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| 観賞目的のツバキの栽培は、文字通り江戸時代に花を咲かせることになりますが、文献に初めて登場したのは『日本書紀』だと言われています。その中で、景行天皇が土蜘蛛を征伐した際にツバキの木で出来た椎(ツチ)という武器を作って兵に授けて勝利したとされています。余談ながら土蜘蛛と聞くと、子供の頃に読んだ『伊賀の影丸』の影響で「土蜘蛛五人衆」を思い出してしまうのですが、土蜘蛛というのは本来は、天皇に恭順しなかった地方の土豪たちの事です。それが時代とともに蜘蛛の妖怪・土蜘蛛を指すようになりました。 |
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中世になると絵物語や戯曲でも、ひとの世を魔界にしようとする恐ろしい妖怪として登場してくるようになります。有名なところでは、源頼光が家来の渡辺綱を連れて京都の洛外北山の蓮台野で空を飛ぶ髑髏に遭遇して見事に退治したという話。中学生の頃にそういう話をするのが好きな先生がいて、授業中に脱線してはよくそういう話をされていたのですが、その頃からでしょうか妖怪の話に興味を持つようになったのは。SNS無き時代、聴かされた妖怪のイメージは私の脳内で恐ろしいまでに膨張して、内なる妖怪を育て続けていたのです。 |
| 話が逸れましたが、ツバキは『万葉集』や『古事記』などにも登場するなど、古くから日本では愛でる花の代表として親しまれてきました。雪に包まれた中で鮮やかな紅色の花を咲かせる凛とした美しい姿に昔の人々も魅了されてきたことでしょう。そんな紅色のツバキの花言葉は、『私の運命は貴方の手中にある』。一方、白いツバキの花言葉は『完成した愛らしさ』。なんとも優雅というか歯の浮くような台詞ですが、実はこの花言葉はある小説が評判になったので作られたらしいのです。その小説とは、アレクサンドル・・フィスが書いた『椿姫』。 |
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そもそもツバキはアジア原産の木で、ヨーロッパに伝わったのは1700年頃だと言われています。それまでその地域や国には存在しなかった(存在しないと思われていた)植物が、どうやって伝わってきたかというのはハッキリしていないケースがほとんどですが、ツバキがヨーロッパに伝わったのは記録が残っています。中国の舟山列島に二年間滞在していたイギリス人のジェームス・カニンガムという医師が、母国に紹介し1739年に初めて英国に伝わったのだそうです。ツバキの深い紅色がヨーロッパの人々をも魅了し多数の品種が生まれました。 |
| それからおよそ100年後にフランスの劇作家・デュマが小説『椿姫』を書きあげます。その後デュマ自身が書いた戯曲によって舞台化され、オペラともなり人気を博します。主人公である高級娼婦マルグリット・ゴーティエは、月の25日間は白い椿を身につけ、残り5日は赤い椿を身に付けて社社交界に現れたことから『椿姫』と呼ばれるのです。赤いツバキは、女性の生理を意味しているということもあって、前述の花言葉はこの作品が評判になった事から出来たものだとか。恥ずかしながらまだ『椿姫』は読んだことがないのですが、これを機会に読むことにします。明日に続く・・・ |
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★今日のかけら・#073 【椿/ツバキ】ツバキ科ツバキ属・広葉樹・宮崎産
| 愛媛県松山市の市の木は、『ツバキ(椿)』です。正確には『ヤブツバキ(藪椿)』なのですが、【森のかけら】では『ツバキ』としているのでここでは『ツバキ』でお話させていただきます。本来であれば、わが市の木をもっと早くに取り上げるべきだったのですが、ツバキは主に観賞用に植栽される木なので、花として見る事は多いものの、材としては滅多に流通していないので、具体的に材として使った事例がなかなか出来なかったのでここまで引っ張ってしまいました。ツバキを市の木に選定しているところは多いのですが、新潟県と長崎県では県の木となっています。 |
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松山市では昭和47年にツバキが市の木に選定されました。その昔聖徳太子が道後に訪れた時に、それを記念して建てられた碑に刻まれた句に由来しているそうです。碑文には「温泉の周囲には椿の樹が茂って温泉を取り囲み、その壮観なことは、実にたくさんのキヌガサをさしかけたようにみえる」という意味の句があり、その当時から道後温泉の周囲には多くのツバキが茂り、小鳥がさえずり、あたかも仙境のような光景が広がっていたことが伺えます。という事で現在でも道後のあちこちでは本物のツバキはもとより、デザインとしてのツバキが溢れています。 |
| 市の木という事もあって松山市内にもツバキをモチーフにしたデザインは多くて、材木としてもツバキは見る事が少ないものの、デザインや花としてツバキに触れる機会は沢山あります。なのでツバキを使った商品も作りたいのですが、なかなか材が入手しづらい。その思いがもっとも強くなるのがこの時期。というのも松山市の初春の風物詩というのが、その名も『椿祭り』。伊豫豆比古命神社で、毎年旧暦の1月7日~9日の3日間にわたって開催される祭りの事で、地元では親しみを込めて『椿さん』と呼ばれています。参道に800件もの露店が並び、3日間で40万とも50万とも言われる参拝者が訪れます。 |
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この『椿まつり』の頃がもっとも寒くなるとか、『椿まつり』が終わると温かくなるとか、松山市民にとっては特別な祭りというか、ビッグイベント。祭りの開催期間中、周辺のお店は駐車場に様変わりします。狭い参道に人が溢れて文字通り鮨詰め状態になるのもいつもの事で、押し合いへし合いしながら参道を歩くことから、地元では混雑している状態を「まるで椿さんみたい」と形容するほど。そういう意味でもツバキは松山市民にとって特別な木です。そんな特別な木を今まで取り上げてこなかった事を大いに反省。とりあえず今日から数日間はツバキの話。明日に続く・・・ |
★今日のかけら番外篇・E039【アカメヤナギ/赤芽柳】 ヤナギ科・ヤナギ属・広葉樹
| こちらがお元気だった頃の在りし日の『衣掛の柳』。実に堂々としたものです。記録によるとこのヤナギは『マルバヤナギ(円葉柳)』という事でした。四国にも生育する『アカメヤナギ(赤芽柳)』の別名らしい。解説によれば「日当たりのよい湖畔や河畔などに自生する落葉高木で、高さは20mにもなる。新葉が赤褐色を帯びる事から赤芽柳の名が付いた。芳が楕円形で丸みがあることから円葉柳の別名がある」との事。往時は樹高18m、目通り幹囲3.9m、推定樹齢150年。 |
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ん?推定樹齢150年!推定という事なので多少の誤差はあるとしても風土記に書かれているのは1,200年前の事、あまりに開きがあり過ぎではないでしょうか!まあこれがその当時の何代目かの子孫かもしれないし、早速の切株の傍からひこばえが生えて来ていたので、またそれが大きくなった頃にかの木の子孫として伝説を受け継いでいくのかもしれません。倒れてはいたものの遭えてよかった。ところでこの余呉がいろいろな物語があるところだとは調査不足(今回はほぼ雇われドライバー状態)でした。帰ってから本を読んだりしていろいろ気づいたが後の祭り・・・。 |
| 余呉湖の別の場所にはこんな立派な天女の像もあったらしいのに存在に気づかず。琵琶湖から隔てられた事で波静かで、風の無い時は水面が鏡のようになって周囲の山々の景色を湖面に映し出すことから『鏡湖』とも『日本のウユニ湖』とも呼ばれるんだとか。そういえば風の無い翌日の朝の湖は美しかった。ただ私はそれよりも雪は大丈夫だろうかとそっちの事で頭が一杯だったので、天女も見惚れて思わず水浴びをしてしまったほどの余呉湖の美しさはそこまだ伝わっていなかった・・・その気持ち誰にも伝わらず、切なし。 |
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ま。、という事で余呉湖ではいろいろありましたが、それから車を走らせて娘たちが選んでおいた次の目的地に向かいます。琵琶湖の周囲を車で運転したのは今回が初めてでしたが、湖沿いを走ればどこまでもどこまでも左右どちらかにお琵琶湖が見えていて、どれぐらいの距離走ったのか感覚が麻痺してしまいそうになりました。この感覚どっかであった気がする思っていたら島根の宍道湖に行った時に感じたような湖周辺を走る感覚。そんな事を考えながら運転していたら次の目的地に到着しました。滋賀紀行まだまだ続く・・・ |
| 庭の『ナツメ(棗)』は直径100㎜足らずの小さなものでしたが、そういえば以前に造園屋さんから大きめのナツメをいただいていました。結構大きめの木で、芯割れしないようにすぐに板に挽いて乾燥させることにしたのですが、それからすっかりその事を失念していました。いろいろな木をいただいたりするのですが、何はともあれ乾燥させない事には使えないので、板にしてから数年は放置するのですが、その時に空いているスペースに適当に置いてしまうので、ついついその存在を忘れてしまうのです。 |
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今回、庭のナツメを伐ったのでその事を思い出しました。記憶の糸を手繰り寄せているのですが、倉庫のどこの置いたか思い出せません。どこかに置いてあるはずなので探しますが、うまく乾燥できていれば『新・森のかけら』に加える事が出来るかもしれません。いただいたナツメが通直ではなかったので、長いモノは取れませんが、そこそこの大きさがあったので『かけら』には十分なサイズです。樹皮は軟らかくてポロポロと剥がれたのですが、材そのものはよく目が詰まっていて結構硬め。赤身と白太の差がはっきりしています。 |
| まだ実際に加工していないので仕上がりの触感とか匂いとか具体的に分かりませんが、その用途として茶器や仏具などの工芸品として珍重されたきたという事なので、使い込むとそれなりの風合いや光沢がが生まれるのだと思います。他にもその硬さと粘り強さから木櫛にも利用されてきたようで、中国などでは高級櫛として人気も高いようです。悲しいかな自分では櫛を必要としなくなったので、売っていても気に掛けることが無かったのですが、今後は『出口』として櫛にも目を向けることにします。その他にナツメにどんな用途があるのか探っていたら、『ヴァイオリンのフィッティング』に使われるとありました。 |
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楽器に疎い私はフィッティングと聞いても何なのか分かりません。それで調べてみると、『弦を緩めたり締めたりする木栓のような木の突起物、ペグ4本一組と、反対側で弦を一括で据え付ける木の板のテールピースと、それを最終的に本体に一箇所でお尻につっこんでいるエンドボタン、顎を乗せる部分、顎当ての事』とありました。文字通り演奏する際に楽器を調整するための器具のようですが、ナツメ以外にも少し硬めのいろいろな木で作られているようです。こういう専門的な特殊な出口についての知識が浅く恥ずかしいのですが、先人の木の特質を見極める眼力とその工夫には恐れ入るばかりです。 |
★今日のかけら番外篇・E038【ナツメ/棗】 クロウメモドキ科・ナツメ属
| 今回、我が家の庭の木をいくつか「伐採」しましたが、その内の1本が『ナツメ(棗)』。植えてから10年も経ってないのでまだまだ小さな幹ですが、夏にもなるとたわわに実をつけて、その実の重さで大きく枝が垂れて来て、玄関への道を遮ってしまうほど。ナツメという言葉の由来として、夏に芽が出ることから、『夏芽』それが転じて『ナツメ』になったという説もあります。茶道具の『棗』は、その容器がナツメの実に形が似ていることに由来しています。また、乾燥させたかじつ果実は生薬の大棗(だいそう)として漢方薬にも利用されています。 |
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我が家ではもっぱら生で齧っていました。蜜の無いリンゴのような酸味と甘みのある味で、毎年よく食べていました。その実を食するぐらい身近なとこにあるのに、材としてはなかなか縁が無くて、『森のかけら』の240種の中にも含まれていません。原産地は中国から西アジアらしく、奈良時代より昔に日本に渡来したといわれています。原産地の中国では「一日食三棗、終生不顕」という言葉もあって、その意味は一日3個のナツメを食べれば老いることが無いという意味だそうです。 |
| そのため『聖樹』とも呼ばれているそうで、古くから醸造酒や食料としても重宝されてきた歴史があります。またナツメは干ばつや冠水にも強う事から、常に収穫が安定した農作物として中国全土に広く普及したそうです。適応性にも優れているらしく、我が家の庭のような痩せた土地にもしっかり根付いたのだと思います。そんな庭のナツメですが、まだまだ幹は細いものの上へ上へと伸び続けて、高さが軒を越えるぐらいに成長して、実を収穫しようにも手が届かないほどに。 |
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今後、我が家の生活が困窮した際の非常食として残しておくという選択肢もあったのですが、やがてこどもたちも巣立っていって、夫婦ふたりになれば、どうにか食っていくぐらいは出来そうなのでこの際伐採することにしました。幹は小さいのでこちらは簡単に伐採。貴重なナツメですので使えるものならば、『ナツメで茶器の棗を作る』ところですが、『森のかけら』にでも使いたいところですが、さすがにこの大きさだと『森のかけら』でも厳しい。何に使えるか時間をかけて探っていきたいと思います。 |