森のかけら | 大五木材


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干支にちなんで鳥の話をもうひとつ。昨年末の話ですが、会社の土場に突然カモがやって来ました。近くに池があるにはあるのですが、そこでカモの姿を見たことはなかったので、その池から来たのか、いずこからか目的地を誤って飛来したのか分かりませんが、結構長い時間滞在されていました。ちょうど雨が降っていたので、アスファルトの土場のくぼみにたまった小さな水溜りの中で心地よさそうにくつろがれていました。写真を撮ろうと近づくと、飛んで逃げないまでもトコトコ移動。

 

 

人間にもかなり馴れているようで、人を恐れているようにも見えませんでした。その後も土場の中をあちこち動き回っていたのですが、どうしてある一定の距離を越えさせてはくれませんでした。折角くつろいでいるのに、追い立てるようにするのも可哀想だと、しばらくして気が付いたら姿が見えなくなっていました。スタッフは来年の干支が、やって来たので縁起がいいと喜んでいましたが、まさにグッドタイミングでした。さすがにネギまでは背負ってはおりませんでしたが。

 

 

カモといえば、偶然ですが弊社にもカモにちなんだ商品があります。それがこちらの『ダックエンド』。イチョウ(銀杏)の木で作った11月の誕生木の出口商品です。古い本を食べる虫と知られているシミ(紙魚)という昆虫がいますが、そのシミはイチョウの独特の匂いを嫌うことから、古来からイチョウの葉が栞に使われていました。そういった慣習を元に生み出したのが、イチョウの木のブックエンド。なぜカモなのかというと、それはイチョウの名前に由来しています。

 

 

イチョウの葉の形がカモの足に似ていたことから、昔中国では鴨脚を意味する「ヤーチャオ」と呼ばれていました。鎌倉時代から南北朝時代に日本から多くの僧が中国に渡りましたが、その際に現地の「ヤーチャオ」という言葉を「イーチャウ」と聞き誤ったことから、転化してイチョウになったと言われています。つまり11月の誕生木イチョウが、名前の由来からカモとなり、材の特徴から本を守るからブックエンドになったわけです。もうすぐオンラインショップでも販売開始予定。




徳川埋蔵金発掘の話を書いていて久々に熱くなってしまったのですが、そこには勝者によって書き直された歴史の裏側を見てみたいというひれくれた気持ちがあるからです。歴史は常に勝者によって書き換えられていくもは定説ですが、その書き換えられ抹殺されたはずの真実の歴史は、稀に後世になって表に現れることがあります。それをごく間近で体験したのは、数年前に発刊されて大きな話題となった、明智光秀のご子息によるご先祖様の名誉の回復、『本能寺の変の真実』

 

 

詳しくは明智憲三郎氏の本を読んでいただければと思うのですが(「本能寺の変・431年目の真実」)、こういう歴史の発掘は大好物なのです。ケネディ暗殺事件の真犯人とか、当時の関係者がすっかりいなくなってようやく明かされる往時の資料なんて話は多々あります。あるいはネッシーの写真のように、当事者が死を目にして心の呵責に耐えかねて暴露するパターン。それらもどこまでが本当でどこまでが盛られたものなのか分かったものではなにのですが・・・それも現実。

 

 

そうやってかつては信じられてきたものがひっくり返されることが最近多くあります。科学的な検証によって解明されたものもありますが、分かってほしくないというものもあります。そのひとつがUMA(未確認生物)。正体がわからないことこそが価値でありロマンなので、その正体が暴かれた時点で商品価値は無くなります。同時にロマンも消失するわけで、解明ギリギリで謎を残すというのがロマンを追い求める者のマナー。一方で、伝説や伝承が科学的に証明され箔がつくことも。

 

 

そのひとつが、ノアの箱舟伝説。今さら説明するまでもありませんが、かつて創造主たる神が、古代の罪深き邪悪な人々を大洪水によって滅ぼした時に、箱舟に乗ったノアとその家族や動物たちだけが生き延びたというもの。架空の神話と思われてきたこの伝承ですが、さまざまな調査の結果、これが実話であったことを裏付ける多数の証拠が発見されたのです。物的証拠のひとつとしてもっとも有名なのは1959年にトルコのアララト山付近の谷で発見された木材の巨大な構築物。続く・・・




恐竜博物館内には太古に隆盛を極めたシダ植物に関する展示も沢山ありましたが、今ひとつ興味が湧かないのは、それが果たして「材」となった時にどんな色合いをしているのかとか、どんな木目をしているのか、どんな表情を醸し出すのかといった材木屋的視点で木を見てしまっているからということと、基本的な植物の勉強をきちんとしてこなかったというとこに問題があると思っています。興味のあるところだけ深く掘り起こして、関心が薄い部分はほとんど手つかずというスタイルなので知識の偏り方が酷いものです。

普段は多くの針葉樹に接しているものの、興味の対象としては圧倒的に広葉樹の方が強いので、ついつい広葉樹贔屓のもの言いになってしまいます。更に知識不足で関心が薄いのがシダ植物で、名前すらも覚えられず。まあ、【森のかけら】とは縁が無さそうなので仕方ないところです。ところで、そんな風に知識の乏しい太古のシダ植物に対する私のイメージは、子供の頃に見た恐竜図鑑のイラストに決定づけられています。CGなんてない昭和40年代、恐竜は想像のイラストで描かれるのが当然の時代でした。

今からみればかなりいい加減な時代考証がまかり通っていたと思いますが、誰も実物を見たものがいない想像上の姿なのですから仕方ないところですが、かなり「怪獣的要素が盛られた」それらのイラストは少年の心を萌えさせるには十分でした。そのイラストには巨大なシダ植物と思われる木々の姿が描かれていて、恐竜が跋扈した時代の森はそういうものなんだと長らく信じていました。ところが実際には、シダ植物が全盛だったのは恐竜時代のもっと前の古生代で、恐竜が跋扈した中生代は針葉樹などの裸子植物の時代

なので、本来恐竜の背景に描かれる植物はスギやヒノキやマツなのです。しかし恐竜と巨大なシダ植物がセットになったイメージが植え付けられていて、頭では理解していても逆にスギやヒノキと恐竜という組み合わせに妙な視覚的な違和感を覚えてしまいます。広葉樹は更にその後の時代になるそうで、雰囲気としては広葉樹のジャングルと恐竜って凄く合いそうなのですが、そういうのも映画などの視覚的なイメージによるものなのです。最近の映画ではそういう時代考証が改善されているらしいのですが、恐竜映画を作るのも大変な時代です。




さて今日も『福井県立恐竜博物館』の話。後のこともあって、実際にはここにも1時間程度しか居られなかったので、相当に駆け足で館内を巡ったのですが、またいずれ改めてゆっくりと来てみたいと思います。とはいえ折角なので、ひとつでも多くの事を見ておこうと目を皿にしてあちらこちらをつまみ食い。恐竜そのものにも興味はあるものの、こういう場所でしか見られない「恐竜時代の森」についても興味津々。しかしこういうものって見る側にある程度の知識がなければこんな短時間では到底消化しきれるわけもなし。

とりあえずカメラにだけでも収めておこうとカメラを向けるのに夢中で、中身については帰ってらゆっくり確認しようという始末。恐竜が跋扈した時代のジュラ紀の森についての展示も充実していて、当時の森のジオラマなんて、売っていたら個人的に購入したいぐらい。実は以前に、このブログで古代樹について書いたことがあるのですが、その時は恐竜の時代よりも遥かに太古の3億年前のベルム紀、石炭紀の時代に地上で隆盛を誇った『シギラリアTietea singularis)』などのシダ植物について

また別の項では、愛媛県伊予市の市木『メタセコイア』について書きました(『メタセコイア外伝・伊予市の扶桑木』)が、太古の樹木って恐竜と同様に偏屈なマニア材木屋の心も揺さぶるのです。館内の解説文によれば、「ジュラ紀後期は、三畳紀やモンスーン的な気候がとだえた結果、世界のほとんどが均一な植生になった時代」だそうで、「やや乾燥した環境の中でもっとも繁栄した裸子植物はジュラ紀のおわりまでに現在のほとんどのグループが出揃い、巨大化した針葉樹と競うように巨大になったグループが栄えた時代。」


世界のいろいろな樹種を集めていると、こうした今は無き太古樹にも思いが及んでしまいます。もしもタイムマシンがあるのならば、この時代に行って太古樹を少しだけいただいて、戻ってから『太古樹のかけら』を作ってみたい!そしたら中には時々、太古の虫が入っていたり、草食恐竜が葉を食べるときに擦れた傷や噛み跡でもあれば、それはもうジュラシック・プレミアムウッド!どうせ作れないならせめて妄想の中だけでもリストアップしてみようかしら、『森のかけら・ジュラシックウッド36』!




それでは本日より北信越の旅、いよいよ実質2日に入り、材木屋・製材所巡りをさせていただいた初日とはガラリと趣向を変えて、公園とお城とアート巡りの1日となります。まずは早起きして朝7時から開いている文化財指定庭園『兼六園』へ!今更説明するまでもありませんが、水戸の偕楽園岡山の後楽園と並ぶ日本三名園のひとつで、加賀藩城主によって長い歳月をかけて作り上げられた公園ですが、私にとっては多くの樹種の立木の姿をカメラに収めらることの出来る非常に重要な場所。

 

 

 

桂坂口から入園したのですが、早速『桂坂』が現れ、ここからずっと私のカメラのシャッター音は止むことなし!近いところでいえば、松山城石鎚山高知県の牧野植物園など、立ち木の撮影場所としてよく利用させていただいています。何よりありがたいのは樹木のネームプレートがついていて、立ち木では何の木なのかよく分からない私にとって、安心してカメラに収めてSNSにアップできるというのがありがたいのです。

 

 

 

 

という事で、兼六園でも四国ではあまり撮影できないような樹木を中心にたっぷりとカメラに収めさせていただこうと意気込んでやってまいりました。こういう観光名所って、現役の会員時代にも木青連の大会の前後に愛媛のメンバーで訪れたりすることもありましたが、時間の関係もあって、サラッと見流す程度で、なかなか1本の木をじっくり立ち止まって撮影したり、看板を読み込んだり出来ませんでしたが、卒業してからは独りでたっぷりと時間を使って趣味と実益を堪能させていただいております。

 

 

 

こちらのカツラの木の前に掲げられた看板には、『今は残った親木の原型から往時の姿が偲ばれ、その命は若木に受け継がれて成長している。このあたりは、かつての桂の大木にちなんで桂坂と名づけられている』と記されています。私が広葉樹の耳付き板の魅力に引き込まれたきっかけとなったのが、北海道産のカツラの木でしたので、カツラには特別な思いがあります。入口傍という事もあってほとんどの入園者がスルーされていましたが入園早々私の心は鷲掴みされたのです。




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