森のかけら | 大五木材

福井県あわら市にゆかりのある、元阪神タイガース小林繁投手の話の続き・・・。昭和40年代世代にとっては、若かりし頃の明石家さんまがその形態模写で小林投手のサイドスローの投球フォームを真似ていたのが懐かしく思われると思います。当時誰もが物真似をしたものです。江川との空白の一日によって阪神に緊急トレードされた小林投手には、その潔さから巨人から乗り換えたファンもついたり、もともと細身で甘いマスクに人気があったのですが、メディアも「悲劇のヒーロー」に仕立て上げたものだから更に人気沸騰!

阪神にはONという巨大な壁に挑む村山実という名投手がいて、全身を使って投げるそのダイナミックなフォームから、『人間機関車』と呼ばれた陸上長距離選手のエミール・ザトペックにちなんで『ザトペック投法』と呼ばれました。村山実のキャラクターと相まって悲壮感が漂うと形容されましたが、阪神に意識して巨人相手に闘志むき出しで投げる小林繁から感じたのも同じような悲壮感だったにかもしれません。小林繁はその後も5年にわたりコンスタントに2桁勝利をあげるものの1983年に惜しまれつつ引退を決意します。

阪神を引退後、一時は参議院に立候補するも落選。バブル崩壊の追い打ちもあって、経営していた不動産業や飲食店なども経営が悪化し大きな借金を抱えることに。その後近鉄で投手コーチなど経て一旦野球界を離れるが、かつてのチームメイト川藤幸三の紹介で福井県あわら市のゴルフ場支配人を務めます。これがあわら市とのご縁。その後、多額の借金問題で自己破産。紆余曲折を経て2010年に日本ハムの一軍投手コーチとして招聘されるも、その年のキャンプ直前に倒れ、心筋梗塞で帰らぬ人となってしまったのです。享年57歳。

なかなか波乱万丈の人生であってようです。スポットライトの当たるプロ野球の一流選手として世間の注目を集めることができるのは、長い人生の中でほんの一瞬。スポーツ選手にとっては、現役時代の数倍も長い引退後を生きなければなりません。スポーツ選手よりもはるかに現役寿命の長い材木屋にとって、50歳なんて鼻たれ小僧もいいところですが、同世代の中日の山本昌投手も引退して、いつか自分にも訪れる「引退」する日の事も考えてみたりしていたところで福井に到着。あ、ちなみに山本昌投手入団時の総理大臣は中曽根康弘・・・昭和は遠くになりにけり。




福井県あわら市の『金津創作の森』に来たもうひとつの目的は、『21世紀近代美術館』の時にも書きましたが、ミュージアムショップに商品を売り込むための市場調査の一環でもあります。こちらにも小規模ながらミュージアムショップがありました。販売されているものが陶器などが中心だったので購入することはなかったのですが、どういうタイプの美術館にはどういう形態のショップがあって、どういう商品を販売されているか、自分なりに調査中ですが、木の商品って相性は抜群なので、可能性はかなりありそうです。

この後は、福井市に移動してようやく、この旅の本来の目的である日本木青連の全国大会に参加することになるのですが、折角ここまで来たのだから、あわら市と何かご縁はないか、移動中の電車の中で考えていました。すると福井県出身の有名人の中に、プロレスラーの天竜源一郎(ここでは割愛)と元阪神タイガースの川藤幸三の名前が!お二人ともあわら市ではないものの、スポーツ新聞を読んでいたら「あわら市」と「川藤幸三」という名前が並んでいたことを思い出しました。それらを結びつけるのは、1979年に起きたあの『空白の一日事件』!

今更説明するまでもないでしょうが、若い人のために簡単に説明しておくと、巨人入りを熱望していた時の怪物・江川卓(高校時代に阪急、大学時代にクラウンのドラフト指名を蹴っている)が、巨人と「ドラフト会議の前日は自由の身分で、ドラフト外の選手として入団契約可能」と解釈し、ドラフト外入団という形で契約締結を決行したが、これは無効とされ、それに反発した巨人はドラフトをボイコット。ドラフトで競合の末、阪神が正式に江川の交渉権を獲得した。その後、一旦阪神と契約を交わし、その日のうちにトレードを発表。

そのトレード相手となったのが、当時巨人投手陣の主軸のひとりであった細身のサイドスロー・小林繁。キャンプのために宮崎行きの飛行機に乗ろうとしていた小林は、そこで球団関係者からトレードを聞かされる。そして世紀のトレードが行われ、江川は巨人、小林は阪神のユニフォームを着ることになる。「請われて阪神に行くのだから、同情はされたくない」と言った小林は一躍「悲劇のヒーロー」となり、その年の対巨人戦8勝負けなし、22勝で最多勝、沢村賞獲得と結果を出して男の矜持を見せたのである。それから年月は流れ・・・。




昨日だけでは書ききれなかったマユミ、いや真弓明信氏に関する思いについて。世紀のトレードは田淵ファンの私にとって非常に悲しいものではあったものの、阪神・西武の両チームにとってはそれぞれプラスに作用し、後にそれぞれ前チームでは経験できなかった日本一にもなっていますし、球団の顔として新たなファンも出来ました。真弓選手は、首位打者も獲得し、晩年は代打の切り札として活躍しました。引退後は、岡田監督の後を受けて監督も引き受けましたが、残念ながら監督としては芳しい結果を残せませんでした。

それでも1985年に、私にとっては阪神ファンになって初めての日本一を味あわせてくれた永遠のスターのひとりであることに代わりはないのです。そんな真弓氏が監督に就任した年、想像もしなかったスターとのニアミスがあったのです。監督就任の記念として、自分の名前にちなんでマユミの木を使った箸置きを作りたいのだけど、大五木材で作れないかという話が関西の会社を通じて舞い込んだのです。なんという僥倖~!!これはどうしてでもマユミを調達せねばと、当時かなり奔走したものの結局入手出来ず・・・。

泣く泣く断念したものの、その後もマユミとも真弓氏とのご縁もありません。こういう事が過去にあると、その後時期を外した頃に不意に出会いがあったりするものなのですが、不思議とマユミとはご縁がありません。材としての邂逅はないものの、立ち木で出会ったのも何かの縁なので、ここでマユミの木を振り返ってみます。漢字では『真弓』と表しますが、これは『古事記』や『万葉集』にも登場する古名で、昔はこの木で弓を作ったことに由来し、「まことの弓の木」という意味があるということです。

あるいは、秋になると果実が熟して割れ、中から赤い種子が落ちずにぶら下がっている様子が繭に似ていることから、マユ(繭)ミ(実)というのが由来という説もあるようですが、愛媛ではその様子を、巫女の鈴に見立てて、『ミコノスズ』と呼ぶ地域もあります。成長すると幹に縦の裂け目が入り、縞模様になって樹皮に特徴があるので、いつかもっと大きなマユミを見つけたいものです。弓になるぐらいなんで、材質はかなり緻密で弾力もあるしなやかな木ということで、いつの日にか材にも触れてみたいものです。




今日のかけら・E029【マユミ/真弓ニシキギ科ニシキギ属・広葉樹  別名:ヤマニシキギ(山錦木) 学名:Euonymus hamiltonianus

天下の名園・兼六園よりも、私にとっては金沢城の『本丸の森』の方がワクワクしてしまうのは、マニアックな木と出会えるから。まあ、何がマニアックなのかどうかは主観的な問題で、前日取り上げた『シンジュ(ニワウルシ)』にしても、主要分布が中部地方なので、こういう機会でもないとなかなか立ち姿に出会うことはありません。地域性という意味では、四国・愛媛も分布エリアに入っているものの、なかなかご縁が無くて出会いの少ないのがこのニシキギ科の落葉低木の『マユミ』です。

成長してもせいぜい3~5m程度ということなので、建築や家具の分野で利用されることはほとんどなく、小さな細工物(材が緻密なので最近では櫛や印鑑などにも使われるとか)に利用されるぐらいです。なので用材を扱った木材図鑑に載ることもなく、主に庭木や街路樹、盆栽など分類されてしまう木で、さすがにこれだと芯去りで【森のかけら】を取るのも難しいサイズです。地元でも庭とかに植えられているものを時々目にすることがあるのですが、なぜに金沢の地での出会いをわざわざ取り上げたりしたのかいうと、

このマユミという木には特別な思い入れがあるからです。もう9年以上にブログを書いていると、過去に取り上げたことがあるのかどうかすら記憶があやふやなので、以前にこの話は一度しているかもしれませんが、あえてマユミへの思いを書きます。私にとってのマユミは、樹木のマユミではなく、史上最強の一番打者として実に34本ものホームランを打って日本一に貢献した阪神タイガース真弓明信、その人です。真弓が阪神に来たのは、田淵・古沢との2対5の歴史的トレードでやって来た1978年の事

当時、田淵の大ファンだった私にとっては大ショックな出来事でした。その数年前にはその田淵と黄金バッテリーを組んでいた大エース・江夏豊も南海ホークスにトレードで放出しており(阪神:江夏豊、望月充、南海:江本孟紀、長谷川勉、池内豊、島野育夫の2対4のトレード)、スター選手を情け容赦なく放出するフロントの体質に怒りを覚え阪神が嫌いになりそうになったものです。ちなみに田淵・古沢との交換要員は、真弓の他には若菜嘉晴・竹之内雅史・竹田和史。古沢憲司投手は、愛媛県新居浜東高校出身です。この話、明日に続く・・・




うちの娘は長女も次女も学校の部活ではバドミントンをしていますが、自宅でも練習したいということで、会社の裏(自宅前)にバドミントンコートを作ることに。作るといってもアスファルトの上にペンキで白線を書くだけのことなのですが、これが思っていた以上にハードな仕事でした。たまたまこの数か月、木材にペンキを塗って故意に傷をつけて古く見せるエイジング加工」の仕事の依頼が複数方面から舞い込んでいたりしたものですから、白ペンキがあったことが運の尽き。

 

まあ、部活も頑張っているから(次女は市の大会で上位に入賞)ご褒美の意味も込めて、また父の威厳を見せておくためにも、サラッと作ってやるかと思って始めたのですが・・・テレビや娘の試合で見たバドミントンのコート、思っていた以上に広い!練習に使うなら、実際のコートのサイズに合わせて作ってないと感覚がおかしくなるからと、なるべく正確に作ろうということで、次女と計測。縦13.4m☓横6.1m、縦は通し柱2本強、横は通し柱1本分か・・・職業的サイズ感

 

丁寧に作ってやろうという思いはありながらも、早く練習したいという娘の要望に焦らされて、しかも俯きながらの作業で立ちくらみと戦いつつ、作業すること数時間。普段は加工してサンダーで仕上げられた材にクリアの植物性オイルを塗って、乾燥後には毛羽立ちを#600のサンドペーパーで磨き上げて仕上げるような細かな作業をしていのですが、アスファルトって木材のように塗装のノリがよくないので、思うようにペンキも塗れずに次第にイライラ。直線も曲がる、曲がる!

 

コート半面書くのに1時間近くもかかり、後の体力・気力のことを考えて、後半は丁寧・緻密な仕事は通常の材木販売の仕事に譲ることにして、大胆かつスピーディに仕上ることに。それで何とか日が落ちる前に完成。速乾性のペンキを使っていたこともあって、作業後1時間ぐらいでペンキも乾いたので、早速練習開始。駐車場や資材置き場としても使っているので、ネットがある対のエアーネットになりますが、発注元からは仕事への姿勢も含めて満足だとの高評価をいただきました。




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