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今日は、下の娘が習っているピアノ教室の発表会が『萬翠荘(ばんすいそう)』で開催され、家族で観覧&応援です。萬翠荘は、2011年に国の重要文化財に指定されている歴史ロマンを感じさせる建物です。大正11年に旧松山藩主の子孫にあたる久松 定謨(ひさまつ さだこと)伯爵が、別邸として建設したもので、陸軍駐在武官としてフランス生活が長かった定謨伯爵好みの、純フランス風の建物は、当時最高の社交の場として各界名士が集まり、皇族方がご来県の際は、必ず立ち寄られたとか。
かつては1階が高級レストランとして営業もしていたそうで、今でも今回のようなイベントや古典などが定期的に行われているようです。大正の歴史ロマンを今に伝える愛媛県を代表する建物のひとつなのですが、恥ずかしながら中まで入ったのは今回が初めて。写真とかでは見たことはあったのですが、実際に見るとその格式の高さは驚くばかり!しかし、ガチガチに緊張して出番を待つ娘にとってはそれどころではありませんが・・・
豪奢な舞台で娘が弾いた曲は「マルマルモリモリ」!少し駆け足になりましたが何とか無事に演奏を終えました。時々泣き言も言いながらも練習をしていますが、何でもひとつの事に打ち込んでくれれば、親としては安心。この道で生きていくわけではないのでしょうが「夢」なき人生は無味乾燥。涙の中からいつか夢も見えてくるでしょう。さて、演奏後は最後の合奏まで出番がありませんので、家内と次女を残して、私と長女と息子の3人で萬翠荘の探検に出発!2階は有料となっています。
自宅から車で20分足らずの距離にあって、ほぼ1週間に1回はその前の道を通っているものの灯台下暗しとはまさにこの事。全国の有名建築物を巡る前にまずは地元の事をしっかり学ばねば・・・本当にお恥ずかしい限りです。せめて今からでもしっかり地元巡りをしようと思います。近いとついつい、いつでも行けるような気分になるのですが、案外行けそうで行けないのが地元の観光地。しかし一度結界を越えれば、道後のように『わが街の財産・観』が増します(私の場合ですが)。では早速お二階へ!
先日の地区の文化祭では、昔のこのあたりの写真も展示されていました。こちらは私が生まれた頃の少し前、今から50年ほど前のこの周辺の航空写真だそうです。結構田畑が目立ちますが、今はその多くが住宅地になっています。私自身は松山で生まれ育ったわけではありませんので、懐かしさも思い出もないのですが、私が物心ついた頃から考えてもその暮らしぶりは随分と変貌しました。これから先の事を考えても、短期間でこれほどまでに劇的に暮らしぶりが変わることはないのではないでしょうか。
それが「高度経済成長」というものなのでしょうが、そのスピードについていけずに多くのものが振り落とされていってしまったようです。物事にはすべて功罪の両面があり、短絡的に良い悪いとは判断出来ません。ノスタルジィだけでは暮らしていけないのも事実です。こういう時代になったからこそ、こうやって自分の考えを広くたくさんの方に発信できるわけですし、片方で便利さを甘受し、片方でそれを批判するのは虫が良すぎる話。昔は良かった・・・的な話には相応の脚色があります。
それが悪いわけではありませんが、過去を肯定することで現在を否定的に捉える考え方はどうなのかと思います。木材業界においても、「日本の林業が衰退したのは安い外材が輸入され始めたからだ!あの時輸入しなかったらここまで疲弊する事はなかった」といつまでも言い続けている方もいらっしゃいますが、そのお陰で住宅資材に「木材」が残ったという側面だってあるでしょう。安い外材が大量に輸入され、国産材は価格競争に負けた・・・というロジックは定説でした。
当然それも一理あるでしょうが、その当時価格以外の面で外材と戦おうとした動きが業界にあったのでしょうか?そしてそれは今もあるのでしょうか?価格競争という土俵の上にいる限り、それを否定することは自己否定でもあります。過去に栄光の歴史もあったでしょうが、それにすがりつくことなく、現状を見据えて今しか出来ないことをやらねば、と思うのです。かつてそんな時代があって、ドン・キホーテのような愚かな材木屋もいたと語り継がれるような、ど阿呆な材木屋になりたいのです。
本日は、地元潮見地区の文化祭。今年は平田分館の主事を拝命していますが、これが今年度最後の大きな行事となります。こういう役でもやっていないとなかなか関わる事もないのですが、裏方仕事をしてみると、地区の行事がどれほど多くの善意で支えられてるのかを実感します。仕事以外にもいろいろな役を背負わされる歳になってきましたが、何事も声をかけていただくうちが花。何でもかんでも仕事に結び付けようと考えているわけではありませんが、ものは考えよう。
いつも貪欲に仕事のヒントを探しているわけではないのですが、『適材適所』やこのブログを続けているうちに、何が何とどうつながっているのか、誰が誰と結びついているのかなどを観察するのがすっかり身についてしまい、観察する事が習慣化しています。館内では地区の方の手芸や工芸、絵や写真などさまざまな手作り品が展示されているのですが、外ではテントを張って柑橘や蓮根など地元農産物の販売(私担当)。子供の賑やかしに『木の玉プール』にも声がかかり家内が出張イベント。
今までに何度かご紹介させていただきましたが、私が住む平田町は『宮内いよかん』発祥の地で、多くの蜜柑農家の方が宮内いよかんを栽培されています。最近は柑橘の新種も増えて、地元も方でもすべて言い当てるのは難しいぐらいに多様化しています。いずこの世界も変わっていかねば生き残っていけません。自分の職種ばかりが大変だと思ったら大間違いだということも、地元の方々との交流の中から肌で体感しています。農産物の販売でも、平田町の『宮内いよかん』は大人気!1000個近くを販売。
今、高級カットフルーツとして人気の高い『紅まどんな』(普通に買うと1個500~600円!)は皮が薄いので取り扱いが難しいとか、それぞれにノウハウが必要で、その話を訊くだけでも何かコラボの種が生まれそうになります。【森のかけら】の『蜜柑』も、地元の蜜柑農家の方との会話から、廃棄する材を分けて頂く事になりましたし、モノが何かとつながる時にはとにかくさまざまな情報が必要になります。いよかんの厚い皮の中に含まれている種のように、モノの種は身近なところに潜んでいるもの。
本日は地区の成人式が開催され、平田公民館分館主事としてお手伝いに行って来ました。本当の成人の日は、明日の9日ですが、仕事の関係もあって本日開催される所が多いようです。私らの時(思い起こせば今から25年ほど前の話・・・うわ~、四半世紀!)は、県外に就職したり進学した新成人が実家に帰省している時にしようという配慮で、正月の3日に行ったような記憶があります。今年新成人を迎えるのは、平成3年、4年生まれ・・・。昭和は遠くになりにけり。
生きることの潤滑油としての「あそびの時間」がドンドン削られ、効率と競争が増長され、一日の時間が早くなり、急かされる昨今の暮らしのリズムの中で、こういう催事のあり方も変わってきています。例えばお祭りなどの地方の祭事は、五穀豊穣を祈ったものなどが多く、開催される日にも明確な理由があったはずです。それが、人が参加しやすいから、という理由で平日から日曜日に開催日を変更したりするのは、本来の趣旨からすれば本末転倒な事で、完全に祭事の形骸化が進行していると思います。
しかし、その一方で伝統を受け継いで行かなければならない使命感との葛藤もあり、主催者サイドとすれば苦渋の選択だと思います。祭りだけでなく地域の行事に対する住民の温度差も年々差が広がってきているようで、参加し一生懸命協力する人と、他人事と決め付けて一切関わりを持たない人の二極化が進んでいるように思われます。それが進めば特定の人ばかりに負担がかかるようになり、いずれ行事そのものが行き詰るかもしれません。今日の成人式でも、娘や息子の晴れ舞台として参加される一方で、それを準備・運営するスタッフの事にまで思いを巡らせている親御さんはどれほどいらっしゃるのか。あらゆるサービスが過剰になり、催される事に慣れてしまい、客感覚で地区の催事に参加している人が多いように思います。かつては、裏方を皆が順番にこなし支えあってきたのが、年金のシステム同様にその暗黙のルールが崩壊すると、継続は厳しくなります。
批判する人はまだ意識がある方で、それなりの思いや覚悟があるのですが、無関心こそが最大の問題。当日も4割ぐらいの新成人が欠席していました。当然、それなりに理由はあるのでしょうが、誰が何のためにこういう事を催してくれて、これから自分がどれだけ多くの人との関わりの中で生きて行くのか、という事を感じるには絶好の機会であったこの日を欠席された事は非常に残念です。バブル時代にうかれて成人を迎えた世代としては偉そうな事を言う資格もありませんが・・・。
その頃の事を思うとなんだか世間様に申し訳ないような気分になってしまいますが、厳しい時代に生きて行かねばならない世代だからこそ、人との関わりの大切さをしっかり肝に命じてほしいと思いのです。明日からはあなたも、催す側の一員だという自覚を胸に!歓待の演奏をしてくれた潮見中学校の吹奏楽部(昨年全国大会出場!)の学生たちにとっても、我々地域の人間にとっても、あなた達の未来はもうあなただけのものではない。「おめでとう」は「ありがとう」の始まりです。
昨日の続きで、このあたりの「高橋姓」の由来について。私の実家周辺では、天正13年秀吉の部下小早川隆景の進攻により越智郡高橋郷を追われ当地野村町野地地区に落ち延び土着した高橋玄蕃なる人物が「高橋姓」の由来とされています。その子孫たちがドンドン増えていって、ご先祖様を辿っていけば皆同じ血族という事になるのかも・・・。ではその高橋玄蕃のルーツは・・そういう事も調べられている方もいらっしゃるようで、人間の探求心の底や知れず!
【森のかけら】に没頭する私も人様の事を言えた義理ではありませんが、心底惚れ込めるモノに巡り会えたら素晴らしい事です。歴史のあるものや、積み重ねられてきたモノの源流を遡るという事はとても楽しいものです。知れば知るほど物事がつながっていき、謎の輪が解けていく。そういう意味や由来があったのか~樹や森の世界もその繰り返しです。こんな面白いこと止められません。関心の無い人から見れば何がそんない面白いのかと思われるのでしょうが・・・。人の好奇心っていつ頃どうやって育まれるものなのでしょうか。同じ環境で育った兄弟でも、まったく興味の向く方向が変わっていきます。ウチの双子は二卵性の男女ですので、当然興味や嗜好もバラバラですが、親のDNAを受け継ぐものだとしたら、息子や娘の誰かは私と同じような事に興味や関心を持ち、執着する人間になるのかしら・・・。
さて、そんな私の好奇心をくすぐるのがこの看板。『天空の棚田』の由来が綴られています・・・時は戦国、天下分け目の関が原の戦で、高知四十三万石の城主・長宗我部盛親は西軍についたが、小早川秀秋の裏切りにより敗戦。元親は命からがら逃げ延びたが、その後捉えられお家断絶、本人は斬首。一族も全国各地に逃げ隠れ、そのうち「元親(もとちか)」と名乗る二人の男がこの地にも住み着いた。お家断絶の無念さや武士の誇りが「元親」と名乗らせたのであろうと。この地で生きることを決めた二人は早速田畑の開拓を決意。
今からおよそ400年前の最初に作られたのがこの棚田である。石の形もバラバラで見栄えも決していいとは言い難いこの棚田であるが、この小さな歴史の生き証人を、地区の文化遺産として保存していく事は、歴史のロマンであり、現代に生きるものの使命であるのだ・・・と記されていました。どなたが書かれたものか存じ上げませんが、その心意気や高し!行間から浪漫が滲み出ています。誰かがどこかでつながり、その意思を受け継いで行くのです。天空の棚田よ、黄金に染まれ!
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