森のかけら | 大五木材


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20131031 1 .bmp以前にご紹介させていただきましたが、昨年の冬にご縁があって山形県南陽市の農林課の方からお問い合わせがあり、【森のかけら】の日本100と世界100をセットでご購入いただきました。四国に住む人間の感覚からすると、山形というと大森林王国のイメージがあって、そんなところからわざわざご注文をいただくなんて、何だか申し訳ないような気持ちでもありましたが、それだけ多種多様な木が揃った【森のかけら】を評価していただけたのだと感謝感激でした。

 

20131031 2 .bmp漠然としたイメージで、ついつい山の中だと森に囲まれて木が沢山あってと思われがちですが、実際に身近に接することの出来る場所で生えている木の種類には限りがあります。また昔と違って、木(木のモノ)が一般の暮らしから距離を置くようになり、前の世代からの伝承も含め、木の情報が少なくなり、立つ木を見てそれが何の木なのか分かる人も少なくなっているのが現実です。かく言う私も、立つ木に関しては恥ずかしながら不勉強でほとんど分かりません。

 

20131031 3 .bmpヒノキやスギ、マツやナラ、クリなど特徴がはっきりしている木ならまだしも、山奥深くの広葉樹の森などに行けば何が何やらさっぱり・・・。葉っぱを見ながら図鑑と照合して類推するのが精一杯。山を歩きながら、あの木は何、この木は何、なんて言えたら格好いいのにと思うのですが、こればかりは経験が必要です。以前に愛媛大学の樹木講座を受講させていただいて大変勉強になったのですが、材木屋として定期的にああいう勉強を積まねばと切に感じているところです。

 

Exif_JPEG_PICTUREさて、話が脱線しましたがその山形県の南陽市役所で、【森のかけら】に関心を寄せていただいた寛容な心の持ち主が農林課の鈴木聡さん。お電話でしかお話したことがありませんが、お声から温厚そうなお人柄が伺えます。【森のかけら】を始めるまでは、自分にとってのお客さんは、工務店さん、大工さん、設計士さん、家を建てられる施主さんだけでしたが、今は『木』というキーワードを通じて、住宅とはまったく無関係の方と多くつながっています。話し長くなったので明日に続く・・・

 

 




20130912 1長々と町内会の旅行の事を書いてきましたが、これ2日間の行程で、しかも1泊2日で平戸・鷹島・呼子という強行軍なので、実質その半分以上はバスでの移動。2日間でおとそ1000キロも走る(フェリー除く)という内容でしたので運転手さんはさぞお疲れの事だと思います。このブログを書くようになって、旅行などに行っても些細な事にも興味が湧くようになって、若い頃に比べて余程旅行を楽しませていただいています。旅の最後の観光は、鷹島の『歴史資料館・モンゴル村』。

 

20130912 2かつては元寇での争いという悲しい歴史の舞台となった島ですが、今ではモンゴルとの日本の友好の象徴の場として観光化されています。そしてそこには、鷹島という事で「鷹」つながりの『ソフトバンク・ホークス』の2011年の日本一を讃える鷹の銅像がありました。天気がよければこの像の前で記念写真という事でしたが生憎の雨。個人的に雨の中強行に撮影。近くで見るとかなりの大きさ(鷹の翼の先端までで3,4mはあったのでは?)で迫力あります。優勝するたびにモニュメントが増えているようです。

 

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室内にはかつてホークスで指揮を撮った王貞治氏(現福岡ソフトバンクホークス球団取締役会長)のサインも掲げてありました。人望のある王さんですからジャイアンツのOB会の会長もされているそうですが、個人的には憎っくきジャイアンツのスターですが、やはり王さんは別格。今はもう完全にホークスの王さんでしょう。年間ホームランの記録の事でも話題になりましたが、単なる数字だけでは量れないところに王さんの偉大さがあると思います。

 

 

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旅の最後は呼子でイカの生き造り。前日の夜、不漁でイカが間に合わないかもとの連絡があったものの何とか都合がついたようで、かの有名な呼子のイカを堪能させていただきました。それから先は延々とバスに揺られて一路松山へ。1泊2日の短い旅行ではありましたが、若い頃とは違った楽しみ方も覚え、各地での『木のものとも巡り合わせ』も満喫しました。放電と充電、バランスよくとらねば理屈っぽい頭でっかちになってしまいます。その地の空気を肺にまで送り込む事の大切さを改めて実感しました。




20130911 1初日の夜は平戸に泊まって、平目など美味しい地のものをいただきました。すっかり夜も更けて街を歩いたのですが、平日という事もあって人影はまばら。そんな夜のしじまの中に大きな教会の十字架が光ったりして、なんとも異国情緒が漂います。翌日は、平戸から一気に鷹島まで走って、朝から「歴史民族資料館・埋蔵文化財センター」へ。この地はあの『元寇襲来』の場所なのです。生憎の雨で襲来の現場を観に行く事は出来ませんでしたが貴重な海底遺物が展示してあります。

 

20130911 2元寇といえば、誰もが学校の教科書で習ったこちらの絵。昨今、『元寇はなかった!?』なる歴史ミステリーがまことしやかにささやかれたりしています。そういうのって嫌いではありませんが・・・最後は源義経=フビライ・ハーン説に行き着くというめくるめく歴史ロマンなのですが、さすがの歴史ミステリー好きの私ですら、あまりの大風呂敷に共感を持て。

 

20130911 3この有名な絵にしても、教科書に載っていたのは勇猛な馬上の武士に向かって弓を引く元の兵士の構図でしたが、実際には絵は左にも続いていて、そこには逃げ惑う元の兵士たちの姿が描かれています。その逃げる兵士と弓を射る兵士の服装の違いなどから、弓を射る兵士が後から描かれたもので、それも元寇否定説のひとつの根拠になっているとか(元ではなく高麗が攻めてきたとか云々)。誰かが意図的にトリミングした!?

 

20130911  4話としては面白いのですがなぜか私の心に響かないのは、当時の元という国そのものに対する関心が薄いせいでしょうか。歴史の中でも、人の欲望が爆発する戦国時代などは非常に好きなのですが、秀吉の朝鮮出兵にしてもこの元寇にしても、当時の海外と絡む話となると不思議にテンションが下がってしまいます。元寇に対しても関心は薄かったのですが、ここで海底から引き上げられた遺物を見ていると、14万とも言われる元軍の雄たけびが聞こえてきそうになります。

 

20130911 5なんといっても実際に海底から引き揚げられた当時の船や武器、武具類の圧倒的な存在感を目の当たりにすると、14万もの大群が乗った4400隻の大船団に対峙した九州の武士たちの胸中やいかばかりであったろうかと・・・。時代が時代ですから両軍とも武器にしろ船舶にしろシンプルなものが主流で、その素材の多くには木が使われていました。さすがに船そのものが原型を残して水中に沈んでいるわけではありません。ばらばらのパーツとして引き揚げられ保存されています。

 

20130911 6その方がより強く歴史の重みと史実を訴えかけてくるものがあります。ばらばらになった船舶などの隣に、奇跡的にまだその原型をとどめていたのがこの『木製の大碇(おおいかり)』です。ちょっと駆け足の見学だったので、解説などを読み込む時間がなく詳細がよく分からなかったのですが、その碇身部の素材が『アカガシ』であることだけは確認しました。水質にもよく耐えると言われるアカガシですが、よくぞまあ730年も深い海中で朽ち果てずに残っていたものか!これが引き揚げられた碇の中で最大のものだという事でしたが、元の船の碇だという事でので、当時の元の国に生えていたアカガシという事になるのだと思います。今のモンゴルといえば大砂漠と大草原のイメージですが、実は豊かな森林国でもあるそうで、元の海外戦略を支えていたのはこういう立派なアカガシの大木だったのでしょう。

 




20130910 1もう少しだけ鯨の話題。この生月島(いきつきしま)は、捕鯨の島としても有名ですが、もうひとつ「隠れキリシタン」が熱心な信仰に殉じた島としても有名で、2階の展示室には、450年もの間厳しい弾圧にも耐えながら現在にまで引き継がれてきた当時の信仰の様子やご神体などが展示してあります。小学校の頃歴史の教科書で見た『踏み絵』の実物もありましたが、木製の枠で囲まれた随分立派そうなものでした。それよりも私を惹きつけたのは、この島が生んだ日本一の巨漢力士の事。

 

20130910 2その名を、『生月鯨太左エ門(いきつきげいたざえもん)』。この生月島出身で、誕生日が文政10年(1827年)ということなので、11代将軍・徳川家斉の頃に産声を上げ、14歳で鯨を仕留めたとか、怪力だったとか伝説には事欠かないようです。身長が227㎝、体重が169kgもあったという事ですから、当時からすればまさに巨人であった事でしょう。ちなみに東洋の巨人・ジャイアント馬場さんが、身長209㎝、体重135kg。曙が身長203㎝、体重233kgですからその突出した大きさが偲ばれます。

 

20130910 3圧倒的な大きさを誇りながらも最高位は西張出前頭で、わずか24歳で亡くなってしまいます。その巨躯から繰り出す技は圧倒的なパワーがあったようですが、お披露目的な土俵入りが多くて、まともな取り組みが組まれなかったのかもしれません。あまりに大きすぎる体ゆえ、見世物的な扱いを受けたアンドレ・ザ・ジャイアントの苦悩がだぶります。亡くなった際には、遺体を運び出すのに長屋の天井を壊して搬出したというエピソードも残るなど何事も桁違いだったようです。

 

20130910 4さて相撲の話になったので、相撲つながりで1冊の本をご紹介。今までに何度か触れてきましたが、私の名前は第38代横綱・照国にあやかって命名されました。気迫がこもり肌が紅潮したときの美しさから「桃色の音楽」とも呼ばれた名横綱ですが、その横綱・照国とのご縁で、秋田県湯沢市で小学校の教員をされていた簗瀬均(やなせ ひとし)さんとつながり、その簗瀬さんが2011年から秋田魁新報の日曜日に地元の名横綱の生涯を連載されていましたが、このたび上梓されました。それがこちらの『横綱照国物語』(無明舎出版)。以前に資料をいただき拝読させていただきましたが、早速本も購入させていただく予定です。無敵の双葉山に、ただ一人勝ち越した第38代横綱・照国。内気温厚で、争いを好まなかった少年がなぜ相撲取りになったのか? 秋田が生んだ「相撲の天才」波瀾の生涯を活写する!またひとつ、名前のルーツに一歩近づきました。

 
 



20130909 1現在、捕鯨は大型鯨類13種を対象とした商業捕鯨は禁止されていて、南極海での調査捕鯨に限られています。捕鯨問題については、いろいろな意見もあるようで、特に日本に対しては政治問題にすり返られている感もありますが・・・。かつては捕鯨推進国としては日本やノルウェーが有名でしたが、現在では IWC(国際捕鯨委員会)に加盟している88カ国のうち、捕鯨支持国39カ国、反捕鯨国49カ国と、かなり均衡してきているようです。

 

20130909 2鯨は捨てるところが無いと言われますが、その部位約70についての料理法を示した本が記される(鯨肉調味方)など、その皮や肉、五臓六腑、油に至るまでその料理方法・活用方法にについては古来より詳しく体系化され、本当に無駄なく活用されてきた事が分かります。館内にもその用途が解説してありましたが、端材を無駄なく活かして使いたいという【森のかけら】のコンセプトにも相通ずる部分があって強い共感を覚えました

20130909 3鯨油や鯨のひげを使った工芸品など、その活用方法の実例も展示してありましたが、鯨に限らず樹木に対しても葉や皮を染料にしたり、実を煎じて生薬にしたり、材それぞれの堅さや強度、木目、触感などの特徴に応じて細かな用途に使い分けてきた歴史があります。ごく当たり前のように木のモノを暮らしに取り入れてきた時代から月日が流れ、身近なところから木のモノが姿を消してきた中で、木に対する意識も随分変わってきました。木を伐る事は悪である・・・鯨を捕ることは悪である・・・他人事とは思えません。

20130909 4 捕鯨に関しては、先に書いたように対日政策として政治問題にすり返られている嫌いもあり、現在の鯨の成育数や捕鯨数(調査捕鯨は年間220頭)、またその割合は南極海に生育するクロミンク鯨の0.1%に過ぎず、この値は純加入率よりも小さいので、資源に悪影響を与えることはない(参考・日本捕鯨協会)など、その実態と漠然としたイメージが乖離している場合もあります。木に対しても環境意識の高まるにつれて、イメージ先行の誤解もあるので注意が必要です。

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 そういう意味からも厳しい環境にある捕鯨がとても他人事のようには思えないのです。私が小さな頃には小学校の給食にもごく普通に「鯨の竜田揚げ」が出ていましたので身近な食べ物でした。海外では感情的な部分で捕鯨に対するイデオロギーもあると思いますが、古来より暮らしや文化に根ざしてきた日本人 が「勇魚」と呼び畏れながらも危険な漁に挑み、鯨塚を立てて鎮魂を捧げた姿に、森の巨木に対する山の民の姿がオーバーラップせずにはいられないのです




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