森のかけら | 大五木材


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以前に大学で大学生相手に木の話をさせていただく機会があって、その中でたまたまモミアスナロの話になったので、イメージしやすいかなと思って、ちょうどいずれもが文学に登場する木ということで、山本周五郎の『樅の木は残った』と井上靖の『あすなろ物語』を引き合いに出したのですが、そこにいた数十人の学生全員が無反応。後から先生に聞いたのですが、最近の学生はそういう昔の本や映画をほとんど読んだり観たりしていないので、授業でそういう例えを使っても理解できないですと聞かされました。

私は本を読むのが好きなインドア派の子供だったので、子供の頃結構本は読んだ方だと思います。買って読むのはほとんど漫画で、本はもっぱら学校の図書室。当時、どれぐらい本を借りたか(読んだか)をグラフにしていて同級生と競うように本を読みました。意味も分からず読んだ(文字の羅列を眺めていた?)本もありましたが、紙をめくる感覚と古い本の独特の匂いは今でも大好きで、どうしても電子書籍には馴染めない昭和40年代男です。山本周五郎も井上靖も遠くになりにけり・・・

いつものように枕が長くなりましたが、今日書きたかったのは節の所でバックリと欠けたゼブラウッド。長さも短く家具材としては使いにくいので本来であれば【森のかけら】にするところですが、現在『ゼブラのかけら』はたっぷりあるので、オンラインショップの『ちょこっと銘木端材コーナー』で販売することにしました。もともと大きな節のところで豪快に欠けていたのですが、そこを飛ばして綺麗な板にしてもよかったのですが、こういうものって使い勝手もあるので、あえてそのままのサイズで削りました。

ゼブラウッドとしては、正直なところ縞柄は今ひとつ。節の周辺にうねりが出るので、欠けた節の周辺がいい感じになっているので惜しいのですが、まあこれはこれで個性。割れも逆目もありますが、購入された方が自由に割ったり削ったりして使っていただければ。粗削りしたサイズで440 X290X62mmですが、仕入れから15年も経過していますので、ゼブラウッドとしてはかなり軽い方だと思います。それでも収縮したりするやんちゃぶりがゼブラの怖いところでもあり愛おしいところでもあるのですが

そんなやんちゃなゼブラへの愛を、名作の台詞を使って表現しようと思っていたため、冒頭のような話になったのです。ある人が私に「世界中の木の中でどの木がもっとも好きかと」尋ねます。私は答えます、「どの木もそれなりに素晴らしく、木に貴賤などあるべくもなく甲乙つけがたくとてもどの木が一番好きなどとは・・・」と、ここまで型通りの優等生発言を続けた私でしたが、その時私の目にザックリ欠けたゼブラウッドが映ります。感極まって私は思わず本音を吐露してしまうのです。

どの木もそれなりにすばらしい・・・・・・いえ、やはりなんといってもゼブラです! 私はゼブラが大好きだ!割れていようがかけていようがゼブラが大好きなのだ~」。そう往年の映画ファンなら誰もがご存知の『ローマの休日』の名場面。アン王女こと妖精オードリー・ヘプバーンが記者に囲まれてつい本音を漏らしてしまう場面です。映画では「どこの国もそれなりにすばらしかった・・・・・・いえ、やはりなんといってもローマです! 私はローマの思い出を生涯心に抱き続けることでしょう!」と訳されました。そういう話も若い人には通じないとしたら切ないなあ・・・




いかん、戒めの他者への攻撃になるのでもう止めときます。すっかり横道に逸れてしまいました。言いたかったのは、思い込みや決意表明も含めてとにかく前向きな内容のブログにしようということ。そして最後が、毎日書くという事。これが本当は一番大切な事で、最初の5、6年ぐらいは数日の遅れはあったもののほぼリあるタイムで更新できていたのですが、ここ数年は遅れに遅れてしまっています。しれっと書いているので気づいていらっしゃらない人もいるかもしれませんが、このブログの日付は6月で、現実とは3か月近く乖離しているのです(汗)

そんなにずれているなら飛ばしてリアルタイムで書けばいいじゃないかと思われるかもしれませんが、ライフワークとして考えている『今日のかけら』も含めて、中途半端にしたくないので(それなら毎日書いとけと言う話なんですが)、はじめの誓いを何とか死守したく、遅れに遅れながらも365日分埋めようと必死に時間を追いかけております。戦艦ヤマトのように誰かに期待されたり求められているわけでもないのに、自身の妄想の中ではこのブログを書き続けることが『かけらの神』へのサクリファイスなのだと・・・危ない人間ではありません。

最初のテーマからあまりに脱線しすぎて、これって本来は何について書くつもりだったのか自分でも見失いかけていました。今そのことには気づいたものの脱線ついでに、先に出した『サクリファイス』について少しだけ。サクリファイス(sacrifice、直訳すれば『生贄』という意味ですが、私が初めてこの言葉を知ったのは、1987年に公開された映画『サクリファイス』によってです。難解で知られる映画監督アンドレイ・タルコフスキーの作品で、当時の私にはただひたすらに退屈で内容もほとんど覚えていません。

今そのスタッフを見てみると、ウディ・アレンノーマン・ジュイソン、ルイ・マルなどの錚々たる顔ぶれの監督を支えてスウェーデンの名カメラマン、スヴェン・ニクヴィストがカメラを回していて、映像はきっと素晴らしかったはずなのに、記憶にも残っていません(恥)、先日リアルタイムで映画を観ることの喜びについて書きましたが、リアルタイムで観るにしてもそれに相応しい年齢というものがあります。54歳で亡くなったタルコフスキーの歳に近くなった今の自分が観れば、何か感じるものがあるかもしれません。たまには難解の海にも飛び込もうかしら。更に明日に続く・・・




2008年の12月にこのブログが始まったのですが、ブログを書くにあたって、自分の中でいくつかの誓いを立てていました。1つは、趣味や遊びにしない。どういう内容を書いても木や森や自然、または建築・家具、ものづくなどに関連付ける(今日OO を食べました、OOに行って楽しかった的な内容にはしない)。映画とかスポーツの事を書いてもどこかで(かなりの力技で強引に)関連付けているつもりです。2つ目は、他人を攻撃したり誹謗中傷しない。ひとの悪口を書いたり、怒りのはけ口にしない。書いてはないつもりですが、受け取り手次第では悪口に聞こえることもあるので慎重に書いているつもりですが。

3つ目は、ネガティブな事は書かない。2つ目と少しかぶりますが、必ず前向きな内容にして読んでいただく方を暗い気持ちにさせない。それは自分自身への「必ず出来る」という自己暗示でもあるのですが。そのため「やらねば」とか「使命なのだ」的な物言いが多いのですが、自分の中では常に宇宙戦艦ヤマトの2番目の歌詞が頭の中でリフレインしているのです。「誰かがこれを やらねばならぬ 期待の人が俺たちならば~♪」男の子は自己犠牲の使命感という思い込みと淡くも切ない浪漫で生きているのです。

ちなみに宇宙戦艦ヤマトの主題歌には3番、4番もあって、ほとんど放送されていませんが、コアなファンには周知の事実。歌詞だけ読むと、SFの色彩の濃かった1番からはかなり印象が変わって、何の曲か言わずに最初と最後のお決まりのフレーズを隠したら軍歌と言われても疑わないかもしれません。3番の歌詞『さらば地球よー 緑の星よー 宇宙戦艦ヤマト!花咲く丘よ 鳥鳴く森よ 魚棲む水よ 永久に永久に 愛しい人が 幸せの歌 ほほ笑みながら 歌えるように 銀河をはなれ イスカンダルへ はるばる望む 宇宙戦艦 ヤマトー!♪』

更に3番の歌詞は、『さらば地球よー 再び遭おうー 宇宙戦艦 ヤ・マ・ト!戦いの場へ 旅路は遥か 命の糸が 張りつめている 別れじゃないと 心で叫び 今 紫の 闇路の中へー!銀河をはなれ イスカンダルへ はるばる望む 宇宙戦艦 ヤマトー!♪』何でもかんでもすぐに「軍国主義に傾倒している!」、「軍靴の音が聞こえる!」と感情むき出しでヒステリックに叫ぶ野党の人だと、もしこれがテレビで放送でもされていたら大騒ぎするかもしれませんが、もうそれは愛国主義のはき違えではないでしょうか。どんどん話が思わぬ方向に広がっておりますが決してヤマトが主題ではありません・・・明日に続く。




それでもその時代に生きた者にしか分からない感動、シンパシーなどを得たいと思って映画を観まくりました。50歳を過ぎた今となっては、青春時代に観たほとんどの映画が、自分の子供達にとっては「時代遅れの遺物」としか写らないよう(笑)。多分イメージとしては、彼らにとってモノクロ映像と変わらない感覚なのかもしれません。分かってもらわなくたっていいのです、80年代に青春を過ごした者に胸には今でもエレン・エイムの歌声は刻みかまれているのです。『ストリート・オブ・ファイヤー』万歳!嗚呼、結局私もあのOBと今同じところに立っている・・・。

めまぐるしいカットバックやキャラの造形、効果的な音楽の使い方など魅力を上げればきりがないですが、私が一番惹かれるのは、ライブ会場で熱唱するダイアン・レインの姿。当時は口パクでプロの歌手が歌っていると言われていましたが、ヒル監督がプロの歌手の歌声に更に複数の声をミキシングして作り出したものだと述懐しています。しかしそんな事は嘘だ!あれは間違いなく女神ダイアン・レインが歌っている!映画は客が見つめる事で生まれる技術だと誰かが言ったが、信じる事で生まれる力の偉大さをこの映画で教わりました

それが今の私の仕事の原点なのです!何を強引に映画と仕事を結びつけようとしているのかと思われるかもしれませんが、「信じ込む力」によって、他人にとっては何の価値も無いような事が、自分にとってはかけがえのない宝物になるという体験は、まさしく端材から宝物を生み出そうとする今の私の仕事に通じています。時間を増すごとに自分の中で熟成されより濃厚になっていき、その存在が唯一無二のなっていく感覚。決して解けることのない自己催眠のようなものかもしれませんが、そこにいる間ずっと感じていられることの出来る多幸感。

あまり言いすぎると宗教的な方向に走ってしまいそうですが、そもそも木材に対する評価って感覚的な事がかなりの割合を占めています。とかく人間にとって必要かどうか、宇役に立つかどうかで木の価値を決めがちですが、まだまだ人間が気づいていない力が潜んでいるのかもしれません。今の物差しで考えているから気づかないだけかもしれません。世界中のいろいろな木に接していると、まだ知らざる力を信じたいと思うし、見つけてみたいのです。信じることで生まれる力は必ずある。私は木の力を信じている




なにゆえ今唐突に、80年代の映画の話をアップしているのかというと、この作品のデジタル・リマスター版が全国の劇場で公開されるという事で、約30数年ぶりに映画館で本作を観てきたからです。ライブシーンは圧倒的など迫力!どんどん長くなって3時間を超える作品も珍しくなくなった現在では考えらないほどコンパクトな93分という上映時間も、作品にスピード感を与えていて、まさにライブ会場で長めのミュージックビデオでも観ているかのような気分。34年の時を経て一切の色褪せ無し!


学生時代にだいぶ年上の部のOBから、『いちご白書』の話が出ました。若い人には、ばんばひろふみの『いちご白書をもう一度』の曲すら分からないと思いますが・・・。アメリカのコロンビア大学で1960年代に実際に起きた学生騒動を描いた作品で、1970年に公開されました。当時反体制的な若者の心情を綴った『イージーライダー』や『俺たちに明日はない』、『卒業』など一連の作品が『アメリカンニューシネマ』と呼ばれましたが、『いちご白書』もそういうムーブメントの中で生まれました。タイトルは、学生たちの意見は彼らがイチゴが好きだという程度の意味しか持たないという、コロンビア大学の学部長の学生たちを見下した発言に基づいています。

ちょうどリアルタイムで学生紛争時代に青春時代を過ごしたユーミンこと松任谷由実荒井由実)がバンバンばんばひろふみ)に提供するために作った曲です。1966年生まれの私は学生紛争をリアルタイムで経験しているわけもなく、すっかりそれが昔話で語られる時代になってビデオなどで観ました。内容そのものは学生によるイデオロギー対立という学園紛争ですから驚くほど地味で、同時代を生きたものでなければ理解も共感もできない内容。あえてそういう映画を取り上げたところにユーミンの矜持もあるわけですが。

前置きが長くなりましたが、何かの飲み会の席で某OBがその『いちご白書』の話をされて、「同時代を生きた者でなければ、今ビデオで観たってお前らにはあの映画の空気管やメッセージ性は理解できないだろうな~」と得意げに話をされていました。当時はそんな言い回しがなぜか恰好良く聞こえたものです(今なら、何ひとりで悦にいっとんじゃい!と突っ込みのひとつも入れたくなりますが)。リアルタイムで観ることでしか得られない感動や共感、裏返せば一過性のメッセージ性しか無いと言えるのかもしれませんが。明日に続く・・・




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