森のかけら | 大五木材

20110104 天狗の手にするヤツデの団扇①今日で正月休みも終わりですが、あまりにのんびりし過ぎたこの脱力感を明日から切り替えられるか心配です。本日は西条市まで商品を納品がてら、三が日に所用で行けなかった初詣に石鎚神社に参拝させていただきました。実は一昨年にも仕事の帰りに石鎚神社に寄らせていただいたのですが、その時は今は亡き父の事で神頼み的な意味合いで寄せていただきました。あれからいろいろな事がありましたが、大きな赤い鳥居をくぐるとデジャ・ヴのような感覚に捉われます。今こうして、家族で平穏な日を過ごさせていただける幸せをつくづく感じます。

20110104 天狗の手にするヤツデの団扇②あの時は冷静に神社の事を観察したり撮影する余裕はありませんでしたが、今回はじっくり中の様子を見させていただきました。頭の中が別の事でいっぱいだと、目で見たはずのものも心に記憶できないものなのでしょう。あれ、こんな所にこんな物があったかな?の連続でした。神門の両側に阿吽の大天狗の彫像も目に見えていませんでした。改めて見ると、その姿は異彩を放っています。仏師・由谷倶忘氏の手による作だとか。有名な民俗学者で、妖怪や異形のものにも造詣の深い柳田国男さんは「天狗は山の神の化身である」と述べられています。ここ石鎚神社は石鎚山そのものをご神体山とされていますので山の神・天狗にまつわるエピソードもたくさん伝え残されていて、そもそも石鎚山の開祖である役(えん)の行者は天狗であるという話もあるぐらい、密接な関わりがあるようです。 

 

20110104 天狗の手にするヤツデの団扇③数年前に家族で京都・奈良へ小旅行に行った時に、巨大な木彫の魅力に改めて魅せられました。小さな木彫の素晴らしさには感心させられますが、身の丈の数倍もあるような巨大な木の彫像を目の当たりにすると、その存在感と神々しさに圧倒され、思わず手を合わさずにいられなくなります。その多くは宗教的な背景がありますが、その製作過程の困難さを考えれば、その象徴としては格好のアイドル(偶像)であったのでしょう。威厳とユーモア(と言っては失礼かもしれませんが)に満ちた二体の天狗の姿は、それを見る年代、境遇によって受け止め方がそれぞれに変わります。威厳高らかに立っておられる天狗様のお姿も、息子にはポケモンのモンスター感覚で「格好いい」と映るようです。その息子もいつか、石柱に刻まれた祖父の名を感慨深く見つめる歳になることでしょう。

  

20110104 天狗の手にするヤツデの団扇④何の木を使って彫られたか明記してありませんでした。ガラス越しに夕陽も反射して詳しく観察は出来ませんでしたが、すばらしい造型美!その手には有名な天狗の団扇を携えていらっしゃいましたが、この団扇がヤツデだとかトチだとかう説があります。形状からすると、ヤツデの方が合っているのでしょうが、トチの葉もヤツデに負けず劣らず大きく、小さな子供の顔だと隠せるほど大きなものもあります。ただ雰囲気的にはやはりヤツデでしょう。

 

20110104 天狗の手にするヤツデの団扇⑤ヤツデの名前の由来は、八つに深く切れ込んだ葉団扇の形状から来ていて、漢字で書くと「八手」。ウコギ科ヤツデ属にあたります。今にして思えば、【森のかけら】が取れそうなぐらいのサイズのヤツデは結構身近な山に自生している事に気がついたのですが、当時は種類を揃える事に必死で足元を見回す余裕がありませんでした。日頃から使ってないと、目の前にあっても脳が「素材」と認識せず、単なる風景と思ってしまうのかも知れません。この木そのものを「天狗の団扇」と呼ぶ地域もあるようです。

 

20110104 天狗の手にするヤツデの団扇⑥成長するに従い三裂から五裂と切れ込みを増やし、大きくなると七から九つに深く切れ込み、立派な天狗の団扇へと成長を遂げるのです。ヤツデの木は日陰を好む陰樹(いんじゅ)の木とされていますが、そういう人目に触れにくい場所に育つという性質も、天狗が団扇にするという神秘性にひと役買っているのかもしれません。ヤツデが日陰で群生している光景はやはり何か独特の雰囲気が感じられます。年末に撮っておけばもっと青々した勢いのあるヤツデの姿を納められたのですが、身近にあるものはついつい見過ごしてしまいがち。ともあれ、無事に初詣も出来ました。いつもは石鎚神社の分家である小藪の分社に行っていたのですが、怪我の功名というかたまたま本家に参拝する事が出来ました。ものは考えようです。何やら先行き開運の光明が見えたようなそんな気分に浸っております。




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