森のかけら | 大五木材


当ブログに記載の商品の料金、デザインは掲載当時のものであり、
予告無く変更になる場合がございます。
現在の商品に関しまして、お電話、又はオンラインショップをご覧ください。
 
荘厳なる姿を留める金沢城ですが、明治時代になると他の城同様に陸軍の管轄となり軍事施設として使われるようになります。もともと戦をするための建物ですが、時代を超えて戦闘拠点として使われます。戦うための城は、しっかりと武装してあり、その細工は随所に見られます。金沢城の屋根瓦には、木で作った型の上に銅を含んだ鉛をコーティングした鉛瓦』が使われていますが、いざという時には鉛を溶かして弾薬として利用するため。この瓦が使われているのは日本では金沢城だけだそうです

そのため屋根瓦が白っぽく見えて、遠くから見ると屋根に雪でも積もっているかのごとく銀色に輝き、美観重視のお洒落な城のように感じます。銅が含んだ鉛を使うことで強度も増し、酸に腐食されにくくなるという実用性も備えています。そういう様々な工夫と技術が施された金沢城も時代に翻弄され、戦後は金沢大学のキャンパスとなり、現在では金沢城公園としてようやく平和の象徴、いま流行りの言葉でいえばレガシー(遺産)として市民の憩いの場となったようです。

しかし門扉は、白壁の上品な佇まいからはかなり違和感のある造りで、戦うための「準備」に男子の戦いの本能が刺激されます。写真で見たことはあったものの、実際に見てみるとかなり無骨。門扉や柱、梁などにはビッシリと厚さ3㎜の鉄板(帯鉄)が鋲で止められていていかつさが半端ではありません。敵からの防御を高める目的の装飾らしいのですが、これも非常時には溶かされて弾薬などにするつもりだったのでしょうか。この異形ともいえる鉄が巡らされた門扉を見ていると『くろがねの門』という言葉が浮かびます。

昭和40年代世代男子としては、『くろがね』というと、「空にそびえるくろがねの城~♪」という、『マジンガーZ』のテーマ曲を思い起こさずにはいられません。金沢城には実際に『くろがねの門(鉄門)』と呼ばれる門が実在したそうで、慶長(1600年前後)の創建時には、本丸の正門にあったものの、宝暦の大火(1759年)で櫓とともに焼失してしまいます。鉄板を貼った扉が貼りつけられていたことが名前の由来と言われています。う~ん、見どころが多すぎてなかなか先に進むことができません・・・。




オンラインショップ お問い合わせ

Archive

Calendar

2024年4月
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
2930  
Scroll Up