森のかけら | 大五木材


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愛媛出身の有名な俳人というと誰もが正岡子規を思い浮かべると思いますが、他にも沢山の俳人を輩出しています。もっとも私もそんな事に興味を持つようになったのは、歳をとってからの事で、学生時代は郷土の俳人やら俳句やらがこんがらがってもどれが誰の句やら森のかけらを作るようになってさまざまな事、特に身近な郷土の事に興味が湧く(というか知っておかねば引用も紹介も出来ないという切迫感)ようになってからのこと。知りたいと本気で思った時でなければ頭に入ってこず。好奇心こそが人に学びの扉を開けさせる鍵

ということで愛媛の有名な俳人ですが、正岡子規以外にも高浜虚子、中村草田男、石田波郷などがいますが、昔からひとと同じという事がとにかく嫌だったへそ曲がりの私が好きだったのは河東碧梧桐(かわひがし へきごどう)。その俳句がどうのこうのなんて分かりません、ただそのいかにも偏屈で気難しそうな名前の響きの恰好良さに惹かれたのです。名前の中に『梧桐(アオギリ』という木の名前が入ってますが、当時は梧桐なんて知りませんでしたし、そもそも木に興味もありませんでした。読売ジャイアンツが嫌いだったようにただメジャーなるものへの反発心のみ。

読みづらい名前をさも知ってますと得意げに喋るという事に満足感を抱いていた憎たらしいガキでした。ところでその読みづらい碧梧桐という号の命名者は子規です。碧は紺碧の碧、梧桐は植物のアオギリを意味しています。アオギリについてはいずれ機会があれば『今日のかけら』で取り上げるつもりですが、成長しても幹が青い(いわゆる青と緑の混用)ことから、ともに青色に関連した言葉です。これは碧梧桐が端正な顔立ちの色白で、まるで青ビョウタンのように見えたことに由来しているそうで、その事を後から知ってなぜか余計に格好良く感じたものです。

ちなみに碧梧桐は高浜虚子と高校の同級生で、正岡子規の門下生です。説明が長くなりましたがそんな碧梧桐が詠んだ椿にまつわる有名な句がこちら、「赤い椿白い椿と落ちにけり」。凍てつく冬の日に、紅白の椿がパラリと散っていく情景が浮かんできます。実しかしはこの句には、師匠である子規への裏メッセージが込められているという怖い説もあります。子規が病魔に侵され吐血したり痰を吐くことが多かったことから、赤い椿を血、白い椿を痰に見立てて暗喩しているというもの。厳しい指導へのはけ口とも言われたりもしていますが、真相は椿のみぞ知る・・・

 




観賞目的のツバキの栽培は、文字通り江戸時代に花を咲かせることになりますが、文献に初めて登場したのは『日本書紀』だと言われています。その中で、景行天皇土蜘蛛を征伐した際にツバキの木で出来た椎(ツチ)という武器を作って兵に授けて勝利したとされています。余談ながら土蜘蛛と聞くと、子供の頃に読んだ『伊賀の影丸』の影響で「土蜘蛛五人衆」を思い出してしまうのですが、土蜘蛛というのは本来は、天皇に恭順しなかった地方の土豪たちの事です。それが時代とともに蜘蛛の妖怪・土蜘蛛を指すようになりました。

中世になると絵物語や戯曲でも、ひとの世を魔界にしようとする恐ろしい妖怪として登場してくるようになります。有名なところでは、源頼光が家来の渡辺綱を連れて京都の洛外北山の蓮台野で空を飛ぶ髑髏に遭遇して見事に退治したという話。中学生の頃にそういう話をするのが好きな先生がいて、授業中に脱線してはよくそういう話をされていたのですが、その頃からでしょうか妖怪の話に興味を持つようになったのは。SNS無き時代、聴かされた妖怪のイメージは私の脳内で恐ろしいまでに膨張して、内なる妖怪を育て続けていたのです

話が逸れましたが、ツバキは『万葉集』や『古事記』などにも登場するなど、古くから日本では愛でる花の代表として親しまれてきました。雪に包まれた中で鮮やかな紅色の花を咲かせる凛とした美しい姿に昔の人々も魅了されてきたことでしょう。そんな紅色のツバキの花言葉は、『私の運命は貴方の手中にある』。一方、白いツバキの花言葉は『完成した愛らしさ』。なんとも優雅というか歯の浮くような台詞ですが、実はこの花言葉はある小説が評判になったので作られたらしいのです。その小説とは、アレクサンドル・・フィスが書いた『椿姫』。

そもそもツバキはアジア原産の木で、ヨーロッパに伝わったのは1700年頃だと言われています。それまでその地域や国には存在しなかった(存在しないと思われていた)植物が、どうやって伝わってきたかというのはハッキリしていないケースがほとんどですが、ツバキがヨーロッパに伝わったのは記録が残っています。中国の舟山列島に二年間滞在していたイギリス人のジェームス・カニンガムという医師が、母国に紹介し1739年に初めて英国に伝わったのだそうです。ツバキの深い紅色がヨーロッパの人々をも魅了し多数の品種が生まれました。

それからおよそ100年後にフランスの劇作家・デュマが小説『椿姫』を書きあげます。その後デュマ自身が書いた戯曲によって舞台化され、オペラともなり人気を博します。主人公である高級娼婦マルグリット・ゴーティエは、月の25日間は白い椿を身につけ、残り5日は赤い椿を身に付けて社社交界に現れたことから『椿姫』と呼ばれるのです。赤いツバキは、女性の生理を意味しているということもあって、前述の花言葉はこの作品が評判になった事から出来たものだとか。恥ずかしながらまだ『椿姫』は読んだことがないのですが、これを機会に読むことにします。明日に続く・・・

 




最近よく店の看板を木の一枚板で作りたいとか、ディスプレイ用の変わった形の木が欲しいという話が多いので、ちょっと小さめで形の面白い耳付き板を用意してみました。今までこういう場合、常に大量に作り過ぎて持て余してしまうという事例が多かったので、(珍しく過去に学んで)今回は少なめです。とりあえずクスノキで20枚程度用意しました。とりあえずこれで反応を見て、今後追加を投入するかどうか検討します。クスノキは小さくともそれなりに存在感があるのと、面白い杢が出やすい木なので看板にはもってこいの木だと思います。

木で看板を作ろうかなんて弊社にやって来られる方って、やっぱり『普通じゃないモノ』を求められる人が圧倒的に多くて、お客さんも店の主に似てくるというか、そういう店だからそういう人が集まってくるのか分かりませんが、あまり変化のないような通直な木には見向きもされず、ひたすら『変わった形の木』を探されます。それは実にありがたいこと!少しずつ私の求める層のお客さんが増えて来ていて、変わり者材木屋としては本望なのであります。誤解を恐れず言わせてもらうならば、普通の木を普通に説明して売るなんて、退屈でつまらない

本音だから別に誤解でもないのですが(笑)、普通のベイマツを㎥単価がいくらですとか、スギの柱が1本いくらですとか、それはそれで勿論大切な事は分かっています。弊社にとっても米櫃にあたる部分ですから大事です。だけど偏屈で変わり者材木屋としては、そんなまっとうな真面目な事ばかりしてたらストレスでどうにかなってしまうのです。変わった木のえぐい話や、嘘か本当か分からないような伝承や逸話を織り込みながら、へえ~だのほお~だの言いながら楽しんでもらいたいし、こっちだって楽しみたいのです

ですから、このように汚れるのを最初っから覚悟して、服に埃がつこうが、おが屑にまみれようが果敢に倉庫の奥へと潜り込み、ゴソゴソとマイお宝を見つけ出して来て、満面の笑みを浮かべられるようなこんな素敵なお客さんこそが、どストライクのお客さんなのです(偏見!)。そういう方は乗用車で乗り付けられてもドアを開ければがっつりビニールシートや新聞を敷かれていて、汚れなど厭わずに持ち帰る気満々で準備も万端!お気に入りの木を見つけられて、嗚呼なんとその笑顔の素晴らしきことか!材木屋冥利に尽きる(涙)

わざわざご来店していただいた大切なお客様を変人扱いしておりますが、事前にご了解済です(笑)。もうすっかり常連さんになっていただいて、お店に来られても勝手に倉庫を探索されるようになった、ファンタジックなパン屋さんとして人気の『ぱんや雲珠』さんご夫婦。自分たちでそれぞれにお気に入りの木を探して加工されたりされます。こんな事書いたら普通の人が来にくくなると心配してくださる人がいるかもしれませんが、もうあまり普通の木は置いてないので、そもそも普通の方はあまり来られないんです(笑)。そんな材木屋が1軒ぐらいあったっていい、材木屋万流です!

 




ちなみに弥助が運んだ信長の首にはこういう話も残っています。それが『信長のデスマスク』!オカルト好きには有名な話で今までに何度もテレビでも取材されています。デスマスクの所有者は信長直系43代目の子孫の方。当家に伝わる巻物には、弥助が信長公の首を南蛮寺に持って行きそこで前田玄以に私、岐阜の崇福寺でデスマスク作り、代々受け継げというもの。当時日本ではデスマスクを作る習慣も無かったのですが、海外ではそういう風習があると弥助が説得して作ったのだという話。まあ話としては辻褄が合ってはいて非常に興味深い話です。そのデスマスクがこちら。

 

また信長公の言葉として有名なものに、「是非に及ばず」があります。この言葉は信長の家臣・太田牛一が本能寺から逃げ出した女性に訊いて『信長公記(しんちょうこうき』に書き残したもので信憑性が高いとされています。この言葉の解釈について、「仕方がない」と現代語的に訳しているケースが多いのですが、『本能寺に変427年目の真実』の作者であり、明智光秀の子孫・明智憲三郎氏によると、光秀の謀反ならば仕方ないという諦観の境地ではなく、「なに、光秀の謀叛らしいと?! それが是か非か、本当かどうか、論ずる必要はない!それよりも即刻戦え!」という意味であり、そうでなければ側近の森乱丸に「是非に及ばずと、上意候(命令した)。」と言ったという言葉が繋がらないと解説されています。ちなみに弥助の話、ハリウッドで映画化されるとか・・・どういう風に描かれるか楽しみです。

ところで、このあたりにくると少し周辺が開けていて、数か所で木が伐採され転がされていました。いずれもかなり目の込んだ良材ですが、この後の行方が気になる。これって『安土城跡産出』という事で間違いないと思いますが、普通に木材市場とかに並ぶのかしら?こういうところの木って、もう普通に目が詰まっているとか、節が多いとか少ない、虫が食ってるかどうか、通直かどうかなんて基準で考えてはいかないレベルの木だと思うのだけど、恐らくそういう物差しで考える材木屋って少ないんでしょうね。信長ゆかりのキャッスルウッド(城の木)ってそれだけで十分に価値があって、欲しい人もいるはず。

銘木という価値判断とは別の基準で木を評価すれば、従来とは違う木のファンも増やせるのではないかと考えていて、こういう意味でのトレーサビリティにはこだわっていきたいのです。そんな事を言うと、具体的にどうすればいい?(安土城の木で何を作ればいいの?)って言う人もいますが、そんな木のもの屋としての生命線をただで教えるわけがないッ!人に訊くという発想自体が論外。ことごとく既成概念を打ち破って新たな価値観を生み出してきた第六天魔王もお怒りじゃ!地元の松山城の木でキャッスルウッドが出来たらなんて考えていたりしたけどここはすべてが別次元。安土城は今も宝の山!!

戦国武士とかにあやかってその家紋で『森のしるし』という商品も作ってきました。その第一弾は、戦国武将の中でも特に有名な10人、織田信長(織田瓜)、真田幸村(六文銭)、豊臣秀吉(五三桐)、伊達政宗(仙台笹)、徳川家康(徳川葵)、加藤清正(桔梗)、上杉謙信(上杉笹)、柴田勝家(二つ雁金)、武田信玄(武田菱)、前田利家(加賀梅鉢)そのほとんどがこの安土城と関係していて、もしもこの台木を安土城の台木で作れたとしたら・・・。灯台下暗しで近すぎるとその価値が見えにくくなるのかもしれませんが、安土城の木というだけで手に入れたくなる城マニアは世界中に大勢いるはず!いかん、安土城の木、欲しくなってきた・・・




個人的には、「人は石垣、人は城」と、人材こそが大切な城であると城を築かなかった武田信玄の考え方も好きですが、男子なのでデッカイ城には惹かれます、ましてやその城がわずか3年足らずでこの世から姿を消してしまい、幻となればなおの事。どんどん妄想が膨らみ、城好きの中では、それぞれの安土城が築かれているのです。「ちょっと急いで行ってくる」なんて軽い気持ちで女子チームに声をかけて登り始めて20分以上は過ぎたでしょうか、一段一段踏みしめるように登城される観光客を何人追い越したことでしょう。結構上の方まで登って来ました。

信長公本廟(ほんびょう)」と刻まれた石碑がありました。つまり信長公のお墓という事。しかし、本能寺で自害した信長の首は行方知れずとなっているため、どういう事かとガイドマップを見れば、「秀吉が天正11年に信長公ゆかりの太刀や烏帽子、直垂などの遺品を埋葬して本廟とした」とありました。まだ少しだけ雨が落ちていて、観光客も少ない事もあり周辺は風に揺れる木々の葉音が聞こえるぐらい。そのご遺骨は無いとはいえ、さすがに本廟となると気持ちが引き締まります。これい以上中には入れなくなっていましたが厳かな雰囲気が漂います。

正月の飾りつけも掃除もしてあったのですが、これがあの第六天魔王の墓なのかと思えるほどシンプルでこじんまりとしていました。その後天下人となった秀吉が信長崇拝の象徴とさせないためにあえて派手がましいものにしなかったではなどと詮索してしまいます。ところで信長の首といえば、その消えた亡骸について様々な説があり、小説やドラマにもなっています。結局のところいずれも推察の粋を出ないのかもしれませんが、私は最後まで本能寺で傍に仕えていた黒人家臣・弥助が密かに持ち出し、二条城にいた信長の息子・信忠光秀の謀反を知らせ信長公の首を渡したという説を支持しています。

その後、本能寺に戻り光秀の軍勢と争うも、最終的に降伏します。その際に、光秀はかつて信長の同じ家臣であった弥助に対して、「奴は動物と同じで何も分かっていないから殺すまでもない。」と温情をかけたのか、あえて逃がしています。その後弥助は故郷のモザンビークへ帰ったとも言われています。本能寺で信長が自害する前に残した最後の言葉、「余は自ら死を招いたな。」は、スペイン商人アビラ・ヒロンの著書「日本王国記」に記されていますが、その言葉を聞き伝えたのがこの弥助だったのではないかと言われるもが合点がいきます。明日に続く・・・




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