森のかけら | 大五木材


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丸亀城の床に使われたツガ(栂)の出どころまでは分からないのですが、天守建築が今から300有余年も前の話となると、恐らく香川あるいは隣県から調達されたのだと思います。今やツガは幻の木となりつつあって、天然林としてのツガが群生しているのは、霧島、四国、和歌山、信州あたりしかないそうです。四国は高知の四万十川上流域から徳島の霊峰・剣山周辺など一帯に生育するそうですが、さすがにその辺りも用材として伐採できるようなツガはほぼ無くなってしまっているようです。

丸亀城に使われていたのは相当に目が込んだ板でしたので、恐らく100年を超える高齢木であることは間違いないと思われます。建築から350年という事は、私が踏んでいる床板は450年以上の前に地球上に生まれたツガという事になります。その悠久の時間が織りなす緻密な杢は惚れ惚れするほど美しい。そんな高齢木の濃密な杢の足元には及びもしませんが、愛媛でも少量ながらツガの木は自生していて、そのうちわずか数本ですが、運よく入手することが出来ました。

愛媛県産のツガ。モミなどに混じってたまたま生えていたので伐ってみました程度のモノで、とても床材や造作材に使えるようなものではありません。それでも35㎜角のキューブの【森のかけら】にすれば十分なサイズです。もともとそのために買ったようなもので、小さなカウンターとかでも取れれば儲けもの。愛媛の山にも多様な針葉樹・広葉樹が生えていますが、川下側がこういう小径木を使える出口を持っていなければ、こういう木が世に出る機会はなくなってしまいます

ツガは夏目と冬目の差がはっきりしていて、経年変化で更にそれが明瞭になってきます。風雪に耐えて枝を守ってきたであろう枝は石にように硬くて鋭いので、加工中に割れた節が飛んできて怪我をしそうになったこともあります。これはあくまでも私の感覚ですが、ツガを削ると乾いたそば粉のような匂いを感じます。この匂いを伝えるにはもっと適した例えがあると思うのですが、今のところそば粉以上に適切な例えが思いつきません。これはあくまでもジツガの例えでウエスタン・ヘムロック(米栂)からはその匂いを感じません。

 




急勾配の坂道を登ると、櫓と見まがうぐらいの可愛いサイズの3層3階の丸亀城の天守が現われます。この天守は江戸時代から現存する12天守のうちもっとも小さい天守という事でも有名です。天守は小さくとも総高60mの日本一の石垣に鎮座しており、天守からの眺めは絶景!丸亀市内が一望できます。私も以前は勘違いしていましたが、この丸亀城は平山(ひらやま)城に分類されます。山城というのは険しい山に建てられた防御・戦闘を最優先に建てられた城の事で、安土城や兵庫の竹田城、岡山の備中松山城などが該当します。

名古屋城や駿府城など平地に建てられたのが平城(ひらじろ)。戦闘などの軍事的拠点といいよりも政治や経済などを優先して利便性を確保するため、交通の盛んな町の中心部の開けた平地に建てられました。そして平地にある小高い山や丘に建てられたのが平山城。大阪城や姫路城、熊本城などがこれに該当し、松山城や丸亀城もこれにあたります。丸亀城は標高66mの亀山の上に築かれており、別名亀山城とも呼ばれています。小高い丘を亀に見立てて亀山と呼ぶ地域は多く、亀山城の別名を持つ城は結構あります。

わが松山城の別名は『金亀城(きんきじょう)』で、ここにも亀が登場しますが、松山城が建つのは標高132mの勝山で山の名前が由来ではありません。松山築城の際に山麓の内堀のところが深い淵になっていて、そこに金色の亀が住んでいたことが金亀城の由来となっています。長命の象徴ともされる亀の縁起の良さが、城造りという一大事業の成功を願掛け的に使われたのかもしれません。天守で他の観光客が窓からの景色に魅せられる中、私の目を引いたのはその床板に使われていた木。よく目の詰まったツガ(栂)の木です。

資料によると、「丸亀城の天守にはツガ(栂)、マツ(松)、ヒノキ(桧)が用材として使われた」とありますが、天守の床材はすべてツガでした。城の床材って数百年の時間の中で経年変化と退色摩耗して何の木が使われているのかよく分からない事もありますが、丸亀城の床は見事な高齢木のツガが使われていました。あれだけふんだんに木を使っている建築物に関わらず、使用された木材に対する資料や情報が少ないのがいつも不満で、せめてあらわしで使っている木ぐらいは何の木なのか解説をつけてもらいたい。

それにしてもこのツガの目込みっぷりは素晴らしい!松山城にもツガは使われていて、当時は四国にも立派なツガの木が多く自生していたようで、格式の高い寺社仏閣や武家屋敷にはツガが利用されてきました。環境汚染に敏感なツガは、尾根筋など高地を好み、四国だと四万十川上流域や剣山周辺に自生していました。人目に触れにくい山中で年輪を刻んだツガは緻密で、人の足で摩耗され浮造りとなって冬目がくっきりと浮き上がり、節周辺の野趣溢れた杢は一層鮮明になり、その風格は他の針葉樹の追随を許さず

 




昨日のパドックは、6.4mのロングサイズの『パドック』を「解体」したものの一部ですが、ロングサイズのパドックといえば、春に行った岐阜の市場に出品されていた6.4mのこちら!弊社で在庫している6.4mのパドックは、縁があって10年ぐらい前に入手することが出来たもので、さすがにこれぐいのサイズのパドックはなかなか手に入らないだろうと思って、思い切ってまとめて『おとな買い』しました。普段は小さくて安価なサイズの板を沢山買って、ボリュームで勝負する買い方の私にとってはかなり思いきった仕入れでした(ドキドキ)。

それまでに10年以上も経過していて、乾燥状態が完璧だったというコンディションの良さが、私の背中を押した要因ですが、こういうサイズの木は『注文があるから仕入れる』というのではなく『先を見越して仕入れる』という感じなので、8枚ほどまとめて仕入れたのですが、最初の1枚目が売れるまではかなり不安でした。「材木屋なんだからせめてこれぐらいのモノは持っていないと恥ずかしい」なんて大見得を切って仕入れたものの、ずっと売れなかったらどうしようなんて内心焦りもありました。その後時間はかかったものの半分ぐらいは売れてくれてひと安心。

今は逆に、全部売れたらどうしようなんて思ったりもしていますが(笑)、そんな時にこのパドックに出会いました。一昨年から今の時代に即して商品構成にするため本格的な在庫の見直しに取り組んでいて、前時代的な商品には別の出口を見つけて再加工したり、廃盤の商品などは見切りをつけて、今後は建築分野以外でも活用できる材という基準で在庫を調整しています。そういう時期でなければ、思わず衝動買いしてしまいそうなほど魅力的なパドックでした。10年前とは逆に、まだ未乾燥だったことが私の心にブレーキを踏ませました。

嗚呼、私もモノの分別がつく歳になったものだと感慨にふけっていたら、一緒に行っていた金沢の御大がそのうちの数枚を落札!その様子を隣で見ていて、思わず私も「いかん、これは買っておかないと!」と衝動で手を挙げそうになりました。危ない、危ない・・・。他人が買ったものはよく見えるとはこういう事で、後から見れば見るほど、買っておくんだったなあと思うものの、冷静になれば買ったとて置く場所にも窮する。在庫している6.4mパドックも倉庫の奥の奥にしまい込んでいて、「ちょっと見たい」と言われても簡単には動かせず

以前ならそれでもやっぱりあの時買っておくんだったとダラダラと後悔したものですが、最近は倉庫の現状やら経営環境の変化をしっかり受け入れ、引きずることはありません。身の丈に合った仕入れが大前提。といいつつ、ここ一番の勝負場まで我慢を重ねます。ところで、いま在庫しているパドックはいろいろ紆余曲折があってから弊社にやって来たのですが、このパドックを見て、もしかして大元の出どころ(製材所)は同じところだったのでは?と思ったりもしました。うちに来る前に謎の期間が10年以上はあるということなので延べ20数年以上も前の話で、真実は闇の中・・・木は語らず。

 




ブログを書いている最中で、まだ『今日のかけら』に取り上げていない木があれば、とりあえず入口だけでもこじ開けておこうという方針転換にしたので、丸亀の道中で『ミズメザクラ』に立ち寄りましたが、話を今治、西条で納品させていただいたところに戻します。今治で納めさせていただいたのがこちらの『パドック』の一枚板のテーブル。写真では見切れていますが、その奥にブラックウォールナットの幅剥ぎのベンチがあります。仕上げは、もちろん木の質感を損なわず、木の触感が楽しめる植物性オイル塗装+蜜蝋ワックス


実はこのパドックを選びに弊社にご夫婦で足を運ばれたのは数か月も前の事でした。ご希望のサイズよりはかなり大きかったのですが、一枚板の圧倒的な存在感と迫力に魅入られてこれに決めていただきました。少し変形したフォルムも気に入ってもらい、豪快にその形を生かすことになりました。しかしその後弊社の決算もあったり、家具の製作・納品のスケジュールが立て込んでいたこともあって、数か月もお待ちいただきました。通常はそこまでお待たせすることはないのですが、今回はお客さんに忍耐を強いることに・・・。

自分がそうだからそう思うのですが、注文する際は「急いでいないので納品はいつでもいいですよ」と言いながらも、頼んでからは日々思いが募って、妄想のテーブルの方がどんどん膨らんでいきます。あまり待たせると、この妄想のテーブルが先に完成して納品されてしまいます。そうなると満足度のハードルは世界記録並みにあげられてしまうので、あまりお待たせするのはこちらも怖いのです。今回は選ばれたパドックがパンチの利いた個性的な材だったので、妄想のテーブルに後塵を拝することはなかったようです。

以前にこのブログでも書きましたが、このパドックは6m越えの元口が張り出したビッグサイズのパドックの一枚板を「解体」した際に出来たもの。元の状態だとあまりに大きすぎて正直どう売ればいいのか持て余していましたが、解体後は短期間で嫁ぎ先が決まりました。超巨大企業が経営難に陥るとしばしば、金融機関から『Too Big To Fail(大きすぎてその後の影響を考えると潰せない)』という言葉が使われますが、『Too Big To Sell(大きすぎて売れない)』ってこともあります。 嗚呼、そんな木がパドック以外にもいくつかあって、そろそろ決断しないと・・・




乾燥に対する認識も甘々で、施工後に框や踏み台が暴れて、お詫びと補修のため職人さんと同行したことも二度や三度ではありませんでした。しかし、その経験が乾燥の重要性を心に刻ませることになるのです。フローリングとの相性もあったのですが、ミズメザクラだったら何とでも合う的な信仰に近い思い込みがあって、なんでもかんでもミズメを使っていました。長さ3m、幅400~500㎜、厚み70~90㎜サイズの踏み台が飛ぶように売れましたし、そういう現場が沢山ありました。類に漏れず当時建築した我が家の玄関にもミズメザクラが鎮座ましましています。

いろいろ事情がありまして結婚する前の、しかも広葉樹どころか自然素材への偏愛が生まれる前に自宅を建てたこともあって、これが多樹種偏執性嗜好症候群患者の自宅なの?と思われるぐらいかなりスタンダードな家になっています。今から25年ぐらい前の愛媛の和風建築の標準的な仕様になっています。今流行りのデザイナー住宅とは一線を画すクラッシックな旧タイプです。そういう意味ではその当時にどういう木がどういう風に使われていたのかという事情を確認するモデルとしては最適ですが、今ならあんなマニアックな木を変態的な使い方をして、さすがこれぞ『ビーバーハウス!』と人を驚かせる(あるいは思いっきりドン引きさせる)家が建てられたのにと思ったりすることもありますが、バブルの時代だったからこそ建てることが出来た大好きな我が家。

我が家はミズメにこだわって選んだというわけではありません。当時はこういう仕様の框+耳付きの一枚板の踏み台のセットに対応できる材として、和風タイプであればミズメタモマツ、ケヤキぐらいしかありませんでした。そんな仕様の框や踏み台が収まる家となると、それなりのサイズの玄関ホールがあって、4mの無垢のフローリング(当時の言い方だと縁甲板)が敷き詰められることになるので、そのバランスが重要。その中にあってもミズメはあまり相手を選ばない(我々が勝手に思い込んでいただけ?)優秀な木でした

我が家は恥ずかしながら、フローリングはヒノキの厚貼り複合なのですが、経年変化でそれなりに色ヤケしていい感じのバランスになったと自分では満足しています。我が家のミズメはそこそこの浅い虎斑(トラフ)ですが、ミズメは赤身と白太の境界がハッキリしているので、そこに濃密な虎斑が絡んでくると一気に銘木的な趣が生まれてきます。残念ながら弊社にはそういう高級ミズメ材はありませんが。世代時代を越えて人気のあるサクラに比べていまひとつ認知度の低いミズメですが、気がついていないだけであなたの家のどこかにも使われている可能性があるかも?

 




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