森のかけら | 大五木材


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本日も、「引き抜くと人間のような叫び声をあげ、その声を聞いた者は死に至る」と言われるマンドレイクの話の続き。その根や葉に幻聴や幻覚を起こさせる毒成分を有するマンドレイクを守るため、それを引き抜くと叫び声をあげ、聞いた者は神経に異常をきたして死に至るという恐怖の伝説を流布させたというのがどうやら真相のようですが、その伝説に信憑性を与えたのが、マンドレイクの独特の根の形状。根茎が幾重にも分かれ凸凹の形をしていて、中には人型のように見えるものもあり。

細い根が地中に深く張るため引き抜くにはかなり力が必要で、その際に細い根がブチブチと音を立ててちぎれる事から、叫び声をあげるという例の伝説がまことしやかに語り継がれるようになったのだとか。当時としては幻聴や幻覚を生み出すその効果が劇的だったこともあり、恐れられた存在になっていったのでしょう。なお一説には、絞首刑になった受刑者の男性が激痛から射精した精液からマンドレイクが生まれたという伝承もあるなど怪奇要素もふんだん。

このマンドレイク、映画などにもしばしば登場していて、こうやって調べてみてから、あああれもそうだったのかと気づくことがありました。映画『ハリーポッター』でも魔法学校の一室でマンドレイクが栽培されていて(石化の魔法を解呪するための妙薬の精製に必要という理由で)、鉢から引き抜かれるのですが、思いっきり人型植物というデザインとなっていました。神経を逆なでするような悲鳴もあげていました。当時はあれが何を意味しているのか、まさか実在の植物がモデルだったとは知りませんでした。

ユニバーサル・スタジオ・ジャパンのウィザーディング・ワールド・オブ・ハリー・ポッターにもその展示があるということを子どもたちに教えてもらいましたが、知っている人には有名な伝説なんですね、きっと。ハリーポッターの映画の中では、引き抜かれたマンドレイクは叫び声をあげて死んでしまったと記憶していますが(記憶違いかもしれませんが)、その行為と絵面がなかなかシュールでした。一方でその伝説の恐怖を前面に押し出したこんな映画もあります。タイトルは『マンドレイク・人喰い植物のえじき』、B級映画の匂いがプンプンしますが、内容もまさにその名に紛うことなきB級!

ジャングルを訪れた探検隊の一行が謎の棺の中の剣を抜いたことから人食い植物が目覚めて人を襲うという内容で、植物の暴れっぷりは結構なもののマンドレイクそのものとは無関係・・・。さすがにネームバリューに依存し過ぎだと思うのですが、それぐらい海外ではメジャーな存在なのかも?ところで植え替えをした淡路島では、念のため耳栓をして引き抜いたようですが、その呪いは及ばなかったらしく担当者の方はご無事でした。それにしても、嗚呼、毒性植物ってどうしてこうも魅力的なんだろうか・・・。




今日は植物は植物でも樹木ではなくて草花の話。年末から年始にかけて何度もその名前を耳にしていて気になっていて、いつかきちんと調べようと思っていたのが、地中海地域から中国西部にかけてに自生し、コイナス属又はナス科マンドラゴラ属に属する『マンドレイク(Mandrake)』。『マンドラゴラ(Mandragora)』とも呼ばれるそうですが、ここではマンドレイクとさせていただきます。草花、薬草などに詳しい方には馴染みのある名前なのかもしれませんが私はよく知りませんでした。

何が気になったのかというと、マンドレイクを引き抜くと人のような叫び声をあげて、その声を聞いた者は死んでしまうという伝説!てっきりそういう伝説上の植物かと思っていたら実在するようで、しかもなかなか花が咲かないマンドレイクが(年末か年始?に)淡路島の植物園で花をということで話題になっていて、そのニュースを何度か見たのです。花自体は紫色の小さな可愛いものですが、興味はそこではなくて伝説の実証。この植物園では過去にマンドレイクの植え替えをした事があるとか!

え~っ、そんな事して大丈夫だったのかしら!?なにしろ中世ヨーロッパでは、死にたくないのでしっかりと蝋で耳栓をして、マンドレイクと犬の尻尾をロープで結び、遠くに餌を投げて、犬が駆け出すことでマンドレイクを引き抜くという、手の込んだ採集方法をとっていたというのです。それでもマンドレイクの叫び声が耳に入った犬は死んでしまうのですが、そうやって犬一匹の命を差し出してまでも手に入れたかったマンドレイクは、『魔女の薬草』として重宝されてきたのです。

マンドレイクの根には数種類のアルカロイドが含まれていて、古くから鎮痛薬鎮痛剤などの薬草として使われてきました。しかし毒性が強いことから使い方によっては幻覚幻聴などを伴い、場合によっては死に至る危険な植物でもありました。そのため中世ヨーロッパの魔女や魔法使いたちは、しばしば黒魔術錬金術などにも用いられてきました。つまり魔女や魔法使いたちにとって貴重なマンドレイクは、乱獲から守らなければならない秘薬であったのです。そこから伝説は生まれました。明日に続く・・・




映画『猿の惑星』は、ヒトとの最終決戦を経て、次第に文字通り猿の惑星化していくわけですが、今日は映画そのものとは別の視点で考えてみます。木にとってはヒトとサルいずれが支配する世界がいいのか?リブートシリーズでは、製薬企業の中で生まれた幼猿シーザーは、連れて行ってもらったサンフランシスコのミュアウッズ国定公園の中のセコイアの巨木の枝から枝へ飛び移りながら、猿としての本能に目覚めていきます。その時、木々の隙間から見えた金門橋は後に悲劇の舞台となるのですが・・・

セコイアの森はやがてシーザーたち覚醒したサルの「ホーム」となります。その後サルたちは山の奥へと移動してそこに大集団が住む砦を築きます。覚醒したとはいえまだまだ複雑な作業ができないため、使える素材は主に木。丸太を伐って(折って?)並べたり組んだりして寝床や武器を作っています。見ようによっては、アパッチ砦のようでもあり、巨大動物園の屋外展示施設のようにも見えますが結構な迫力。しかし悲しいかな防火設備を備えないその砦は、大火で焼失してしまいます。

砦を追われてもサルたちには地形を生かし、木を使うしかないのです。鋸を持たないサルたちがいくら木を使おうともその量は微々たるもの。やがてサルたちは高い知性を備えるようになると、木だけでなく石も使うようになります。オリジナルの1作ではサルは石造りの家に住んでいました。知能の発達に合わせて、木の利用も飛躍的に進むと思われますが、映画を見る限りでは大量の森林破壊が行われた様子はありませんし、必要以上に自分たちのホームを破壊する理由も見当たりません。

サルたちが支配する世界では当たり前のようにサルと木々の共存が出来ているように思われます。恐らくその世界では、世界一の巨木・ジャイアントセコイアのような大木が森を覆いつくして、原始の森のような光景が広がっていることでしょう。しかしいずれサルも進化し、鋸を作り広葉樹を縦に割る技術を身に着け、木をただの素材と見なし、巨木への畏怖を忘れた時、ヒトと同じような道を歩むのかもしれません。リブートシリーズの中に1編ぐらい、巨大化した原始の森を舞台にした『巨木の惑星』も観てみたい。




あれ以来、猿の惑星は私にとって特別な映画でした。なので新作の猿の惑星を観るたびに一抹の不安がよぎるのです。オリジナルの名を汚すような真似だけはやめてほしいと。リブートシリーズにはいずれもオリジナルへの敬意が感じられ、どれもとても好きですが、中でも本作は、息子が殺され仲間たちと復讐の旅に出るという、まるで西部劇のような設定になっていて、サルがいよいよ人間的な感情を抱くようになる一方で、言葉を失った人間はヒトへと退化していくというシニカルな設定で考えさせられました。

これと同じような設定の映画を観たことがあると思っていたら、そうあのレオナルド・ディカプリオが西部開拓時代の実在の罠猟師ヒュー・グラスに扮して、殺された愛息の復讐を果たす『レヴェナント: 蘇えりし者』とよく似ている。そう考えると、サルVS人間との争いも、白人VS先住民インディアンとの争いの構図にも透けて見える。先の戦争で日本軍に捕虜にされた経験を持つピエール・ブール(オリジナル版の原作者)が、日本軍をサルのモチーフにしたと言っていますが、時を経て立場が逆転。

オリジナルの前日譚ということなので、ややこしいですがオリジナルでは人間を虐げ奴隷化させていたサルたちをC・ヘストン視点で被害者として描写していたものが、リブートシリーズでは人間に立ち向かい、サルの王国を守るべく戦う視点へと移行しています。サルは本当は誰と戦い、サルたちとは誰のことなのか?!白人至上主義で最後にはカタストロフィを得ていたハリウッド映画にも随分幅が出てきたと感じます。一方で能天気なアメコミが人気なのもアメリカ映画の振り幅。

猿の惑星創世記は、まだ小学生だった息子と一緒に映画館で観ましたが、かなりの衝撃だったらしく、息子にとってベスト1の映画になったようです。その後、『新世紀』も一緒に観て続編も楽しみにしていたのですが、『聖戦記』は部活が忙しくて一緒に観に行けませんでした。結果的には一緒に観なくてよかったです。それまで常に冷静に行動していたシーザーが、愛する息子を殺されたことで、感情を抑えられず復讐の旅に向かうのでうが、これはさすがに親子で観るには辛すぎる。

もはやサルはただのサルではなく、ヒトもただのヒトではないという哲学的な思想の中に足を踏み入れていて、テーマ自体がかなり深刻になりつつあります。気が付けばシーザー達サルたちを応援している自分がいて、冷静に見れば複雑な気分。前2作では、サルと人間が何とか共存できないかと奮闘する人間がいましたが、今回はそういう立場の人間が不在でひたすら両者が争います。それまで独りの人間にそんな力あるのかと猜疑心に満ちた目で見ていたものの、正義のリーダーの存在はやはり不可欠!




遅ればせながら、すっかり時期遅れになって今頃のこのことアップですが、むしろ今だからこそ結末も気にせずに感想が言えるので、今日は久し振りに映画の話。俎上に乗せるのは、『猿の惑星:聖戦記(グレートウォー)』。2011年から始まったリブートシリーズ(同じ原作を元に、以前に作られた映画を全く違う視点で作りなおしたもの)の『創世記』、『新世紀』に続く第三弾。1968年に作られ、シリーズ化されたオリジナル版の前日譚としての位置づけで、進化した猿と人間の本格的な争いが描かれます。

リブートシリーズとしての最終章となるとの事で、なぜ人間が猿に支配されるようになったかの重要な理由が明かされます。オリジナル版では、サルに支配された人間は言葉が喋れないという設定でしたが、本作の中で言葉が離せなくなるという病気が蔓延していく様子が描かれています。どうしてもオリジナル版に繋げなければならないという制約がある中で、よく出来た脚本だった思います。ディティールを突けばいろいろアラはあるものの、私は大筋で映画を観るタイプなのであまり気にならず。

そんな私ですが、登場人物の名前などには敏感で、オリジナル版で登場する口のきけない白人の美女・ノバや、人間に理解を示す生物学者・コーネリアス(涙もの)などの名前が出てくるため、これはオリジナルに繋がる重要なキーワードかなにかと混乱しましたが、冷静に時代設定を考えれば前作とは2000年ほどのタイムラグがあるので、これは単なるオリジナルへのオマージュのようでした。なので、とりあえあずリブートシリーズの三部作は完結したものの、新たなシリーズが作られる可能性もありそうです。

今ではすっかり無かったことにされてしまっているティム・バートン監督のPLANET OF THE APES/猿の惑星』も含めて、記録的な大ヒットとなりすっかり再生した猿の惑星シリーズですが、それが嬉しくもあり複雑な気持ち。というのも、今までこのブログに何度も登場させてきましたが、オリジナルの猿の惑星こそが、少年時代の私にSF映画の素晴らしさ、怖さ、面白さを教えてくれた記念すべき映画だからです。未知の星に不時着したC・ヘストンらの前に草原の向こうから現れる馬に乗ったサルを見た時の衝撃!




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