森のかけら | 大五木材

今日のかけら073

ツバキ

椿

ツバキ科ツバキ属・広葉樹・宮崎産

学名:Camellia japonica

別名:カメリア(英名)、ヤブツバキ(藪椿)

 英語名:Camellia

気乾比重:0.76~0.92

 

伊予路に春を呼ぶ椿祭①*

★今日のかけら・#073 【ツバキ/椿】ツバキ科ツバキ属・広葉樹・宮崎産

愛媛県松山市の市の木は、『ツバキ(椿)』です。正確には『ヤブツバキ(藪椿』なのですが、【森のかけら】では『ツバキ』としているのでここでは『ツバキ』でお話させていただきます。本来であれば、わが市の木をもっと早くに取り上げるべきだったのですが、ツバキは主に観賞用に植栽される木なので、花として見る事は多いものの、材としては滅多に流通していないので、具体的に材として使った事例がなかなか出来なかったのでここまで引っ張ってしまいました。ツバキを市の木に選定しているところは多いのですが、新潟県長崎県では県の木となっています。

松山市では昭和47年にツバキが市の木に選定されました。その昔聖徳太子が道後に訪れた時に、それを記念して建てられた碑に刻まれた句に由来しているそうです。碑文には「温泉の周囲には椿の樹が茂って温泉を取り囲み、その壮観なことは、実にたくさんのキヌガサをさしかけたようにみえる」という意味の句があり、その当時から道後温泉の周囲には多くのツバキが茂り、小鳥がさえずり、あたかも仙境のような光景が広がっていたことが伺えます。という事で現在でも道後のあちこちでは本物のツバキはもとより、デザインとしてのツバキが溢れています。

市の木という事もあって松山市内にもツバキをモチーフにしたデザインは多くて、材木としてもツバキは見る事が少ないものの、デザインや花としてツバキに触れる機会は沢山あります。なのでツバキを使った商品も作りたいのですが、なかなか材が入手しづらい。その思いがもっとも強くなるのがこの時期。というのも松山市の初春の風物詩というのが、その名も『椿祭り』。伊豫豆比古命神社で、毎年旧暦の1月7日~9日の3日間にわたって開催される祭りの事で、地元では親しみを込めて『椿さん』と呼ばれています。参道に800件もの露店が並び、3日間で40万とも50万とも言われる参拝者が訪れます。

この『椿まつり』の頃がもっとも寒くなるとか、『椿まつり』が終わると温かくなるとか、松山市民にとっては特別な祭りというか、ビッグイベント。祭りの開催期間中、周辺のお店は駐車場に様変わりします。狭い参道に人が溢れて文字通り鮨詰め状態になるのもいつもの事で、押し合いへし合いしながら参道を歩くことから、地元では混雑している状態を「まるで椿さんみたい」と形容するほど。そういう意味でもツバキは松山市民にとって特別な木です。そんな特別な木を今まで取り上げてこなかった事を大いに反省。とりあえず今日から数日間はツバキの話。明日に続く・・・

******************************************************************************************

伊予路に春を呼ぶ椿祭②*

昨日の流れで、愛媛では春の訪れを告げるとも言われる、季節の風物詩『椿まつり』についてもう少しだけ。人混みは苦手なのですが、子どもたちが小さな頃は屋台が楽しみで連れて行けというリクエストに応えてよく出掛けたものです。家内とふたりで3人に子どもとはぐれないように手をつないで人混みをかき分け、帰りの車の中ではひとに酔ってぐったりする子どもの姿を見るのがいつもの事でした。次第に大きくなると部活で時間が合わなかったり、同級生たちと行くようになって、しばらく椿祭りと遠ざかっていました。

基本的に人混みが嫌いなのでそもそもあまり人の多いところに出かけたくないのですが、今年はいろいろ神頼みも多いので(困った時だけの神頼み)、家内の両親と一緒におとな4人で人混みの中に突入!初日が祭日ということもあって想像以上の人出でした。今年は社殿で御祓いも受けたのですが、社殿の中にもツバキが沢山描かれていました。ツバキは植物図鑑や木の本などには、『藪椿(ヤブツバキ)』と書かれていたり、ただ『椿』とだけ表示されていたりいろいろですが、その呼び名の違いについてはいろいろ意見があるようです。

古くは万葉の時代から観賞を目的としてツバキは栽培されてきて、既に江戸時代にはおよそ600種類もの品種が作られていたという記録もあります。しかしその事がツバキに言われなき汚名を着せられることになるのは皮肉な話。江戸時代には一般庶民にも園芸を愉しむ文化が広がっていたようですが、それを快く思わなかった武家たちが、「ツバキの花はひとの首が落ちるように散ってしまうから不吉だ!」という噂話を流布させたために、ツバキは不吉だという言われなきイメージがついてしまい、今でも病人のお見舞いにはツバキは不吉だとタブー視されています。

1月の誕生木でもあるマツ(松)の時にも触れましたが、日本では古来から寒い冬でも青々と葉を茂らせる常緑樹を神聖化する文化が根づいており、マツを神様の依り代として玄関に飾る門松などの風習が残っています。同じように常緑樹で、雪の中で真っ赤な花を咲かせるツバキは、どことなく健気で寒さに耐え忍ぶ姿が日本人好みの木でもあります。葉は艶やかで青々としていて、邪を祓う木という意味もあるようで神社や寺にもよく植えられています。なので『ツバキ=不吉』というのはまったくの濡れ衣ですが人の口に戸は立てられぬもの。続く・・・

******************************************************************************************

赤い椿と白い椿〔椿姫より〕*

観賞目的のツバキの栽培は、文字通り江戸時代に花を咲かせることになりますが、文献に初めて登場したのは『日本書紀』だと言われています。その中で、景行天皇土蜘蛛を征伐した際にツバキの木で出来た椎(ツチ)という武器を作って兵に授けて勝利したとされています。余談ながら土蜘蛛と聞くと、子供の頃に読んだ『伊賀の影丸』の影響で「土蜘蛛五人衆」を思い出してしまうのですが、土蜘蛛というのは本来は、天皇に恭順しなかった地方の土豪たちの事です。それが時代とともに蜘蛛の妖怪・土蜘蛛を指すようになりました。

中世になると絵物語や戯曲でも、ひとの世を魔界にしようとする恐ろしい妖怪として登場してくるようになります。有名なところでは、源頼光が家来の渡辺綱を連れて京都の洛外北山の蓮台野で空を飛ぶ髑髏に遭遇して見事に退治したという話。中学生の頃にそういう話をするのが好きな先生がいて、授業中に脱線してはよくそういう話をされていたのですが、その頃からでしょうか妖怪の話に興味を持つようになったのは。SNS無き時代、聴かされた妖怪のイメージは私の脳内で恐ろしいまでに膨張して、内なる妖怪を育て続けていたのです

話が逸れましたが、ツバキは『万葉集』や『古事記』などにも登場するなど、古くから日本では愛でる花の代表として親しまれてきました。雪に包まれた中で鮮やかな紅色の花を咲かせる凛とした美しい姿に昔の人々も魅了されてきたことでしょう。そんな紅色のツバキの花言葉は、『私の運命は貴方の手中にある』。一方、白いツバキの花言葉は『完成した愛らしさ』。なんとも優雅というか歯の浮くような台詞ですが、実はこの花言葉はある小説が評判になったので作られたらしいのです。その小説とは、アレクサンドル・・フィスが書いた『椿姫』。

そもそもツバキはアジア原産の木で、ヨーロッパに伝わったのは1700年頃だと言われています。それまでその地域や国には存在しなかった(存在しないと思われていた)植物が、どうやって伝わってきたかというのはハッキリしていないケースがほとんどですが、ツバキがヨーロッパに伝わったのは記録が残っています。中国の舟山列島に二年間滞在していたイギリス人のジェームス・カニンガムという医師が、母国に紹介し1739年に初めて英国に伝わったのだそうです。ツバキの深い紅色がヨーロッパの人々をも魅了し多数の品種が生まれました。

それからおよそ100年後にフランスの劇作家・デュマが小説『椿姫』を書きあげます。その後デュマ自身が書いた戯曲によって舞台化され、オペラともなり人気を博します。主人公である高級娼婦マルグリット・ゴーティエは、月の25日間は白い椿を身につけ、残り5日は赤い椿を身に付けて社社交界に現れたことから『椿姫』と呼ばれるのです。赤いツバキは、女性の生理を意味しているということもあって、前述の花言葉はこの作品が評判になった事から出来たものだとか。恥ずかしながらまだ『椿姫』は読んだことがないのですが、これを機会に読むことにします。明日に続く・・・

 

******************************************************************************************

カメリアはダイヤモンド!*

『ツバキ(椿)』は、ツバキ科ツバキ属の広葉樹で、チャノキサカキなどもこの科に属している大所帯のグループです。ツバキという呼び名については、葉が厚いため「厚葉木(あつばき)」が略されてツバキになったという貝原益軒説や、照葉樹なので葉に光沢があってツヤツヤしているから「艶葉木(つやはき)」が訛ってツバキになったという新井白石説が有名ですが、他にも「艶木(つやき)」が転じたとか、「強葉木(つよばき)」からきているなど諸説あります。いずれもツバキの葉の特徴に由来しているという点では一致していて、美しい花よりも葉の方が名前の根拠というの面白い。

またその他にも朝鮮語でツバキにあたる「Ton-baki(冬柏)』が転じてツバキになったのではないかという説もあるようです。一方で、日本産のツバキが隋・唐の時代に中国に渡り、文字だけが逆に日本に伝わったため、『日本書紀』ではツバキの事を『海石榴』と表わしているのに対して、『万葉集』になると海石榴以外にも椿都婆伎、都婆伎などの字が当てられている事から、朝鮮語に由来している説には懐疑的な人もいらっしゃるそうです。何事も遠い昔に決まった名前の由来を訪ねる旅の道のりは平たんではありません。だからこそ面白いのですが。

木編に春と書く椿の根拠は、察しの通り春に花が咲くという意味。これは国字であって、漢字の椿は中国では別の木の事を指しています。センダン科の鮮やかな赤褐色の木『チャンチン』の事になります。ツバキは漢字だと山茶花海石榴と書きます。石榴と書くのは、ツバキの実が柘榴(ザクロ)に似ているため。余談ながらツバキと同族の『サザンカ』は漢字だと『山茶花』書きますが、これは誤ってツバキを表す山茶花をサザンカにあててしまったため、音読みのサンサクワ→サザンクワ→サザンカになったのだとか。

そんなツバキの英名は、Camellia(カメリア)。まだ木に無かった頃の少年時代の私が、早くして「ツバキ=カメリア」を覚えたのはひとえにあのテレビCMのお陰。1980年代の深夜には必ずと言っていいほど流れていた宝飾貴金属店・㈱三貴の銀座ジュエリーマキの「カメリアダイアモンド」のCM。宝石なんぞに何の興味もありませんでしたが、ハリウッド女優を惜しげもなく使った意味不明のCMに妙に惹きつけられました。同輩の方なら懐かしいはず。かのダイアン・レインも出ていて、さぞかし大きな会社なんだと思っていたらバブル崩壊で倒産してしまいましたが。

******************************************************************************************

ツバキかヤブツバキか論*

ツバキの英名は、Camellia(カメリア)だと言いましたが、日本のツバキの学名もCamellia japonica(カメリアヤポニカ)と言います。ではこのカメリアとは何かというと、フィリピンに滞在していたイエズス会の宣教師にして植物学者でもあった George Joseph Kamel (ゲオルグ・ジョセフ・カーメル)が、ツバキをヨーロッパに紹介した事にちなんで、『分類学の父』と呼ばれるリンネによって命名されました。昨日取り上げたジュエリーマキのカメリアダイヤモンドはブランド名ですが、文字通り椿の形にデザインされた指輪だというのを知ったのは大人になってからの事。

和名では、『ヤブツバキ』とも単に『ツバキ』とも記されている事があります。ツバキに限らず名前の頭にヤブ(藪)がつくのは、山地の藪に生える(つまり野生の)を意味していて、野生のツバキをヤブツバキ、園芸品として栽培されたものをツバキとするというのが一般的な定義だそうです。しかし一方では、元来野生に生えているものがツバキであって、園芸品にはそれぞれ品種名がつけられている(玉霞とか加茂本阿弥とか)ので、あえてヤブをつける必要がなく、標準和名は単に『ツバキ』でいいのであるという、重箱の隅をつつくような意見に賛同して【森のかけら】では単にツバキとしています。

というのは後付けで、本当はそれがツバキであるのは間違いなかったものの品種名までは特定できなかったし、今後のそこまでトレーサビリティが明確なツバキが入手できるとは思っていなかったので、入口は広げておこうと思ってザックリ椿という事にした次第です。まだSNSも使いこなせていなかった時代にモノの本を片手に必死に情報を収集した時代に書いた解説書と現在では情報収集力に圧倒的な差があり、改めて知ることが山ほどあります。しかし完璧なモノが出来るまで待っていたらいつまでも形にならないので、えいや~で踏み出した部分も多々あります。

今読み返せば、顔が真っ赤になるほど恥ずかしい事を書いていたり、間違った思い込みなどもありますが、気づいた時に修正・加筆して精度をあげていこうと思っています。その間に多少は木の経験値も増えますし、ものの見方も若い頃に比べれば少しは柔軟になったかなと思っているので。そういう意味ではツバキはこれぐらいのタイミングで良かったのかも。さて、ツバキについては木材としても材質云々よりも、物語やイメージとしてのツバキを取り上げてきましたが、それぐらいツバキは語り甲斐のある木と言えるかもしれません。そこで愛媛県人として忘れてはならないのは、俳句における椿。明日に続く・・・

******************************************************************************************

赤い椿白い椿と落ちにけり/碧梧桐*

愛媛出身の有名な俳人というと誰もが正岡子規を思い浮かべると思いますが、他にも沢山の俳人を輩出しています。もっとも私もそんな事に興味を持つようになったのは、歳をとってからの事で、学生時代は郷土の俳人やら俳句やらがこんがらがってもどれが誰の句やら森のかけらを作るようになってさまざまな事、特に身近な郷土の事に興味が湧く(というか知っておかねば引用も紹介も出来ないという切迫感)ようになってからのこと。知りたいと本気で思った時でなければ頭に入ってこず。好奇心こそが人に学びの扉を開けさせる鍵

ということで愛媛の有名な俳人ですが、正岡子規以外にも高浜虚子、中村草田男、石田波郷などがいますが、昔からひとと同じという事がとにかく嫌だったへそ曲がりの私が好きだったのは河東碧梧桐(かわひがし へきごどう)。その俳句がどうのこうのなんて分かりません、ただそのいかにも偏屈で気難しそうな名前の響きの恰好良さに惹かれたのです。名前の中に『梧桐(アオギリ』という木の名前が入ってますが、当時は梧桐なんて知りませんでしたし、そもそも木に興味もありませんでした。読売ジャイアンツが嫌いだったようにただメジャーなるものへの反発心のみ。

読みづらい名前をさも知ってますと得意げに喋るという事に満足感を抱いていた憎たらしいガキでした。ところでその読みづらい碧梧桐という号の命名者は子規です。碧は紺碧の碧、梧桐は植物のアオギリを意味しています。アオギリについてはいずれ機会があれば『今日のかけら』で取り上げるつもりですが、成長しても幹が青い(いわゆる青と緑の混用)ことから、ともに青色に関連した言葉です。これは碧梧桐が端正な顔立ちの色白で、まるで青ビョウタンのように見えたことに由来しているそうで、その事を後から知ってなぜか余計に格好良く感じたものです。

ちなみに碧梧桐は高浜虚子と高校の同級生で、正岡子規の門下生です。説明が長くなりましたがそんな碧梧桐が詠んだ椿にまつわる有名な句がこちら、「赤い椿白い椿と落ちにけり」。凍てつく冬の日に、紅白の椿がパラリと散っていく情景が浮かんできます。実しかしはこの句には、師匠である子規への裏メッセージが込められているという怖い説もあります。子規が病魔に侵され吐血したり痰を吐くことが多かったことから、赤い椿を血、白い椿を痰に見立てて暗喩しているというもの。厳しい指導へのはけ口とも言われたりもしていますが、真相は椿のみぞ知る・・・

******************************************************************************************

あんこ椿は恋の花*

自分で書いていて言うのもなんですが、今回ツバキについて書くにあたって改めていろいろ調べていたらツバキにまつわるエピソード出るわ出るわ。雪の中に赤い花を咲かす凛とした風情が文学や詩などに取り上げやすいのもあると思いますが、中にはツバキの材質に関わるものもあります。中でも私が印象深いのは、都はるみの大ヒット曲『あんこ椿は恋の花』。当時は『あんこ椿』という響きから食べる「」を連想して、間の抜けた感じがして、木としての椿のことなど、おいしそうな名前の椿があるぐらいにしか考えてもみませんでした。

大人になってからも、てっきり「あんこ椿」という名前の品種(あるいは地方での別称)があるものだとばかり思っていました。それでいろいろ調べていたら「あんこ椿」というのは品種名ではなくて「大島椿」発祥の地である伊豆大島で、髪油にするための椿の実を取る娘さんたちの事を指す言葉で「姉娘(あねこ)」または「あの娘(あのこ)」の意でした。伊豆大島では日常的に使われていた言葉ですが、都はるみの歌のお陰で全国的に知られることとなったようです。ものを知らないというのは恥ずかしい。今回気にしなかったら恐らく私の中では永久に「餡子椿」でした。

そんな椿油は先日書いたオリーブオイルにも匹敵する良質の油で、髪油、食用、薬用、石鹸用、朱肉用など実に用途が広いのだそうです。伊豆大島には樹齢300年を超えるツバキもあるそうですが、火山灰を含む水はけの良い土壌があるこや温暖な気候がツバキの生育に適していたのでしょう。ツバキは海風にも強うことから防風林としても重宝されますが、伊豆大島では椿油だけでなく堅くて緻密なツバキの木を使って、工芸品、染色、炭、陶器などにも利用されています。ツバキの灰は蒔絵や金箔張りの研磨用として専用されてもいるということで、実に有用な木なのでした。

今、【森のかけら】に作っているツバキは以前に宮崎県の銘木屋さんから分けてもらったツバキの木から作ったものです。ツバキを市の木に頂く松山にも沢山ツバキはあるものの、材として使えるようなツバキは稀で、造園屋さんルートで公園や庭に植えられたものが手にはいる程度。数年前にたまたま入手したツバキが結構大きかったので、それを製材して乾かしているとことなのでしばらくしたら、【森のかけら】にも愛媛産のツバキが登場します。それにしてもツバキは材質が密度が高くて重たい!色合いもさまざまで白いのから赤いのまであるのは花同様。椿の話まだまだ続く・・・

******************************************************************************************

椿三十郎と桑畑三十郎*

ここまでツバキについて書いてきました(といってもほとんどがツバキにまつわるエピソードです)が、椿といえば決して忘れてはいけない映画があります。その名が主人公の名前となり、バッチリタイトルにもなっている、そう天皇と呼ばれた日本映画界の巨人・黒澤明監督の傑作『椿三十郎』です。若い人は、数年前に織田裕二主演でリメイクされたのでそちらの方を観られたかもしれませんが、比べる事自体おこがましい!しかしこれ、メガホンを執ったのはは私の大好きな森田〔それから〕芳光監督なんです。森田芳光が椿三十郎のリメイクを織田裕二で撮るって知ったときショックでした。

そもそも黒澤版『椿三十郎』も、前作の『用心棒』が大ヒットしたために、同じ三十郎主演で(『用心棒』で三船敏郎が演じる主人公の名前は、桑畑三十郎)続編を作れと東宝に依頼されたもので、森田芳光も決して望んで撮ったわけではないのかもしれませんが主演が織田裕二ではあまりに軽薄過ぎて・・・。洋の東西を問わず最近こういう風に過去の名作をリメイクする事が多いように思いますが、そのほとんどが名作の名を汚すばかり。映画に限らず成功事例の後追いをするのは楽ですが、結局のところオリジナリティに勝てるはずがないのです。

ちなみに黒澤版『椿三十郎』は一応、山本周五郎の小説『日日平安』が原作となっていますが、三十郎の続編を依頼された黒澤は、原作をベースにしながらも換骨奪胎して以前から構想していた物語を練り上げます。脚本はいつものメンバー(菊島隆三、小國英雄、黒澤明)。時代背景的には『用心棒』よりも『椿三十郎』の方が先だと言われていてそういう意味でも続編ではありません。用心棒は群馬県(上州)が舞台ですが、賭博場などが出来たのが、天保の改革以降だそうなので1850年代あたりでしょうか?時の将軍は11代将軍の徳川家斉。江戸時代の後期にあたります。

一方『椿三十郎』は、映画の冒頭で山奥にある朽ちた神社に9人の若侍が集まり、次席家老が汚職をしているので告発しようかと密談しているあたりからも(汚職が珍しいものであったという事はまだ 江戸幕府が健全で安定していた)江戸時代の初期頃ではないかと推測されていて、そういう意味からも続編という関係性ではないと思われます。また三船敏郎扮する三十郎のキャラクターの作り込みにもかなり違いがあって、ニヒルな一匹狼のような用心棒に比べると、椿三十郎はおどけてみせたりとかなりユーモラス。個人的には用心棒の時のぎらついたような三船敏郎が好きなのですが。明日に続く・・・

******************************************************************************************

椿三十郎、血沸き肉躍る!*

さて、『椿三十郎』の時代背景の根拠のひとつとして、第二代将軍であった徳川秀忠は諸国から変わった椿を集めて吹上花壇で栽培させた様子が屏風などにも描かれていて、『園芸好きの将軍』として知られている事もあります。映画では、名前を訊ねられた三十郎が、屋敷の椿の花を見て「名前は・・・椿三十郎、まぁもうすぐ四十郎だが」と名前をでっちあげてしゃっれけを見せる台詞があります。また奇襲攻撃の合図として椿の花を川に流すシーンもあり、タイトルだけでなく実際の椿も登場してきます。用心棒の時は桑畑三十郎と、いずれにも木の名前がつくのが私としては嬉しいところ。

 


この映画自体はモノクロなのですが、川に沢山の椿が流れる場面では椿だけ赤くパートカラーにしようという案もあったのですが、当時の技術的な事情で実現できませんでした。もしも椿の花だけが赤く染まっていたら、更にインパクトのある場面になっていたと思われます。この場面に関しても、沢山の椿の花が流れる=沢山の首を取る、という事が暗示されているようで、もうすぐ四十郎だとおどけた際の椿からは一転して、椿が死をイメージさせる小道具として使われ、作品に緊張感をもたらせています。そういう意味でも椿が深く印象に残ります。

 

モノクロの中で部分的にカラーを使うという発想は翌年の『天国と地獄』で実現するのですが、その話はいずれ改めて。『椿三十郎』は三船敏郎演じる三十郎のキャラクターからしてどこかユーモラスで、どこか間の抜けたような人のいい若侍達(加山雄三田中邦衛など)の描写などからも作品自体は明るく『痛快時代劇』という雰囲気なのですが、その雰囲気が一変するのがラストシーンの三船敏郎仲代達矢の一騎打ち。向かい合った二人が動いたと思った瞬間、勝負は決して吹き上がる血飛沫する。映画史に刻まれた名場面です。

 

 

まだ観たことが無い人にはネタバラシで申し訳ないですが、古い映画なのでご容赦いただくとして、この場面では仲代達矢の体にホース繋げられていて、ポンプ仕掛けで血を飛ばす事になっていました。カメラに映らないところから、合図でスタッフがポンプのスイッチを入れるはずが、加減が悪く血が想定以上に噴出したらしいのですが、それを見た黒澤明監督が迫力があっていいと、OKを出したため生まれた名場面であると、ラジオで武田鉄矢さんがラジオで語っておられました。怪我の功名というやつでしょうか。

公開当時は、例え動脈を斬られたからといって、壊れた噴水のような勢いでそこまで大量の血が噴き出すかという事で論争になったそうですが、真面目な時代だったんでしょう。野暮な事を言ってはいけませんと思ったりしますが、映画に対する信頼性もあった時代らしい話だと思います。という事でツバキについていろいろ書いてきましたが、大きめの材が得にくい事もあって、木材そのものよりも物語としてのツバキに終始してしまいました。材質は緻密で滑らかで光沢もあり、材としては非常に優れています。自分の住む市の木でもあるので、小さなモノでも何か商品化していきたいと思っています。

 

今日のかけら056

シラカシ

白樫

ブナ科コナラ属・広葉樹・茨城産

学名:Quercus myrsinaefolia

別名:シロガシ、ホソバガシ、クロカシ

 英語名:Japanese white oak

気乾比重:0.74~1.02

 

炎の巨樫、コッコ・サンに立つ*

今日のかけら・♯056 【シラカシ/白樫】 ブナ科コナラ属・広葉樹・茨城産

以前に触りだけご紹介しましたが、土佐の〔炎の棟梁〕白土建築工房さんが、松山に絵本屋さんを出すという話。少し時期がずれましたが、いよいよ工事が始まりました。場所は、銘木まつりでお馴染みの、市内三津浜の久万銘木㈱さんの第一倉庫内です。社長の井部勇治君から、白土さんご本人がいらして施工されていると聞いたので、様子を拝見に伺いました。以前一緒にお酒を飲ませていただいた時に、大まかな構想のアウトラインは聞いていましたが、そこは人を驚かせるのが生き甲斐のお方のやる事ですから、普通に収まるはずがありません!やはり実際に見ておかねばという思いもありました。行って見ると、唖然・・・!炎のような趣きの巨木がドカンと立ち上がってありました。その雄々しい姿は、まさに天に向かって吹き上げある炎の如き佇まい。その重量感、質感は威風堂々として圧倒的!

実はこの巨木、先日の銘木まつりの際に展示会場で横に寝かせてあった『樫(カシ』の変木です。寝ていた時にもその存在感は抜群でしたが、こうして立ち上がると更にその異形が輝きを放ちます。中は洞(うろ)になっているところもありますが、これだけのサイズですから、動かすだけでも相当に大変です。白土さんがこれを点てられた時は生憎立ち会えませんでしたが、訊けば立ち上げるまで1日がかりだったとか・・・。それはそうでしょう、いくら古木とはいえ、樫ですからその重量は相当なものでしょう!

樫の気乾比重は0.74~0.83で、日本の木の中でも重量級のひとつです。ちなみに樫の中でも『ウバメガシ(姥芽樫』は、『イスノキ』や『オノオレカンバ』などと並んで、日本で最も重たい木の1つです。『ミズナラ』のような虎斑(トラフ)が現れることもありますが、縦長の筋状の斑点が出るのも樫の特徴です。樫の断面には牡丹柄の杢が現れて非常に面白いのですが、いまだ上手く活かしきれていないので、いつも勿体ないなあと思っています。これだけの老木になるとその表情も一変します。そこに在るだけで絵になる迫力が全身から溢れています。

さて、その傍らでは、炎の棟梁が腕を振るわれている姿が!高知から愛媛を往復されながらの大変な作業です。そうまでしてこの方を突き動かすエネルギーの源はどこから湧いてくるのでしょうか?樫という漢字の由来は、その材質が「堅い」事からきていますが、カシという呼び名も『雄偉(いかし』という意味で、その樹形の雄々しさを指したものであるようです。その材質から白樫(シラガシ)、赤樫(アカガシ)などに分けられます。その強く堅い意思を貫く、白土棟梁にはまさにピッタリのシンボルツリーです!

白土さんのお膝元の高知県は、全国的にも有数のアカガシの産出地と言われていますが、この老木はどちらかはっきりしないようです。一般的には、カシというと白樫を指す場合が多いようです。シラカシは、カシの仲間の中ではもっとも耐寒性があり、暴風林や屋敷林として植えられる事が多いようです。この倉庫の中に立ち上がった巨木の姿からは、屋敷を暴風から守る防風林というよりは、主の如き風格が漂います。まだ仮り立ての状態ですが、きちんと足元が固定されたらさぞ圧巻でしょう。ここからハイスピードで工事が進んでいく事だと思います。正式のオープン日も12月12日(日)に決まったようです。お店の名前は、『えほんの店 コッコ・サン松山店』。詳しい内容については、改めてご紹介させていただきます。2、3日に一度は久万銘木さんに行く用事があるのですが、これからは行く楽しみが1つ増えました。オープンが楽しみです!

*******************************************************************************************

適材、適所あればこそ・・・*

新しい政権が出来た時の常套句として「適材適所」という言葉が使われますが、もともと建築の分野から出た言葉だというのはご存知の通り。硬くて強度があり耐久性のあるクリは土台に、耐湿性に優れて香りのよい青森ひばは水廻りにとか、材の特性を見極め、その特性を最大限に引き出す事が語源の由来です。発足した野田政権でも「適材適所」の人事に徹したという事でしたが、早速大臣が辞任し、任命責任を問われていますが、とりあえず仕事をしてもらったどうかと思うのですが・・・。

それにしてもメディアの腰の座らない浮き足立った報道姿勢はどうにかならないものでしょうか。移動している総理や大臣を捕まえて、車に乗り込もうとしている状況にも関わらず、一方的にマイクを向けて「何かひと言!」って、どれだけ失礼で品の無い事をしているのか自覚はないのでしょうか。しかもそこから都合のよい言葉だけを切り出して、その短いセンテンスでこれを堂々と報道とか、スクープとか言う事に疑問も感じないのでしょうか。メディアたる矜持を持っていただきたいと思います。

適材が適所で力を発揮できればよいのですが、世の中そううまくはいきません。木材の世界で言えば、適材を適所に遣うためには相当なハードルを乗り越えていかなければなりません。まず、昨今は材の特性を生かした家造りというよりも、プレカットのラインに適した癖のない、寸法精度の安定した材が選択される傾向にあり、むしろ個性の強い木は敬遠されます。なので弊社などは、構造材というよりも造作の分野で、材の個性を生かす提案をするようにしています。

特徴のある材を揃え、あとはその個性を発揮できる「適した場面」との出会いを待つばかり。いくら提案しても最終的には選んでいただく訳ですから、まな板の上の鯉の心境ですが、こちらがうまく魅力を伝えきれないと、折角巡ってきたチャンスを台無しにしては材たちに申し訳ない。変った材であればあるほどに、彼らが活躍できる場面は限られてきます。決して多くのチャンスが待っているわけではないですから、それを生かせるかどうかは私次第。施主さんは当然ながら、我が材たちにとっても運命の分かれ道。責任重大です。

一度そういう機会を逸すると、次は何年後。折角の晴れ舞台を台無しにしやがって!恨めしそうな材たちの声が聞こえてきます。しかし逆に、「こいうい材がどうしても欲しいんだけどない?」なんてリクエストがあって、うまくはまった場合には私も材たちに得意満面!長くこういう仕事をしていれば、そういう機会も増えてくるというだけの事ですが、そういう時って心底嬉しいものです。実は今日もわざわざ香川県から神事に使う「白樫」を探しに来て頂いて、丁度ご希望のサイズが揃える事が出来て、先方も私も大喜び。

4mもので乾燥した素性の良い樫なんてそうそうある物ではありません。しかし、樫でないといけないという場面があってこその樫であります。日本最重量級のひとつにして粘りも強度も併せ持つ白樫、こういうご注文でこそ光り輝くのです。何での木でもいいという注文はある意味楽ですがオモシロくない・・・。こんな材ある?今時そんなサイズの寸法があるわけ・・・いえ、いえ、それが実はあったりするんですよ~!は、は、は・・・だから材木屋は止められない!「適材適所」、いと難しく、いと楽し。

*******************************************************************************************

嗚呼、野麦峠を越えて往く*

昨日に続いて、愛媛トヨペットさんで開催された『第六回夏休み親子環境教室』の話です。いろいろな形の木材素材を提供するので、自由に好きなものを作ってくださいという工作タイムあったのですが(多くの方の目当てはこれ!)、限られた時間の中で大物に挑む親子もいたり、短い時間でしたが皆さん汗にまみれて、慣れない鋸や金槌と格闘!主催がトヨペットさんだったからといううわけではないのでしょうが、丸い木を車輪に見立てて車を作る子供たちが沢山いました

丸い木と板と棒で作るモノといったら圧倒的に車を連想するほど車のフォルムは、子どもから大人に至るまで目に焼き付けられたデザインの完成形。『車と木材』は今でこそ縁遠く感じるかもしれませんが、その生い立ちにおいては密接な関係にあったのです。そもそもトヨタの前身は、豊田佐吉氏が創業した豊田自動織機製作所(現在の豊田自動織機)で、その後織機製作における鋳造や機械加工技術のノウハウを活かし「トヨタ自動車工業㈱」が設立されたのは有名な話。

氏が作った織機は「豊田式木製人力織機」と呼ばれ、当時の織機は木で作られていました。その織機が何の木で作られていたのか定かではありませんが、織機には粘りがあって堅牢な『シラカシ(白樫』がよく使われていたと言われていますので、シラカシアカガシなどカシ類の木がよく使われたものと思われます。弊社が昔購入したカシも愛知周辺から購入したものでしたが、織機に限らず昔は木製の木軸の素材としてカシの木は様々なものづくりの分野で大変重宝されてきました。

最近は滅多に「カシで~」という注文も来ませんし、弊社にも大きなカシは少なくなってきてもっぱら『モザイクボード』や【森のかけら】として扱うばかりですが、木軸から木型、農機具、柄、荷棒、漆器、鉋台、杵、運動器具など用途が広いのもカシの特徴です。さらに滑車、歯車、舵や櫂、荷車や水車など広く交通手段に関わるものの素材としても貴重な素材でした。ところで織機といえば、子どもの頃に観た映画『あゝ野麦峠』の印象があまりに強烈で悲しいイメージが定着してしまっています。

インプリンティング・・・最初に見たもの、感じたものでそのものの印象は大きく左右されます。私の場合は『機織(はたおり)=野麦峠=過酷で厳しい重労働』というイメージで刷り込まれてしまったので、最新鋭のコンピュータ制御のマシーンを見ても、大竹しのぶたち若き女工が雪原を越えていくシーンが脳裏に浮かんでくるのです。それを考えると、子どもたちが『木』ともどういうシーンで出会うのかによって、その後の人生における木との関係性も大きく変わるのだと思います。『木と幸福な出会いをした者は人生を豊かにする

*******************************************************************************************

モッタイナイ神の気まぐれ・白樫*

ある時に突然ある樹種の端材がまとめて入ってきたり、同時期に各地から同じ材に注文が入ったりと、「端材世界」にも「モッタイナイ神の見えざる力(あるいは気まぐれ)」が働いているとしか思えない事がありますと言ったら大袈裟かもしれませんが、そう感じることがよくあります。「捨てる神あらば拾う神ある」と言われますが、誰かがいらない、売れないといったものが、ご縁があってうちに流れてきて、待ってましたと喜んで買っていただく方に巡り合ったりと世の中不思議なご縁でつながっています

出だしが多少大仰でしたが、先日弊社にやって来たのがこちらの『シラカシ(白樫)の端材』の梱包。まだ【森のかけら】にするぐらいのシラカシの端材は多少残っているものの、いずれ仕入れておかねばと考えていた私にとってはまさに僥倖!とりあえず市場でシラカシは仕入れているものの、生材なので使えるレベルに乾燥させるまでに数年かかり(乾燥機に入れると割れやねじれ出やすいので極力自然に乾かしたい)、在庫が無くなった時に谷間が出来そうで心配していたのです

シラカシという樹種特定の注文なんて、年に数件ぐらいではあるものの、弊社に声を掛けてこられるのは大概ホームページで検索されていろいろ探して辿り着かれた場合が多いのです。折角期待して声をかけていただいた時に「ありません」とは極力言いたくない。そもそもシラカシの場合は、建築材のような大きな用途ではなく、柄とか棒、器具などの小さな用途がほとんどなので、特に小さな注文に対しては「うちが何とかせねば!」と勝手に燃えてしまうのです。

という事で思いがけず手に入ったシラカシは、丁寧に1本ずつ加工して店頭とオンラインショップで販売していこうと思っています。端材ですので大きなものはなく、すべて長さも1m以内。幅もせいぜい ㎜、厚みも25~30㎜程度で、本当に『小さな出口』対応用です。太鼓の撥(バチ)や柄として時々まとまった見積もりが来るのですが、こちらに余裕があって注文が入って欲しい時には波静か。在庫が少なった頃に、それでは足りないぐらいの量の問い合わせ。これも材木屋を傲慢にさせないためにモッタイナイ神の見えざる力(あるいは気まぐれ)が働いているのか?

*******************************************************************************************

思い込みシンクロニシティの多幸感④*

結構大きめの丸太があったとしても、「いくら大きくてもOOじゃあダメだわ」とか、「〇〇なんて買ってどうすんの?」などと悪態をつかれ、用材としてこの辺りでは必要以上に不遇な扱いを受けているのが、『シラカシ(白樫)』です。あまりにも不当な評価を聞くと気の毒に思えるほどなのですが、じゃあ本当に使いどころが無い木なのかというと全然そんな事はなくて、強靭なうえに粘りがあって摩耗性にも優れていることから大工さんが使う鉋や刃物や工具などの柄にも使われるなど、実は意外と馴染み深い木なのです

ではなぜそんな木が、まるで価値がないかのごとく不当な扱いを受けるのかというと、この木がとにかく重たくて乾燥が難しい事に起因していると思われます。個体差がかなりあって、中には思ったより軽いものもありますが、重たいものは気乾比重が1を超えるなど、国産の木の中では『イスノキ』などと並んで最重量の双璧ではないかと思います。まったく同じ大きさで、同じ形状の同じコンディションで比べた事がありませんが、私が持ち比べた感覚だとシラカシの板を動かす方が骨が折れる感じがします。足の指の上に落として内出血したこと数知れず・・・

そんな重たい木ですから山から出したり積んだりするのだってひと苦労。板ですら相当に重たいのに、伐採直後の丸太となるといかばかりか!いくら重たくともその重さが価値となるならお安いものなのでしょうが、この木の乾燥が難しい!乾いていく工程で小口からバックリと大きく割れてしまうのです。しかもメチャクチャ硬い木なのに、虫が入りやすい。心材と辺材の境も不明瞭なので、イブキみたいに辺材との境でキッチリと不可侵条約が締結されているわけでもなくて、心材への侵犯も多いのも厄介です。

重たい木ほど乾燥に時間を要するのですが、だからといって乾燥機にかけるとねじれたりバキバキに割れたりするので、材として仕上げるまでにはかなりの経験値が必要になるのです。しかもそれなりに時間がかかるうえに、汎用性があるとはいえ「出口」である鉋台や器具の柄を作っているところと結びついておくことが必須。松山などではそういう出口企業が身近に無い事もあって、材にするまでに手間暇かかり過ぎるシラカシは相手にされず評価が著しく低く引き取り手も少ないのです。しかし・・・明日に続く

*******************************************************************************************

思い込みシンクロニシティの多幸感⑤*

こんなシラカシ、いくら大きくったって使い道なんかありませんよね~?40年以上も阪神タイガースひと筋に応援しているへそ曲がりの偏屈材木屋がそんな言葉をかけられて黙っておられようか~!『神が遣わしてた木の中に使えない木などあろうはずがない。誰も使えぬというのならならばわしが使ってしんぜよう!わしがやらずに誰がやる、いまやらずにいつ出来る!』いつもの展望無き無謀さに火がついてしまったのです・・・さすがに最近はその感情をどうにかコントロールできるような大人になってきましたが。

そういうわけで弊社の倉庫には、具体的には行くあてもないけど気概には溢れているカシたちが眠っています。あくまで天然乾燥で乾かそうと思っているので、彼らの出番はまだまだ先の事なのですが、先月その奥にある材を出す必要があったので、久々に表に出して持ってみましたが、全然乾いてない・・・。まだまだ時間がかかりそうです。勢いよく啖呵は切ったもののカシの出口には迷走していて、乾燥するまでに何か考えねばならないと思っていたら、またカシがご縁も引き寄せて来たみたいで・・・

それまで数年間もカシに声がかかることなどなかったのですが、それから数日の間にカシへの問い合わせがいくつかありました。まあ、たまたまの事なんでしょうが、その出口(用途)がちょっと面白かったので、同じ時期にカシの出口を考えているひとが集まったという事で強引にシンメトリィとしてまとめてみました。まず最初に声がかかたのは、カシならではの安定の出口『太鼓の撥(バチ』。これが全然関係の無い離れた地域から同時期に2個所。いずれも秋祭りに使う予定なのでまだ見積もり段階ですが、タイミングが一致。

音楽には疎いので材質の違いでどれぐらい音色が変わるのか分りませんが、太鼓の撥はについて「カシ」という材質指定で問い合わせが来ることが多いです。乾燥したカシだと厚みが30㎜前後の短かいシラカシを100枚前後はあるのでどうにか対応可能です。ただそれらはねじれや割れが多いので、せいぜい撥ぐらいにしか使えないのですが、さすがにそこまで撥の注文だけ待っていたのでは何年かかるか分らないので、撥以外の出口も考えねばと思っています。ここまではありがちなカシの出口の話でしたが・・・

*******************************************************************************************

思い込みシンクロニシティの多幸感⑥*

火縄銃を直しているんだけど樫の木ってありますか?」ちょうどテレビで『麒麟がくる』を放送していたので、NHK関係者から?などと勘繰ってしまいましたが、全然関係なくて松山市内で火縄銃の補修作業をされている方からのお問合せでした。堅牢で耐久性があって粘りがあるので、銃床に使うと言われれば納得なのですが、不意に『火縄銃』という言葉が出て来たのでビックリしました。図鑑などにはその用途に書かれているのを見たことがありませんが、『火縄銃の銃床』というのも立派なカシの出口です。

よくよく訊いてみると、火縄銃の新品を作っているというわけではなくて、昔の火縄銃を修理されているとの事。東京の美術館とか愛蔵家から修理を頼まれるそうなのですが、今は銃刀法で管理が厳しく規制されていて、当時と同じ素材で修復しないといけないそうで、その方はカシの木を求められていたのです。いくらか在庫は持ったいたもののそれが心細くなってきたので、サイトで見つけた近場の弊社に声をかけていただいたのでした。火縄銃って、歴史の教科書で種子島から伝来しましたと習った遠い存在でしたが、まさかこういう形で邂逅するとは。

火縄銃というと昔の小柄な日本人が使っていたのだから小さな銃というイメージがあったのですが、実際は銃床がパーツになっていないので長さも1500㎜必要という事で弊社の在庫では対応できず。しかも柾目の素性のよいもので乾いていないと駄目ということで、九州の樫専門店さんから分けていただきました。銃床の場合は、意匠的に好まれる虎斑(とらふ)は強度が落ちるのでNGだそうです。また材種も仕様によって、アカガシ、シラカシ、アラガシなどを適材適所に使い分けられるみたいなのですが、今回はシラガシでした。

こういう風にその方たちにとっては昔から普通にカシの木を使っていた出口であったのに、その存在自体がマイナーな事から一般的に知られていない事も沢山あると思います。特にインターネットで全国と情報が繋がるようになった昨今では、今までは知らなったような出口と不意に繋がることがあって面白い。しかもその出口が案外身近なところにあったりすると、今まで知らなかった事がモッタイなく思えてしまう。さすがに火縄銃は今後広がっていく可能性は高くないでしょうが、その木ではなければならない出口は大切!

*******************************************************************************************

思い込みシンクロニシティの多幸感⑦*

昔、ある雑誌で「無人島に1本だけ映画のDVDを持って行ったもいいとしたら何の作品を持って行くか?という企画があって、私より少し上の世代の1位は圧倒的に『燃えよドラゴン』でした。無人島に電気があるのかなどという野暮な事は言いっこなしで、あくまでも擦り切れるほどその作品を観続けたいという純粋な映画愛(偏執狂的な)を競うランキングです。それぐらい熱狂的なファンに支持されたのが『燃えよドラゴン』という作品で、主演の李小龍(ブルース・リー)はこの1作で一気にスーパースターとなったのです。

ブルース・リーが格闘の際に発する「アチョー」という独特の叫び声は「怪鳥音」(かいちょうおん)と呼ばれ、ブルース・リーの代名詞となりました。その怪鳥音と華麗なるヌンチャクさばきに魅せられた少年たちは誰もがそれを真似たものです。棒っきれを紐でつないで簡易ヌンチャクを作って、あちこちにぶつけながら自己流の奥義に酔いしれたあの日・・・。ヌンチャクは少年にとって絶対的な強さの象徴であったのです。そう、ヌンチャクさえ手にしてアチョーと叫びさえすれば誰もがリーになれたのです。

そんな遠い少年の日のヌンチャクが突然持ち込まれた来たのは数日前のこと。『燃えよドラゴン』でヌンチャクの存在を知ったので、てっきり香港か中国発祥の武器だとばっかり思っていましたが、実はこれ沖縄の琉球古武術などで用いられる武器だったのです。弊社に持ち込まれたのは、悪と戦うための武器としての売り込みではなくて、近くにある沖縄空手・古武術の道場の方が、補修というか長さの切断加工の依頼に持って来られたのでした。ヌンチャク以外にも木製の武具がズラリ。一見すると映画の撮影の小道具のようでした。

警察官が使う警棒が昔は木製(今は強化プラスチックなど)でカシが使われていたのは知っていましたが、ヌンチャクが何の木なのかについては考えたこともありませんでした。なぜだかヌンチャクはヌンチャクという事で完結していて、その素材まで考えた事もなかったので、その素材がカシと聞かされると、材の特性から考えればそれはもっともながら、改めてそういう出口もあった事を認識しました。一般的にはシラカシアカガシが使われているそうですが、使っているうちに先端が凹んだりささくれたりするので、少しだけカットして面を取って欲しいとのご依頼でした。

年末には同様の補修依頼で、餅つきの杵がよく持ち込まれるのですが、ヌンチャクは初めてでした。太鼓の撥(バチ)にもするぐらいですからヌンチャクなどの武具にも最適な素材なのでしょうが、一緒に持って来られた武具の中にはシラカシ以外のモノとしてはビワ(枇杷)がありました。高級なモノにはビワも使われるそうですが、大きなサイズのモノは相当に高額らしいです。現在準備中の【森のかけら400】にもビワを入れようと考えていたのですが、よもやこういう出会いがあるとは!シラカシ、ビワの出口にヌンチャクもしっかり覚えておきたいと思います。

Archive

Calendar

2024年3月
 123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031