森のかけら | 大五木材


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弊社ではウッドデッキなどに使う、いわゆるハードウッドについては基本材をマニルカラ(別名アマゾンジャラ)としています。同等程度の強度や耐朽性を有する木としてはィペウリン、イタウバなど色々ありますが、マニルカラに決めているのは弊社が仕入れている輸入会社がマ二ルカラに精通していて、その取扱いのノウハウや現地の情報などを持っているうえに安定的な供給が可能だから。デッキ材としてはマ二ルカラ主体なのですが、性能は遜色ないもののデッキにするにはモッタイなくて別の用途を探っているのがこのムイラカチアラ

 

倉庫敷地が狭いため、すべての材を倉庫の中には収納できず、差し掛け屋根の下で保管し、その前で加工とかしたりするので、長期間保管するとかなり埃をかぶってしまう事も多く、ウッドデッキは出荷前に1本ずつ水洗いして汚れを落としています。手間はかかるものの、そこで材の検品も兼ねて行います。強靭な材ゆえに癖の強さも針葉樹のそれとは比べものになりません。購入される方が通直な材を望まれる気持ちはよく分かりますが、ブラジルから遠路はるばるやって来られた集団の中には、かなり手強い剛の者もいらっしゃいます。

100本買ったのだから100本全部がきちんと全部使えなくてはいけない、それが当然と思うのは日本ルールで、海外から輸入される木材って(最近はかなり日本ルールに即しているものもありますが)かなり適当。というか自然素材なんだから、工業製品みたいな品質を求める方がおかしいというのが海外ルール。曲がっているからNGとするか、曲がっていたら短く切って使える場所で使うというのが普通の感覚。曲がりが混入していたから値引きしてというのが日本人感覚。ブラジル産のデッキを扱ってその違いを強く意識するようになりました。

いい悪いというより民族性だと思いますが、自然素材に対して過剰に品質を求める日本を敬遠する海外メーカーも多く、昨今のように材が逼迫すると細かな事を言わずにグレードの上から下までブッ込みで買い付ける中国の商社などに買い負けてしまいます。ムイラカチアラの検品をしたいたら赤身部分に大きめの虫穴が。何もこんな硬い硬い木を食べなくてもと思いますが、蓼食う虫も好き好き。世界から見れば、日本人は自然素材相手にハードル上げなくてすぎだろうと思われているかも。木を愛するがゆえの厳しさなのか・・・ムイラ喰う虫も好き好き。




時の皇太子・劉拠に対する謀反に加わったとして捕らえられ、獄中で刑の執行を待つ身だった同じ境遇で友人の任安に対して、「腐刑」という汚辱を甘受したわが身の心境を綴ったものでした。自分には父親から厳命されていた史記の編纂という大仕事があったので、屈辱的な罪を受けようとも生きてその仕事を成就させなればならなかったという苦しい心の内を吐露した言葉だったそうです。それが年月ともに曲解されて、司馬遷の忠義を称えた言葉として伝わったというのが真相らしい。
本来の意味がタイサンボクの苗に影響を与えたかどうかは定かではありませんが、当のタイサンボクにしてみればそんな話知ったこっちゃないという事でしょう。しかし言葉でその木のイメージが形作られていくことってあるので、本来の意味を知ると複雑な思い。まあこの場合は、曲解された「義のために命をすてることは少しも惜しくない」という思いを込めて名前に使われたと考えたほうがよさそうです。そういう名前のタイサンボクですが、折角手に入ったのだから骨までしゃぶって使わせてもらわねば申し訳ない。
森のかけら』には取れないサイズの小さなものも出来る限り耳を落として製材しました最終的は「ストラップ」という最小サイズの出口がありますので、そこに使おうと思っているのですが、それならストラップも400種類作ってみたい・・・メインの木取り(森のかけら)で十分元が取れるのだから、端の端まで使い倒そうなんて欲の皮の突っ張ったことをいいなさんなとよく言われます。そうですが、そこは、『(骨までしゃぶり尽くしてこそ材木屋の使命と考える)義は泰山より重し。泰山木は重し(生木だからね)。』

大振りで立派な花と樹形から文字通り「大きな山のような木」という意味を込めて『大山木』と書いてタイサンボクと読ませることもあります。大山の木、大山と言えば・・・そう、わが愛する阪神タイガースの4番大山悠輔選手!で妄想で『阪神タイガースの5かけら』を考えてた際に、選手、選手、選手、タイガーウッドらと共にどうしても持っておきたかった樹種でした。これで虎と木にちなんだ『虎の5かけら』のご用命いつでもお受けできますのでご安心下さい阪神球団様!




今回ご縁があって入手できたタイサンボク(モクレン科)は、個人も庭に植えられていたものなので決して大きくはありませんが、『森のかけら』にするには充分なボリュームです。全部かけらにしたとしたら、これで向こう10年は安泰です。タイサンボクの材としての特徴などについては、これから乾燥させて加工した際に改めて書くつもりですが、ここではその名前について。原産地は北アメリカで、日本には明治初年に入って来ました。材としてのタイサンボクを見るのは初めてだったのですが、生木の状態ではクリーム色で加工性もよさそう。
これから乾燥していく過程でどう変化していくかという事ですが、案外使い道はありそうです。ただし材の供給が不安定なので限定品などになってしまいます。タイサンボクという言葉の由来は定かではないものの、大ぶりな花や樹形から大山木と名付けられたと言われています。花が大きな盞(さかずき)の形をしているから「大盞木」の漢字を当てているとの説もありますが、一般的には「泰山木」の漢字が当てられる事が多いようです。これは司馬遷の漢詩の一部から転じたもの。

 

山は中国山東省中部に位置し、秦の始皇帝や前漢の武帝らが天地を祀る儀式「封禅」を執り行なった荘厳で神聖な山のことです。司馬遷の史記の中の一説、「義は泰山より重く、命は鴻毛(こうもう)より軽し」から来ていると言われています。現在「義は泰山より重し」という言葉は、国家や主君のためならば命を捨てる事すらも惜しまないという忠君愛国の思想の教えのように解釈されていますが本来の意味は違ったようです。元の言葉は、「人 固(もと)より一死有り。或いは泰山より重く、或いは鴻毛より軽し。用の趣く所 異なればなり。(略)最下は腐刑、極まれり。」というもの。

意味は「人として生まれたからには、必ず死はあるもの。だがその死が泰山より重いか、鴻毛より軽いかは、人それぞれの、その動機の違いによると言える。最悪は、命を惜しんで受ける宮刑に尽きる。」という事で要約すれば、人の守るべき道は泰山よりも重く、それにくらべて命は鴻(おおとり)の羽毛より軽い。義のために命をすてることは少しも惜しくないという意。そう聞くと司馬遷の高潔な生き方を表わした言葉のように聞こえますが、実は本来はそうでなくて司馬遷の屈辱の胸中の吐露だったようです。続く・・・




いま取り組んでいる『森のかけら400』にどうしても加えたいのがモクレン科の広葉樹『タイサンボク』。大振りな白い花と艶のある葉が特徴的で、松山市内でも街路樹や公園などによく植えられています。この木の存在は知っていたものの、用材として利用されることはほとんど無くて、木市場ではついぞ見かけたことがありません。日々よく目にしていながらも『森のかけら』に加える事の出来ないジレンマ。

こういう思いが「次に改訂するときは必ず加えてやる!」という変な野心を抱かせてしまうのです。今回400種を目指す際には真っ先に解説文は書き終えて待ち構えていました。『森のかけら240』を作った10数年前はまだまだ細かったネットワークも広がり人脈も多彩に。なによりも国産材に関してはビーバー隊長』こと武田誠さんとの出会いが大きくて、この人がいなければ400種の木を集めようなどという野望は夢のまま実現することはなかったことでしょう。

武田隊長という懐刀もあるし、今回はタイサンボクも楽勝だろうと高をくくっていたのですが、そこが街路樹・公園木の木の難しさ。天下無双の武田隊長と言えどもさすがに勝手に街路樹を伐採できるわけではないので、飢えた獣のように草陰に身を潜めただひたすらじっとその時を待つわけですが、なかなかそのタイミングが巡って来ない。こういう場合は、とにかくこの木が欲しい!と強く強く念じてじっとご縁を待つしかないのです。

本当に強く願えば叶わない事は決してない、というのがビーバー隊の信条です引き寄せの法則は本当にあると思います。先日、そんな私の元に1本の電話が・・・。「タイサンボクの庭木を伐ったけど要りますか?」やっぱり神はいる!端材までしっかり活かしきろうというモッタイナイ症(貧乏性)の我々をビーバーの神は見捨てなかった!念願叶ったタイサンボクの丸太とはこうして出会えたのです。実に構想10余年・・・

 




毎年2月が終わる頃になると蕾が膨らみ始めて、今年こそは開花するその時をカメラに捉えようと思っているのに、今年もその瞬間を見逃してしまったコブシ(辛夷)。気がついたらすっかりその白い花を咲かせていたのですが、背景の家の白壁に溶け込んで迂闊にも開花を見過ごしてしまっていて、夕方になって辺りが薄暗くなりかけた頃に浮かび上がるような白い花に気づき、嗚呼今年も見逃してしまった。そして今年も春がやって来たと思うのです。コブシに春を教えられる何度目の春だろう。

3月の上旬から下旬にかけてたわわに白い花を咲かせ春の訪れを教えてくれることから『春を告げる木』とも呼ばれるコブシですが、この数年はこのコブシによって春を意識するようになりました。若い頃は立ち木の事にはほとんど興味がなくて、何の木がいつ頃咲くのかなんて全然気にも留めていませんでしたが、『森のかけら』の樹種数が増えるにつれ、花の開花時期にも少しは気が向くようになってきました。

立木から伐採され用材となってからの特徴され分れば、葉っぱや花びらなんてどうでもいいやなんて思っていましたが、『森のかけら』の解説文を書く際に樹種としてその木に向き合った時にその見方がいかに視野狭窄であるかを思い知らされました。用材としての側面だけで木を見る事がどれほど危険で本質を見誤る偏った考え方なのか。いやそれよりも花を愛でる心の余裕すらなかったのです。嗚呼今まで随分ともったいない事をしてきた。

今年のコブシの花は今年だけのもので、来年も咲くであろう花は別のものです。そんな当たり前のことすらもすっかり忘れてしまって、コブシを見ているつもりでコブシを見ていませんでした。そんな気持ちで今年にコブシを見ていたらどの花も愛おしい。ひと月あまりのわずかな月日の間、精一杯花を咲かせて春の訪れを教えてくれるコブシ。その花が多いとその年は豊作と聞きます。ことしは豊かな年になることを暗示するかのようなたわわな花。どうか今年は平穏に木が愛でることの出来る普通の一年になってもらいたい。

 




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