森のかけら | 大五木材

今日のかけら005

アカマツ

赤松

マツ科マツ属・針葉樹・日本産

学名:Pinus densiflora

別名:メマツ(雌松)、オンナマツ(女松)

 英語名:Japanese Red Pine (ジャパニーズ・レッドパイン)

気乾比重:0.42~0.62

日本人とマツのあった暮らし①*

 

いつも通り、遅れに遅れている「誕生木の出口商品」ですが、せめて誕生日の木の話だけでも(それも遅れ遅れではありますが・・・)という事で、1月の誕生木である『マツ(松)』について。実は『適材適所NO.188』でもマツについては取り上げているので内容は重複する部分が多いのですが、紙面の都合で割愛した部分も沢山ありますので、ここで改めて1月の誕生木であるマツについて取り上げさせていただきます。

まず「マツ」とひと口に言ってもその種類は実に多様でさまざまなマツがあります。主なものだけでも、アカマツ、クロマツ、ゴヨウマツ(ヒメコマツ)、トドマツ、エゾマツ、アカエゾマツカラマ等々。日本の47都道府県にはそれぞれに県木が決められていますが「マツ」を県木としているのは、北海道、岩手、群馬、福井、島根、岡山、山口、愛媛、沖縄の9箇所。そのうち、北海道は「エゾマツ」、岩手県は「南部アカマツ」、群馬と島根県は「クロマツ」。

岡山県と山口県は「アカマツ」、沖縄県は「リュウキュウアカマツ」。福井県とわが愛媛県は、アカマツとかクロマツの特定の無い「マツ」という事になっています。クロマツについては、島根県の隠岐の島産の『オキノクロマ』で以前に『今日のかけら』でご紹介しましたので、今回はマツの中でももっともメジャーで、多くの方がもっとも身近に感じるであろうマツの木の代表格である「アカマツ(赤松)」を取り上げます。日本人なら誰でも知っている超メジャーな木ですが、実はあまり知られていない話もあります。

学校などで子どもたちに知っている木に名前をあげてみてと尋ねると、」、「ヒノキに並んで名前の出てくる木がマツだと思います。それほど日本人に馴染みのある木がマツなのです。昔であれば、銭湯のペンキ絵の定番といえば白砂青砂の風景画でした。最近では銭湯もすっかり様変わりしてしまい、今どきの子どもたちが知るマツというと、テレビやインターネット、漫画など描かれたマツで、実際のマツの木は遠い存在になっているかもしれません。しかし日本人は昔から日々の暮らしの中でマツと深く関わって来たのです。

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日本人とマツのあった暮らし②*

本日は、日本人とマツの木の関わりについて。漠然としたイメージとしては大昔から日本にはマツの木が茂っていた考えるのは、例えば昔の屏風画や絵画などにマツが描かれていることが多いからだとか、結婚式などの賀寿の象徴としてにおめでたい場面には必ずといっていいほどマツにちなんだものが登場するからなどの理由によるものだと思います。なので日本では大昔から伝統的にマツが使われていたと思い込んでいると思っているのでしょうが、果たして本当にそうなのでしょうか?

弊社が作っている木製マグネット『森のしるし』にもマツをデザインした『高砂松』がありますが、他にも二階松、三階松、嵐付き三階松、三つ松、頭合わせ三つ松、三本松、光琳松、向かい松、四つ松、櫛松、抱き若松、さらにそれぞれのマツに丸輪をつけた丸に三階松などのバリエーションも豊富で、マツをモチーフとした沢山の図柄があります。また家紋だけでなく、マツを商品の中に図案として取り入れている企業、あるいは商品も沢山あります。

以前に「日本酒を美味しく飲む会」でお世話になった石鎚酒造さんや、個人的に和菓子の中でもっとも好物な大洲の銘菓・富永松栄堂さんの『志ぐれ』などの商品のラベルにも、デザイン化されたマツの姿を見ることが出来ます。マツは常緑で青々としていること、また長寿でありその姿かたちも逞しく雄々しい事などから、日本にとどまらずヨーロッパなどでも尊崇され、永遠に変わらないものの象徴として崇拝の対象にもなっているほどです。正月の門松にも縁起のいいマツが使われています。

 

天の羽衣伝説などの昔話にも登場することから、私自身もマツは悠久の昔から日本全国に根づいていたと考えていたのですが、実はそうではなかったのです。しかもマツが全国区として認知されたのはそんなに古い話ではなかったというのも意外でした。自分が地名にマツの名を冠する愛媛県松山市に住んでいて、私の名前を命名してくれた祖父の名が国松で、母の旧姓が浅松と、マツとは切っても切り離せないほどにご縁が深いのです。なので、マツを知ることは私にとっても自分のルーツ探しの旅なのです。更にマツの話、明日に続く・・・

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日本人とマツのあった暮らし③*

では、マツはいつ頃日本に現われて、マツを利用していたのでしょうか。遥か縄文時代に、マツで作った丸木舟が発掘されたという記録が残っていますが、その数は僅かでそれ以外には目立ったマツの遺物は発見されていないそうです。また花粉が地層の中にどれぐらいに含まれているかを分析した調査でも、ごく一部の例を除いて、当時日本中にマツが栄華を誇っていたというデータは見当たらないようです。それが一転するのは弥生時代から古墳時代にかけて

その時代になると、中国地方辺りで盛んに「たたら製鉄」が行われるようになります。たたら製鉄は、映画「もののけ姫」でも登場しましたが、砂鉄を採集するために大掛かりに山を崩して土砂を流します。その結果、山は荒れ地となります。以前に、世界遺産で有名な石見銀山に行った時、たたら製鉄の名残り「清水谷製錬所跡」を見ましたが、かなりの山奥で製鉄がされていて事がうかがい知れました。製鉄に欠かせないのが火です。

その火を作る原料として大量のが必要となります。周辺では多くの木々が伐採されました。そんな開かれた荒れた土地を好むのがアカマツ。成長力も旺盛で、日当たりのよい場所を好む『陽樹・マツ』は、待ってましたとばかりに勢力を拡大。成長に時間のかかる広葉樹を凌駕し、原生林のマツが伐り尽くされると二次林が生まれ、それは薪の材料としても大量に消費されました。製錬所跡の薪の分析でも圧倒的にマツが多いそうです。

マツは、広葉樹に比べると火持ちこそしないものの火力が強い事から、高い燃成温度が求められる陶器などの焼き物や製塩などにも燃料として利用されました。その結果、たたら製鉄や陶器、製塩などの盛んだった西日本中心にマツの分布域が拡がっていきました。東日本ではクヌギやナラ、クリなどの広葉樹が燃料として使われた痕跡は残っているものの、まだまだマツは近畿から中国地方の一部にとどまるローカルな木だったようです。

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日本人とマツのあった暮らし④*

マツが一気に全国区の売れっ子になるのは江戸時代。人口に急激な増加に伴い、江戸に人が集まるようになると、多くの耕地が必要になります。耕地拡大をはかるために、決して好条件ではなかった場所にも田畑が作られるようになり、その飛砂防止、防風などを目的として砂浜という砂浜にマツが植えられました。砂との長い格闘の結果砂地に根づいたのがクロマツです。こうして、白砂青砂と呼ばれる日本の海岸風景が誕生しました。

天の橋立や美保の松原、松島など今では「日本の原風景」のように思われる海岸のクロマツですが、それは景観づくりとしてではなく、もともとは耕地拡大のための防風林・防砂林として江戸時代に植えられたのが起源だったのです。松島は残念ながら先の震災で壊滅してしまいましたが、江戸時代から潮と戦ってきたクロマツの復活を願っています。地元の学生たちと共同で被災したマツを使って「森のしるし」を作らせていただいています

そのマツにも、江戸の昔に東北の地で潮に負けまいと格闘したクロマツ一族の戦いのDNAが含まれているのでしょう。一層大切に作らせていただかねばの思いが強くなります。このようにしてそれぞれの木の起源や背景を探っていくと、もはやただのマテリアルとして考えるだけなんてモッタイナイ!木の用途を考えた際、今の暮らしを基準として考えざるを得ないのですが、木は昔からその姿を変えずとも人の暮らしぶりは激変しています。

江戸の話に戻りますが、大都市に人が集まるようになると周辺から大量の物資が運びこまれるようになります。農林業を生業としていた周辺の村々では、里山の木を使って薪や木炭を作り町に売りに行くようになります。里山=雑木林という生態系は、縄文時代に集落が営まれるようになって、周辺の雑木林を恒常的に利用することで確立されたものですが、その過剰利用が進むと雑木林の再生産のスピードが間に合わなくなります。

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日本人とマツのあった暮らし⑤*

 

薪や木炭を得るために雑木林が伐採され太陽の光が差し込むようになると、成長に時間のかかる雑木林を横目に、開けた土地で陽樹のマツがはびこっていきます。荒廃した山野緑化目的でもマツは植えられ一気にマツ一族は勢力拡大。そうなると薪や木炭にしてしまうにはもったいないような大きなマツも現われるようになり、一般の家屋の材料としても使われるようになります。マツは粘りがあって腐食に強く、強度があることから、屋根を支える梁や桁、柱など、また社寺建築などにも多く使われました

建築材以外にも、その特性を生かして土木資材(杭や矢板など)としての利用も進みました。その後明治時代に入ると、国として本格的な土木事業。治水事業が行われるようになりました。大型重機も導入されるようになると、それに合わせてマツの需要も飛躍的に増えていきます。全国各地で伐採が進み、天然林が開発枯れる一方、至る所で植樹も盛んに行われ、遂にマツは全国津々浦々に繁殖しわが世の春を謳歌することになります

それまでは海岸周辺にはクロマツ、山地にはアカマツという住み分けがされていたようですが、この時代にはその区別なく植えられ、自然交配した雑種なども生まれたようです。そしてそれぞれの分布域も拡大していきます。更に戦後復興に伴う土木事業、土地開発と、人間の経済活動と歩調を合わせるようにマツは勢いを増し、一時代を築いていくのです。そして長野県のカラマツ岩手県のアカマツなど各地で特色ある、地域の名前を冠するようなブランドマツも現われるようになります。

そのマツにとって大きな分岐点となったのが昭和30年代。高度経済成長は日本人のライフスタイルを一変させます。農業から工業へと舵を切った日本経済は、それまでの農村のあり方を根本から変えていきます。農村から都市への人口流入、里山の崩壊、薪炭から石油・石炭エネルギーへの転換です。活用されなくなった雑木林や松林は放置され荒れていきます。手入れの行き届かなくなった山で、マツは苦難の時代を迎えることになります。いよいよ、マツの話も明日が最後!
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日本人とマツのあった暮らし⑥*

放置され、枝打ちや下草狩りなど手入れがされないと、十分な光が地表にまで届かず、明るい場所を好むマツにとっては好まざる環境になのです。はびこってきたさまざまな広葉樹などの樹種間競争にも負け、残ったマツは老齢化するばかり。そこに輪をかけたのが、マツクイムシによる被害です。西日本から始まったこの虫害はやがて全国に広がり、残っていた立派なマツをことごとく枯らしていったのです。愛媛周辺でもその被害は甚大なものでした。

その影響は今なお残り、瀬戸内の木材産業を長らく支えてきたマツはもはや壊滅的な惨状で、続々とマツ製材工場が撤退していったのです。その中で、なんとかこの中国地方のマツの文化を残そうと奮闘しているのが岡山県の(株)鈴鹿製材所さん。代表取締役の鈴鹿雄平とは旧知の仲ですが、倉庫には今では手に入らないような立派なマツのストックが豊富にあり、地松の専門工場としてマツ材にかける心意気は半端ではありません。

縄文の時代決して目立つ存在でなかったマツが、日本人の暮らしと共に晴れやかな舞台に引っ張り出され、日本の名勝を作り上げ、日本の原風景とまで親しまれ、住宅や土木の主要部材として大活躍したものの、マツクイムシの問題はあったとはいえ、ライフスタイルの変化に合わせて用無しにさせてしまうなどというのは失礼な話。誕生木の商品を作るにあたっても、この歴史的な背景をよく考えて、マツの特性を活かしたいと思います。

今の時代のこどもたちにとって、わたしたちの世代以上に「マツ離れ」は進んでいると思います。振り返ってみれば、暮らしの周辺で「マツで出来たもの」見かけるを機会がほとんどないように思います。むしろデザイン化されたマツは溢れているのですが、やはり実際に触ってもらわなければ、マツの最大特徴「ヤニ」がマイナスにしか思えなくなる危険があります。そのヤニがあるお陰で腐食に強く、優れた耐湿性を有するマツ。それゆえに全国に植えられ活用されたわけですから、やはりマツを使った身近なものの商品化にとって、ヤニの存在をどうとらえるかという事は避けては通れない命題!江戸のひとがマツで塩害や潮風に立ち向ったような覚悟で、マツの出口に臨まねば!!

 

今日のかけら013

イチイ

一位、櫟

イチイ科イチイ属・針葉樹・日本産

学名:Chamaecyparis pisifera

別名:アララギ、オンコ、クネニ、アカギ、

キャラボク、シャクノキ(笏の木)、スオウ(蘇芳)

 英語名:Japanese Yew(ジャパニーズ・ユウ)

気乾比重:0.45~0.62

我、1本の鉛筆なれど・・・①*

今日のかけら・#013【一位/イチイイチイ科イチイ属・針葉樹・岐阜産

今日、子供達の通う小学校で『新1年生のための体験入学』が開催されたそうです。うちの子供は、上が小5(長女)で下の双子が小2(次女と長男)なので、お姉ちゃんの方はホスト役を務めて、双子達はさっさと帰宅してきました。今の1年生が、「先輩」として新1年生のお手本役をするようです。早いもので、上の娘が入学する時の親としての心のときめきからはや6年目を迎えようとしています。うちの会社の前の道路も通学路になっているので、毎朝子供達が通っていきますが、昨春新1年生になった顔見知りの男の子がいて、通るたびに元気に挨拶をしてくれるのですが、大きなピカピカのランドセルに「背負われている」ように小走りに駆けて行く愛らしい姿に、わが子の数年前の姿がダブります。この辺りの班が、小学校から一番遠い距離なので、最初はかなり心配もしましたが子供は勝手にたくましく育っていくものです。

そんなもうすぐ1年生の事を考えて、本日のかけらは『イチイ(一位)』にしてみようと思います。なぜイチイかというと、1年生でイチイというのもありますが、そのココロは彼ら新1年生が手にする鉛筆がイチイだから。いや、だったから。数年前に某雑誌に文章を掲載させていただいていた時にもこの話は書かせていただいたのですが、昔は筆記用といえば木製が当たり前でした。我々が子供の頃は、学校で確かシャーペン禁止令が出たような出なかったような・・・。それはとにかく鉛筆が筆記用具の主役で、鉛筆の軸木は木で作られています。

新品の鉛筆を箱から出したり、削ってみると懐かしいような香りがしたという経験はあるでしょう。新1年生たちも前の夜は、きちんと鉛筆を削っているかを調べるのが日課となることでしょう。しかし残念ながら彼らが手にする鉛筆は日本の木ではありません。かつては日本で作られる鉛筆には日本の木が使われていました。狂いが少なく軽軟で安定性が高く、加工も容易なイチイ(一位)が、その役割を担っていたのです。そもそも日本で初めて鉛筆の製造を始めたのは眞崎仁六(まさきにろく)氏です。

130年ほど前にパリの国際博覧会で外国製の鉛筆を見て、強く心を惹かれた眞崎氏は帰国後国産の鉛筆製造に取り組む事になるのです。何でも新しい事を興すというのは並大抵の事ではありません。鉛筆の軸木を選ぶのにもかなりの苦労があったようで、さまざまな木を使う試行錯誤の連続の末、辿り着いたのが『イチイ』の木だったということなのです眞崎氏は、1887年に東京において「眞崎鉛筆製造所」を立ち上げます。それが現在の「三菱鉛筆」です。当時は北海道産にふんだんに生育していた『イチイを使ったとされています。

その後、第一次世界大戦が勃発するとアメリカからの外国製鉛筆の輸入が途絶え、本格的な国産鉛筆の生産が始まるのです。『イチイ』の採れる北海道には、多くの鉛筆工場が建てられ活気を呈したといわれています。こうなると、ただの鉛筆の今昔的な話ではなく、日本という国のものづくり物語のようにも思われます。先人達のものづくりの情熱は素晴らしいです!あらゆる事に貪欲で、たゆまぬ洞察力、一心に取り組む行動力、そういう時代のエネルギーはあったかもしれませんが、やはり個人個人に人間の資質も今よりは随分違っていたのだと思います。学ぶことばかりです。さて、隆盛を極めた鉛筆業界でしたが、その後歴史のいねりの中に巻き込まれていきます。当時の国産の木を使ってものづくりをしていた多くの産業が辿った苦難の道を辿ることになるのですが。明日に続くく・・・。

 

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我、1本の鉛筆なれど・・・②*

 

そうして、鉛筆業界も活況を呈したかと思ったのも束の間、やがて戦争が終わると輸入が再開され安価な材が入るようになり、次第に競争力を失くした『イチイ』は、市場から姿を消していってしまうのです。木材業界でも同様の事が起こり今でも外材の輸入を悪事のように言う方もいますが、当時の高度経済成長のスピードに国内の林業の生産体制が追いついてなく、輸入材がなければ木以外の鉄とかアルミなどの代替材の研究が加速され木のシェアはもっと減っていたかもしれません。極端に〔外材=悪〕みたいな構図から入ってしまうと、現状との乖離から窮屈なことになってしまいがちです。


国産材だけでやっていこうという動きを批判する気はありませんし、それが可能ならばそれはそれで素晴らしいことだと思います。ただ何事も過剰に反応してしまうと、盲目的になってイデオロギー論争のようになってしまうので、ほどほどのバランス感覚も必要だと思います。私は100年生の木は、日本の木でも世界の木でも同様の生命的な価値があると思っているので、あまり日本の木にだけにこだわっている訳ではありません。無垢の木にはこだわりたいですが。話は反れましたが、今では国産材の鉛筆は壊滅状態となってしまいました。

北海道の知床博物館でわずかに残った「幻のイチイの鉛筆」を販売されていると聞きましたが、それも製造している訳ではなく、在庫のある限りということでした。今ではどうなっているのでしょうか、もうすべて売り切れてしまって本当に幻になってしまったかも・・・。その後、北米産の『インセンスシーダー』というイチイによく似たヒノキ科の針葉樹が大量に輸入されるようになりました。今ではほとんどの鉛筆の軸木がこの木で作られているようです。稀に『ウエスタンレッドシーダー(米杉)産の物もあるようですが、いずれにせよ輸入材が原料。

鉛筆はちびれば削りますから、ある程度の硬さがある一方でそこそこ削りやすい加工性も求められます。また部位によってムラがあっても使いにくいので、全体に均質なものが求めらます。『インセンスシーダー』はその条件を満たしているだけでなく、削ったときの匂いもかぐわしく、1本の『インセンスシーダー』の大木からは、約20万本もの鉛筆が取れるともいわれています。これだけ聞くと歩留まりがよさそうですが、実際は節などは当然使えないので案外歩留まりは悪いのかも。別名を『ペンシルシーダー』と言われるのはその用途からです。

【森のかけら】の中にも、『ニヤトー』という木があり、この木も別名を『ペンシルシーダー』と言いますが、これは鉛筆に使われる木ではありません。シダーと付いているのに、アカテツ科の広葉樹なのです。木材の別名はその匂いや姿から、近くにある別の木に見立てられる事が多いので、かなり混乱しています。ニヤトーのペンシルシーダーという別名の由来も、多分そのあたりから来ているのではないかと思うのですが・・・。さて、本物のインセンス・シーダーですが、以前弊社にも板材がありました。削ってみると確かに鉛筆の匂いがしました。たまたま偶然手に入った物でしたが、当時あまり考えもなしに簡単に手放してしまいました・・・。あれから入手できていません。今、考えれば端材でも残しとけばよかった・・・。話がすっかり、インセンスシーダーに行ってしまったので、明日もう一度はなしを『イチイ』に戻します。続く・・・

 

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我、1本の鉛筆なれど・・・③*

『イチイ』の用途は当然鉛筆ばかりではないのですが、国産材をもっと有効に活用しようという風潮ですから、日本のどこかでは既に『幻の国産材の鉛筆』が復活していて、幻でなくなっているのかもしれません。なければ作ってみたなるのですが、決して鉛筆というものづくりを軽んじているわけではなく、むしろその活用に敬意を払ったうえで改めて、木材の端材の活用が出来ないかと思います。当然、大量生産を考えると端材を使っていたのでは効率が悪いでしょうが、別次元で端材から鉛筆を作るという〔超家内工業的なものづくり〕が出来たら面白いと思います。

コンパクトな機械があれば『森のかけら鉛筆』出来ないかなあと、夢見たいな事を考えたりしてます。100数種類の木の鉛筆があったら面白いと思いませんか。私は考えるだけでワクワクしてきます。中には鉛筆に適さない木もあるでしょうが、それもいいんじゃないでしょうか。私は、最近でこそパソコンも使うようになりましたが、右手のひとさし指には『ペンだこ』があるほど、鉛筆には愛着があります。大切な文章を書くときはやっぱり鉛筆を使います。『適材適所もずっと手書きにこだわっています。手書きで物を書くという所作は、とても美しい行為だと思います。

イチイというこの変わった名前は昔の1万円札で聖徳太子が持っていた笏(しゃく)にその由来があります。昔、中国では衣冠束帯に象牙の笏を持つ慣習があり、日本でもそれに習って使うようになり、いろいろな木で試されたようです。その中で、岐阜県の位山(くらいやま)から伐り出された木で作った物の出来栄えが素晴らしく、それを宮中に献上したところ仁徳天皇がたいそう喜ばれ、その褒賞としてこの木に『正一位』という最高の爵位を授けられました。そこから、この木の事を『イチイ(一位)』と呼ぶようになりました

その位山は、昔からイチイの良材の産地としても有名で、代々笏に使う木を伐採して天皇家にも献上してきた由緒深い山だという事です。ちなみに岐阜県の県木は『イチイ』です。この木は別名が多いことでも有名で【アララギ】とか【オンコ】、【アカギ】、【キャラボク】、【クネニ】など枚挙にいとまがないほど。その語源の多くは、アイヌ語に由来しているということですが、削ると美しい赤褐色をしています。イチイには、タンニン質も含まれていて、削るといい香気がします。飛騨の匠の手による『一位の一刀彫』は惚れ惚れするような美しさがあります。

 

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我、1本の鉛筆なれど・・・④*

 

日本では主に優れた彫材として名を馳せ、名前の由来となったいきさつや香気のかぐわしさから、気高く高貴な木として扱われるイチイですが、世界から見ると少しイメージが違うようです。この木の仲間は北半球に8種類ほどあり、中国東部からウスリー、サハリン、オホーツクなど寒冷地をはじめ、ヨーロッパなどに分布しています。特にイギリスでは、弓(ロングボウ)の材料として古来から高く評価されてきました。日本と同じく彫刻やろくろ細工は元より、伝統的なウィンザーチェアーの曲げ木としても利用されてきました。

英語では『Yew(ユー)』とかユウと呼ばれる品種がありますが、日本の『イチイ』に比べると赤味が深く、紫や橙褐色の混ざったような複雑な色合いをしていますが、全体的に色目は濃く、やや重いのではないでしょうか。それほどの大木になるような物は少なく、枝が多いことから、節や割れが多く大きな部材には取りにくいですが、重厚な力強さがあります。弊社にも在庫がありますが、かなり大きな割れがあり、何に使うかいまだ思案中です。左の画像は、倉庫の中に立ててあるものを撮ったので、暗く写っていますが削ると鮮やかな赤身が現れます。こちらは中国産のユーの1種です。巾が400mm程度で耳付きなのですが、白太は傷や虫穴も多く家具材などには使えません。といって、あまり小さな物に割ってしまうのも勿体無いし・・・そんな事ばかり考えているのでいつまで経っても使えません・・・貧乏性です。

そのYewですが、欧米でも『長寿・永遠の象徴』として神格化されている一方で、間逆のイメージもあります。それは、葉っぱに有毒物質が含まれていることから、死のシンポルとされるようで、墓場に植えられることもあるようです。もっともこれは死が永遠の生とも結び付けられて、冥界への入り口に誘い込む役割を果たしているとも・・・。有名なところでは、シェークスピアの『ハムレット』で、Yewの葉から生成した毒を王様の耳に流し込んで毒殺する場面が登場したり、『マクベス』でも魔女がYewの枝を折って鍋に放り込む場面があります。

円い森にもイチイを使いたいのですが、節や割れがあってなかなか大きな部材が取りにくいのと、その花言葉が「悲壮」とか「悲嘆」なので、ちょっとどうかなと・・・。別にイチイが悪いわけでも何でもないのですが、それぞれにいろいろな役割や意味合いがありますから。以前、飛騨に行った時にイチイで作ったウサギの形のネクタイピンを購入しました。耳に白太を取り入れ、愛らしいデザインになっていて今でもよく使ってます。飛騨の町の商店街には、イチイの木がたくさん植栽されていましたが、地域のシンボルツリーを大切にし、それを活用するのは素晴らしいことです。

住宅の部材としては、床の間ざいぐらいにしか利用されなくなったイチイですが、クラフト細工などの世界ではまだまだ可能性がありそうです。イチイの鉛筆の復活も出来ればいいのですが。たとえイチイが駄目でも、いろいろな木で『森のかけら鉛筆』本当にやりたいなあ・・・。これからは値段だけではない、物語性を持った商品が求められます。世界中のいろいろな木の鉛筆あったら楽しいと思うのはわたしだけでしょうか?とりあえず集めてみよう!これにて、イチイの話はひとまず終了です。

 

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蘇芳色に染めるイチイ*

森の出口』を考える際に重要なのは、その木についてどれだけ多くの情報を持っているかという事だと思っています。材質や質感、産地、名前、由来などは勿論ですが、色合いや香りも大切な手掛かりとなります。特に最近注目しているのが木の色。赤い木は削れば当然赤い削り屑が出ますし、黄色い木からは黄色い削り屑が出ます。個性的な削り屑が出たものは、それをふるいにかけて選別して『森の砂』という商品まで作っています。中でも赤い色の削り屑って一般の方はなかなか目にする機会が無いので、珍しがって興味を持っていただきます。

イチイの場合は大径木が少ないため、どうしても辺材の白太が混ざってしまうため、なかなか赤身だけの削り屑を集めるのに苦労するのですが、機会があるごとに少しずつ集めいます。そんなイチイの色については先人たちもしっかりと目をつけいられていたようで、赤身部分の紅褐色の抽出液は染料として利用されてきました。紫のくすんだ赤色のことを『蘇芳(すおう)』と言い、昔は位の高い人しか使えなかった高貴な色ですが、繊維を蘇芳色に染める時にはこのイチイの染料も使われていたそうです。

そもそも蘇芳(スオウ)というのは、ミャンマーやインドなどアジア南部が減産のマメ科の低木の事(学名:Caesalpinia sappanで、その幹を切り砕き煎じて染料が採られていました。なので本来は木の名前なのですが、それで染めた色の名前としても使われています。スオウという木は漢字で蘇芳という字があてられていますが、これは英語名のSappanwood(あるいは Sapanwood) からきているようです。日本で染料として使われてきたt歴史は古く、既に飛鳥時代には中国経由でこの木が日本にも輸入されていたのだとか。

かなり貴重なものなので、その代用としてイチイも使われてきたので、地方によってはイチイの事を『スオウ』という名前で呼ぶところもあるほど。あるいは本来のスオウに対して一歩引いた意味で『山蘇芳(ヤマスオウ)』と呼んだり。染料としても用途は分ったものの、色の図鑑などで見る『蘇芳色』と、いま目の前にあるイチイの赤身とがどうにも結ぶつかないのですが、木肌も経年変化で変わっていきますから抽出して煎じていくとこういう深みがかった色になっていくのでしょう、きっと。そんな事考えてたら抽出もやってみたくなってきた、『森のかけら色水』・・・

 

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イチイをどこに使おうか*

 

イチイの木は愛媛の山にもあるにはあるのでしょうが、原木市場に並ぶようなサイズの丸太に出会えるような事はまず期待できません。それよりも庭の生け垣などに植栽していたけど、大きくなり過ぎたので伐採したものが造園屋さんルートで流れてくるほうが可能性が高いと思われます。愛媛ではなかなか出会う機会の無いイチイの丸太ですが、今年の春に岐阜の市場に行った時にたまたままとまった量のイチイの丸太が出品されていました。サイズは決して大きくはなかったものの、これだけまとまったイチイの丸太を見るのは初めてでした。

これが板に挽いてあったら、売る見込みはないものの勢いで買っていたかもしれません(汗)。もともとイチイはそれほど大きくならないので、建築材向きではないと言われていて、建築では主に赤身と白身のコントラストを活かして床の間の落とし掛けや床柱などに、色を添える装飾的な意味合いで使われてきました。先日書いたように、かつては高貴な位のひとの染料として使われてきた経緯があるため、「位の高い木なのだから、家の中のどこにでも使っていいものではない。家の中でもっとも大切は床の間になら使ってもよい」と考える地域もあるのだとか。まあ古い話ですが。

床柱としては私も何度か納品させていただきましたが、確かに赤身と白身のバランスが絶妙で、床の間に彩りを与えてくれました。しかし今ではそんな風情を楽しもうにも床の間はおろか和室すらない家ばかりで、建築分野ではイチイの活躍できそうな場面が無くなってしまいました。私としては、個人の家の部材としてではなく、その一位とう言葉にかけて、その地域一番の店になれますようにとの願いも込めて、商業店舗の内装などに使っていただきたいと思っています。アクセントとして赤味を添えるという程度なら大きな丸太も必要ありませんから。

例え少ない量でも軽んじずに丁寧に説明をしていくことで、木に対して関心を持っていただくことは出来ると思います。大きな量を扱ったりするとついついその事を忘れて、マテリアルとして木を見てしまいがちです。貴重な木だから大切に扱い丁寧に売るというのは勿論ですが、ありふれた木にだってそれぞれに個別の物語はあるはずです。ただの「素材」としてだけで売ってしまうなんてモッタイナイ!しっかりと骨の髄までしゃぶり尽して、語り尽して売ってこそ木の価値も高まるというもの。それこそが材木屋の腕の見せどころ、語りどころ

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生と死をみつめるヨーロッパイチイ*

日本の『イチイ』の事を書くにあたっていろいろな文献を読んでいて、私の中のイチイのイメージが少し変わりました。そこでヨーロッパにおけるイチイの世界観について少し補足させていただきます。若い頃にシェークスピアの戯曲でイチイの毒が使われたエピソードを知って以来、ヨーロッパにおいては「イチイ=毒=不吉」というような印象だと思い込んでいました。確かにイチイは赤い果肉の部分以外すべてにタキシンという強い有毒物質が含まれていて、刻んだ葉を50~100g摂取すると成人でも死に至らしめるほどの毒性があります。

その毒性を知っていたギリシャの医師ディオスコリデス、イチイの木の下で眠ると死んでしまうという説を唱えた事で永らくの間、その迷信が信じられてきました。進化論を唱えたダーウィンは、よく教会にあるイチイの木陰で休憩していて、自分が死んだらここに埋めてくれと言っていたそうですから、学者としてそれが迷信だと分っていて皮肉としてそう言っていたのかもしれません。実際にイチイの毒によって亡くなった事例はごくわずかで、むしろ死とは真逆の命の木としての信仰の対象にすらなっていたという事実が浮かび上がりました。

それはイチイが非常に成長速度が遅いということに由来しています。一説にはヨーロッパにある木のおよそ半分ぐらいの速さでしか成長しないともいわれています。成長スピードが遅いのでその分長寿になり、ヨーロッパには1000年越えの長寿のイチイがいくつも存在しています。最高齢はスコットランドのアーガイル州にあるイチイはイギリスに現存する最古の木と考えられていて、その樹齢はおよそ5000年と推定されているとか。古代ケルト人はそんなイチイを大切にしていて、集落や部族の名前にもイチイ由来のものが多く残っているようです。

中世グルジアには古語でイチイを表わす言葉の王国も存在していたほど。また10世紀のウェールズでは、教会の敷地に生えている「神聖なイチイの木」を伐った不届き物には1ポンド(当時の1ポンドは市民が一生かかっても払えないほどの高額)の罰金を科すという法律もあったほど手厚く保護されていました。古代ギリシャ人は、イチイを「黄泉の国に繋がる扉」と考えていて埋葬地にはイチイが植えられてきました。長寿のイチイが生の象徴として、死とのバランスを保つ役割を担ってきたのに、やがて死のイメージの方が強くなってしまったのです。

そのようにヨーロッパではイチイと人間の関わりが古く深いので、さまざまな記述が残っています。日本やヨーロッパ以外にも、北半球の温帯地方から中米、東南アジアまで広く分布しています。その種は8つあるそうですが、特徴は非常によく似ていて区別しにくいのだとか。少し前に台湾産のイチイの加工をさせていただきましたが、そう言われなければ国産と思って疑いません。非常に目の詰まった高齢のイチイで、その密さからも『命の木』とも呼ばれる理由がうかがい知れました。

 

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