★今日のかけら・#088【能登ヒバ/ノトヒバ】 ヒノキ科アスナロ属・針葉樹・石川産
隠密が運んだ能登ヒバ物語(1)
私が初めて石川県の能登に行ったのは今十数年も前のこと。『能登ひば』どころか石川県に行くのも初めての経験でした。確か秋の終わり頃に行ったのですが、私を迎えてくれたのは北陸特有の淀んだ鉛色の空。それまでの私の中の能登のイメージといえば、石川さゆりの歌った『能登半島』でしたが、まさに「夜明け間近北の海は波も荒く 心細い旅の女泣かせるよう」な風景が車窓に広がりました。よく木を語る際に『風雪に耐えて』といった形容を使いますが、この地こそその言葉に相応しい環境なのだと実感させられたのも懐かしい記憶のひとつです。
屋久島の屋久杉や木曾五木など昔から厳しく管理された森林資源がありましたが、青森の『青森ヒバ』も同様に貴重な地域資源として、『青森より勝手に持ち出す事いざならず』と厳しく管理されていました。江戸時代に、北陸の大名加賀藩主の命によって、隠密がその青森ヒバの苗木を、当時北陸以北の日本海沿岸の諸港から下関を経て瀬戸内、大阪に向かう航路で荷物を運んだ海上交易の要『北前船(きたまえぶね)』に密かに積み込み、奥能登の血に植林したのが『能登ひば』の始まりだとされています。初めてこの話を聞いた時「隠密」なんて言葉に高揚したものです。
隠密なんていうと黒づくめの忍者のような恰好をイメージしますが、そんな恰好をしていたらむしろ目立つだけで、実際にはそこらにいる普通の町民と同じような格好をしていたそうです。考えてみれば当たり前の事ですが、木の事を話していて急に「隠密」なんて聞くと、なんだかそれだけで『能登ヒバ』という木の物語りになんとも言えない闇のような部分が膨らんできてドラマチックに思えてくるのです。そう、石川は加賀百万石、歴史と文化が息づく場所でもあります。ところでその持ち帰った苗木は能登に地にうまく根づくのですが、なにせ持ち出し禁止の木。
当地ではヒバの事を、木編に当たると書いて『档(アテ)』と呼びますが、これはヒバの名前を隠すための隠語であるという説や、植えてみたらうまく根づいて成長したので「当たった(よい値段でよく売れた)」からなど諸説あるそうですが、それらの説も何だか謎めいていて『能登ヒバ』に一層彩りを与えているように思います。輪島には隠密が持ち込んで植えたという『能登ヒバの元祖』の木が樹幹4mほどの堂々とした姿で今も残っていて、町指定の天然記念物となっているその木のある所まで連れて行っていただきました。明日はその『能登ヒバ』の特徴について・・・
隠密が運んだ能登ヒバ物語(2)
本日は能登の至宝、『能登ヒバ』の特徴などについて。能登の厳しい環境の中で逞しく育つ『能登ヒバ』には幾つかの特徴があると、その昔地元の方から教えていただきました。ただしそれはもう今から15年以上も前の事でしたので、昨今の能登ヒバ事情とは幾分乖離している部分もあると思われますが、資料を探していると自分がその当時に書いた懐かしい文章が出てきましたので、当時の記憶を思い出しながら、私が初めて直接耳にした『能登ヒバ』についてご紹介させていただきます。訪問させていただいたのは、能登ヒバを専門に挽かれていた『表木材』さん。
挽かれていた過去形で語らなければならないのが辛いところですが、数年前に廃業されてしまいました。表木材さんについては後日詳しく触れますが、親子で営まれていた小さな製材所でした。当時その表木材さんで挽かれていた原木は、直径が300㎜前後のものが多かったようですが、一見細くは見えても長さ4mで直径300㎜もあれば、寒くて成長の遅いこの地においては有に120年以上の年数を経ているものだと仰っていました。また北からの強い寒風の影響なのか、枝が南側に集中して生えている木も多く目にしました。
能登では、『能登ヒバ』を柱や鴨居に使い、輪島漆に弁柄を混ぜたものを塗って使っているが、ほとんどの『能登ヒバ』が民有林で生育地域が限られているため、ヒノキよりも値段が高くなって地元での消費は減っていると言われていましたが、平成24年度の石川県の原木価格の比較統計によれば、『能登ヒバ』は米松(ダグラスファー)の6掛けほどの値段ながら、製品価格比では断然米松よりも随分高くなっているので、節ありの内装材など付加価値の高いモノに加工されているようです。当地での実感については改めて地元の方からコメントを戴こうと思っています。
能登ヒバが文字通り、能登半島という地域限定の樹種であったため全国のマーケットを相手にするだけの潤沢な供給量が無かったという事もありますが、能登ヒバにはねじれながら育つという性質があり(高齢木になってくると次第にその特性も落ち着いてくるようで、そのあたりはカラマツとも似ていますが)、フローリングなどに成形後も暴れやすく反りやすいという点も、この木の用途拡大と需要を増やさなかった原因のひとつでした。節のあるものは土台か並柱、節の無いものは造作材というのが主流でした。
そうして能登ヒバの用途が定まっていた中において、『節のある内装材』として一躍脚光を浴びるようになったのは、乾燥技術(正確な桟積みから乾燥後の養生まで)が確立したのと、『能登ヒバ』に限らず、環境問題の意識の急速な高まりから、大トロではないが材を無駄にすることなくエコロジカルであるという『節のあるもの』への関心が全国的に盛り上がってきたという時代の事情もあります。それまで地域限定商品であった全国のさまざまな樹種が掘り起こされ、雑誌や専門書などで次々と紹介されるようになったのです。ところが能登ヒバの行く道は順風満帆ではなかったのです。続く・・・
隠密が運んだ能登ヒバ物語(3)
『能登ヒバ』は、初期含水率が60〜70%といわれるほどに極端に乾いた木ですが、当地の能登は夏よりも冬の方が湿度が高いという風土のために、製品化した時の含水率が17~18%程度でも充分に安定しています。それまでそういう風土で生まれた商品を扱った事がなかった私にはあまりその意味が分かっていませんでした。またその当時(15年ほど前)は、能登以外の遠隔地で消費されるという事も少なかったうえ、建築期間も長かったこともあり納品後も倉庫で保管するなど自然に湿度調整が出来ていた場合もありました。
それが愛媛などのように温暖で風土がまったく違うような環境で、しかもジャストインタイムのように即納体制の流通網の中で流れるようになると、問題が露呈してきたのです。つまり能登よりも湿度が低い地域だと、甘めの乾燥アダとなって施工後に収縮が発生!施工直後は見事にピシッと張り揃えられているフローリングが、お引渡しして数か月後には雄ザネが見えるぐらいに縮んでいて隙間が出来ていたのです!たまたま寛容なお客さんであったので大きな問題にはならなかったのですが、それを見た時は肝を冷やしました。
その頃は全国的に無垢の内装材が注目された時期で、しかもスギ、ヒノキだけでなく地域の特色ある樹種に大きな注目が集まり、専門誌などでも取り上げられ特集が組まれたりした頃で、私自身の中にも『近くには無い物』への強い憧れのような思いもありました。それもあって木童さんの全国の産地ツアーによく参加したのですが、樹種の特性にばかり目を奪われて、湿度や環境特性の事は分かったつもりになっただけで本当に理解できていませんでした。怖いものなしという無謀さで随分とお客様にご迷惑をかけた事もあります。
その頃はいろいろな樹種を取扱い、豊富な納品実績があるというわけでもありませんので、やることなすことがすべて勉強で、木の説明にしても今思いだせば顔が赤くなるほど拙く未熟なもの(まあ今もたいして変わらないのですが、今はこちらの神経が図太くなっただけ・・・)で、お客さんもよく納得してくださったなあと思います。ひとが成長するためにはどれだけ多くの周辺の多くの方のご理解と協力がなければならないのかという事を強く強く感じるのです。そういう事もあり『能登ヒバ』の精度も徐々に向上。更に明日へ・・・
隠密が運んだ能登ヒバ物語(4)
私が初めて『能登ヒバ』の匂いを嗅いだときの印象は、「青リンゴのような甘酸っぱく清々しい香り」でした。本家の『青森ヒバ』にも共通しますが、鼻腔の奥を刺激する凛とした爽やかな感覚は、それまでの私の中で確立されていた『スギやヒノキの針葉樹の匂い』とは一線を画するもので、何とも上品で慎ましやかなものに感じたものです。この香りにはリラックス効果があることも認められていて、カットサンプルを車に積んで走っていると天然の芳香剤に包まれているような感覚になります。
その葉っぱにも抗酸化作用があることから、能登では刺身などの下に能登ヒバの葉っぱを敷く習慣もあると聞きました。またダニやゴキブリなどに対する忌避効果も検証されています。またアトピー性皮膚炎に対する治癒効果も期待されています。その事からも、能登ヒバのパネリングを脱衣室やトイレなどに使ってきましたが、匂いの強い木というのは相性の合わない人(特にこども)もいますので、使用前に問題がないかどうかカットサンプルを持ち帰ってもらい、身近な所で反応をみてみるなどの配慮も必要だと思っています。続く・・・
隠密が運んだ能登ヒバ物語(5)
まず、生育範囲が穴水町周辺と限られていて小径木が多く、ヒバ特有のねじれが少ないものの材質が軟らかいという『クサアテ』㊨。主に内装材や造作材に使われます。輪島市など生育範囲は広く大径木も多いがねじれやすく材質的には堅く、主に土台などの構造材に使われている『マアテ』。そして、独特な斑点が見られる幻の高級品種『カナアテ』㊦。能登全域に分布し、玄関ポーチや床柱などに意匠的に用いられますが、関東などではその斑点が敬遠される事も。他にも『エソアテ』や『スズアテ』などの品種もあります。
隠密が運んだ能登ヒバ物語(6)
しかもかつて景気の良い時代に高値で取引されたという記憶がn怒っていて、昨今の低迷する木材市況では場所によっては搬出コストで赤字になってしまう事もあり、頑固なお爺さんたちは「自分の目の黒いうちは絶対に伐らない」と頑なに山を守り続けているそうです・・・というのが今から15年ほど前に表木材の親父さんから聞いた話で、今の能登の木材事情とは違っていると思われます。あれから国内外で随分と内装材の選択肢も広がり、能登ヒバともしばらく遠ざかっていたのですが、懐かしい記憶を辿りました。
過日、石川県からムラモト㈱の村本喜義社長がご来店いただきましたが(今回の『能登ヒバ』の話はそれがきっかけとなったわけですが)、その村本さんは地元の至宝『能登ヒバ』のPRと販売に心血を注がれています。『匠能登ひば』という独自のブランドを作られて、フローリングやパネリングの内装材から梁や桁などの横架材まで幅広いアイテムで能登ヒバを商品化し、設計士さんや工務店、施主さんなどにも能登ヒバの魅力を発信し続けられています。以前一緒になったギフトショーでも、ムラモトブースの壁面には黄白色の美しい能登ひばのパネリングが貼られていて、いい香りを放っていました。いつもの事ながらその精力的な活動には頭が下がるばかりです。いずれ村本さんのところの『匠能登ひば』の内装材も分けていただきたいと思っております。
村本さんだけでなくその周辺には地元の木・能登ヒバにこだわり、愛し、誇りを持って生産されたり加工されている木材人が沢山いらっしゃいます。石川県輪島で能登ヒバの製材をされてい鳳至木材㈱のレッドキングこと四住一也(しすみかずや)さんもそのおひとりです。難しい漢字ですが「鳳至(ふげし)」と読みます。以前、日本木材青壮年団体連合会に所属していた時、交流させていただき、【森のかけら】の『能登ヒバ』は四住さんから分けていただいたものを使わせていただいています。
皆それぞれととっくに会は卒業したものの、そのご縁で今でも繋がりがあるというのは本当にありがたい事です。この数年来能登ヒバの商品を使う機会がなかったので、『今日のかけら』で取り上げるのも今頃になってしまったのですが、能登ヒバの事やそれに関わられている人たちの事を書いていると、またあの清々しい青リンゴのような匂いを嗅いでみたくなりました。知恵熱に侵されたかのように夢中になって能登ヒバにのめり込んだあの頃のように、もう一度能登ヒバ熱に侵されてみよう。そのためにもまず能登へ行かねば〜! 完