森のかけら | 大五木材

本日は北海道からぐっと南下して東京でのご縁の話。昨年末にモザイクボードをご購入いただき、年明けにオープンされた、目黒区祐天寺のペルー料理店『EL CEBICHERO(エルセビチェロ』さんですが、完成後にお店のオーナーから店内の写真もいただいて喜んでいたら、フットワークの軽い『関東地区かけら特命大使』である㈲高梨木材の高梨悟君が早速お店に行って食&モザイクボードレポを自分のブログにアップしていただきましたので、そちらからの引用です。

大のビール好きである高梨君はお約束どおりまずはペルーのビールを注文。ボトルで『CUSQUENA(クスケーニャ)』というペルーを代表すると言われるビールをご堪能。このビールは南米ペルーの街・クスコで作られていて、地元ではとても人気のビールだそうで、名前のクスケーニャというのもその地名から命名されていて、日本語に訳すると『クスコ娘』という意味があるそうです。ボトルの下部にある凹凸は、世界遺産にも登録されているクスコの石垣のイメージなのだとか。

毎晩の晩酌を欠かさないビールキングの喉も満足させる味だったようで、これは私も探して飲んでみねばなりません。その後もシェフご自慢のペルー料理を楽しまれたようですが、さすがに『かけら大使』だけあって仕事も忘れません。鮮やかな色彩のペルー料理を引き立てるモザイクボードのテーブル、といった趣きでバッチリ写真も撮影いただいたのでこちらでお借りしました。私はまだお店に伺ったことがないのですが、これでお店全体の雰囲気やレイアウトもよく分かりました。

カウンターだけではなくて、テーブルにもモザイクボードをご利用いただいて、すっかりメインの場所を独占させていただき恐縮です。その分、お客様の目に留まり、オーナーとの会話のきっかけにでもなったり、色彩豊かなペルー料理に少しでも花を添えられるような「仕事」をしろよと、生みの親の心配は尽きません。今回、すぐにお店に行って食&モザイクレポをしてもらった高梨君ですが、何度かこのブログにも登場してもらっていますが、『森のかけらフレーム289』を所有する真正かけらフェチ!(念のためですが賛辞!)

前にも東京でご縁のあったお店に出向いて、大量の写真を撮ってきてくれたりと、その仕事ぶりには定評があります(私にとってだけかも・・・)。東京でこうして新しいお店にモザイクボード使っていただいたり、そのお店を『森のかけらコレクター』が訪ねて、そこで知らない二人が遥か愛媛の名もなき材木屋の話をするなんて、私にとって本当に夢のような話。そんな素敵なご縁が少しずつ広がっていって、東京出張の際には訪ねる店が多くて悩んでしまう・・・という妄想で今日も夜が更ける。




では恒例となっております、会員の皆様のご紹介。一昨年の盛岡、昨年の愛媛では『誕生木ストラップ』を持っていただき、そのPR効果にすっかり味をしめ、今年は『森のりんご・チューリップウッド』を持っていただきました。もともとは、全国から一堂に会した全国大会で【森のかけら】の代理店さんをご紹介しようという意図で始めたものですが、そのうち異様な広がりを見せ始めました。しかし、この「儀式」も少しづつ認知されるようになり撮影がかなりスムーズに出来るようになりました。

まずは北海道・東北ブロック。上段左端から時計回りにご紹介。まずは、ミスター木青連こ岩手の㈲マルヒ製材日當和孝さん。福島の丹木材㈱丹一成君(結婚おめでとうございます!)、『トドマツのかけら』でお世話になっている北海道の㈱ヨシダ 吉田良弘さん、札鶴ベニヤ㈱山本純也さん(北海道)、丹治林業㈱丹治有貴さん(北海道)、㈱小玉小玉一博さん(北海道)、国産広葉樹の王様・田鉃産業㈲田口宗弘さん(秋田)、愛媛の大成郁生君㊧と肩を組んでいるのが帯広木材工業㈱加納寿弘さん。

続いて東海・九州地区。上団左端から、福岡の品揃え樹種数世界一を誇る㈲高田製材所高田豊彦君、愛知の釣り名人にして歴史好き・竹川民生さん㈲丸万フォレスターズ、河童捕り名人・江口木材㈱江口達郎さん、プライベートでも『森のりんご』をご購入いただいている福岡の㈱アサモク多田啓君、東京の榎戸材木店榎戸勇人君、千葉の山武杉にこだわる石井工業㈱石井涼平さん、かけらサポーター・千葉の㈲高梨木材高梨悟君、福岡の高尾木材商事㈱高尾清一郎、最後は真ん中の福岡の㈱九銘協峯公一郎さん。

芸達者が揃っている近畿ブロック。上段左端、りんごを渡した瞬間すべてお見通しでこの表情をいただきました、㈱マナックス松波清人さん。その下は平成28年度会長の大阪の越井木材㈱越井潤さん、隣の列上から中崎木材㈱中崎智久さん、下に向かって奈良の山和木材山口和博さん、神戸の㈱名田商店名和田豊さん、兵庫の㈲岸本材木店の岸本豊史さん、隣段上からはご存じ㈲橘商店4代目なぐり王子ことの橘明夫君、西田木材西田昇二君、㈱瓦野瓦野光貴㈱姫路中喜吉本啓介君。

次は我らが中四国ブロック。上段左端から時計回りに、広島県西部の㈲冨広材木店冨田和敬君、同じく広島県西部の仁義なき㈲トミタの若頭・冨田徳明君、高知のいごっそう・㈲笹岡製材所笹岡輝久君、東南アジア材のスペシャリスト・㈱マルヨ木材吉田伸君(広島県西部)、美作の大平産業㈱平田雄介君、同じく美作の院庄林業㈱豆原義人君、島根・出雲の須山木材㈱須山政樹さん、お隣香川県は太洋木材㈱樋口哲也さん、真ん中はいつも笑顔が眩しい美作の山下木材㈱山下昭郎君。

最後は今回大変お世話になったご当地・北信越ブロック。上段左から、長野の瑞穂木材㈱・宮崎正毅さん、その右隣が福井の米ヒバ専門店・㈲寺尾製材所寺尾直樹さん、真ん中の段左から、能登のレッドキングこと鳳至木材㈱四住一也さん、隣は今更説明の必要もないでしょうが㈱ムラモト村本喜義さん、そして息子の村本大君、下の段左が福井の中西木材㈱多田日出海君、最後はこの後も再びお世話になる石川の㈱角永商店角永善隆君。申し訳ないのですが名詞と顔が一致しない方が数名。ご協力いただいた皆さん今回もありがとうございました!!




紀行が自分でも想定していなかったほどのかつてない大長編になってしまい、あちこと様々なところに行っているので一体なぜ北陸へやって来たのかという目的がぼやけてしまっているかもしれませんが、本来の(表向きの)目的はこの『日本木材青壮年団体連合会(通称木青連)』の第61回会員福井大会なのです。木青連は全国に広がる材木関連企業のネットワークで、北は北海道から南は沖縄まで文字通り全国に地域ごとの組織がります。定年の年齢は地域によって多少異なるものの、おおよそ45~50歳がひとつの区切り。

愛媛では45歳が定年となっており、私も5年前に卒業させていただきました。その後はOBという立場なのですが、個人的にはOBがいつまでも口出ししたり、関わっていると現役の会員にとっては煩わしいだけでしかないと思っているので、卒業後はなるべく関わりを避けてきたつもりです。なので、毎年各地区持ち回りで開催され、現役時代20年も参加してきたこの全国大会にも二度と参加することがないだろうと思っていたのですが、たまたま昨年愛媛で開催されたことでお手伝いに参加したことから事態が急変することに。

木青連のつながりのありがたさを感じるようになったのは、むしろ引退後。現役時代はどうしても会の運営や行事をこなしていくことの方が優先されてしまうのですが(また、現役時代は迂闊に情報等の貸し借りを作ってしまうと、人的代償〔何かのポストに就くとか〕を払わなくてはならないというリスクもあって二の足を踏むこともあるというおとなの事情がある。なにしろ人事問題はいつの時代ももっとも頭を悩ませる課題)、そういうリスクがなくなった卒業後はビジネスライクに安心して情報交換が出来るようになったりします。

まあ本来はそうであってはいけないのですが、まあ私はよき会員ではありませんでしたのでご容赦ください。それで全国の会員から【森のかけら】の素材を分けていただいたりと、20年間在籍して培ったネットワークが【森のかけら】を支えてくれていたりするのです。そういうこともあって、大会の懇親会ぐらいには参加させていただき、日頃のお礼も兼ねて、年に一度ぐらいはご挨拶と木材の情報交換をしておこうかということで、今回もこの時間からしれっと参加させていただいりしているのです。それでは明日は恒例の・・・




北陸に向かい愛媛を飛び出して2日目の午後ようやく福井市に到着。このブログでは既に足掛け62日が費やされていますが、いよいよこの旅も佳境に入ってきました。福井駅に降り立った私を待ち受けていたのは、『福井の巨人』!2007年の第三次恐竜化石発掘調査で発見された大型の恐竜化石で、「日本産の福井巨人」という意味のフクイティタン・ニッポネンシス(Fukuititan nipponensis)という学名が付けられた首長竜です。そう、福井県は日本一の恐竜化石の産出地なのです!

今回福井に来た理由のひとつに、翌日に行く予定の恐竜博物館があります。まあどうしてこうも恐竜は男の中にある少年の心を刺激するのでしょうか!福井県ではさまざまなことに対して恐竜というモチーフが使われていますが、実のところか細いご縁でしかない「坊ちゃん」を何かと使いまくる愛媛の人間としては羨ましい限り(著者の夏目漱石は東京生まれ。英語教師として赴任してきた松山での経験を元に描いた小説が「坊ちゃん」)。坊ちゃん電車、坊ちゃんスタジアム、坊ちゃん文学賞、坊ちゃん団子・・・

それが悪いとは思わないものの、夏目漱石が愛媛に赴任してきたのは明治28年(1895年)のこと、そして小説「坊ちゃん」が明治39年(1906年)ですから、もう110年以上も昔の話。恐竜はそれよりも遥かに昔のことですが、福井県から産されたものだという『トレーサビリティのしっかりしたコンテンツ』であるのに対して、江戸っ子の漱石が愛媛を舞台にして書いた小説という点に何か借り物的な印象が拭いきれないと感じている人って結構多いのではないかと思うのですが、強力な地元産コンテンツを持たない県民のコンプレックス?


まあそれはともかく福井駅前にはこのフクイティタンの他にも複数の恐竜モニュメントがあって、それらは定期的に動く仕掛けになっていたりするので、記念写真を撮ろうとする親子連れなどで賑わっていました。この写真には人影が写っていないじゃないかと思われるかもしれませんが、それは人がはけた隙をじっと待っていて撮ったものだからなのですが、ずっと恐竜の傍らでその瞬間を待っていたので、よほどの恐竜おたくのおっさんと思われたかもしれません。いいです、何と思われようとも。

今までの経験上、若い頃にやって後悔したことよりもやらずに後悔したことの方が多かったので、やってみたいと思うことがあって、それが出来る機会があれば迷わずやるということにしています。こうやって人ってドンドン年をとると図々しくなっていくんだなと実感していますが・・・。恐竜のことに関しては、この後の木青連の大会の翌日に、恐竜博物館に行きますのでそこで改めて触れることにして、さあいよいよ大会へ!とは言っても厳密には大会の後の懇親会に顔を出しただけなのですが・・・。




福井県あわら市にゆかりのある、元阪神タイガース小林繁投手の話の続き・・・。昭和40年代世代にとっては、若かりし頃の明石家さんまがその形態模写で小林投手のサイドスローの投球フォームを真似ていたのが懐かしく思われると思います。当時誰もが物真似をしたものです。江川との空白の一日によって阪神に緊急トレードされた小林投手には、その潔さから巨人から乗り換えたファンもついたり、もともと細身で甘いマスクに人気があったのですが、メディアも「悲劇のヒーロー」に仕立て上げたものだから更に人気沸騰!

阪神にはONという巨大な壁に挑む村山実という名投手がいて、全身を使って投げるそのダイナミックなフォームから、『人間機関車』と呼ばれた陸上長距離選手のエミール・ザトペックにちなんで『ザトペック投法』と呼ばれました。村山実のキャラクターと相まって悲壮感が漂うと形容されましたが、阪神に意識して巨人相手に闘志むき出しで投げる小林繁から感じたのも同じような悲壮感だったにかもしれません。小林繁はその後も5年にわたりコンスタントに2桁勝利をあげるものの1983年に惜しまれつつ引退を決意します。

阪神を引退後、一時は参議院に立候補するも落選。バブル崩壊の追い打ちもあって、経営していた不動産業や飲食店なども経営が悪化し大きな借金を抱えることに。その後近鉄で投手コーチなど経て一旦野球界を離れるが、かつてのチームメイト川藤幸三の紹介で福井県あわら市のゴルフ場支配人を務めます。これがあわら市とのご縁。その後、多額の借金問題で自己破産。紆余曲折を経て2010年に日本ハムの一軍投手コーチとして招聘されるも、その年のキャンプ直前に倒れ、心筋梗塞で帰らぬ人となってしまったのです。享年57歳。

なかなか波乱万丈の人生であってようです。スポットライトの当たるプロ野球の一流選手として世間の注目を集めることができるのは、長い人生の中でほんの一瞬。スポーツ選手にとっては、現役時代の数倍も長い引退後を生きなければなりません。スポーツ選手よりもはるかに現役寿命の長い材木屋にとって、50歳なんて鼻たれ小僧もいいところですが、同世代の中日の山本昌投手も引退して、いつか自分にも訪れる「引退」する日の事も考えてみたりしていたところで福井に到着。あ、ちなみに山本昌投手入団時の総理大臣は中曽根康弘・・・昭和は遠くになりにけり。




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