森のかけら | 大五木材


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兵庫県立美術館の屋外スペースに出ると、高さが2mを超える巨大なリンゴのオブジェがあります。これは同館を設計した建築家安藤忠雄氏のデザインによるもの。傍らの解説文には作品のモチーフとなったアメリカの詩人サミュエル・ウルマンの「青春とは人生のある期間ではない。心のありようなのだ。」という言葉と共に安藤忠雄氏の言葉も添えられていました。『いつまでも輝きを失わない、永遠の青春へ。目指すは甘く実った赤いリンゴではない、未熟で酸っぱくとも明日への希望に満ち溢れた青りんごの精神です。』

この青いりんごは、繊維強化プラスチックで出来ていて、高さ・幅・奥行きはいずれも2.5m。「海のデッキ」と呼ばれる同館3階の屋外部分に設置されています。直径およそ60㎜の『森のりんご』と比べるとおよそ40倍以上。誰もが皆やってみたくなることでしょうが、巨大青りんごを掌の中へ。これでも『森のりんご』と比べるとまだまだ大きい(笑)。よく実物大の『森のりんご』を作ってみたらなんて言われますが、面白さはあるでしょうが、素材の問題も含めてかなり高額になってしまうので実際に売るとなると難しそう。

私的にはリアルな大きさへの追求よりも沢山の種類を作りたいという志向が強いので、今後も大きさにはこだわりませんが樹種数にはこだわっていきたい。掌に収まるサイズとはいえ、それなりの広葉樹で作っているため価格も相応で、飛ぶように売れるようなものではありません。在庫も結構溜まっているので、しばらくは作るの控えようかなと思っていたのですが、安藤さんの言葉でまた火がついてしまいそうです!やっぱり『森のかけら』も400種類になるなら、りんごもせめてその1/4の100種ぐらいは欲しいよね(^^♪

ところで、青いリンゴと言っているが実際には緑のリンゴじゃないかと思われる人がいるかもしれません。『日本人の青と緑の混用』についてはこのブログでも何度か書いてきましたが、平安時代以前の日本人は青と緑を混用していたため、若い竹を青竹と呼んだり、未成熟のリンゴを青いリンゴと表現して今もそれが残ってます。残念ながら木材の中には削って材面が青い木が無いので『青と緑の混用りんご』は出来ません。しかしこの『青春の青りんご』には背中を押されたような気持になりました。

 




昨日の続きで円谷エキシビジョン2021』の話。「昭和第2期ウルトラシリーズ」のテレビ放送終了後しばらく間が空いて、次のウルトラマン80の放送が始まったのが5年後の1980年4月でしたが、既に中学生になっていた私はウルトラマンへの興味を急速に失っていきました。なのでそこから先のウルトラシリーズへのリアルタイムの記憶はありません。それから長い年月が流れて、実兄に甥っ子が出来て、その子が幼い頃にウルトラマンのソフビの人形を持っていて久しぶりにウルトラマンと対面。

確かその時に甥っ子が持っていたのがウルトラマンティガとかダイナだったと思うのですが、私の世代だとウルトラマンといえば赤とシルバーの配色という固定概念がありましたが、今どきは随分と派手になっているなとソフビの人形を見て思ったものです。それから更に20数年が経過。最新のウルトラマンが会場で展示してありましたが、もはやそれは我々世代が知るウルトラファミリーとは随分かけ離れたお姿・・。時代に合わせた変化を加えていくからこそ長命なのでしょうが同い年としては複雑な心境。

ウルトラマン仮面ライダー、マジンガーZ、マグマ大使、ジャイアントロボ、サイボーグ009などの正義のヒーローたちが私の少年時代の精神性の支柱であったので、単なるノスタルジー以上の思いが溢れます。小さな悪すら許さない無垢なな正義感はいつ失われてしまったのか?何の疑いもなくピュアに人を信用する心はいつ失ってしまったのか?ウルトラマンの展示パネルの前で感慨深く佇むおじさんたちの胸に去来するのはそういう思い。世代を超え55年にわたり地球を守る続ける偉大なヒーローよ・・・。

偉大なヒーローを作り上げたのは最強の悪役の存在。ウルトラマン、ウルトラセブンにはバルタン星人レッドキング、メフィラス星人、ゼットンなどなど強烈な個性を持つ敵役が登場します。ウルトラセブンには市川森一佐々木守、金城哲夫などの新進気鋭の脚本家が参加しており、物語には強いメッセージ性が込められているものが多くあります。特に沖縄出身の金城哲夫の脚本には沖縄を象徴するモノ・コトが多くちりばめられていて、今回の企画展の肝である「神戸港に現れたキングジョー」の名前が金城の実父のあだ名というのは有名な話。

 

売店ではアーカイブスビジュアルフィルムのパンフレットが販売されていて、迷いに迷った挙句、『2020年からの挑戦』を購入。劇場用映画と同じ35mmフィルムで撮影した『ウルトラQ』オリジナルネガから高解像度で新規スキャニングした素材も使用していますが、その素材感よりも私は作りこまれた背景に興味があって、そのタイトルを見返すだけでも当時の製作者たちの熱意と意気込みが伝わってきます。自分の作るものに強い物語性と思いを凝縮させたいという思いは、ウルトラマンによって私の心に刻み込まれていたのだと思うと確信。




以前にブログで書きましたが、兵庫県立美術館で開催された『円谷エキシビジョン2021』に行ってきました。このイベントはウルトラマン生誕55周年を記念したものですが、決して子供向けというわけではなくて大人の鑑賞にも耐えうる展示内容でした。初代ウルトラマンの放送開始が1966年7月ということで、同じ年生まれということもあり、55年という区切りの年への思い入れもひとかたならぬものがあります。それにしても兵庫県立博物館は面白い企画をしてくれます。兵庫にいたら毎月でも通いたいぐらい。

ウルトラマンについて言えば、ただ郷愁としてだけでなく半世紀以上にわたって少年たちを魅了し続けるキャラクターを作り上げた創造主・円谷英二という巨人への興味も募ります。今でこそ神格化されていますが、もともとはひたすら自分が作りたいものを純粋無心に作っていたのだと思います。今から見れば特撮技術は拙いものかもしれませんが、私たち少年は変身するウルトラマンに、繰り出されるスぺシウム光線に夢中になり、街を破壊する怪獣たちに心底怒りを覚えたのです。

映画業界などで腕を磨いてきたプロの職人たちが、こども番組だからといって一切妥協することなく持てる技術を使って作った本気の作品だったからこそこどもたちは熱中したのです。鬼才・実相寺昭雄が手がけた回なんて、こどもには難解で意味不明な演出はほぼATG作品。それでも作り手の真剣度が、ウルトラマンを吊っていたピアノ線を見えなくしたり、安っぽいミニュチユアをリアルなセットに見せたのです。作り手と見る側が同じベクトルを向いていた幸福な時代でした。

しかし天才・手塚治虫がそうだったようにウルトラマンも時代の中で子供の心から乖離していき、一時期不遇の時代を迎えるのです。ウルトラセブン以降のいわゆる「昭和第2期ウルトラシリーズ」(帰ってきたウルトラマン、ウルトラマンA,ウルトラマンタロウ、ウルトラマンレオ)で一旦ウルトラシリーズのテレビ放送は終了します。最後のウルトラマンレオの放送日が1975年3月となっていますので、私が小学4年生の頃。それまではほぼリアルタイムで放送を観てました。続く・・・

 




先日、金沢の(株)ムラモトさんの銘木市に行った時に思ったことですが、そこにはテーブルに使うような立派な一枚板と並んで数多くの造作材があり、綺麗に柾目の通ったスギやヒノキがズラリ。村本さんも分かってらして、「お前はそんなの興味がないやろ?」と先手を突かれます。「はい、興味ないです。」と私。4mの長さにわたり均質な幅の年輪が精緻に並び芸術品のような美しさのある美柾には、ほお~っとした気持ちにはなりますが、欲しいとは思わない。というか仕入れてもうちでは売れません。

柾目が効いた木なんてこの数年、いや10年近く仕入れてないような気がします。現場対応で数本単位なら扱ったかもしれませんが、まとまって仕入れた記憶がありません。ここで言うところの「柾目の木」というのはつまり、節が無くて目が通っていて、和室の内装などに化粧材として「現(あら)わし」で使える装飾性の高い木、鴨居や廻縁、長押という意味です。普通の耳付き板にだって柾目部分はありますが、意図して柾目が強調されるように製材された木の事です。うちの倉庫では絶滅危惧種

昔からそうだったわけではありません。私だって若い頃は柾目の木には強く惹かれましたし、そういう材を使う現場だって関わらせていただきました。むしろそういう材を求めて各地の市場に赴き、梱包で大量に仕入れていました。それがいつ頃からだったかよく覚えていませんが、和室のある住宅の減少に伴い、柾目よりも板目の木を仕入れるになってきました。よく言えば個性的ですが、悪く言えば「癖が強い木」。しかも市場ではあまり相手にされないような木に反応してしまう天邪鬼体質。

王道を行く村本さんのところでは、節のある木を探すのが難しいぐらいで、同じ材木屋でもこれほど仕入れ基準が違うのかと笑いたくなるほどでした。癖があるといっても、銘木的な価値のある木というものでもなくて、ちょっとこれは・・・なんて人がためらうような木の方に惹かれるのはもうどうしようもない性(さが)なのかも。なのでクスノキといったらこんなものばかり仕入れてしまいます。大きな節も割れも愛おしい。材木屋万流、こんな材木屋もないと多様な森を受け止めきれないのだと自分に言い聞かせ(笑)。




先日久し振りにお邪魔させていただいた(株)ムラモトさんの押水物流倉庫。本社のある金沢市中心分から車で40分ほど能登半島の方に向かって北上した場所にあります。今回は、弊社の『モザイクボード』を大量にお買い上げいただき金沢でも本格的販売をしていただくことになり、そのPRと増設された銘木倉庫のお披露目も兼ねて伺わせていただきました。会場に着くと入口付近には、先に紹介した『大五木材コーナー』がガッツリ作りこんであり感動~!こんなことまでしていただける材木屋がどこにあるでしょうか!勝手に『大五木材・能登営業所』を名乗らせていただきます(^^♪

従来の倉庫の隣に新たに増築されたことで、ズラリと並べられた木材のボリュームには毎度圧倒されます。このあたりは雨が多いこともあって、倉庫の外に展示できないという事情があるからこそ、これだけ大きな倉庫を持たれているのですが、雨が降れば倉庫の奥の材を出すこともできない弊社の倉庫事情を思えば雲泥の差。まあ、もし弊社にもこれだけの広い倉庫があったとて広ければ広いなりに使ってしまって結局狭いってことになりそう。どこまでいっても他人の芝生は青い(他人の倉庫は広い)・・・事実ですが。

これだけの膨大な在庫がある程度「回転」しているのがムラモトさんの凄いところ。私だったら、あれも売りたくない、これも売りたくない、これは『森のかけら』に、あれは『モザイクボード』にと売り渋って「塩漬け」になるのが目に見えています。なのでこんなに大きな倉庫を見たって、ちっとも・・・う、う、羨ましくなかかいっ!雲の大きさを心配しながらリフトを走らせるのが私にはお似合い。倉庫の広さなんて心の広さと比べてみれば・・・💦

ところで、今回の銘木市では素敵な出会いがありました。村本さんが事前に「変態が来る」なんてえらく持ち上げていただいたので、感化されわざわざ私に会いに来てくださった(嘘でも嬉しい)石川県の誇る林業女子がお二人。「もりランバー林業女子会@いしかわ」の代表・砂山亜紀子さんと石川県森林組合連合会にお勤めの岡崎早貴依さんです。SNSでの繋がりはあったものの直接お会いするのは初めて。本来はお話を伺うべきなのに、いつもの悪い癖で一方的にこちらから喋べりまくってしまいました。

ところ変われど取りなく問題は愛媛も石川も同じで、最終的には「ひと」に尽きると思います。彼女たちの話を聞いていると(少しは聞いた)、私の若い頃に同じような問題に直面したものの、愛媛木材青年協議会という組織にいたお陰で、同世代の仲間と話し、相談し、アドバイスをもらい随分と救われた事を思い出しました。独りでは抱えきれなかった事が実はそれほどたいした事じゃないと気づかせてもらったり、彼らに負けてなるかと発奮したり。

会を卒業して会おう機会は減りましたが、今でもそしてこれからも変わりない絆で結ばれて先輩・仲間です。たまたま私の年齢の前後2歳ぐらいの間に7,8人も同世代の仲間がいて、本当に恵まれていたと思います。最近の若い方の話を聞いて思うのは、個人軍で孤軍奮闘されている方が多いこと。ますます人数が減っていく木材業界なので地域の中で仲間を見つけづらい状況ですが、地域を超え、世代を超え、性別を超え、連携が出来ればもっともっと木の仕事は面白くなると思います!私は今でも十分に面白いですけど(^^♪




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