★今日のかけら・#114 【山桑/ヤマグワ】 クワ科クワ属・広葉樹・四国産
先週末、伊予市のエミフルMASAKIで『えひめ職業技能フェア ~安全・安心を支える匠の技~』が開催されて、愛媛木青協の木工広場などでいつもお世話になっている前田清幸さんの作品も展示されていました。【桑】の木で造った大きなオブジェ。その形は木魚のようにも、貝のようにも、楽器のようにも見えます。そのフォルムと桑の優しい杢目が一体となって不思議な造形美を醸しだしていました。欅のように派手でもなく、桜のように華美でもないけれど、桑には何ともいえない和らぎと落ち着きがあります。
この作品の素材の桑自体は決して銘木という訳ではありませんが、前田さん遊び心満点で随所に瓢箪の契りやきのこが顔を覗かせています。くっきりしていながらもどこか温かみの漂う木目が親しみを感じさせます。この曲線がなんともいえません。対比がないので分かりにくいのですが、大人が両手を拡げて抱えて持つのがやっとというぐらのサイズ。巨大な二枚貝のような趣きでしょうか。巨人のキャッチャーミットと言った方が感覚的には分かり易いかも。
その桑の葉は大きな切れ込みのあるものと無いものがあり、切れ込みのあるものは分かりやすいです。このあたりでも稀に桑の木は出材される事がありますが、そのほとんどが3~5m程度の小径木です。過日、そういうサイズの桑を購入し製材して現在乾燥中です。製材後かなり圧を掛けて置かないと反り、ねじれが出ます。右画像の桑は、枝の部分ですがこれで直径200~250㎜程度の物です。木が小さいと癖が強く、せいぜい【森のかけら】に使える程度です。しかし小さな材といえども、その特徴は顕著で、小口を覗くとその独特の杢は、ひと目で桑を見分けられます。立ち木の状態での大きな桑にはなかなかお目にかかれませんが、フランスでは、「アーモンドの木になるより桑の木になれ」という諺があるそうです。アーモンドの花は早春に開花するため霜の害を受けやすいのに対して、桑は霜の心配のない4月下旬に開花する事から、時を知る桑の賢さを讃えています。
桑といえば一般的には自生する【山桑】を指していますが、日本全国で主に養蚕用に幅広く栽培されています。そもそもの和名も、カイコ(蚕)が食べる葉=食葉(くは)、あるいは蚕葉(くは)から転じた物であるとされています。日本での養蚕の歴史は古く、日本書紀や万葉集にも桑が登場するなど、古代から養蚕は全国に普及したため、方言も少なく【桑】の名称で浸透しているようです。その学名は『Morus bombycis/モルス・ボンビキス』です。属名のモルスはラテン語でこの木の古名、種名のボンビギスは「蚕の」という意味です。つまりそれぐらい養蚕とは深い関わりがあるという事です。英名は『Japanese Mulberry/ジャパニーズ・マルベリー』。桑の葉は養蚕や飼料、果実や根皮は薬用、漢方薬など一見地味な桑ですが実に有用な木なのです。折角なので桑の話、もう少しだけ続きます。
桑の木とパトロン
【桑】といえば三国志の雄・劉備玄徳の生まれ育った場所を連想する方も多いかもしれません。劉備が生まれ育った家の前には大きな桑の木があり、その事から「いずれこの家からは立派な人が出る」と言われていたと伝えられています。その桑に因んで村の名前は「楼桑村」と名付けられたというのはあまりに有名な話です。私は個人的には孫権贔屓なのですが・・・。俗に「サワラ」の木に当たられている「椹」という漢字は誤りで、本来の意味は、木を割る台またたは【桑】の実の事を表わしているといわれています。私の故郷・西予市野村町は『シルクとミルクの町』として、古くから養蚕が盛んに行われてきました。最近では養蚕も外国産に押されて苦境に立たされているようですが、私が子供の頃は多くの家で養蚕が行われていました。ただ私は生来、虫が苦手なので当時から詳しく見た事はありません。
材は緻密で磨くほどに美しい光沢が出ることから家具材として珍重されていますが、特に『江戸指物』にはなくてはならなし素材だといわれています。しかし残念ながら、最近では良質な大径木の桑は本当に少なくなりました。過去に作られた茶箪笥や長火鉢を見ると、その鈍い光沢と艶はとても美しいものがあります。他にも楽器や細工物、弓などに使われていますが、意外なところでは「木魚」などもあり、桑の大きな木魚は大変価値があります。前日の『前田さんのサイズの木魚(㊧画像)』だと、物凄い値段になることでしょう!
以前にテレビの「開運!なんでも鑑定団」で、かの渋沢栄一翁(1840~1931)ゆかりのお宝「愛蓮堂(あいれんどう)の額」が紹介されていました。依頼主は銘木店の店主だったと思いますが、良質の桑の産地・御蔵島の桑の銘木を使ったモノで、明治38年に大実業家・渋沢栄一翁(㊨画像)が、指物師としての最高位である桑樹匠(そうじゅしょう)・前田文之助に依頼して作らせた逸品でした。漢文が書いてあったのですが、それを書いた方の名前は失念しましたがそちらもかなりのビッグネームでした。その鑑定額、実に驚異の¥1500万円!渋沢栄一翁の威光もあったのでしょうが、漢文や彫りがなくても数百万の価値との鑑定(確か700~800万だったような・・・?)でした。テーブルサイズぐらいの大きさだったと思うのですが、今そんな巨大な桑はありえないでしょう!
しかし日本は広いですから、日本のどこかには巨大な桑が眠っているかもしれません。しかしそれも今の経済状況では、なかなか倉庫から出れないのではないでしょうか。木にとっても倉庫で塩漬けになるのは決して幸福な事ではないでしょう。住宅なり家具なりに形を変え、表舞台に立ち誰かの役に立ってこその「材木の本懐」だと思うのです。それにしても昔の大実業家の方って高尚な趣味をお持ちだし、目も利いたのでしょう。そこには、日本の文化や伝統を守り、若い芸術家を自らの手で支援、育てようというパトロン的な気概や意味合いもあったのではないでしょうか。今は芸術も投機の対象としての風潮が強くなっていますが、真の芸術には多かれ少なかれある程度の後ろ盾が必要だと思います。芸術のレベルが高いから立派な支援者が現われるのか、支援者が育てるから芸術が育つのか・・・?