森のかけら | 大五木材


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20120103 1この数年、年末年始は大雪というのが続いていましたが、今年は雪を見かけることはありませんでした。大学で松山に来て以来約30年近く、チェーンをつけた事もスタッドレスタイヤを履いたこともありませんので、雪の正月は車を動かすことも無く、ひたすら家の中で過ごしているだけとなります。その点、今年は寒さもそれほどでもなかったので、車であちこち散策。家内の実家の近くで、棚田を整備されている所があると訊いたので家内と行ってみました。この辺り一帯が、山の傾斜地にあり、田畑もなだらかな土地で行われているわけではありません。初めて見られる方は、ええ~なんでこんな急傾斜で!と思われるかもしれませんが、地元の人間にとっては昔から見慣れた光景。その地形とうまく折り合いをつけて暮らしていくしかないのです。その中で生まれたのがこういう棚田です。そこには「綺麗」とか「牧歌的」などと短絡的には語れない、山の暮らしの「今」があります。

 

20120103 2カメラのアングルが悪いので伝わりにくいと思いますが、かなり急勾配に沿って棚田が整備されていました。その隣には山羊が二匹飼われていて、柵内の草はすっかり食べきってしまったようで、近づくと人懐っこく近寄ってきました。久万の竹森ガーデンで、ヤギのヘッドバットの洗礼を受けているので(どのヤギもそうなのかは知りませんが・・・)。少し距離を取ってパチリ。棚田と隣り合わせのヤギ、このロケーションも含めて観光にも活かせそうです。これからの山村にも工夫が必要である事を実感させられます。

 

20120103 3棚田の頂き部分には、『天空の棚田』と書かれた立派な看板があり、この棚田の由来のなどが書かれています。私も家内の旧姓も「高橋」で、この辺りは石を投げれば高橋さんに当たるほど高橋性が多い所です。弊社の女性スタッフ2人もこのあたりの出身で、ふたりとも「高橋」(1人は結婚して姓が変わりましたが)。なので苗字ではなく、下の名前で呼ぶのが日常化。その「高橋姓」ですが、「佐藤」、「鈴木」に次いで日本第3位。西日本では愛媛県が特に多いそうで、逆に「佐藤」や「鈴木姓」の方が少なく珍しいほどです。

20120103 4中でも東予と南予が多く、東予の「高橋姓」は大三島神社に由来するとか。もともと「高橋」とは、第8代孝元天皇の皇子、大彦命の子孫云々という高貴なお方がルーツとも言われますが、それとは一切関係の無い各地域の「橋(ブリッジ」に由来しているとか。渡し舟が主流の時代、木造の橋は重要な移動手段の要でもあったのでしょう。濡れずに人が川を越えられる事に対するありがたみもひとしおだったのでしょう。モノに対する畏敬や感謝の念が、日本人の苗字などにも残っていると思います。この話、明日に続く・・・




20120102 1高橋家の新年のお参りは、国道197号の鹿野川ダム近くにある「石鎚神社龍雲山肱川教会」に行くのが昔からの習わしです。いつ頃からそうしていたのかはっきり覚えていませんが、物心ついた頃からそれが当たり前になっていたように思います。両親は亡くなりましたが、4人兄弟妹の連れ合い、その子どもが勢揃いして(外せない仕事で妹の旦那さんが戻って来れませんが、それでも総勢17人!)、ワゴン車3台に分乗して出掛けます。そこでお祓いを受けて、1年の始まりを実感するのです。今年も新しき年の新しき日を無事迎えることが出来ました。

20120102 2この肱川協会は、文字通り龍が祀られていて、至るところに龍の姿があります。まさに辰年には来なくてはならないパワースポット!金の玉を加えた龍の像に、今年一年の安全・健康をしっかりお願いしておきました。それにしても空想の生き物・龍はどうしてこれほど人の心を惹きつけるのでしょうか?中国から伝わった龍は、鳳凰と並び中国人がもっとも愛好する一対の瑞祥(ずいしょう)とされています。「春分には天に登り、秋分には淵に潜む」と言われ、神聖な天に自由に手入り出来る存在が龍だとされてきました。

20120102 3大干ばつが起きた時、雨乞いの祈祷をすると、天から龍が舞いおりて来て池に飛び込むと大雨が降り出したというような逸話が世界中で言い伝えられています。龍にまつわるエピソードにはなぜか不思議な類似性が見受けられます。恐竜が実在したのは約2億年も前の事なのに、その存在がはっきりと解明されたのは19世紀になってから。今では恐竜の存在を否定する人はいないでしょう。学術的に認められているから・・・実際には生きた恐竜を見た者は誰もいないのに、化石や足跡があるという理由だけで。

 

20120102 4対して龍は、今から二千年前の中国の文献に既に登場しています。その時点で、ほぼ現在の龍のイメージが出来上がっています。世界中でそこまでイメージが確立された龍が果たして本当に想像上の生き物だったのでしょうか?むしろ何か未解明の生き物がいて、その残像が龍のモデルとなったと考える方が自然なようにも思えるのです。大型未確認生物には目が無い私としては、何と言われようとも「龍=実在論」を断固支援していくつもりです!

 

20120102 5龍の目撃証言として特に有名なのが、1944年に中国の黒龍江省(!)で、川岸付近に堕ちてきた龍を多数の村人が目撃したという事件。村人の証言によると、長さ20数メートルにも及ぶ巨大でヘビのような黒い動物がそこに横たわっていたというのです。胴は約1m、7,8本の髭をたくわえて、頭に角は無かったが、額には30センチほどのノコギリ状の角が生えていたとか。その匂いは凄まじく、村人総出で龍にムシロをかけて、その上から水をかけていたが、翌日にはどこかに消え去っていたという話です。龍の存在を強く肯定する学者もいて、彼らは「龍とは、ヘビやワニと似てもまったく似て非なるもので、それらとは異なる、ある種の両生類ではないか」と結論づけています。いいですね~男の浪漫です!動いている姿を見た事が無い恐竜の存在は信じられ、多数の目撃証言のある龍は否定される・・・。目に見えるモノだけを信じていては、森の言葉が聞こえなくなりますぞ




20111103 1松山市内でも恐らくここ平田町だけではないかと言われているのが、町単位の体育祭(運動会)。平田町を含む潮見地区の体育祭とは別に、町単独でも体育祭を開催しています。歴史を重ね、今年で35回にもなる歴史と伝統のある地域の体育祭です。開催場所は、町の小さな公園ではありますが、侮ってはいけません。参加人数は老若男女合わせておよそ300人!町を8つの組に分けて、組対抗の火花散る白熱の体育祭が開催されるのです。これぞ平田町ならでは秋の風物詩。

 

20111103 2会場いっぱいいっぱいのコース作りも、ギャラリーとの超接近感もみんな承知の上。長い歴史の中で、この広さでも楽しめる競技が生み出されては、実践の波にもまれて人気を博したものだけが残り、このサイズならではの臨場感ある競技が揃いました。このために町の役員は数日前から準備に奔走します。今年は公民館主事を拝命している関係で、小学校や分館への道具の貸し出しや、景品買い、袋詰めなどの作業に追われましたが、ベテランで気の合う館長さんと一緒でしたので随分救われました。

 

20111103 3体育祭に限らず、町内会の活動のほとんどは、「昔からあるモノを文句を言わずに使う」というのが不文律です。不平不満を言い出せばきりがありません。特にこういう公共のモノは、それぞれに主義主張がありますから、何か新しいことをするには相当のパワーが必要になります。それもあって、なるべく今あるモノを黙って使うという事になるのですが、そこに「工夫や知恵」が生まれてくるものです。会場が広くなければ出来ない、人が少ないから出来ない、お金がないから出来ない、こういう経験をすればそのどれもがただの言い訳にしか聞こえません。

20111103 4無理なように思えてもやってみれば案外出来るものです。ついつい日々のルーティンワークに流され、やらないでもその経験知から大方の予測が出来てしまい、それは無理とか出来ないと決めてしまいがちですが、出来ないなら出来るような工夫をしなければ何も変らないと思います。長い歴史に耐え抜いた体育祭の道具達を見ながらそんな事を考えてしまいました。当日は本部で総合司会を務めさせていただきましたが、『森の語り部』として鍛えたトークが少しは役に立ちました。何はともあれ公民館下半期最大行事が無事終了致しました~!




GEDC1440昨年はほとんど金魚のフンのように付いて回るだけだった息子も、小4になって少しはお役をいただき、子供神輿を担がせてもらっていました。小さな子供神輿といえども、肩にカバン以外のモノを背負った事など無いような町の子供達には、神輿の重さがグッと肩に食い込むのでしょう。華奢な肩もそうして鍛えられていきます。子供の頃からこうして参加していれば、子供は子供なりに自分の中で祭りの立ち位置が見えてくるのでしょうが、大人になって参加し始めた私にとってはやはりどうしても違和感が・・・。

 

GEDC1450そもそも「伊勢音頭」なんて教わった事も唄った事もありませんでしたし、なぜ松山の誰もが「伊勢音頭」を唄えるのかも不思議でした。「三つ子の魂百まで」、やはり子供の頃の体験は大切です。この地で生まれ、この地で遊び、この地方行事で育まれた息子達は、私の知らない「生まれ故郷の町の遊び文化」をやがて親となり、自分の息子に口伝で継承していくんでしょう。自分の知らない、自分の教えられない「子供文化」を自らが体験して、自分の思い出として語り伝えていく、そこに私の入るスペースはありません。故郷を出た者も宿命とはいえ、子供の頃の体験を同じ場所で息子と共有出来ない一抹の寂しさを感じています。それでも、自分で勝手に自由に地元文化に馴染んでいく息子の逞しさに頼もしさも感じています。祭りの数だけ歳を重ねています、私も息子も。

 

 

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さて、昨年までは地下足袋で臨んでいたのですが、履きなれなさとアスファルトの硬さで翌日の足首の疲労感が半端ではなくきつかったので、今年は弾力のあるジョギングシューズで用意万全。お陰で翌日の疲労感が全然違いました。「伝統」を「機能」が凌駕しました・・・ただ単に神輿を担ぐ回数が少なかっただけ?体力の衰えを、要領でカバーしてしまうようになってはいけません、自戒を込めて。まあ何とか無事に神輿も宮入りしました。

 

GEDC1477

この後も、地区の運動会や屋外のイベントが続きますが、一番心配なのはお天気具合。当日は、日中は少し暑かったものの絶好の祭り日よりでした。お弁当などの用意のあるイベントでは、空の具合が頭を悩ませます。10月を迎え、現場も少しずつ勢いを盛り返しつつあります。今年は今のところ水不足の心配も無いようなので、この秋晴れがしばらく続いて欲しいものです。ちなみに本日10月8日は、「十」+「八」=「木」で、木の日でした。制定したのは、我が日本木材青壮年団体連合会。先輩方のご尽力です。




20111007 1 秋祭りの教義と地元感(1)秋祭りの季節になりました。毎年この時期に書いてきた事ですが、私はどちらかというとインドア派の人間で、「祭り命男」ではありません。むしろ雑踏や混雑が嫌いな方なので、大人数で事を成す行事というのは、たまに短時間だけ関わる分には楽しいのですが、長時間の拘束はちょっと苦手です。と言っても、愛媛木材青年協議会に入会した20年前にも同じような気持ちだったような気がします。責任ある立場になればその感覚も変ってきます。立場が人格を作るともいいますから・・・。

 

20111007 2 秋祭りの教義と地元感(1)純粋に表で祭りを楽しむというよりは、黒子の立場で動く方が性に合っているのかも知れません。ああ、根っからの心配性&貧乏性・・・。それでも根が生真面目なので(?)、ちゃんと朝5時30分には公民館に集合。息子と一緒に祭りに参加です。四国を代表するような西条の太鼓台や新居浜の祭みたいに盛大で無く、各町村でそれぞれに地域に根ざした伝統の形で祭りが行われているのにも関わらず、しっかりと会社は「地方祭」として休みを取らせてもらっていますので(!)、松山市外の方には大いなる誤解を与えています。そんなに盛大な地方祭なのか?そこまで祭りが大好きな人だったのか?そんなに仕事に余裕があるのか?実際に休んでいるのですから弁明の余地はありません・・・。図らずも今日から4連休(明日は第二土曜日)になってしまいます。毎年大いなる不安を抱えるこの季節。

 

20111007 3 秋祭りの教義と地元感(1)とりあえず、地元の住民として地域行事には出来るだけ参加するつもりでいるので、恥ずかしながら地元の祭りの教義も知らないのですが参加しています。本来は、何にために神輿を担ぎ、何のために酒を飲むのか、その意義が分かってなければ、意味はないのでしょうが、我々の周囲にある季節の行事の多くが形骸化していて、開催する事が最大の目的になってしまっているように思います。それでも続けていく事に意義があるという意見もあります。それも一理あると思いますが、ほとんど体育会系のノリ。

 

20111007 4 秋祭りの教義と地元感(1)愛媛木青協においては、卒業を控える歳になって、活動の背景にあるエッセンスも継承しておかねばと焦ってきましたが、結局その意義(継承しようとする行為)すらもある程度の経験を積まねば分からないという事なんだと思います。とりあえずは継続していれば、知らず知らずに行為そのものが継承の目的となり、それぐらいになるとその意義も透けて見えてくる(感じてくる)ようになるのかもしれません。いずれにせよ、何もせずに批評するだけの人間にはなりたくないので、まずは実践!




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