森のかけら | 大五木材


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今日のかけら・♯011【山桜/ヤマザクラ】バラ科・広葉樹・愛媛産

昨日テレビで読売テレビ制作のドラマ『さくら道』を観ました。岐阜県の荘川桜が舞台です。以前に『適材適所』でも書きましたが、数年前に実際にこの荘川桜を見に行きました。その場所に、不可能といわれた「400年生の荘川桜」の移植に尽力した電源開発㈱の高橋総裁が語った言葉が石碑に刻まれていました。その言葉は、其のとき以来、「巨きな木」に接する私の考え方の骨格となりました。進歩の名のもとに、古き姿は次第に失われていく。だが、人力で救えるかぎりのものは、なんとかして残していきたい。古きものは古きがゆえに尊いのだから。」

ダムを作ろうという会社のトップの言葉だとは思えません。昔の方は本当に気概と哲学があったのだと思います。特に「古きものは古きがゆえに尊い」というくだりに感銘を受け、自分なりに「(木も)巨きものは巨きがゆえに尊い」とアレンジして、その後の巨木に対する畏敬と感謝の念の指針とさせていただいています。そもそもこの「400年生の荘川桜」の移植話は有名で、本や雑誌にも取り上げられ映画にもなっています。私は、中村儀朋著「さくら道」(風媒社)を読んでいて、是非一度直接「400年生の荘川桜」を見てみたいものだと思っていました。桜の季節ではありませんでしたので、ドラマのような桜吹雪という訳にはいきませんでしたが、それは堂々として太古の昔からそこに鎮座していたかのような風格と威厳がありました。仕事柄、大きな木を見ると「これで座卓が何枚取れる」とか野暮な事を考えてしまいがちですが、この木はとてもそんな気分にはなれませんでした。「材料」などと考えることが物凄く粗野で不遜に思えます。

ドラマでも言っていましたが、桜の木はとても「力」のある木です。それは、強度運云々ではなく「霊的」というか、人を惹きつけてやまない魔力のような力があります。部屋に桜のテーブルをひとつ置いただけでも、全ての雰囲気を持って行ってしまうくらい「木力(きぢから)」とでもいうべきオーラを発する木です。それゆえに、あまり考えなしに使うと全体のイメージを壊しかねません。赤身の中身に、緑や黒の淡い縞の入った山桜の美しさはいつまで付き合っても飽きることがなく材としても別格です。

ドラマの中でもこういうセリフがありました。「長い時間かかって分かることもある。何に意味があって何に意味がないかなど神様にしか分からない。」、「世の中にはいい事を言う奴もくだらない事をいう奴もいる。いい事だけ受け入れて後は聞き流してしまえ」正確ではありませんが、確かこういう内容だったと思います。どれも考えさせられる言葉です。【森のかけら】を作り始めた当時、いろいろ言われました。道楽とか遊びごととか、そんな物が売れるわけがない、ゴミを拾ってきて儲けていいななどとも言われ口惜しい思いもしました人の噂を気にせずに生きられるほど卓見していませんが、自分には信念があったので迷いはありませんでした。

ドラマの緒方直人も信念の人・佐藤良二さんを熱演していましたが、個人的には僅かな出番の大滝秀治のほとんど動かない静の演技は、笠 智衆を彷彿させる枯れの境地で素晴らしかったです。世間の評価の渦の中、長年戦った末にたどり着いた文豪の境地のようでもありました。その姿は、パッと咲いて散る桜のいさぎよさに通じるものがあるのかもしれません。日本人が愛してやまない桜は、かつての日本人そのものの生き方でもあったのだと思います。なにものにも屈しない高潔な信念のような桜の姿が、佐藤良二さんや高橋総裁の心の琴線に触れたのではないでしょうか。我々凡人には、なかなかそういう域には達せませんが、桜の季節を迎えるにあたり、ただ愛でるだけではなく桜という木についてもう少し考えてみようと思います。

 

 




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