから際に、黄色いシュウ酸石灰がどれぐらい刃物に影響を与えるのか分りませんが、いろいろ試してみたもののその事がネックとなって用途が広がりきらなかったのかしれません。折角、この木はメルバオだと断定できるポイント付きなのだから、何かもっと『ならではの用途』があってくれると嬉しいのですが・・・

なんて思っていると、先日思わぬところで違った出口に形に加工されたメルバオに出会いました。それがこちらの太鼓の撥(バチ。まあ、これもいわば先日の『シラガシ(白樫) 』からの引き寄せのようにも感じる撥繋がり。これはメルバオが太鼓の撥に向いているから作ったというよりは、たまたまメルバオがあったので、重たくていい音色が出そうなので作ってみたという事でしたが、持ってみればズシリと重く、叩くにもかなりの力が要りそうで、腕っぷしが強い人向き。サイズにもよりますが持った感覚では白樫よりも重く感じました。

増え琴に撥と音色を出す出口繋がりながら、音の良さなどまったく分らない無粋な人間なので、その有効性が見極め出来ませんが、相当力強い音が出るのは容易に想像できます。その太鼓の撥を扱っていらっしゃるのは松山市内で、太鼓や撥、笛、提灯などなど祭りに関する道具を扱っているお祭り道具専門店『まつり屋 田内』さん。店主の田内さんが防災士の資格をお持ちだという事から、昨年店舗を改装されて店の一角では防災用品や非常食、防災無線などの防災用品などの販売も行われています。

このブログでも何度か書いた『ラミンの丸棒』も残った分はすべて田内さんがお買い上げいただき、練習用などの太鼓の撥として販売していただいています。変わった材を売るには、変わった人と変わった出口とのつながりが不可欠!そこで拝見したメルバオは、メルバオならではの出口というわけではないでしょうが、重硬材の用途を考えるヒントになりました。こういう出会いでもないと『今日のかけら』で取り上げにくいのですが、まさかこんな身近なところでメルバオが使われていたとは。常に高い意識で出会いを求め続けることの必要性を痛感しました。メルバオが招いた僥倖。

 

 

今日のかけら179

チーク

Teak

クマツヅラ科・広葉樹・ミャンマー産

学名:Tectona grandis

別名:ジャチ (Giati/ベトナム)、ジャテ(Djati/インドネシア)
柚木(中国)

和名:麻栗樹、鉄梨木

気乾比重:0.68

 

最強銘木チーク、黄金の日々①*


今日のかけら・#179【チークTeak クマツヅラ科・広葉樹・ミャンマー産

前置きが長くなりましたが、改めて『チーク』についてご紹介させていただきます。来年は戦後70周年という事になりますが、恐らくまた「かの戦」について多くの特集が組まれ、各種イベントが行われることでしょう。戦後70年というと遠い遠い昔の話のように思えますが、私が生まれたのは戦争が終わって21年目のこと。そう考えれば決して昔の話ではありません。あれから時代は移り、集団的自衛権や中国の暴走など戦争や自衛に対する日本人の意識も随分と変わってきました。

それについてここで深く触れるつもりはありませんが、かの戦では望む望まないに関わらず多くのひと、モノが何らかの形で戦争に関わりました。木材も当時は重要な物資として、全国で大量に伐採され利用されました。本来ならば、終の棲家としてひとの憩いの場所を作るはずだった木が、その真逆の用途に使われたのは悲しい事ですが、幸か不幸かこれからの高度にハイテク化された近代戦においては、もはや木材が戦時中の重要物資となる事は二度とないのかもしれません

これはまだ木材が戦争の重要な物資だった時代の話・・・かの日本海軍が世界に誇った巨大戦艦大和。その悲運の最期は日本人なら誰もが知るところでありましょうが、その大和にも大量の木材が使われていました。中でも戦艦ならでは用途で使われたのが、世界の銘木チークなのです。日本海軍の軍艦にはそのシンボルとして、艦首の舳先(へさき)に金色に輝く菊花の紋章が付いていました。この菊花の紋章はチークで作られ、その上に金箔を貼って仕上げられていたと言われています。

大和のそれは、直径は1200㎜もあったそうです。広島県呉にある大和ミュージアムには、1/10モデルの大和が展示してありましたが、それでも充分な迫力がありましたので、実物となるとさぞや立派で迫力があったことでしょう。更に戦艦に関わり深い用途として、甲板の床板があります。大和が建造される40年ほど昔の日露戦争時代、日本の連合艦隊の旗艦として活躍した「三笠」という戦艦がありました。そう、かの秋山真之が作戦担当参謀となり乗艦した艦です。明日に続く・・・

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最強銘木チーク、黄金の日々②*

戦艦・三笠は、日清戦争後にロシアに対抗すべく軍拡を進めた日本海軍が、イギリスのヴィッカース社に発注して、イギリスの造船所で建造された軍艦です。そのためマストや煙突に帆船の名残が見られます。更にイギリス海軍の伝統を受け継ぎ、甲板やキャビンにはふんだんにチークが使われました。三笠という名前は、奈良県にある三笠山にちなんで命名されました。三笠の名前を有名にしたのは、日露戦争の大きな転換点となったと言われる日本海海戦での活躍ぶりでしょう。

その日本海海戦で日本海軍連合艦隊の旗艦をつとめていたのが三笠で、その三笠にはかの連合艦隊司令長官の東郷平八郎が乗り、戦闘の指揮をとっていました。「皇国の興廃この一戦にあり」を示すZ旗(ぜっとき)が掲げられ、ロシア帝国海軍のバルチック艦隊との間で繰り広げられた激しい戦闘は、日本側の勝利に終わり、一躍三笠の名を日本に轟かせたのです。その三笠は、その後多くの戦争を経験しながらも奇跡的にその姿をとどめ、現在は横浜の三笠公園内に保存されています。

建造当時にチークが使われていた甲板は改造され、そのほとんどがダグラスファー(ベイマツ)に貼り替えられ、わずかに当時の幅広のチークが残っていて当時の面影を伝えています。さて、三笠が活躍した時代から歳月は流れ、太平洋戦争が勃発。日本海軍が命運を賭けて巨大戦艦大和建造に踏み切った昭和12年頃になると、日本の財政は逼迫し、海軍としては高価なチーク材の使用については二の足を踏みました。その当時からチークは高級材の地位を揺るぎないものだったのでしょう。

ところが、のちに連合艦隊総司令官となる山元五十六長官が、「戦艦にはチークだ」と主張し、大和の甲板にはチークが使われていたという逸話が残っています。なぜに山本長官がそれほどチークにこだわったかについては後述しますが、それはチークという木の特性を熟知していたからではの決断だったのです。しかし残念ながら銘木チークを搭載した戦艦大和はほとんど活躍する場面もないままに、1945年4月7日、鹿児島県の坊ノ岬沖の海底深くに沈んでしまうのです。

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最強銘木チーク、黄金の日々③*

本日はチークという木そのものについて。チークはクマツヅラ科の広葉樹で、学名はTectona grandis ( テクトーナ・グランディス。テクトーナはタミール語でチークの意味があり、グランディスは大きいという意味があり、樹形や葉の形を表しているといわれています。英語名のTeakは、原産地であるインド南部のマラヤーム語の「Thekku」(「チークの木」と言う意味)に由来していて、それが定着したものだそうですが、もともとの「Thekku」の語源については不明です。

チークの本場、タイ、ビルマ、インドではチークですが、ベトナムやサバ、サワラクでは「ジャチ」、インドネシアも地方にいくとチークでは通用せずに「ジャテ」と呼ばれるそうです。チークの属するクマツヅラ科は世界で約90属2600種が知られていて、OOマホガニーやOOチーク、OOウォールナットなどの名前を冠した高級木材が木材が多く含まれていますが、中には怪しいものの多いので注意が必要です。正真正銘のチークは、このクマツヅラ科に含まれています。

世界中で銘木として確固たる地位を確立しているチークですが、中国では「柚木」と表わします。日本でもかなり強引に「麻栗樹」とか「鉄梨木」などの漢字を充てて表わすこともあるようですが、無理矢理感が出過ぎていて、どうにも馴染みません。ここは普通にチークで問題ないと思います。天然チークの分布域は、主に熱帯アジア、インド、ミャンマー、タイ、ラオスなどの乾季と雨季のはっきりしたモンスーン地帯で、用材としては最高級材のお墨付きが得られるものです。

チークの天然林として名高いと有名だったのは、ビルマのアラカン山脈東部、ペグー産地、シャン高原地方、タイのチェンマイ一帯などの水はけのいい場所を好むと言われてきましたが、それもかなり古い情報ですので今はどうなっているのでしょうか。生育に最適な環境のもとでは、樹高40~45m、胸高直径1.8〜2.4mにも成長するものもあるそうですが、平均的なサイズとしては樹高9~11m、胸高直径1.0〜1.5m程度。それでも充分に大きいとは思います。

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最強銘木チーク、黄金の日々④*

天然チークが優れているのは当然ですが、やはり天然ものには限界がありますので、天然林保護の観点からも盛んに各地で植林も行われてきました。代表的なのがジャワ、スマトラ、ニューギニア、アフリカなどです。人工林といえどもチークのDNAを受け継ぐ立派な素材ですので、相応に人気があります。チークの植林が本格的になったのは、天然林の枯渇が問題となってきた1960年代からですが、チークは成長が遅いので用材として使えるようになるには早くとも60〜70年必要

ようやく初期の人工林が出回るようになってきましたが、品質のよいものを得るためには時間がかかります。そもそもチークはインドが主要な産地で、広く海外に輸出してきましたが、次第に国内での需要も出てくるようになったので国内向けにシフトしました。その後出材国はタイへと移るのですが、タイでも資源の減少を危惧して1989年にタイの国王が全面的に禁伐を命じ、現在ではミャンマーが最大の輸出国となっています。ミャンマーの森林面積の60%チークの天然林です。

2012年の調査では、天然チーク林は世界的に減少しており、かつ天然チーク材の品質が悪化しているそうですが、一方で人工チーク林面積は増加しており、適切な森林管理が出来れば今後も永続的な人工林の良質なチークの供給が可能だという事です。ちなみに現在、天然のチークが自生しているのは、インド、ラオス、ミャンマー、タイのわずか4か国だけですが、その蓄積量のおよそ半分をミャンマーが占めています。ミャンマー以外の3か国では伐採または丸太の輸出は全面禁止。

ある統計によれば、2010年時点で天然テーク林の総面積は約2900万ヘクタールという調査結果があります。この15年ほどで、およそ1.3%の減少にとどまっているのは、タイで導入された天然林伐採禁止にによって290万ヘクタール増加したことによるものとされています。とはいえ、天然ものは一度伐採してしまうと、直径700〜800㎜のものが復元するまでに100〜150年かかると言われていますので、その時間は植林木の比ではありません。

チークは森の中でまとまった群生として存在するのではなく、落葉常緑林や熱帯常緑樹林に混在しているため統計データが取りにくいのだそうですが、伐採禁止などの保護政策によって減少傾向に歯止めがかかったといっても、貴重な資源の取り扱いについては慎重なうえにも慎重にならねばなりません。人工林の面積は、アフリカや中南米、南米、アジアにまで広がっているということなので、非常に心強いのですが、この事を強く肝に命じて貴重な資源を無駄なく活用しなければなりません。続く・

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最強銘木チーク、黄金の日々⑤*

本日は日本におけるチークの歴史について。日本においてチークの建築物として有名なのは、江戸時代初期に四代将軍徳川家光の時代に建立された京都・宇治の萬福寺(まんぷくじ)があります。江戸初期に中国から弟子30人を連れて日本にやって来た隠元(いんげん)禅師が、寛永元年(1661年)に建て始め、7年の歳月をかけて完成させました。この本堂の柱などにチークが使われていて、別名「チーク寺」とも呼ばれています。寺ではチークを「鐵梨木」と表記しています。

隠元禅師については、以前『今日のかけら・キハダ』の項でも登場していただきましたが、インゲンマメを伝えた人物として有名で、様々な中国文化を日本に伝えた名僧として知られています。当時チークが一般的に流通していたという記述も残っていなければ、同時期に他にチークの建築物が見当たらない事からも、萬福寺に使われたチークは当時貿易商がオランダ人から入手して寺に寄進したものと、幕府が特別に下賜(かし)したものの一部であろうと推測されています

時代は変わりますが、わが愛媛県の誇る瀟洒なフランス・ルネッサンス風の洋館・萬翠荘(ばんすいそう)にもチークがふんだんに使われています。萬翠荘は、大正11年(1922年)に、旧松山藩主の子孫久松定謨(ひさまつ さだこと)伯爵が別邸として建てたもので、設計は後に愛媛県庁本館などを手がけた建築家木子七郎氏の手によるもので、90年以上が経過した今でもその優雅な佇まいは古びれるどころか時代を越えて健在です。現在では国の重要文化財に指定されています。

二階で開催される企画展は有料ですが、一階は無料で見学が出来ます。ときどきイベントも開催されていて、身近に感じる事が出来る重要文化財の1つです。私の娘も小学生の頃、ピアノを習っていた時にここで発表会があり、何度も訪れました。娘の出番まで室内を見学させていただきましたが、優美な設計とふんだんに使われた良質なチークにため息が出るばかりです。チークは決して派手で豪奢な木ではありませんが、その品格溢れる雰囲気は時代や国を超越して万国共通です。

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最強銘木チーク、黄金の日々⑥*

次に世界で有名なチークを使った建築物をご紹介。バンコクでは100年ほど前に建てられた『ウィマンメーク・パレース』というチーク御殿があります。タイ語で「雲の上」という意味を持つこの建物は、イギリスに留学して建築を学んだラマ4世の子息による設計で、ビクトリア風の4階建ての瀟洒な造りです。驚くべきことは、この建物のほとんどがチークで作られていて、金物類は窓やドアの建具の取り付けなどの一部に使われているにすぎないというのですから圧巻です。

室内のフローリングは、チーク材をダボで固定するなど徹底されています。部屋数は全部で31室もありますが、チークのみを使った建築物としては世界最大だといわれています。もし今同じ仕様で建てようとしたら、当時の数倍のコストがかかるでしょうが、それよりも果たしてそれだけのチークが揃うものかどうか?!世界的に希少性が認知されているチークですが、国王様の命とあらば国内から選りすぐりの良質なチークが簡単に集まってくるのかもしれませんが・・・

古くからチークの優れた性質は人々の知るところとなっていたようで、かのピラミッドや古代バビロビア宮殿からも、チークで作られた家具が発掘されていますマホガニー、ブラック・ウォールナットと並んで『世界三大銘木』と称されるのは伊達ではなく、世界中でチークは珍重されてきました。ベルサイユ宮殿の内部を彩る家具や装飾、オリエント急行の内装、豪華客船クイーンエリザベス2世号帆船カティサーク号のデッキなど歴史的な建物や乗り物などにも使われています。

またイギリスがインドやビルマを植民地としていた当時、大量のチークが伐採され、英国海軍の軍艦に使われました。チークには多量の油分、木製タールが含まれているため、触ると蝋のような独特のねっとりした触感があります。これによって鉄の腐食を防ぎ、釘やボルトを錆びにくくさせる効果があります。また酸化や腐食にも強く、酸や塩、水などにもよく耐え、シロアリやフナクイムシにも侵されにくいことから、大和などの戦艦や客船、クルーザーなどの甲板に用いられたのです。更に続く・・・

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最強銘木チーク、黄金の日々⑦*

現在、日本においてチークとしてもっともポピュラーな商品はフローリングだと思われます。昔から、厚み15mmの乱尺(長さが一定ではない)サイズの1枚もののフローリングは作られていましたが、後になって300〜450mm程度の短い材を繫ぎあわせたユニ・フィンガージョイント加工された商品が作られるようになりました。ちょうど植林チークも出回るようになった事から、それまで高級で手の届かなかったチークが割安になり、広く普及するきっかけとなりました。

チークは金属との相性がよくて、接触面が腐食しにくいという点も重宝される理由の1つですが、他にも充分な強度があること、適度な硬さがあること、そして比較的狂いが少なく寸法安定性が極めて高いことなどからもフローリング材として好まれる理由です。チークの特性であるしっとりした質感を生かすためにも、弊社では表面に塗膜を作るウレタン塗装ではなく、材に浸透していく植物性オイルをお薦めしています。オイルで濡れ色になったチークの表情は更に濃厚になります。

弊社では、天然もののミャンマーチークインドネシアなどの植林チークを使い分けて販売させていただいております。天然ものの方が、年輪も緻密で色あいも濃いいのですが、その分色の濃淡幅は広く、かなり激しいコントラストになります。独特の縞柄や筋なども含まれるため、貼りあがった全体のバランスを重視される方は敢えて色ムラが少なく色調が整った植林チークを選ばれる場合もあります。これはどちらがいいというよりも、ひとそれぞれの好みの問題だと思います。

ちなみにこちらが植林チークのフローリング。上の天然チークに比べると、色あいも薄く全体的に淡い印象があります。撮影時の照明の関係もありますが、それでも数年すると経年変化でもっと落ち着いた色合いに変わっていきます。天然チークは生産が不安的な要素もあるため、入荷量そのものがタイトで、時々全国的なレベルで欠品状態に陥ることもあるため、使われる場合はなるべく早めに相談されることをお薦めします。数か月前にそのような状況になり混乱が続いた経験があります。

 

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最強銘木チーク、黄金の日々⑧*

チークが普及し始めると、チークに非ざる「OOチーク」といったまがいものの格安品が出回ったりするのか困りものであります。それほどチークという名前が、高級材、高品質の代名詞のようになっている人気ゆえの証拠でもあるのですが、全然品質の劣るものがチークと称して出回り、そのことで誰かが不幸な目に遭っては気の毒です。それでよく誤解されるのが、タイランドチーク、ジャワチーク、ネシアチークなど産地を冠した銘柄読みとは違いますのでお気をつけください

例えばアフリカンチーク(イロコとかユーラシアンチーク(ぺリコプシスなどがその例ですが、全く別の種類の木にチークの名前を冠するのは問題だし、イロコやぺリコプシスにとっても迷惑な話です。もとの名前が一般的に浸透してないがための手段でしょうが、それは市場の混乱を招くだけですし、認知度の低い木だからこそ自分が積極的に押して広めていこうという気概が必要なのではないでしょうか。他人の褌で相撲をとるような考え方は厳に慎むべきだと思うのです。

弊社には現在、20年以上天然乾燥させたミャンマーのチークの耳付き板が10数枚あります。ここで乾かしたのではなく、ずっとお宝として持っていた材木店が閉店するというので買い取らせていただいたものですが、最近流通してるチークに比べると、色あいといい艶っ気といい比べ物にならない上質さ。耳付き材で、白太部分は虫害を受けたものやクラックの入ったものもありますが、今やなかなかと手に入らないレア物。少しずつ大切に販売させていただいております。

カウンターなど必要寸法を木取りして残った端材も、当然【森のかけら】や『モザイクボード』に使い、文字通り骨まで利用させていただいております。チークの気乾比重は0.68という事なので、ホワイトオークと同等ということになりますが、体感としてはチークの方が随分軽く感じます。高価な材ゆえ、それほど大量に端材も出るわけではないのですが、モザイクボードなどでチークを見つけたら幸運です。しかしあれだけ多彩の色調の中では地味に見えてしまうかもしれませんが・・・

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最強銘木チーク、黄金の日々⑨*

弊社で在庫している一番大きなサイズにチークがこちら。サイズは、長さ2500×幅1100×厚み40mmのかなり大きなもの。入手してからもう10数年が経過しました。もともと複数枚あったのですが、これ以外はすべて売れてしまいました。多少端にクラックや節もあり、芯も少し絡んでいますが、このままで大きなダイニングテーブルになるサイズです。いくら希少になったチークといえども、全国の名だたる材木屋、銘木屋に行けば、こんなもの比べ物にならない巨大で雅趣に溢れた立派なチークはまだまだいくらでも残っていることでしょう。それに比べればこのチークなんて少し大きなぐらいで、特別際立ったものではないでしょう。銘木屋恐るべしです!それでも私にとってはご縁があって偶然手に入った想い出深い大切なビッグチークです。

それでも私は、チェンソーの跡のついたこのチークの板が大好きです。木に惚れ込みすぎては商売になりませんが、後先考えるときっとこれぐらいのサイズのチークの1枚板は、弊社では二度と仕入できないかもしれません。モノがあったとしても、いつ売れるやも分からない木に高いお金を出して何年も寝かせておく余裕は、これからは正直ありません。出口が見える材、出口を作れる自信のある材ならば、いくら寝かせても不安はありませんが、やはりチークは別格なのです。

チークはいわば大トロです。どんな問屋が扱おうと、どんな料理人が手掛けようと、元ネタがいいので美味しくなるのは当然なのです。つまり偏屈材木屋としては、出番のない、関わり甲斐の薄い材なのです。ですから本来立派なチークは、相応の材木屋の名店にあってしかるべきなのかもしれませんが、ご縁があって弊社に来てくれたチークに余計に愛おしさを感じてしまうのです。出来る事ならこのご縁、ずっと手放したくないなんて・・・それでは商売人失格でございます。

売りたいような売りたくないようなチークですが、現在チークの注文材(工場で規格化されたフローリングなどではなく、注文に応じて製材してもらうもの)は、1平方メートル100万円以下では手に入らないのは常識で、他の材と比べると相当に高価です。ただし萬福寺などのように、チークで大きな柱や桁を取るのでなく、意匠的にワンポイントで使う程度であれば、1本単価に換算すれば仰天するほどに高額になるわけではないので、過度にチークを敬遠なされますように。

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最強銘木チーク、黄金の日々⑩*

およそ10年ぶりにチークについて書いたので、思いのほか筆が進んだこともあって、すっかり大長編になってしまいましたが、本日はチーク篇の最後です。チークの特徴、性質には今までいろいろ書いてきましたが、その色合いを言葉で説明するのは非常に難しいです。産地によっても微妙に違いますし、経年変化でも随分変わってきます。チークの小口を切ると断面は黄金していることに驚きを覚える人もいると思います。それが時間が経つとあれよあれよという間に変色していきます。

空気に触れる事であっという間に色が変わる事はよく知られていますが。ゴールデンブラウン色から、空気に触れてリッチブラウン色に変わるものが最高とされ、造船などに利用されるそうです。そんなチークですが加工現場では意外にも歓迎されないのです。加工性そのものは決して悪くないのですが、材中に石灰質の成分(シリカ)を含んでいるため(表面に白い帯状に現れる)、加工機にかけたり、鉋で削ると一瞬で刃先を磨滅して刃物が使えなくなってしまうのです。

また油分が非常に多いため、サンダーで磨いてもあっという間にサンダーが目詰まりしてしまいますので、チークを加工する際は予備の刃先やらサンドペーパーの交換を頻繁に行う必要があって、加工する立場からすると決して歓迎されないのですが、それを差し引いてもやっぱりチークは素晴らしい~!倉庫の中にストックしているチークの板を動かす時に、ぐっと肩を入れるためチークに近づくと独特の匂いがします。20数年経ったチークからも色気ある香りが漂ってきます。

チーク、マホガニー、ブラック・ウォールナットが『世界三大銘木』であるとご紹介しましたが、これは私の見解ではなく世界の評価。その中で私は正直、マホガニーだけは今ひとつ良さが分かりかねる部分があるのですが(そこまでの評価を得られる理由が)チークとブラック・ウォールナットについては強く同調します。延べ11日にわたるこのチークの話で、ひとりでもチークという木に興味を持つ人が増えたとしたら、材木屋として至上の喜びであります。これにてチーク篇、完結!

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チーク余話 木を運ぶ象*

チークの項は昨日で終わりにするつもりでしたが、まだもう少し書き足したい事を思いついたので、1日だけ余談の追加です。東南アジアあたりでよく丸太を鼻で抱えて運んでいる象の映像を見る事がありますが、数こそ減ったものの今でもタイでは象が木を運んでいるそうです。そもそもは、今から100数年前に、タイの北部一帯の広大なチーク林の伐採権を得たイギリスの企業が、重たいチークを運ぶために象に運ばせるようになったのがことの起こりだと言われています

まだ小象の頃から訓練を始め、木材を運ぶ動作や林業機械の騒音などに驚かないように訓練を受けるそうですが、丸太の運搬だけではなく観光客向けのショーなどにも出演して、タイの外貨獲得にひと役買っているそうです。ところが1988年にタイ南部を甚大な集中豪雨が襲い、いくつかの村で壊滅的な被害が出、300名を超える大災害が発生したことで、政府の木材輸出政策は大きく方向転換。上流の森林破壊が原因と考えたタイ政府は、全国的な森林伐採禁止令を公布したのです

その結果、丸太を運んでいた多くの象はショーなどに転職したり、職を失う事態となってしまったようです。現在、チークの伐採は厳格に管理されているそうですが、それでも違法伐採は後を絶たず、象に過酷な労働を強いたりするなど、摘発と違法伐採のいたちごっこは続いているのだとか。何も知らない象が犯罪の片棒を担がされるというのは悲しい話です。象による木材運搬って南国情緒を想起させるものの、現地には現地の深刻な事情もあるので決して甘い幻想ではありません。

残念ながら私はタイに行ったことがないのですが、父親は何度か行っていて、そういえば自宅にチーク造りの象の置物がありました。本当は、取り扱っている木の生まれたすべての国に行って、その木が育った森や環境、歴史的な背景までも理解したうえで、木を販売できればベストなのですが、現実的には難しい事もあり、輸入商社の方やバイヤーの人から間接的に聴くというレベルに留まっていて情けないのですが、きっといつの日にか世界の森を巡りたいと思っています。

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余話Ⅱ 世紀を越えたチーク*

チークについては本当に終わらせるつもりでしたが、11日も書いているとどうしても補足してしておきたい事が次から次から浮かんできて、掟破りの余話の余話をもう1日にだけ追加させていただきます。今から3年前の2011年の9月にこのブログにアップした話でしたが、TBS系列で放送いていた『飛び出せ!科学くん』という実験科学番組について少しだけ触れさせていただいて、本当の本当にこれで『長い長いチークの話』の締めとさせていただきます。

詳しくはブログ内で検索いただきたいのですが、その番組内で番組MC田中直樹氏が、日本の誇る最新鋭の深海左遷調査船「ハイパードルフィン」に乗り込んで、世界一深いとも言われる駿河湾の深海でまだ見ぬ深海魚を探すというプロジェクトで、偶然駿河湾に沈んだといわれるロシアの軍艦・ディアナ号ではないかと思われる不自然な木の塊を見つけてしまうのです。そこで、その木片を引き揚げてみてディアナ号かどうかを調査するというもので、何とその依頼らしきものが・・・

その木片の鑑定がたまたま私のところに回ってきたのですが・・・!?その経緯についても過去のブログで詳しく書いておりますが、あまりに突然でほとんど説明もないご依頼でありましたし、『鑑定』という責任の重圧もあり、結局おお断りさせていただきました。鑑定は出来ずとも、150年前に沈んだかもしれない木の木片が、海中でどのような経年変化を遂げていたのか見るだけでも見たかったなあと・・・。結局二度にわたる探索でもディアナ号を見つける事は出来ませんでした。

自然界において動植物の腐敗や分解は、微生物の力に拠るところが多いのですが、充分な光や酸素の無い深海などでは、分解できる微生物の数も少なく、その活動も抑制され、紫外線や温度などの外因の影響もあって腐りにくいので、通常の水中での腐食とはわけが違うとわけです。それでも150年経たチークの表面がどうなっているのか?またそれをひと削りすればまた元の輝きを見せてくれるのか?チークの事を書いていて、またその事を思い出し悔しさが込みあげてきたのです。

チークは耐久性があるとか収縮にも強いといつも説明しているものの、深海という過酷な環境で150年も経過すると実際にはどうなるのか(ディアナ号のものという前提の話ですが)、最強銘木のチークの『世紀越え』の勇姿を見て見たかった・・・。さすがに船の甲板という形でチークと接する機会は稀で(あくまでも私の周辺では)、主にフローリングや造作、カウンターが主な出会いですが、それらが100年後にどうのようになっているか、その姿にも思いを馳せてみるのです。

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チークは眠る・ディアナ号の悲劇*

1年ほど前になりますが、ある日曜日に何気に『飛び出せ!科学くん』を観ていたら、「駿河湾に沈んだ船」という、いつか聞いたキーワードが!のめりこむように画面に見入ると、どうやら鮫好きの番組MC田中直樹氏が、日本の誇る最新鋭の深海左遷調査船「ハイパードルフィン」に乗り込んで、世界一深いとも言われる駿河湾の深海でまだ見ぬ深海魚を探すというプロジェクトでした。そこでは新種の深海魚は発見出来なかったのですが、たまたま偶然別のものが・・・!

深海魚を追っかけた先にあったのは自然のモノにしてはあまりに不自然な木の塊。不審に思った研究員がその木片を引き揚げてみたらしいのですが、どうやらそこは昔から沈没船の噂がある海域で、もしかしてその木片が沈没船の船体の一部ではないかというのです。深海1400mの海底に沈んだであろうとされてるのは、ロシアの軍艦・ディアナ号。ペリーが黒船に乗って浦賀にやって来た翌年に、ロシアからも日本に開国を迫りに来た船です。

ディアナ号は初めに函館に来て、その後大阪を経て下田に入ったそうです。軍艦の指揮を執るのはプチャーチン提督、今から157年前の話です。鎖国をしていた当時の日本へ来港した船の事ですから、その記録は古文書等にしっかりと残っています。もし、その軍艦の一部だとしたら、材料は「チーク」で出来ているはずなので、それが断定できれば、ディアナ号の謎に一歩でも近づけるかもしれないという事だったのです。おおっ!あの電話はこれだったのか~!

その時の番組では、この木片の正体を捜査中という事になっていました。もし、あの依頼を引き受けていたら、「専門家による鑑定の結果、木片はチークと判明!」とかってテロップがでたりしたんでしょうね、きっと。番組を観ながら、子どもたちともその話で大盛り上がり。今回はニアミスとなりましたが、ひょんな事からいろいろなところと繋がるものです。さて、番組ではその後この沈没船について触れることがなかったので、私もすっかり忘れていました。

ところが不意に新聞のTV欄を見ると、当番組に『歴史を変える大発見!深海大発見スペシャル』の文字が!これはあの木片と沈没船の謎が解明されたのだと思い、厳粛な気持ちでTVの前に。かつては、「徳川埋蔵金伝説」とか「幻の黄金伝説を追う」なんていうドキュメント(?)番組をよく観ましたが、まさに懐かしい昭和のあのノリで、次々と謎が解明され、期待を煽っていきます。150年前の外交問題ですから、結構記録もしっかり残っているものなんですね。沈没したディアナ号を襲った度重なる悲劇が紐解かれます。

不運にも下田港に着港したディアナ号を「安政の大地震」が襲い、船は大破します。それで、船を修理するために下田から戸田(へだ)港に移送するのですが、その時またも大波に襲われ船は沈没。前回同様、乗組員は地元の漁師たちの手によって救出されて1人の死者も出なかったとされています。駿河湾の海底深くに沈んだ船を追い求め、数々の調査隊が挑んだにも関わらず、発見する事の出来ませんでした。文献調査、潮の流れや海底の形状などから、沈没した位置を割り出し、再調査した模様が2時間のスペシャル番組として放送されたのです。果たしてその真相や如何に!?

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