森のかけら | 大五木材

20101024 危険なかけら・夾竹桃①さて1日遅れとなりましたが、夾竹桃(きょうちくとう)について。その名前の由来は、花が桃に似て、葉は竹に似ている事からきています。属名のネリウムとは、ギリシャ語で「湿気」を意味するそうで、文字通り湿気を好んで生えるようです。大気汚染にも強いようで、工場地帯などでも植栽として植えられて、梅雨の終わりから夏の終わりまで花を咲かせます。一方で、熱帯アジア原産のものは乾燥にも強く、土埃の中でも健気に花を咲かせているそうです。この夾竹桃は江戸時代の中期に中国から長崎に持ち込まれて、その後全国各地に広がったとされています。

20101024 危険なかけら・夾竹桃②それまであまり意識してませんでしたが、本当に大きな工場の傍などにはよく植えられていて、紅い花を咲かせていました。無数の紅色が妙に艶かしい雰囲気を醸し出しています。樹皮や葉は強心剤や利尿剤にも使われるなど薬材でもあるようですが、枝を折った時に出る白い液は有毒なので注意が必要という事が分かり、慌てて丸太切りからは撤去!明治の西南戦争では、官軍の兵隊がこの木の枝を折って箸に使い中毒にあったという記述があるようですから恐ろしい・・・!

 

20101024 危険なかけら・夾竹桃③一方で、打撲の腫れや傷みには、乾燥させた葉や樹皮を煎じた樹液で患部の洗浄にも使われるなど、この夾竹桃という木は使い方次第で毒にも薬にもなる木なのです。ただ素人は手を出す物ではないようです。私が夾竹桃に特別な感情を抱いているのは、この木がある歌に登場するからです。それは、さだまさしさんの『女郎花(おみなえし』という曲で、『夾竹桃の花は 紅い花/私の涙は 銀の鈴/お諏訪の森の風は/日見の峠を越えて来る/親の便りをのせながら/あの人の面影をしのばせて』という歌詞があります。

20101024 危険なかけら・夾竹桃④歌詞の通り、夾竹桃は紅い花を咲かせますが、中には白い花を咲かせる樹種もあるようです。 最初、長崎に持ち込まれたという事で、長崎出身のさださんらしい「歌詞でも聴かせる」切ない歌です。以前に「竜舌蘭」の事でこの曲を引き合いに出させていただきました。2番の歌詞に『龍舌蘭の夢は白い夢』と出てきます。地味な曲で悲しいメロディですが、曲というより歌詞が心に残っています。最近のチャラチャラ軽いだけの歌謡曲の歌詞とは別格。もはや文学の世界です。

 

20101024 危険なかけら・夾竹桃⑤さて、夾竹桃ですが、毒もあるという特徴を知ってからは、その美しさが何か健気で切なく感じられるようになりました。花は何の感情もなく咲いているのでしょうか。人の思いが花を一層紅く染めるのでしょうか・・・。丸太切りのイベントから、思わぬ夾竹桃との再会でしたが、もう少し大きな材があれば【森のかけら・ジャパンプレミアム】にも出来るのですが。こちらはまだまだ企画段階なのですが、価値が高いというプレミアムではなく、個性で固めた日本の変り種にしようかと考えています。夾竹桃も勿論候補の1つ。その際にはしっかり乾燥もさせますが、毒は抜け切れないかも・・・。それでもいいんじゃないでしょうか、多少危険な香りのするところに大人の嗜好品の色気や楽しみもあります。牙を抜いた子供だましの「本物」に心がときめいてこない方向けという事で・・・包容力のある粋な大人限定の『ちょっと危険な森のかけら』考えてみます!




 ★今日のかけら・#114 【山桑/ヤマグワ クワ科クワ属・広葉樹・四国産

20101013 蚕のものだけではない桑①

20101013 蚕のものだけではない桑②先週末、伊予市のエミフルMASAKIで『えひめ職業技能フェア ~安全・安心を支える匠の技~』が開催されて、愛媛木青協の木工広場などでいつもお世話になっている前田清幸さんの作品も展示されていました。【】の木で造った大きなオブジェ。その形は木魚のようにも、貝のようにも、楽器のようにも見えます。そのフォルムと桑の優しい杢目が一体となって不思議な造形美を醸しだしていました。のように派手でもなく、のように華美でもないけれど、桑には何ともいえない和らぎと落ち着きがあります。

20101013 蚕のものだけではない桑③この作品の素材の桑自体は決して銘木という訳ではありませんが、前田さん遊び心満点で随所に瓢箪の契りやきのこが顔を覗かせています。くっきりしていながらもどこか温かみの漂う木目が親しみを感じさせます。この曲線がなんともいえません。対比がないので分かりにくいのですが、大人が両手を拡げて抱えて持つのがやっとというぐらのサイズ。巨大な二枚貝のような趣きでしょうか。巨人のキャッチャーミットと言った方が感覚的には分かり易いかも。

 

20101013 蚕のものだけではない桑④その桑の葉は大きな切れ込みのあるものと無いものがあり、切れ込みのあるものは分かりやすいです。このあたりでも稀に桑の木は出材される事がありますが、そのほとんどが3~5m程度の小径木です。過日、そういうサイズの桑を購入し製材して現在乾燥中です。製材後かなり圧を掛けて置かないと反り、ねじれが出ます。右画像の桑は、枝の部分ですがこれで直径200~250㎜程度の物です。木が小さいと癖が強く、せいぜい【森のかけら】に使える程度です。しかし小さな材といえども、その特徴は顕著で、小口を覗くとその独特の杢は、ひと目で桑を見分けられます。立ち木の状態での大きな桑にはなかなかお目にかかれませんが、フランスでは、「アーモンドの木になるより桑の木になれ」という諺があるそうです。アーモンドの花は早春に開花するため霜の害を受けやすいのに対して、桑は霜の心配のない4月下旬に開花する事から、時を知る桑の賢さを讃えています。

 

20101013 蚕のものだけではない桑⑤桑といえば一般的には自生する【山桑】を指していますが、日本全国で主に養蚕用に幅広く栽培されています。そもそもの和名も、カイコ(蚕)が食べる葉=食葉(くは、あるいは蚕葉(くは)から転じた物であるとされています。日本での養蚕の歴史は古く、日本書紀や万葉集にも桑が登場するなど、古代から養蚕は全国に普及したため、方言も少なく【】の名称で浸透しているようです。その学名は『Morus bombycis/モルス・ボンビキス』です。属名のモルスはラテン語でこの木の古名、種名のボンビギスは「蚕の」という意味です。つまりそれぐらい養蚕とは深い関わりがあるという事です。英名は『Japanese Mulberry/ジャパニーズ・マルベリー』。桑の葉は養蚕や飼料、果実や根皮は薬用、漢方薬など一見地味な桑ですが実に有用な木なのです。折角なので桑の話、もう少しだけ続きます。

 

 

 

桑の木とパトロン

1. 今日のかけら

20101014 桑の木とパトロン①】といえば三国志の雄・劉備玄徳の生まれ育った場所を連想する方も多いかもしれません。劉備が生まれ育った家の前には大きな桑の木があり、その事から「いずれこの家からは立派な人が出る」と言われていたと伝えられています。その桑に因んで村の名前は「楼桑村」と名付けられたというのはあまりに有名な話です。私は個人的には孫権贔屓なのですが・・・。俗に「サワラ」の木に当たられている「」という漢字は誤りで、本来の意味は、木を割る台またたは【】の実の事を表わしているといわれています。私の故郷・西予市野村町は『シルクとミルクの町』として、古くから養蚕が盛んに行われてきました。最近では養蚕も外国産に押されて苦境に立たされているようですが、私が子供の頃は多くの家で養蚕が行われていました。ただ私は生来、虫が苦手なので当時から詳しく見た事はありません。

 

 

20101014 桑の木とパトロン②材は緻密で磨くほどに美しい光沢が出ることから家具材として珍重されていますが、特に『江戸指物』にはなくてはならなし素材だといわれています。しかし残念ながら、最近では良質な大径木の桑は本当に少なくなりました。過去に作られた茶箪笥長火鉢を見ると、その鈍い光沢と艶はとても美しいものがあります。他にも楽器細工物などに使われていますが、意外なところでは「木魚」などもあり、桑の大きな木魚は大変価値があります。前日の『前田さんのサイズの木魚(㊧画像)』だと、物凄い値段になることでしょう!

 

20101014 桑の木とパトロン③以前にテレビの「開運!なんでも鑑定団」で、かの渋沢栄一翁(1840~1931)ゆかりのお宝「愛蓮堂(あいれんどう)の額」が紹介されていました。依頼主は銘木店の店主だったと思いますが、良質の桑の産地・御蔵島の桑の銘木を使ったモノで、明治38年に大実業家・渋沢栄一翁(㊨画像)が、指物師としての最高位である桑樹匠(そうじゅしょう)・前田文之助に依頼して作らせた逸品でした。漢文が書いてあったのですが、それを書いた方の名前は失念しましたがそちらもかなりのビッグネームでした。その鑑定額、実に驚異の¥1500万円!渋沢栄一翁の威光もあったのでしょうが、漢文や彫りがなくても数百万の価値との鑑定(確か700~800万だったような・・・?)でした。テーブルサイズぐらいの大きさだったと思うのですが、今そんな巨大な桑はありえないでしょう!

 

20101014 桑の木とパトロン④しかし日本は広いですから、日本のどこかには巨大な桑が眠っているかもしれません。しかしそれも今の経済状況では、なかなか倉庫から出れないのではないでしょうか。木にとっても倉庫で塩漬になるのは決して幸福な事ではないでしょう。住宅なり家具なりに形を変え、表舞台に立ち誰かの役に立ってこその「材木の本懐」だと思うのです。それにしても昔の大実業家の方って高尚な趣味をお持ちだし、目も利いたのでしょう。そこには、日本の文化や伝統を守り、若い芸術家を自らの手で支援、育てようというパトロン的な気概や意味合いもあったのではないでしょうか。今は芸術も投機の対象としての風潮が強くなっていますが、真の芸術には多かれ少なかれある程度の後ろ盾が必要だと思います。芸術のレベルが高いから立派な支援者が現われるのか、支援者が育てるから芸術が育つのか・・・?




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