森のかけら | 大五木材


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急勾配の坂道を登ると、櫓と見まがうぐらいの可愛いサイズの3層3階の丸亀城の天守が現われます。この天守は江戸時代から現存する12天守のうちもっとも小さい天守という事でも有名です。天守は小さくとも総高60mの日本一の石垣に鎮座しており、天守からの眺めは絶景!丸亀市内が一望できます。私も以前は勘違いしていましたが、この丸亀城は平山(ひらやま)城に分類されます。山城というのは険しい山に建てられた防御・戦闘を最優先に建てられた城の事で、安土城や兵庫の竹田城、岡山の備中松山城などが該当します。

名古屋城や駿府城など平地に建てられたのが平城(ひらじろ)。戦闘などの軍事的拠点といいよりも政治や経済などを優先して利便性を確保するため、交通の盛んな町の中心部の開けた平地に建てられました。そして平地にある小高い山や丘に建てられたのが平山城。大阪城や姫路城、熊本城などがこれに該当し、松山城や丸亀城もこれにあたります。丸亀城は標高66mの亀山の上に築かれており、別名亀山城とも呼ばれています。小高い丘を亀に見立てて亀山と呼ぶ地域は多く、亀山城の別名を持つ城は結構あります。

わが松山城の別名は『金亀城(きんきじょう)』で、ここにも亀が登場しますが、松山城が建つのは標高132mの勝山で山の名前が由来ではありません。松山築城の際に山麓の内堀のところが深い淵になっていて、そこに金色の亀が住んでいたことが金亀城の由来となっています。長命の象徴ともされる亀の縁起の良さが、城造りという一大事業の成功を願掛け的に使われたのかもしれません。天守で他の観光客が窓からの景色に魅せられる中、私の目を引いたのはその床板に使われていた木。よく目の詰まったツガ(栂)の木です。

資料によると、「丸亀城の天守にはツガ(栂)、マツ(松)、ヒノキ(桧)が用材として使われた」とありますが、天守の床材はすべてツガでした。城の床材って数百年の時間の中で経年変化と退色摩耗して何の木が使われているのかよく分からない事もありますが、丸亀城の床は見事な高齢木のツガが使われていました。あれだけふんだんに木を使っている建築物に関わらず、使用された木材に対する資料や情報が少ないのがいつも不満で、せめてあらわしで使っている木ぐらいは何の木なのか解説をつけてもらいたい。

それにしてもこのツガの目込みっぷりは素晴らしい!松山城にもツガは使われていて、当時は四国にも立派なツガの木が多く自生していたようで、格式の高い寺社仏閣や武家屋敷にはツガが利用されてきました。環境汚染に敏感なツガは、尾根筋など高地を好み、四国だと四万十川上流域や剣山周辺に自生していました。人目に触れにくい山中で年輪を刻んだツガは緻密で、人の足で摩耗され浮造りとなって冬目がくっきりと浮き上がり、節周辺の野趣溢れた杢は一層鮮明になり、その風格は他の針葉樹の追随を許さず

 




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