森のかけら | 大五木材


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以前に製材所からもらって来たマツの木の端っこの切り落とし。形がいびつで割れてねじれてそのまま廃棄されてしまうはずだったもの。誰が見たって「ゴミ」にしか映らないでしょう。そんなものもらって来てどうすんの?と思われるでしょうが、うちは製材所ではないのでこういう丸太の形のままの引き落としやいわゆる端材は自社では発生しないので、『丸太状の端材』に対する妙な欲求があるのです。いや、もうあこがれに近いようなものかもしれません。自分でもよく分りませんがきっとただの無いものねだりなのだと思います。

前に職業体験で地元の中学生を受け入れた時に、そのマツの輪切りの年輪を数えてもらいましたが、几帳面に年輪を数える彼らにとってはその輪切り丸太が割れていたり反っていることは関係ありません。彼らにとっての興味は、年輪幅が広くなっていたり細くなっていたりして、どうして年輪幅にこんなに違いがあるのかなあという事や、数えた年輪が80以上もあって自分の祖父や祖母よりも長く生きてきたという事実に向かいます。木は長生きするということを耳で聞くのと、実物を見ながら数えて感じるのとでは受け取り方も随分と違うはず。

木の仕事をしているとどうしても、まっすぐな木、ねじれていない木、節の少ない木など、人間の都合で『使いやすい木』が「いい木、良い木」で、そうではないものは「使えない木、悪い木」と考えてしまいがちです。事実この割れて反って歪な輪切りのマツだって、材木屋なら誰も見向きもしないことでしょう。これには価値が無いと思っているから。でもこのマツの年輪を数える彼らにとっては、初めて見る木の輪切りだったのです。彼らがそこに「いきものの足跡」を感じたとしたら、それだけでこの輪切りには充分な存在意義はあったのです。

『木の価値』を考えるとき、今までのものさしだけでは測れない魅力や楽しさや驚き、可能性なども基準にしようと意識はしているつもりですが、ついつい日頃の仕事に流されて、古いものさしで木を見てしまいがち。店にやって来る子どもたちのピュアな「この木、超かっこいい~!」とか「やべえ~」という言葉にハッとさせられることしばしば。そのたびに、また古いものさし出してたことに気づいて、ものさしを取り換えています。世の中に使えない木などなくて、あるのはそこに使えない脳があるばかり、猛省の日々。




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