森のかけら | 大五木材


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ここからがようやく本題なのですが、その旧御荘町の現場にフローリングなどを納品させていただきました。1階2階ともに無垢のフローリングを貼っていただけるというありがたい物件。久しぶりに2階への突き上げでいい汗をかかせてもらいました。作業は順調に進んで無事に任務は完了したので時間に余裕がありました。それで来るときに看板が見えて、気になっていた『紫電改展示館』に昼の休憩時間を利用して立ち寄ってみることにしました。実はここ愛南町御荘には日本で唯一残存する紫電改が展示されているのです

確か私がまだ中学生の頃だったと思いますが、この先の久良湾の海底40mから引き揚げられ大きなニュースになりました。養殖イカダのアンカーを探していた地元のダイバーの方が潜水中にほぼ原型のままで海底に沈んでいる紫電改を偶然発見して、34年ぶりに引き揚げられることになったのです。その様子がテレビでも放送されていましたが、その機体にはビッシリとフジツボに覆われていて、漫画やプラモデルで知っていた紫電改の勇壮な姿とはまったく違っていて、子どもながらにその異様な姿に衝撃を覚えました。もうあれから40年・・・

テレビなどを見て私がとても興味を持っていたので、その引き揚げの時の様子を写した写真をパネルにしたものを母が買ってきてくれて、高校卒業まで過ごした実家の私の部屋にはそのパネルを飾っていました。引き揚げられた紫電改は修復され、その後展示棟が建てられました。その話は知っていて、いつか見に行きたいとずっと思っていたのですがなかなか機会がありませんでした。ようやく念願が叶いました。その姿は神々しくもあり哀しくもあり見ていると涙が溢れそうになってきます。


綺麗に修復された姿は写真でしか見たことがありませんでしたが、実物を見るとその存在感は強烈です。錆びついて朽ちた無数の穴から、機体の薄さが分るのですが、軽量化するためにいかに苦心したかという技術力と被弾したら何も守ってくれるものがない絶望が背中合わせ。これで戦ってこいと送り出される恐怖。国を思い戦ってくださった当時の日本人の覚悟を思うと手を合わさずにはいられません。当時は世界最高水準と謳われたそうですが、安全性を否定した戦闘機の薄っぺらい機体と、水中着陸の際の衝撃で内側にグニャリとねじ曲がった4枚のプロペラには戦争の愚かさが刻まれています。続く・・・

 




昔は狭い地域で地名を表わす場合、東西南北などの方角を頭につけることが多かったので、愛媛県の西に位置する通称南予地域(ややこしい💦)の中を東西南北に分けて、西宇和郡に対する東側で東宇和郡と名付けられていたのだと思います。それが大合併によってエリアが拡大したため、小さなエリアの中では東に位置していたものが、大きなエリア内では西に位置するようになり、しかも名前に無難な方角名をつけたものですから、土地勘のない方には位置が分りづらい事になってしまっています。

小さな地域を大きな地域が飲み込んでしまって、名前だけ聞くと大きいのやら小さいのやらサッパリ分りにくくなっている例としては、お隣の「香川県高松市香川町」。私の妹が香川に住んでいるので、昔から香川にはよく行っているのですが、合併によっていま車で走っている場所が、地名だけ見ると一体どこなのかイメージしづらくなりました。エリアが妙に大きくなったことで距離感がいまだに掴めません。さて、なぜこんな話をしているかというと、先日木材の納品で愛媛県最南端の「愛南町(旧御荘町)」に行く機会があって、現場の場所を地図で確認していて感じたからです。

愛南町は、昔はその一帯は南宇和郡と呼ばれていました。そこに御荘町、城辺町、西海町、一本松町、内海村という4つの町と1つの村がありました。それが平成の大合併で 愛南町になったのです。私はその愛南町の北側に位置する野村町(現西予市野村)に住んでいましたが、南宇和郡に行ったのは数えるほどしかありませんでした。昔は完全なインドア派の人間でしたので、あまり家から出るのを好みませんでした。その頃もっと外に出てたら、多少は土地勘もついたのかもしれないと思いますが、大人になっても方向音痴でいつも苦労しています。


その愛南町の中の旧御荘(みしょう)町が現場なのですが、もうそこから車で30分も走れば県境で、その先は高知県宿毛市。御荘という地名は、王朝時代に延暦寺の荘園がこの地にあり、それをあがめて「御」を附し「御荘」と呼ぶようになったのが由来だとされているそうなのでもともと歴史と由緒ある地名だったのです。この辺りは協会が入り組んでいて複雑なのでもともと分りづらかったのですが、旧名が無くなって余計に分りづらい。城辺町、西海町、一本松町、内海村って特徴が分りやすくていい地名だったんだけどなあ・・・。まだ続く

 




平成の大合併で全国各地で由緒ある地名が無くなって久しいですが、いまだに何故そんな新名にしてしまったんだろうと疑問に思うことがよくあります。県外に行ってその名前を目にした時に妙な違和感を覚えてしまうのは、まだまだ歴史が浅くて耳慣れしていないという点を考慮したとしても、もうちょっとどうにかならなかったのかと思うものが多い。本来その地にまつわる事象やいわれなどに基づいて名付けられていたもはずのものが、2つの町の名前を組み合わせたような折衷型にされたり、ひらがな表記にしたり、抽象的になりすぎて場所がイメージしづらかったり

この合併後の地名にまつわる話は今更的な話ですが、その名前を何度聞いても何県だったかしら?となかなか記憶できないような地名は観光戦力的にもマイナスではなかろうかと思うのです。市民投票で決めた例も多いようですが、アイドルのなんたら選挙じゃあるまいし、投票して多数決で決めることなんでしょうか。なんだか責任を放棄して、市民に押し付けてしまっているようでそれも疑問に感じます。愛媛に来県された方が、そんな違和感を感じてしまうのではと思っている地名があります。四国中央市、西予市、愛南町

あくまで私の個人的な思いだけなのですが、初めて愛媛に来られた方から、ちょっと戸惑ったとよく聞くのがこの3つの地名。いずれも名前だけ聞くと位置が分りづらいというのと、名前が東西南北、方角だけなので記号化してしまっていて、どういうところなのかイメージしづらいうえに、愛媛県なのかどこなのか記憶に残りづらいというもの。四国中央市は、逆に名前的に振り切りすぎていてある意味で印象には残るのでしょうが、四国の中心都市みたいに誤解される方も多いようです。私はいまだにどうしてのこの名前は馴染めませんが・・・。


私の故郷の野村町も合併して西予市となりました。それまでが愛媛県東宇和郡野村町だったのが、いきなり東から西に変わって当初は違和感しかありませんでした。愛媛は合併前から、東部を東予」、中央部を「中予」、南西部を「南予」と大きく3つの地域に呼び分けていました。合併後はその慣習に従って、東予に対して西予としたのだと思いますが、その南部に位置する地域もその類でいくなら「南予市」という事になるのでしょうが、もともともっと広域に対してその名称が使われていたので苦肉の策で、愛媛の南で「愛南(あいなん)町」となったのだと思います。明日に続く・・・

 




少し前に、今年も地元の中学生の職業体験の話を書きましたが、実は今年はその他に2つの中学校からも同様の依頼がありまして、内宮中学校津田中学校から中学生が材木屋に体験学習にやって来ます。いずれの学校とも職業体験を受け入れるのは初めてですが、内宮中学校は会社から数百mの所にあるもっとも近所の中学校。その間がちょうど校区の境なので、うちの子どもたちは数百m先の内宮中ではなく、校区の端っこにあたる数キロ先の鴨川中学校に通いました。遠いと随分と泣きも入りましたがお陰で足腰は鍛えられたみたい。

今回は中学二年の男子ふたり。鴨川中学の生徒はは、うちのこどもたちも卒業生であることや、住んでいるのが同じ校区ということもあってまったく緊張感もありませんでしたが(これは今年に限らず毎年)、内宮中のふたりはかなり緊張していてガチガチ。話を訊いてみたら、ふたりはクラスも違って、話をするのもこの職業体験が初めてという事でした。緊張感あるのも無理はない。鴨中の子たちは、同じクラスの仲の良い友達が来ることが多いのでリラックスしているもの当然なのですが、この緊張感溢れるふたりがとてもまじめに仕事に取り組んでくれて好感が持てました。

今まで沢山の子どもたちがやって来てくれましたが、まだ中学生ですから将来の仕事に対して漠然として思いしかなくて、材木屋になろうなんて思って大五木材を選んで来たのはわが愚息ぐらい。中には軽いイベントぐらいの感覚で来ている子もいますが、今回のふたりはそもそも互いが親しくないことや、材木屋という場所や環境に慣れていないこともあってか、終始無言で仕事に取り組んでいました。それでも最後は緊張感も解けて木の仕事を楽しんでくれてようです。この後数週間後にまた2日間来てくれます。

流通系の材木屋で一体何を体験させているのだと思われているかもしれません。実際に子供たちに訊いても、チェーンソーで木を伐るとか、家を建てると思っていたようだし、確認にやって来られた先生も作業風景を見て初めて大五木材の仕事を理解されます。子どもたちに体験してもらうのは、従来の『材木屋』としての仕事ではなく、『木のもの屋』としての仕事で、体験する子どもたちも戸惑いがあるかもしれません。きっと今の方向に向かっていなかったら、体験してもらう仕事もなかったし、そもそも職場体験をお受けできていなかったと思います。ここまで辿り着くのに随分遠回りしましたが、いま材木屋としてとても心地いい場所にいます

 




愛媛県が、愛媛の魅力的な農林水産物をデータベース化して商品カタログとして発刊している『愛媛のいいモノすごいモノ』は、定期的に内容が更新されていますが、今回の更新にあたって弊社でも内容を一部変更させていただきました。この冊子に掲載しているのは非食品で、そのジャンルも水引、紙製品、和紙、タオル、菊間瓦、民芸品、工芸品、生活雑貨、木製品と多岐にわたっています。県内全域から選出されていますので、この一冊で愛媛のいいモノ、すごいモノをご覧いただけます。ページをめくって眺めると、改めてこういう商品もあるのかと気づかされます。

弊社ではもともとは【森のかけら】を掲載してもらっていたのですが、今度は『モザイクボードで掲載していただきました。最近、広告を出しませんか?というお誘いを受けることが多くなってきましたが、零細材木屋には資金を有償の宣伝に回せるだけの余裕が無いので、お金のかかる宣伝はすべてお断りさせていただいております。ですので、こういう形で自社の商品を宣伝できるのはとてもありがたい。基本的には口コミにまさる宣伝は無いと思っていますが、独りで静かに商品を見たいって方もいらっしゃいますので紙媒体も必要。

これだけネット社会になって、本だって音楽だって現物を買わなくたって配信でいける時代になっても、やっぱり昭和生まれとしましては、次に何があるのか期待しながら紙のページをめくる触感と紙の肌触り、開いたページから匂いたつ鼻をつくようなインクの匂いは愛おしい。本なりレコードなりCDなり、手に触れる現物が無いとどうしても不安になってしまうのです。特に私のように妄想癖の強い人間ですと、触れてその存在を確認できるものがないと、あれもこれもすべて自分の妄想の中の事だったのではないかなんて思ってしまうので。

冊子には、木製品関係で知り合いの方の商品もいくつか掲載されています。愛媛県は林産県でありながら、川下の非建築としての出口が脆弱で他県の林産地に比べても木工品などの商品が非常に少ないのが現状です。出材される素材がスギ・ヒノキの針葉樹がほとんどという背景もありますが、今後もっと多くの人が木に関わってもらって、もっと多くの多様な出口を開拓して、もっと多くの材が世に出て行ければ、地元の人が「愛媛で作られた木のモノ」を目にする、買う、使う機会も増えてくると思います。

 




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