森のかけら | 大五木材


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アカデミー賞といえば、今年は辻一弘さんがゲイリー・オールドマンをチャーチル化けさせて、見事に日本初の「メイクアップ&ヘアスタイリング賞」を受賞(『ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男』)しましたが、特殊メイクも新素材の開発や技術の進歩とCGの多用で何がメイクで何が虚像なのか判断も出来ません。こういう技法はあくまでも物語を構築する補助的なものなので、裏事情は知らなくてもいいと思うのですが、『シェイプオブウォーター』の半魚人は着ぐるみで味わいがあります。

ところでアマゾンの半魚人といえば有名なのが、1950年代に作られたモノクロ映画『大アマゾンの半魚人』(Creature from the Black Lagoon)。私も作品そのものは観たことがありませんが、そのキャラクター造形は見事で、半魚人というもののイメージを決定付け、その後の半魚人キャラの造形に多大な影響を与えました。半魚人って実際に見たこともないけど、きっとこんなだよね。もうこれでいいんじゃね~と思わせるほどの説得力に満ちたデザイン。その後多少のアレンジはあれどほぼこれが半魚人のアイコンとなっています。

製作されてかれこれ60年以上経っても色あせないデザインというのは相当なもの。そのデザインについても、水の中で自由に泳げる手ヒレや足ヒレ、エラ呼吸できる大きなエラ、体全身を覆う鱗と、マストアイテムをしっかり取り込みかつ不要な装飾無しのシンプルさ。勿論着ぐるみですが、技術があるがゆえに下手にチャラチャラ余計なモノを足してしまって素材がぼけてしまう昨今のやり過ぎのモンスターデザインには見習って欲しい。ゴジラだって、着ぐるみだけど第一作のあの雰囲気が好きっていうファンは多いですしね。

キャラクターのデザインに限らず、弊社でも木の新商品を作る際にはなるべくシンプルなモノ、なるべく素材の良さを邪魔しない控えめなデザインになるように心がけているつもりなのですが、ついつい不安になって作り込んでしまうのでいつも反省しています。きっとあと一歩というところがくどくなっていて、付け足さないぐらいでちょうどいいんだと思います。ロゴも飾りっ気も一切ない丸いだけのイチョウのまな板を作らせていただいた時、あまりにシンプル過ぎて実はかなり不安がありました。

ところが蓋を開けてみれば、そのシンプルさが受けて大人気商品となり、短期間で累計で100枚を超えるヒット商品となりました。そこには勿論、商品そのものの力だけではなく食生活からライフスタイルまでを提案するBRIDGE大塚加奈子さん、まなべ商店真鍋久美さん、ご両人の魅力あってこそなのですが、まさかただのまるいだけのまな板がこれほど売れるとは驚き以外のなにものでもありません。あまりの販売力の凄まじさに弊社のイチョウも遂に底をついてしまい、素材の入荷待ちとなっている状況。シンプルというデザイン。




この数日間、映画『シェイプオブウォーター』の事について書いてきましたが、本日は久し振りに木の話。この映画に登場する半魚人は、アマゾン川にいて、現地の人々から神のように崇められていたという設定でしたが、私は行ったことがないもののアマゾンにだったらこういう異形なるモノがいたって不思議ではないと思ってしまうほどに、アマゾンは大きくて深い(聞いた話ですが)。今の若い人だとアマゾンと聞くと、ネットのAmazonをイメージするでしょうが、昭和40年代男子は仮面ライダー・アマゾン

あの迷彩色のボディスーツにアマゾンの大密林を重ね合わせた小学生たちは数多い。そしてアマゾンの恐ろしさ、奥深さを頭に叩き込まれたのです。またあるいは久米明の重厚なナレーションが懐かしい「すばらしい世界旅行」。いずれにせよ、行ったこともない異国のブラジルに流れる巨大な川と、野生の動物たちが暮らす鬱蒼として広大なジャングルに我々の心は鷲掴みされ、いまだに人の目に触れることのない未確認生物がいたとしてもなんらおかしくないという確信が根付いたままに大人になっていったのです。

それから数十年、まさか自分がそのアマゾンから運ばれてくる木を買ったり売ったりするようになろうとは青天の霹靂。今弊社ではアメリカをはじめ沢山の国で採れた木を取り扱っています。『世界中の木を見てみたい、触ってみたい』という好奇心が、世界の国の木を手掛けるようになった理由ですが、なかでもとりわけ行ってみたいのがアフリカとアマゾン。リアル生物が苦手で暑さにも弱い者としては、どちらもかなり厳しい環境ではありますが、死ぬまでに、いやこの仕事をしている間に一度は行ってみたい場所。

今日もウッドデッキの注文が入り、アマゾン産の『マニルカラ』を動かしていたら、やっぱりこの木が実際に立っている場所でその姿を見ておかないと、簡単に曲がりがダメとか、反っていないモノを持ってこいという声に対して説得力のある言葉が出ない。資料や情報はあるので、言葉の上だけでならどうでも説明はできるものの、あの場所で生きてきたこの木に対してそれではあまりにも言葉が軽いのです。ボタン一つで届かないモノの中にこそ本当の価値がある。まずはリアル生物に馴れることから始めようかしら。




くどいですが本日も『シェイプオブウォーター』の話。軍の機密機関「航空宇宙研究センター」にやって来たエリート軍人(マイケル・シャノン)の描写が思いっきりタランティーノ風で、意味ありげなアメリカンジョークや偏執狂的なところは狙っている確信犯のようにも思えました。またソ連の科学者のソ連での名前がディミトリというのは、明らかに『博士の異常な異常』へのオマージュでしょう。工作の内容を確認させるために何度も「いいか、ディミトリ」と繰り返すあたりも遊んでいらっしゃる。

『博士の異常な愛情』は、言わずと知れた巨匠・スタンリー・キューブリックの傑作SF映画で、サブタイトルは『または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』(原題はDr. Strangelove or: How I Learned to Stop Worrying and Love the Bomb)。タイトルがすべてを言い合わらしていますが、米軍の頭のいかれた反共の将軍が勝手にソ連への核攻撃を命令したことで始まる米ソの核戦争の恐怖をシニカルに描いたブラックユーモア。名優ピーター・セラーズの一人三役の怪演が素晴らしい!

その中で核戦争を回避しようとアメリカ大統領に扮するピーター・セラーズが、ソ連の大統領ディミトリに電話で必死に呼びかけます。「いいか、ディミトリ」、「分かるかい、ディミトリ」。本作では肝心のソ連首相は酔っぱらっているという設定で、ピーセラが気を揉んで名前を連呼するのですが、思えば冷戦時代の当時、アメリカにとってソ連はまさに意思の通じぬ異形なる存在であったのでしょう。結局その呼びかけも狂気の前に意味をなさなくなるのですが、『シェイプオブウォーター』でも悲劇は起こります。

ただしキューブリックの方が皮肉たっぷりに、クレイジーで形なる者たちの不条理な争いの果ての絶望を示唆しているのに対して、デル・トロは最後に異形なる者たちにも彼らが生きる舞台を用意しています。そこがこの作品に希望を与えていて、大人のメルヘンへとなっているのです。デル・トロの映画に登場するのは、『異形なるモノ』ばかりですが、その異形なるモノたちは、それゆえに逞しく優しい。故郷のアマゾン川まで無事に戻っていけたかどうかが心配。あ、もしやそこが続編への示唆だったりして?!




今日も映画『シェイプオブウォーター』の話。登場人物たちもそれぞれに闇を抱えた『異形なる人たち』で、自分の闇と立ち向かって生きています。その描き方、視点が優しいので、半魚人をモノとして扱いひどい仕打ちを与えるエリート軍人がいるのですが、解剖予定の半魚人を逃がしたことですべての栄光と地位を失ってしまうことになる彼にすら同情してしまいそうになるのです。エリートを鼻にかけるいけすかない彼にも絵にかいたような傲岸不遜な上司がいるのですがその彼にもまた・・・なんて想像してしまう。

また、ソ連のスパイである科学者も、国を裏切り科学者としての矜持に生きます。主人公のイライザの同居人であるゲイの絵描きも、同じ清掃員の黒人女性も、いわれなき差別や社会からの疎外に耐えて生きています。みんな一生懸命いきているのにこの世はままならないことばかり、だけどそれを嘆いたりしないで心がハッピーになることを見つけようじゃないかと、深刻なはずのテーマを、半魚人との恋というありえない話で語るところが秀逸!水を多用した撮影も見事で、いつも画質が濡れているようなウエットな雰囲気。

雨や夜のシーンも多く、途中でモノクロ映画を観ているような気分にもなりました。デル・トロの画の切り取り方も大好きで、どのシーンを取ってみても構図がバッチリ決まっていてスチール写真に使えるぐらい画角が計算されている。おたくのデル・トモはいつも数多くの名作のオマージュも散りばめる事も有名ですが、私が印象に残ったのはソ連の科学者の名前(ディミトリ)と、エリート軍人(マイケル・シャノン)が途中から クエンティン・タランティーノ監督に見えてきて仕方がなかった・・・

外見から異形なるモノとして目に見えるのは半漁人だけのようだが、イライザは言葉を失っており、同居人のゲイの芸術家は職を失っている。黒人の清掃婦は夫との会話を失い、エリート軍人は指を噛みきられ失う。ソ連のスパイの科学者は信じていた母国に裏切られる。この映画に登場する人物は皆、何かを大切なモノを失い喪失感を抱いている人々だ。半魚人を必死に逃がすこと(追いかけること)でまるで彼らは失った大切なモノが取り戻せるのではないかとでも思っているかのように。これは喪失と再生の物語




昨日に続いて映画の話です。先日観た、『シェイプオブウォーター』(The Shape of Water)について。監督は、あのロボット映画の金字塔『パシフィック・リム』を作ったギレルモ・デル・トロリドリー・スコットと並んで、次に作る映画が待ち遠しくてたまらない、必ず新作を映画館で観なければならない映画監督のひとりです。次にデル・トロが撮るのは、声を失った女性と半魚人の恋を描いた映画という情報が流れた時から、必ず観に行くと決めていたのでなるべく余計な情報は入れないようにしていて正解でした。

これを書いている今もあまり情報入れていないので間違いあるかもしれませんが、こういう映画は自分の感性で語るべき映画だと思うのであまり人の意見は読まずに書いています。上映時間が2時間を超えていて、最近寝不足の私としては途中で眠ってしまわないかと心配していましたが、本当にあっという間の2時間で睡魔に襲われる暇もありませんでした。まだ観ていない人、これから観ようと思う人は読まない方がいいかもしれませんが、これはデル・トロの『異形なるモノへの愛』に溢れた映画です。

半魚人といえば、過去に『ヘルボーイ』でも登場させ、そこでも半魚人の切ない恋を描いていましたが、今回はそれがスケールアップして昇華されたスピンオフのようでもあるし、人魚が閉じ込められている研究室は前に見たような設定で、続編でも観ているかのような錯覚に陥りました。今回の半魚人はアマゾンで現地人たちから神と崇められていたが、米軍に捕らえられ軍事研究のために秘密裏に連れてこられたという設定ですが、台詞で語られるのみで、具体的な映像はありません。その普通にそこにいます感がまたいい。

『ヘルボーイ』も『パシフィック・リム』もそうでしたが、普通ではない異形なるモノが存在する理由をくどくどと説明したりせずに、それが現実、それが当たり前と受け入れた前提で物語はスタートします。なのでこういうテーマを扱っていてもデル・トロの映画は暗くならずにどこか明るく前向き。言葉を失った清掃婦のサリー・ホーキンスが半魚人と恋に落ちたあたりからみるみる表情が魅力的になっていくのですが、彼女を支える脇役も素晴らしくて、こんな奇想天外な話なのにグイグイのめり込まされていくのです。続く。




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