森のかけら | 大五木材

一日限りのイベントですが毎回楽しみにして来られる方もいてお馴染みさんの顔に出会えたりすると嬉しいものです。木の玉プールだけではなく、木のおもちゃやクラフト商品の販売、自由に木工体験ができるコーナーなども設けているので、時が経つのも忘れて親子で木工に没頭する親子の姿も。時間が限られていることもあって、金槌やノコギリを使ってトントンギコギコというわけにはいきませんので、木のコマに色付けしたりストラップにお絵かきしたり、ボンドで貼り付けしたりというシンプルなものでしたが結構人気。


まあこの場所で大きな木工作品を作っても持って帰るのだけでも大変ですので、これぐらいの方が後の憂いがありません。どちらかというと子供よりも親の方がはまってしまうパターンが多いのですが今回は、のめり込んでくれた子供たちが沢山いまして、中でもこちらの彼は、自前のキャラクターまでお持ちという事で、楽しそうにマグネットにキャラを描き込んでいました。阪神タイガースの帽子を被っている子に悪い子はいません、実に素直で爽やかな少年でした!

こちらは少年の数ある手持ちのキャラクターのひとつである『つつみなし』。本人の説明によれば、『包み紙の無い飴玉』ということです。弊社でも新たにオリジナルの新キャラの開発に余念がありませんが、オリジナルキャラを持っているというのは強いですね~。この写真に写っているのは『森のしるし』の台木で、通常はここに家紋をスタンプしていますが、ちょっと問題のあるB品をイベントに使わせてもらっています。子供たちにはA品もB品も関係ないようで、要はそこに何を描くか。

うまく書けたから持ってお帰りと言ったら、これはここで出会った記念に私にくれると。裏面には名前まで書いてくれて、「(ぼくの事を)覚えておいて欲しいから書いた(なので、あげる)。」なんて感動的な事を言ってくれました。ありがたく頂戴しましたが、いつもここで弊社がイベントしていると思ったようで、またやりたかったのに残念と名残惜しんで、どこに行けば会えるのかと。私が「松山」と答えると少年の住まいは新居浜だったようで、新居浜にはいつ来るのか?と聞いてきます。

残念ながら今のところ私自身は新居浜での仕事の目途はありませんが、家内は木育イベントで県内いろいろなことろを回っていて、近いうちに新居浜も行くらしいので日時や場所の確認をしていました。またの再会を約束して別れましたが、そのピュアな心に私も清められる思い。こういう子供がいつかモノづくりや目覚めたりするのかもしれませんが、木の事についても興味や関心のありそうな子供を見ていると、正しく導けたり話しの出来るおとなとの出会いがいかに大切なのかを考えずにはいられなくなってしまいます。少年よ大樹を抱け!




前日は文字通り浦野さんの宿泊近くの居酒屋で軽く一杯で済ませて、翌日の本番に備えました。本番といっても飲み会のそれではなく、キッチン施工のそれ。本当は興味津々で施工現場も見させていただきたかったのですが、生憎こちらも仕事が立て込んでいて工事そのものは拝見できませんでしたが、施工後にお邪魔して見させていただきました。完成間近の新築現場の中で凛とした佇まいを見せるヤマザクラの美しいキッチン。その姿を見ればわざわざ県外からもお客さんがご依頼に伺われる理由も分かります。


無垢のキッチンは、弊社でも今までに何度か作らせていただいたことがあります。それは10年も以上も前の話で、施主さんからの強い要望で作らせていただいたのですが、私自身がまったくキッチンに対する知識がない(特にレールなどのキッチンパーツから金物関係)うえに水道工事業者との繋がりも希薄だったので、造り直しや現場での追加作業が頻発して相当に苦労しました。普通ならそれで学習して浦野さんのように無垢のキッチンに覚醒するところなのでしょうが、私はキッチンから逃げてしまいました。

その時に、いま弊社の家具のほとんどを造ってくている善家君ZEN FURNITURE)と組んでいたらもしかして私もキッチンに目覚めたかもしれませんが、キッチンってパーツが多いのでめんどくさがりの私にはやはり気が重い分野です。さて無事に浦野さんの方の施工も終了しましたので関係者で集まって慰労会&キッチン談義をと思ったのですが、職人さんたちはその日のうちに帰らないといけなくなったという事とこちら側にも欠員が出まして、結局私と浦野さんと善家君の3人で食事することになりました。

キッチンというわけではないですが、折角なので弊社でカウンターなどを納めさせていただいたお店でということで一件目は『代官町別邸 橙』へ。思えばここにカウンターを取り付けに来たのはもう何年前のことでしょうか。オーナーがお持ちだった新潟のケヤキの古材を使われるという事で、その加工と取り付けを担当させていただきました。カウンターの下に潜り込んで私もボルトを締めたのが昨日のことのよう・・・。あれから数多くの商業店舗に関わらせていただき、多くのオーナーとの出会いもありました。

施工中は納期に間に合わすべく納品もスクランブル体制で、冷や汗ものですが、こうして開業後に客として訪れる充足感は何事にも代えがたし。関わりといっても弊社の場合はカウンターやテーブル、内装の一部だけなのですが、仕上げ部材や家具が多いので、来店しても目に付くものがほとんどなのでかなり役得!その流れで2次会は『独創』へ。そこで以前から気になっていた長野の昆虫食の実態や海なし県あるあるなどの話で盛り上がりました。次はぜひ長野でお会いしたいところですが、そういえば長野にも随分行ってないなあ・・・またぞろ出張の虫が騒ぐ!




 長野のオーダーキッチンの浦野伸也スタジオママル)の話の続き。伊織・道後店の後は、キッチンの専門家ならばぜひ見ておくべき店として、『えひめのあるくらし』のメンバーであるキッチン用品の専門店、大塚加奈子さんの『BRIDGE』をご紹介。そしたら誤ってお隣にオープンして間もない豆腐専門店『まめ楽』さんに迷い込んでしまうというハプニングがあったものの、恐ろしいほどの偶然でお店の方(どなただったか失念)が長野出身か長野に住まわれていた、とにかく長野にご縁にある方だったようで話が大盛り上がり!


結局、お店で豆腐料理も味わうなどしばらく滞在し、思わぬ形で愛媛の豆腐もしっかり味わったとの事ですがこれも旅のご縁。その後、無事『BRIDGE』にも辿り着かれたのですが、今回『遠隔操作』でリアルタイムで道後を案内しながら感じていたのは、道後にもこうして自分でお薦めできて、お店のオーナーとも「この後、もう少しでOOさんが訪ねられるのでよろしく」なんて気軽にやり取りできるお店が沢山あるってなんて贅沢ななだろうって事。いつもは車で同乗した形で案内するので『遠隔操作での案内』は少し不思議な感覚でした。

ところで、私自身はまだ行ったことがないのですが、『まめ楽』さんはお店の工事中から気になっていて、その場で豆腐を作って豆腐料理を出すという、浮ついていない気合の入りっぷりに一度はお邪魔させていただかねばと思っていましたが、今回思いがけず店を訪れた浦野さんからも、逆にお薦めをいただきましたので味は間違いないはず!日中は木材の配達等で道後界隈に行くことは多いのですが、休日になると腰が重くなってしまいますが、今後の道後の観光案内のためにはぜひ近いうちに行ってみたいお店です。


ところで浦野さんとは、その日の夜とりあえず再会を祝してふたり飲み。職人さんたちは翌日キッチンを積んでトラックで来松されるということなので、改めて明日キッチン関係者で施工の慰労を兼ねて飲むこととして、軽く一杯。「いずれまた機会があれば」なんて社交辞令が多い中、4年も経ってこうして再会出来るというのも『おとなの部活動』の出会いのインパクト?!出会う人が出会うべくして出会うを実感中。続く・・・




あれはまだ、『えひめのあるくらし』のメンバーが私とチッキー(帽子千秋Sa-Rah)と高瀬yaetoco(ヤエトコ)の3人だった2014年の冬。『えひめのあるくらし』として初めて東京ビッグサイトの『ギフトショー』に出展した時の事。マッキー(井上真季井上イノウエデザイン事務所)のヂイレクションが最高で、「みかんなどを並べてここは一体何をしているところ?」と好奇心旺盛な方々が足を止めていただいたのです、あたかも蟻地獄に導かれる虫たちのように・・・いや、あくまでもいい意味で。


その中には、2日間とも自ら蟻地獄に落ちていった、いやブースに立ち寄っていただいた奇特な方も数人いらして、その人たちとは数年後に再び別の場面で結びつくようになるのですからご縁とは不思議なものです。そのうちに物好きなおひとりが、長野県松本市でオーダーキッチンを手掛けられているスタジオママル浦野伸也さん。キッチンが舞台という事で、当初はチッキーの作っていたエプロンに目が留まったのがきっかけだったと思うのですが(記憶曖昧ですが)、その後長野のカラマツの事で話が大盛り上がり。

それで次の日もブースに立ち寄っていただき、いずれ愛媛と長野で交流をなどと楽しく話をしたのですが、あれから4年近い月日が流れて思わぬ形で浦野さんと再会することに!7月中旬の頃の話なのですが、突然浦野さんからメッセージが届き、このたび松山でキッチンの現場が出たので時間が合えば久しぶりに会いたいと。今回はたまたまお客さんが愛媛に引っ越されることになったので、それに合わせてキッチンの取り付け工事に来られることになったそうですが、まさかこういう形で再会することになろうとは!


しかも場所が北条という事で、弊社から車で20分ほどの距離。本当は取り付け現場も拝見したかったのですが、私の都合で昼間は動きが取れなかったので、仕事が終わったら夜飲もうということになりました。浦野さんは前日、愛知でもキッチン取り付け工事があったらしく、松山には施工に前日に入られたので、空いた時間で松山観光をしたいということになったので、私が携帯で遠隔操作!?本命の道後温泉から、その時期に開催していた伊織・道後店の『えひめのあるうれしい日』展にいざなわせていただきました。この話明日に続く・・・




本日も妄想の公務員・藤田雅彦邸のウッドデッキで遊ばせていただきます。カメラを向ければ何かせずにはいられないというのもこの病の症状のひとつです。その日、撮影に来ることを知っていた藤田さんは当然いろいろな仕込みをしていました(頼まれてもいないのに)。さり気なく出来立てのウッドデッキの上で日曜日に本を読んでいる体の絵が欲しいと言えば、小道具まで自ら積極的に家の中から持ち出してきてすぐに応えてくれるのはもはや達人の域!背後の壁もこの後ブチ抜かれることになります・・・


達人はディテールにも手を抜きません。まあ、これが手抜きではないのかどうかは個人的な感覚ですが、私としては藤田さんの「本気度」がビシビシと伝わってきました。ある休日のウッドデッキでくつろぐ主人が目を落としているのは、お洒落なファッション雑誌?村上春樹の最新刊?いえいえとんでもありません。我らがバイブル、白戸三平先生の『忍者武芸帳』の愛蔵版!恐らく『カムイ伝』にするかこちらにするかについては、私たちの見えないところで大葛藤があったに違いないのです。嗚呼・・・

敢えて話を脱線させますが、今さら説明の必要もないと思いつつも、最近の若い方はご存知無い人もいらっしゃって、それだとこのネタが十分に楽しめないと思われるので軽く説明しますと、大名や武家たち支配者層と対立する被支配者層である農民や地侍たちとの間で起こる一揆などの陰で暗躍する忍者の悲哀などを描いた壮大な歴史群像劇であり、歴史にその名を刻む名著なのです。シュールな白戸先生の劇画のタッチは当時はかなり衝撃的でした。


ここでもあまりにに無慈悲で不条理な運命に翻弄される農民たちの姿が描かれるのですが、さらにそれは『カムイ伝』、『カムイ外伝』によって、「生きるとは何か、ひととは何か」という根源的なテーマとして世に問われることになります。ちなみに『忍者武芸帳』が描かれたのは私が生まれる前の1959年、『カムイ伝』は1964年からかの『月刊漫画ガロ』に連載されていました。当然私はリアルタイムで読んだのではなく、後年コミックになったものを読んだのです。完成度、衝撃度でいえば『カムイ伝』なのですが、『忍者武芸帳』はかの大島渚ATGで静止画によるモンタージュという野心溢れる実験的映画にしたということで映画史にも刻まれる伝説となったのです。

お分かりいただけたでしょうか?なぜ藤田さんが、爽やかな休日のウッドデッキにはあまりにも血生臭い『忍者武芸帳』という漫画を持ち出してきたのか。私を喜ばせるため?そうではありません。大名や武家たち権力者から理不尽な扱いを受けて、命を賭けた一揆でしか意思を示せない農民の義憤や怒り、影として生きていくしかない忍びの悲哀などが『忍者武芸帳』のテーマなのです。それをこんな健康的なシーンに持ち出して読むということは、つまりこれは藤田さんによる「声なき声」!自らも筆を持って作品を描くアーティストでありながら、その特殊能力いう刀を鞘に納めて活かすことのできぬ己の環境とその不条理を嘆き、俺に忍者としての死に場所を与えてくれという無言のアピールにほかならないと思ってしまうのは私の妄想?!




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