森のかけら | 大五木材

ものを見る視点を変えな帰らばというのは勿論自分自身への自戒の念も込めてものことでああるのですが、それを強く感じたのは事務所の一角にあるクラフト商品などの展示スペースに置かれたこれを見て、やわらかいと思っていた自分の視点も凝り固まっていると感じたからです。これは【森のかけら】を作る際に生まれてしまうB品『夢のかけら』にただ線や色を描き込んだだけの「かけら小包」と「ルービックキューブ」ものですが、こういう発想もあるのか~と軽やかな発想に驚かされました。

実はこれ、うちの高校3年生の長女が、家内に頼まれて『森のかけら以外のかけら』の使い方を考えてみてと言われた考えたものだったのですが、後から誰が作者なのかを聞いても、それ自体が自分には無い発想だったので余計に驚きました。どうしても材木屋としても見えざる呪縛のようなものがあって、なるべく木の持つ力を信じるという点に傾倒しがちになります。つまり着色はせずに、本来の木の持っている色を引き出すためのオイルにこだわるとか、奇をてらうような細工はなるべく避けるとか

それを自分の中で『禁じ手』としているわけではないものの、木に対峙する時のひとつの指針としてそういう心構えでいるため、全部塗りつぶしてルービックキューブにするなんて発想は、いかに相手が『夢のかけら』であろうとも、私であればいくら時間をかけようとも思いつかない裏技。強いこだわりを持つことは大事だと思うのですが、あまりにそこに捉われすぎると視界が狭まってしなやかな発想が出来なくなります。こちらはご存知『木の玉プール』ですが、この中にも時々面白いものが紛れ込んでいます。

それがこちらの節や傷、虫穴などの跡が、顔のように見える玉!これをいわゆる『欠点、不良品』かもしれませんが、滅多にないことなので『当たり』と考えればちょっぴり心が豊かになります。イベントなどに持って行くときは、大体1万個の木の玉がはいるわけですが、まあ人間だって1万人もいれば少しは変わった奴も混じっているように、木の玉にだって変わった奴が混じっています。1個そういう球を見つけると、何かにとり憑かれたがごとくに一心不乱にそればかり探す子もいたりして面白いです。

『木の玉プール』には広葉樹と針葉樹がありますが、針葉樹の中でもヒノキの場合、玉の表面にうっすらとヤニが滲み出てくることがあります。『ダグラスファー(米松)』のような粒状のヤニではないのですが、触るとザラリとした触感があってあまり歓迎されません。それでもしばらく使っていれば、子供たちの油や汗やいろいろなものでそれなりに馴染んでくるのですが、それを逆手に取って目玉をつけた『木の玉ちゃん』的なものが出来上がっていいました・・・かけら、木の玉、どこまで自由になれるか!?




最近はすっかり『さかなブログ』となりつつありますが、寿司屋と見まがうほどに鰊(ニシン)のネタがありまして、本日もニシンはニシンでも今日はその名前に関する話。まずはその名前の由来についてですが、身をふたつに裂いて食用にする「二身」からきている説や、二つに身を割るからことから「妊身(ニンシン)」がニシンになったとか、両親が揃っている者は必ず食べなければならない魚だった、あるいは両親の長寿を祝って食べる魚だったことから「二親」が「ニシン」になったなど諸説あり。

 

 

 

漢字表記としては、今は『』と書き表しますが、かつて北海道の松前藩では米が取れなかったため、納税や俸禄などにニシンを収めたのですが、その際にこれは「魚に非ず、海の米なり」と言ったことから、魚偏に非と書いてニシンと読ました言われています。信憑性がどうのこうのというよりも、こういう伝承を大切にしたいと思うのです。それが真実ではなかったとしても、語り継がれ逸話の中にこそ、本質が隠れていたり、別の形で反映されていたりすることは多いから。

 

 

今は『鰊』の漢字が使われますが、魚偏の隣の『柬(カン)』は、束ねたものを選り分けたり、選抜するという意味があるそうで、魚偏とくっ付くことで、春になると産卵のために沿岸に押し寄せることから、「春に選ばれた魚」という意味で『鰊』の漢字になったのだとか。英語では Herring(へリング)。ファッションの世界でもこの言葉は使われていて、この後に「骨」を表す意味のbone(ボーン)をつけると、Herringbone(ヘリンボーン)となります。

 

 

 

直訳すると、『魚の骨』ですが、斜め線がV型に組み合わさった折り目が、魚の骨のように見えることからこの名前が使われます。日本語では、『杉綾織り』とも呼ばれます。ファッション業界では模様の名前ですが、住宅業界においてはフローリングの貼り方の技法として使われます。そのヘリンボーンに対応できるフローリングは、以前はチークカリンなど一部の樹種に限定されていたのですが、新たにナラカバ、ブラック・ウォールナットなども加わりました。




小豆島からやってきたオリーブの木ですが、実は私の子供たちの通っている地元の鴨川中学校の校歌・校章にもオリーブが(校歌の2番:清き香もオリーブの徽章に見ゆる真善美♪)。学校の校庭にはオリーブの木も植えてあります。オリーブの花言葉は、「平和」、「知恵」であることから、多くの学校でも校歌や校章に取り入れられているところが多いようです。鴨中には『かもも』という独自のゆるキャラがいますがその頭にもしっかりオリーブの葉が!

 

 

 

そのようにイメージの広がりと認知度いう点では非常に優れた木であるオリーブですが、国産のオリーブとなると通直な材が採りにくく、径級も小さいため、クラフト材としても、小さめのコースターや器、皿、スプーンなどに限定されています。なので私としては、得意の『物語の付加』という観点から出口を考えてみるつもりです。こうやって当初の目的であったニシンのオイル漬けから、ニシン漁の変遷などを調べてみるのも、物語を構築するために必要不可欠なこと。

 

 

今回オリーブの小枝と板と一緒に小豆島産の新漬けのオリーブもいただいたのですが、新漬けのオリーブって実は初めて食べたのです。新漬けオリーブは、オリーブ果実を収穫後に脱渋し、塩水に漬けこんだもので、化学調味料、防腐剤などは使用されていません。ビタミン、ミネラル、抗酸化作用のあるポリフェノールも含んでいるという特徴があります。鮮度抜群の新漬けオリーブですが、秋に収穫した時期限定のもので、賞味期間も開封前の状態で製造後90日という大変貴重なものなのです。

 

 

塩っけが効いていてビールのつまみには最高でなかなかの美味でした。私の中ではオリーブというと、まず素材としての「材」、次にオリーブ畑の視覚的な「樹」、シンボルとして描かれることも多い「葉」、料理やアロマとしてのオリーブの「オイル」、そして最後に食用の「実」という位置づけでしたが、今回新漬けオリーブをいただいたことで多少順位の変動もありそうです。頭で考えてばかりいては見えないものが沢山あります。目にも口にもとってもありがたいご縁でした。

 

 

私にとっては小豆島産のオリーブも大切ながら、いま在庫しているスペイン産のオリーブの方も気になるところなのです。現在のところ、こちらのオリーブの方にも【森のかけらプレミア36】という出口しか作れていません(サイズの関係で、今の材だと『森のりんご』が取れません)ので、スペイン&小豆島産併せて出口を考えてみるつもりです。『かもも』に『新漬けオリーブ』と、材木屋の小さな視点で見ていては見えないことばかり。酉年だけに鳥瞰の視点でモノ語り造りに励みたいと思います




★今日のかけら プレミアム004 オリーブOlive モクセイ科・広葉樹・スペイン産

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて本日は昨日に続いてオリーブの話ですが、ちなみに【森のかけらプレミアム36】に入っているオリーブはスペイン産のものですが、ここでお話しするのは小豆島で育った国産オリーブの話です。まずは小豆島とオリーブの歴史について。四国に来られたことのない方には小豆島がどこにあるのか分かりづらいかもしれませんが、瀬戸内海・播磨灘にある島で、香川県小豆郡に属し、小豆島町、土庄町の2町からなり、人口は3万弱。淡路島に次いで2番目に大きな島です。

 

 

 

の島がなぜオリーブの産地になったかというと、今から100年と少し前の明治41年(1908年)に、当時の農商務省がアメリカから輸入したオリーブの苗木の試作をするために日本で3か所が選定されました。なぜそれらの場所が選ばれたのかというと、オリーブの原産地のイタリア、スペイン、ギリシャなど地中海地方に似た温暖な気候の場所であるということと、小豆島については当時沢山獲れたニシン(鰊)をオイル漬けにして輸出する狙いもあったとか。小豆島以外の2ヶ所は鹿児島と三重。

 

 

 

その後、小豆島以外の地域ではオリーブがうまく育たず栽培を断念。小豆島の環境にはうまく適応したようで、順調に生育し、大正時代の初めの頃には搾油ができるほどに地域に定着したのだそうです。栽培農家の努力もあって、その後栽培面積も増えて、昭和29年には県花、昭和42年には県木にも指定されています。しかし昭和34年の農産物自由化以降は、スペインなど海外から安価なオリーブ製品が輸入されるようになって厳しい価格競争の波に飲み込まれることに。

 

 

 

当初考えていたニシンのオイル漬けも、漁獲環境が一変して激減します。ちなみに明治30年には国内の鰊の漁獲量はおよそ100万トンもあって、海藻なども含めたあらゆる漁業の総漁獲量が174万トンだったので、全体のおよそ6割をニシンが占めていた計算になります。個体数で換算すると、約30~40億匹という天文学的な数字!しかしその後ニシンは急速に獲れなくなり、「あれからニシンは どこへ行ったやら ~♪石狩挽歌で歌われたように激減の一途を辿ります。




徳川埋蔵金発掘の話を書いていて久々に熱くなってしまったのですが、そこには勝者によって書き直された歴史の裏側を見てみたいというひれくれた気持ちがあるからです。歴史は常に勝者によって書き換えられていくもは定説ですが、その書き換えられ抹殺されたはずの真実の歴史は、稀に後世になって表に現れることがあります。それをごく間近で体験したのは、数年前に発刊されて大きな話題となった、明智光秀のご子息によるご先祖様の名誉の回復、『本能寺の変の真実』

 

 

詳しくは明智憲三郎氏の本を読んでいただければと思うのですが(「本能寺の変・431年目の真実」)、こういう歴史の発掘は大好物なのです。ケネディ暗殺事件の真犯人とか、当時の関係者がすっかりいなくなってようやく明かされる往時の資料なんて話は多々あります。あるいはネッシーの写真のように、当事者が死を目にして心の呵責に耐えかねて暴露するパターン。それらもどこまでが本当でどこまでが盛られたものなのか分かったものではなにのですが・・・それも現実。

 

 

そうやってかつては信じられてきたものがひっくり返されることが最近多くあります。科学的な検証によって解明されたものもありますが、分かってほしくないというものもあります。そのひとつがUMA(未確認生物)。正体がわからないことこそが価値でありロマンなので、その正体が暴かれた時点で商品価値は無くなります。同時にロマンも消失するわけで、解明ギリギリで謎を残すというのがロマンを追い求める者のマナー。一方で、伝説や伝承が科学的に証明され箔がつくことも。

 

 

そのひとつが、ノアの箱舟伝説。今さら説明するまでもありませんが、かつて創造主たる神が、古代の罪深き邪悪な人々を大洪水によって滅ぼした時に、箱舟に乗ったノアとその家族や動物たちだけが生き延びたというもの。架空の神話と思われてきたこの伝承ですが、さまざまな調査の結果、これが実話であったことを裏付ける多数の証拠が発見されたのです。物的証拠のひとつとしてもっとも有名なのは1959年にトルコのアララト山付近の谷で発見された木材の巨大な構築物。続く・・・




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