森のかけら | 大五木材


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太陽に近い場所で行ったイベントで、肌の弱い私は軽度の火傷並みの日焼け。普段から屋外で半袖で仕事しているため、もともと二の腕あたりから白黒に分かれているのですが、輪をかけて黒味が一層濃くなりました。もともと色白なのでコントラストが凄くて、日焼けしていない部分と並べると違う国の人が並んでいるかのよう。そういえば名前をいただいた横綱・照國萬藏も色白のもち肌で、その巨体が徐々に赤身を増していく様子とリズミカルな取り口から『桜色の音楽』と呼ばれていましたから、色白な肌も受け継いだのかも。


ところで8月11日は『山の日』で、全国昨年から制定されましたが、今年も全国各地でそれに伴うイベントが開催されました。「山の日制定議員連盟」という超党派の議員連盟が、山を考える国民の祝日にしようと制定に動かれ新設されたそうですが、もともとは8月12日で考えられていたようです。それがなぜ11日に変更されたかというと、8月12日は日本国内で発生した最大の航空機事故で知られる日本航空123便墜落事故が起こった日であるため、8月12日になったということです。もうあれから32年・・・

先に制定された海の日に比べるとまだ世間での「認知」は低いようですが、8月12日が語呂合わせとかで山をイメージするものではないことからどうしても、8月12日=山の日がなかなかしっくりこないのかもしれません。むしろ、1977年(昭和52年)に我々の大先輩方である日本木材青壮年団体連合会などが提唱された10月8日の『木の日』の方が分かりやすいのではないでしょうか。10月8日を漢字で表すと、十月八日。「十」と「八」を組み合わせると「木」の字になることから、この日が選ばれました。


数ある記念日が「OOだからこの日がOOの日」という理由(語呂合わせや根拠)がある中で、その日でなければならない理由が弱い『山の日』は、一般の方にまで浸透するには時間がかかりそうです。ところで最近、愛媛新聞のスポーツ欄でスポーツ新聞のような『隠しメッセージ』をよく見かけるようになりました。編集方針に何かあったのか分かりませんが、山の日のプロ野球の欄には山に関する言葉が溢れていました。中にはかなり苦しいものもありますが、個人的にはこういうの好きです。どれだけの人に響いたか?!




いよいよ本日が長かった北陸紀行の最後となります。実質3日の旅でしたが、過去にないほどの中身が充実した旅のご紹介に費やした日数、実に延べ84日。つまりわずか3日間の出来事を、ダラダラと3か月近くも書き連ねてきたこととなります。ちょうど仕事の事で慌ただしいことがあったりと紆余曲折もあり、時系列通りにいっていないこともありましたが、どうにか次の大阪の全国大会までには終えることが出来ました。ほとんど1年前のことなのによく覚えていたなと言われますが、きっちり書くつもりだったので記憶は定か。

まあそれほどまでに魅力的で充実した北陸の旅だったということです。それもこれも村本さん、四住さん、圓道君、角永君はじめこの旅でお世話になった多くの方のお陰です。私は20年ほど愛媛木青協に所属させていただき、確か2年目の岡山大会(その前年が、今のところ北海道での最後の開催となっている札幌大会だったので、今さらながら行っておくべきだったと悔やんでおります)からずっと全国大会に参加し、唯一石川大会だけは喪中で参加できませんでした。その時以来の北陸となったこともあり感慨もひとしお。

当初は全国大会に行っても先輩方の後を金魚のフンのようについて回るだけでしたが、少しずつ慣れもできてくると、わざわざ遠くまで行くのに、会場と繁華街だけでは面白くないと、勝手に行程の前後にスケジュールを組み入れて単独行動を取るようになりました。会団の行事なのだから会団単位で動くべきだとお叱りを受けたこともありますが、高いお金を払ってわざわざ地元と同じ顔触れで、地元に居ても交わせる話をするなんて勿体ない!という私の中のモッタイナイは暴走。大会の参加費が高いだの交通費・宿泊費がどうのこうの、何もリターンもないだの議論はきっと愛媛だけのことではないかと思います。確かにただただ先輩方の後ろについていくだけの「参勤交代」ではほとんど得るものはないでしょう。

高い出費と徒労感が残るだけかもしれません。それは誰のせいなのか?結局それは自分のせい。全国の会員が一堂に会する大懇親会の席ですら、地元会団で固まって他の会員に溶け込もうとしない、愛媛の控えめでおしとやかな性分といえば聞こえはいいかもしれませんが、商売人としてどうなのか。折角の全国ネットワークを生かさないなんてモッタイナイというところから初めた、全国大会に絡めた勝手な全国木のもの行脚が、卒業後にこうして若い会員たちと共にできたことは望外の喜びでもありました。

最後の最後の場所が、木のお店『もく遊りん』さんであったということも運命的なことのように感じております。店内中央部に鎮座ましましていたのは、長さ10mはあろうかというマツの大木。20人ものひとが一度に座れようかという巨大なテーブルに仕上がられておりましたが、これは大迫力!製作や搬入を考えれば身近なテーブルを何台か並べたほうがいいに決まってはいるものの、あえてこの一枚板の巨大テーブルにこだわったところに材木屋としての気概と矜持を感じずにはいられません。住宅だけに限らず様々な分野での木の使い方、出口探しに邁進しているところですが、こういうモノを見てしまうとやはり血が騒がずにはいられません。最後の自分の原動力に根っこにあるものも再確認できた実り多き旅でした。最後までお付き合いいただき感謝致します。




ちょうどお腹も空いてきたので、住工房を見学させていただいた後は食工房の方で「実践」させていただくことになりました。建設当初は、製材工場から発生する端材を燃料にするための手段として考えられた食工房だったそうですが、今では大きな利益を生み出す県内でも有数の人気ピザ店にまだ成長。まだかまだかと入口に並ぶ家族連れの姿に、圧倒されつつもここまで辿り着くまでのご苦労を考えると、「儲かっていいですね」などの軽口は間違っても言えません。

結果ばかりを見て、そのプロセスを考えないのはこの業界の悪癖で、何々の木が売れてると聞くとすぐにその丸太を買い込んで過剰生産して価格が暴落したり、どこどこの家具が人気と聞くとデザインを丸写しして訴訟になったりと、今植えたものの結果が数十年後に出るという気の長い仕事に立脚しているとは思えぬ日和見主義。自戒も込めてではありますが、あまりにも結果を急ぎすぎてしまったり、他社を模倣することに対する抵抗が非常に低いというのは結果がすぐに見えないことへの反動なのかも。

それはそうと、『もく遊りん』のピザはお世辞抜きに美味!腹を空かせた我ら肉体労働者にとってはピザも1枚や2枚では全く足りず。次から次へと注文を重ねて、気がつけばすっかり術中にはまってしまっていました。同行していた大成君は薪ストーブも販売していて(サンシン暖炉)、ピザ以上にそれを生み出す薪やストーブについても興味津々でしたが、少しだけ日頃の視点を大きくしてみれば、暮らしの中で木と関わりがあるもののいかに多いことか。自社の仕事や商品と関わりが無いと思うと、まるでそれが異素材でもあるかのごとく興味が減退する人もいらっしゃいますが、関わりは無くとも木という素材から生み出されるものであれば、絶対に近づけないということはないはず。

恐らくきっとどこかに接点はあるはず、なんて思ってしまうのは貧乏性の証拠なのかもしれませんが、【森のかけら】を作るようになって自分の中では随分と視点が広がってきたと思っています。薪がダメでも、ピザがダメでも、器がある、テーブルがある、椅子がある、お店の看板がある、ノベルティがある、考え方次第ではいくらでも結びつきは作れるもの。そう考えればやはり『木は無敵の最強素材』だと思うのです。それでは明日は、そんな無敵の最強素材がもっとストレートな形で活躍する場面をご紹介致しながら、この長かった旅の締めくくり。




3日前の深夜、金沢駅に降り立った時は独りぼっちであったものの、愛媛への帰途は、全国大会に参加していた愛媛木材青年協議会の若手メンバーの車に便乗させてもらって賑やかな道中となりました。自由気ままな単独行動もいいですが、同じ仕事に就く仲間と一緒の旅もまた愉しいものです。福井で恐竜博物館を観た後は、彼らの強い要望で再び石川に戻ることになりました。彼らは往路で永平寺に寄って来たらしいのですが、時間的なこともあって寄ることの出来なかった石川が誇るウッド・ミュージアムにも行ってみたいということで、福井から一路石川へ逆戻り。

私にとっては2日ぶりの『もく遊りん』。到着したのは既に昼が近かったのですが、その日は日曜日ということもあって、お店には既に人だかりが!写真は2日前に行った際、まだ開店前に撮らせていただいたもので無人ですが、当日店内はお客さんで埋め尽くされ私たちがお店を出る頃には入り口付近には長蛇の列が出来ておりました。『もく遊りん』さんのお店の仕組みについては、以前にご説明しましたが、宍喰高原の傾斜地を利用して建てられた建物は「住工房」と「食工房」に分かれていて、こちらが食工房の建物の内部。

住工房同様に店内は傾斜地に沿って階段状になっていて、それがちょうどテーブルの区切りとなっていて最上部から見下ろすと劇場のような面白い造りになっています。愛媛木青協の若手5人は、みな木にまつわる仕事に就いてはいるものの、製材所や薪ストーブ、木工、梱包材など職種が多岐にわたっていて、それぞれの立場で興味のあるところに食いついていました。私の周辺でも「木の仕事」の守備範囲がドンドン広がっているのを実感していますが、この『もく遊りん』はまさにそれが形となったもの。

勝手に中を見させてもらって、後からピザを食べて帰るつもりだったのですが、なんと我々が来ていることを聞いた主の角永善隆君がわざわざ福井から戻って来てくれました。全国大会の主催会団のメンバーって、大会前後は猛烈に忙しく、恐らく昨晩とて深夜まで他県の会員をアテンドしてほとんど寝てもいなかっただろうに本当にありがたい事です。全国大会等で来県された仲間を完全燃焼でもてなすというのは、連綿と続く会の伝統でもあります。その角永君に店内をご案内いただき、熱心に木の話を食い入るように聞き入る美しき姿。




大懇親会の後はお約束通りのマニアックな顔ぶれで2次会へ。ここからは、仕事で大会には参加できなかった圓道君(エンドウ建材店)も加わりました。まあ後ろに見える店の様子といい、集まった顔ぶれといい女っ気全くなし!私としては『木の話』という肴さえあればそれで十分で、女の子に気を遣ってお酒を飲むのは面倒くさいだけなのでこれで十分というか、最高のシチュエーションなのですが、後から考えてみれば千葉の高梨君も大阪の橘君も独身でしたので、ちょっと申し訳なかったような気も・・・。

ま、お二人とも木フェチだからいっか。他の会員の皆さんは、各テーブルについてくれたお店のお姉さんのお店へと散っていかれましたが、われらはおでんをつつきながら木材談議に花を咲かせます。北信越に来たらご挨拶を避けては通れない御大(村本さん、四住さん)たちには、今回は事前にたっぷりとお話しさせていただいておりますので、2次会もバタバタと慌てる必要もありません。これが北陸に来て3日目の夜。これで北陸の旅の大切な目的はすべて無事終了となり、ようやく肩の力も抜けました。

たまたま関東、関西、北陸、四国の人間が揃ったので、それぞれの地域の木材事情を聴けるのでありがたい機会。本当は大会そのものでもっと木の話が出るべきなのですが、自分の現役時代もそうでしたが、どうしても目先の行事や委員会などを運営していく作業に追われて、木のことを考える会議であるにも関わらず、本来もっとも大切なはずの木の話が出ることがないというのは本末転倒のような話だと思うのですが、組織というものはそういうものかもしれません。本当に木が好きな仲間と、木の話が出来るってなんと素晴らしいことか!

現役の頃は、どうしても『党議拘束』ならぬ『会団拘束』がかかって、懇親会に来てもらったお姉さん方のお店にある程度の頭数を差し出さねばならないという事情もあって、勝手な単独行動は許されなかったので、折角全国のいろいろな町に行っても地元のメンバーと集団で動くという慣例があったため、こういう行動は許されなかったのですが、これもOB特権。あら、高梨君も橘君も現役だけど誘ってよかったかしら?まあ、事情はそれぞれの会団で違っているのでよしとしましょう。何が本当に大切なのか決めるのは自分ですから。なるべく遠くの人と飲む、これぞ全国大会の醍醐味!




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