森のかけら | 大五木材

さて、出張の機会が少なかった言い訳に一日を費やしておきながらなんですが、今回の旅は仕入れではありません。会いたいひとに会い、行きたい場所に行くという趣味と実益を兼ねた、休みの日だからこそ出来る旅。出先で注文の電話に怯えることもなく、自分だけ遊びに行ってと家族から白い目で見られることもないという、実に都合のいい旅なのです。目的地の『ビーバーハウス』があるのは三重県。松阪牛で有名な松阪市から車で40分ほど南にある多気郡大台町。名前から分かる通り、その先にあるのは『大台ヶ原』。

今回、ゴールデンウイークの最中に訪問するという暴挙にも関わらず、快く訪問を受け入れてくださった武田製材ビーバー隊長こと『武田誠』さん(以後、ビーバー隊長、または隊長)に今回の旅の行程をご相談しました。いつものごとく詰め詰めのスケジュールで、その中でビーバーハウスまで行くのならついでに大台ケ原も行ってみたいのですがなんて、軽~い気持ちで含めていたものの、隊長によればそんな生ぬるい気持ちで行けるような場所ではないとあっさり却下。地図でみればすごそこのように見えても山道なのでそう甘くなはい。

なぜ大台ケ原に行きたかったのかというと、【森のかけら】を作りはじめた7、8年前に参考資料として木の本を読み漁っていたのですが、その中に学研研究社が出版した『週刊 日本の樹木』がありました。タイトル通り、日本のさまざまな樹木を30回に分けて詳しく紹介していくという「学研グラフィック百科」で、ひと月に1冊で足掛け3年で完成するという壮大な樹木図鑑で、【森のかけら】のリスト選定や解説書作成にはとっても役に立ちました。各号でそれぞれに特定樹種を特集し、その木に会える有名な森を紹介しています。

そのNO.26が『タブノキ』特集で、タブノキの群生する森として紹介されていたのが『大台ケ原』だったのです。そこにはブナの森やトウヒの群れの写真に添えられた以下のような文章がありました・・・「かつて吉野の大峰山から大台ケ原を目にした修験の行者の中には、大台ケ原を開山しようと何人もが試みたが、ほとんど失敗して帰ってこなかったという。大台ケ原には魔物の巣窟があって登ってきた者をとって喰うと、麓の村人たちにいい伝えられてきたそうだ。」そう、大台ケ原は『魔物の棲む山』なのである!この話、明日に続く・・・




昨年の6月に金沢に行った紀行ブログ、遅ればせながら少しずつ更新しています。

もし読んでやろうなんて奇特な方がいましたら、こちらからどうぞ!!👇

北信越大紀行① 2016年6月10日7月22日分まで

北信越大紀行② 2016年8月1日現在8月15日分まで

北信越大紀行③ 2016年10月3日現在10月19日分まで

ようやく完結致しました。

 

上記以外の更新が遅れた過去ブログ 『2016年8月16日分




そうして現在の弊社の2枚看板である、ブラック・ウォールナットブラック・チェリーハードメープルホワイトオークホワイトアッシュなどの北米産広葉樹&中国・アフリカ・中南米等の平板(主に家具や造作材用)と、世界~日本のいろいろな形でいろいろなワケアリ(脛に傷のあるようないわくつきだったり、虫食いだったりする)の耳付き板がメインスペースに居座るという構図が完成しました。恐らくもうこの形は私が材木屋を続ける限り変わることがないだろうと思います。

 

 

長い時間かかりましたが、これがもっとも自分らしく、自分自身も楽しく、やり甲斐を感じ、自分でしかできない仕事だと気付いたからです。随分長くかかってしまいましたが、決して遠回りだったとは思っていません。入社当時とはかなり業態も変わり、スタッフの入れ替えもありましたが、今はもっとも大五木材が精神的に安定している状態だと思っています。ここに経済的安定まで備われば言うことないのですが・・・そうなると仕事の意欲が薄まってしまうのでなどと言い訳。

 

 

まあそういう訳で現在の倉庫のレイアウトが完成しました。そのスペースとは別の場所に、新たに塗装スペースを作る(広げる)計画なのですが、まずはそこに置いてある木材をどこかに移動させることが先決、いや誰かに売ることが・・・。それはそうと、平板や耳付き板を立てかけているコーナーは、常に材が動いていることもあって、通路にまで材がはみ出していてまさに足の踏み場も無い状態。ああちの木をこっちへ、こっちの木をあっちへと移動させては木取り作業を。

 

 

日頃からそんな状態ではあるのですが、年の瀬が近づくと少しは整理しておこうという気持ちも働くもので、年に1,2度くらいは『モーゼの奇蹟・海割れ』ならぬ『木の海割れ(?)』が起こり、もともとあった通路がすべて露出することがあります。まさにこれがその奇蹟が起きたところ。ああ、通路ってこんなに広かったんだ~と改めて感心する瞬間なのですが、翌日には木取りの紙を片手に、あれじゃないこれじゃないと、また木の海は閉じられていくのでありました・・・。




マッチの話の続きですが、以前に岩手にあった「日本最後のマッチ製軸工場」の話をアップしたことがあります。そこではマッチそのものではなくて、マッチの軸木を生産していましたが、今回の兼松日産農林のマッチ製造からの撤退は、マッチという商品そのもののを止めるということで、原材料の高い安いとか納期等の問題ではなくて、マーケット(需要)そのものが縮小し、ビジネスとしては成立しなくなるという話だけに深刻です。ちなみに兼松日産農林のマッチ事業売上は2億足らず。

 

それでも経常損益は赤字だったということで、需要が減少する中で設備の維持管理費が増加し利益を圧迫している構造だと思われます。国内に自動マッチ製造機を持つのは4社しかなく、同社を含め県内に工場を持つ3社で国内マッチの実に9割を生産しているそうですが、それらが兵庫県に集中しているというのは驚きでしたが、火薬を扱うマッチ製造において温暖な気候が求められたから。現在、業界統計によると、年間のマッチの出荷量は45本入りの小箱換算で約1億個だそうです。

 

兼松日産農林の淡路工場は70年代には、年間1億7千万個ものマッチを生産していたようで、今でも4割のシェアがある中での撤退ということですが、寡占化しても生き残れないというのは木材業界にもある話。特定樹種の競合相手が減ると、市場を寡占化できると思いきや、供給が絞られすぎて急ぎの需要や大量注文に対応できなくなり、その樹種がマーケットで避けられるようになり、代替樹種に取って代わられるという話は決して珍しいものではありません。

 

個別事情はいろいろありますが、例えば『ホワイトセラヤ』を含めたラワン系がそうでしたし、愛媛でいえばかつて『モアビ』や『アガチス』などがそのような道を辿ってきました。現在では『ウエスタンヘムロック(米栂)』がそういう状況に置かれていて、もしかして数年後には過去形で語られることになっているかも・・・。これは必ずこの素材でなければならないという絶対条件がない分野で勢力を広げた汎用性の高い樹種にとって、これからは厳しい時代になってくるかもしれません。




20160520 1主人公ヒュー・グラス並みの執拗さでもう1日だけ映画『レヴェナント:蘇えりし者』の話。この映画のテーマは、愛する息子を殺された男の復讐譚であって、映画の宣伝コピーにも「愛は死んだ。憎しみだけが生きている。」とあります。鑑賞後、決して晴れ晴れしい気持ちになる映画ではありません。徹底的に自然光にこだわった撮影監督エマニュエル・ルベツキの映像の美しさも、完全にタイタニックの呪縛を解き放った鬼気迫るディカプリオの演技も胸に迫る大傑作であることは間違いなし。

 

20160521 2にも関わらず何かひっかかる事がいくつかあったのは、先住民(ネイティブ・アメリカン)の描写。史実ではヒュー・グラスには先住民の妻やその間に生まれた息子はいなかったそうです(グラスはアメリカではかなり有名でいくつもの本が出版されています)。映画ではその妻はかつて白人たちに村を焼き討ちされ殺され、生き残ったのが混血の息子という設定になっています。にも関わらず、グラスたちを襲撃する先住民はまるで白人を襲って「獲物」を奪い取る略奪人のような描かれ方。

 

20160520 3根深い樹種問題を抱えるアメリカでは私などのうかがい知れぬ複雑は歴史的背景や複雑な事情があるものと思われますが、先住民たちは「言葉も通じぬ未開の野蛮人」のごとく銃の標的となって倒れていきます。先住民の襲撃を受けたという形ですが、本来はグラスたちこそが先住民のテリトリーを荒らす侵入者で無法者。自分たちのルールを強引に持ち込んでアメリカ大陸の中で領土拡大を図った時代。先住民の妻の遺した言葉は、白人たちの暴力的支配に対抗する心の教えでもあります。

 

20160520 4グリズリーとのとてもCGとは思えない迫力の死闘(一方的ですが)や、生魚を捕らえてそのまま食ったり、死んだ馬の腹を裂いてその中で寒さを凌いだりとディカプリオの迫真の演技には目を奪われながらもそんな事が気になっていました。元々ここは誰の土地で誰のものだったのか?映画に深みを与える壮大なあの森だって、極寒の川だって。開拓時代にはもっと壮絶な略奪や殺人が繰り返され森や川に持ち主の名が刻まれたのだと思うと、簡単に面白いとは言えない映画なのでした。★★★★1/2




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