森のかけら | 大五木材


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20150522 4すわ大会本番かと思ったら、前夜祭の存在を忘れておりました。大会は午後から式典などのプログラムが組まれておりますが、前日には役員会や委員長会議など出向者によるさまざまな会議が昼間から行われています。そういった役員さんなどをお迎えしての前夜祭が行われるのが慣例。全日空ホテルにて開催されたのですが、前夜祭といえども200名を越す会員が集まってきますのでそれなりの規模のもの。愛媛を中心に中四国の現役会員の皆さんは、早朝より本当にお疲れ様です。

 

20150522 2愛媛会団の総会は4月に開催され、その場で役員が改正されます。なので、この大会前に既に26年度の愛媛の会長は交代しているのですが、この全国大会までは前年の会長の管轄となりますので、26年度愛媛会団長の大成郁生君が登壇して歓迎のご挨拶。会団長というと各会団の顔として表舞台に出ると思われるかもしれませんが、大会には実行委員長が立てられ、地元の会団長はむしろ黒子的な役割でありながらも責任を負わされるしんどい立場。それから解放されるのももう少し!

 

20150522 1古いOBの方に話を聞くと、昔の全国大会は前夜祭の参加人数もこの倍ぐらいはあって相当に華やかだったということですが、思い出は常に美化され装飾され膨らんでいくものですから、怪しい話かもしれません。バブル時代の思い出を引き合いに出しても仕方がないと思いますが、会員数が1000人を割ったとはいえ今の方が幽霊会員の割合が低いのではないかと思います。状況が厳しいからこそこういう会を通じて情報を得たい、繋がりを持ちたいと考えている人の方が多いように思います。

 

20150522 5さて、前夜祭の楽しみは、大会本番前のセレモニーらしくあまりかしこまらずに参加できることと、理事会などには出席していても大会当日は都合が悪く帰社しなければならないという方にお会いできたりすること。こちらの奈良の山口和博さん(山和木材)㊧も、それまでフェイスブックでしか「会話」したことがありませんでしたが、ようやくお会いできました。百聞は一見にしかずという通り、一度お会いして話さえすればもう後は大抵の失礼は互いの顔を想像しながら許されるもの!

20150522 3木青連には木青連のメンバーにしか分からない連帯感のようなものがあって、全国の木青連として年間スローガンを掲げ、全国から出向した委員は委員会に分かれ、それぞれの目標に向かって1年間運営していくわけですから、おのずと連帯感は生まれ親密になりますが、過酷な厳しい環境に置かれた者同士は固い絆で結ばれるのアクション映画の鉄則通り、異常なほどに親しくなる者も多数・・・まあ、その絆にも世代ごとにいろいろなタイプがあるようでやはり当事者にしか分かりない事も多数ありけり。




20150522 1翌日の日本木材青壮年団体連合会の愛媛での全国大会に合わせて、大阪から橘商店の若旦那・橘明夫君がご来店。以前に頼んでおいた材料1式をトラックに積んでやって来てくれました。このブログでも何度か紹介しましたが、明夫君は明治43年創業の老舗の名栗専門店の若き4代目。明夫君との出会いは、私が木青連を卒業してからだったのですが、この数年で世代差や地域性を越えて一気に親密な付き合いをさせていただくようになりました。積んできた材も依頼して市場で落札してもらったもの。

 

20150522 2今やSNSの発達で、全国どこにいても業界の繋がりは作れる時代ではありますが、やはり最後の最後は対面して膝詰めしてどれだけ言葉を交わせるかだと信じています。私が現役会員だった頃といっても、わずか4、5年前の事ですが、それでも今ほど会員間でフェイスブックなどでの交流が浸透していませんでしたので、遠方の方と親密になるためには直接出向いてお話するしかありませんでしたが、今やネットで先に繋がっておいて会議や大会などでリアルに会って話すという感覚でしょうか。


20150522 3便利な反面、気をつけないと知らず知らず相手の懐に土足で踏み込んでしまう事にもなりかねないので、細心の配慮が必要。気の置けない友人と会話している感覚でつい、実際に会った事も無い人に無礼な事を書いたり、失礼な事を言ってしまっている事もあるかもしれないので、直接顔を見ながら話をして人間関係が出来てからディープな木の話もしたいのですが、木青連も卒業してしまうと県外の遠方の方と実際にお会いしてお話する機会も少なくなってしまいました。

 

20150522 4すっかり出不精になってしまい反省しているところですが、そんな私を抜群の嗅覚で若い材木屋さんとつなげてくれるのがこの明夫君。まあ、いろいろな市場や製材所にマメに通い、全国のコアな材木屋との人脈も相当なモノ。しかも業界でも決して多くはない広葉樹派閥の人間という事で私にとっても非常に重宝な存在!端材の活用についても熱心でこちらは、明夫君のところの銘木の端材を使って制作した『銘木ボールペン』。以前私も台湾樟のそれをいただきました。さあ、明日はいよいよ全国大会!




20150512 15月22日(金)、松山市にて日本木材青壮年団体連合会(以下日本木青連)の『第60回記念全国四国愛媛大会』が開催されます。日本木青連は全国組織で、各地の会団が組織化されたものです。愛媛には、愛媛木材青年協議会(以下愛媛木青協)という団体があり、45歳を定年として、熱意溢れる若き材木人たちが集まっています。私も数年前まで所属していましたが、木にまつわる多くの事をこの会を通じて学ばせていただきました。青臭い言い方ですが、私にとっては第二の青春時代でありました。

 

20150512 4材木屋の家の長男として生まれ将来の後継者、跡取りとして将来を嘱望されて後を継いだ多くの二代目、三代目とは違い、もともと土木屋の次男で新聞とか雑誌などの出版関係の道に進みたかった材木とはまったく無縁の男が、何をどう間違ったか大学卒業後にいきなり材木屋になったわけです。まったく何の予備知識も無ければ、身近な所に木の仕事をしている人もいない中で(父親は材木業が本業ではなく非常勤)、材木業も唯一心の支えとして、腹を割って話が出来る相談相手が愛媛木連の先輩、同輩

 

木の名前はもとより、尺貫法や材積の計算方法、山の事や市場の事、流通の流れや市場での買い方、外材と国産材の違い、製材の挽き方からトラックの荷の締め方、手形や小切手など商習慣の事、果ては材木屋の癖や噂まで何から何まで、良いことも悪い事もすべて教えていただいたのは地元・愛媛の木青連の先輩や仲間たちでした。配達のついでに先輩の製材所の土場で話を始めたら、つい長引いて気がつけばすっかり日が落ちて、お互いの顔が見えなくなるぐらい話し込んだこともしばしば。

 

ひとが木青連に入られる理由はさまざまでしょう。求める目的もさまざまでしょう。木青連と聞くと材木屋の集まりと思われるでしょうが、名前こそ木材となっているものの実際には、林家、製材所から市場、大問屋、小問屋、小売店、プレカット工場、集成材工場、森林組合、設計士、建設会社、設計士、林業機械屋、業界新聞、専門誌等々木にまつわるさまざまな仕事をしている企業が所属していて、外材屋と国産材屋も混在しその企業規模もバラバラで、「木」というキーワードだけが唯一の結びつき。

 

20150512 5なので、木の仕事と言っても実に多彩でバラエティに富んでいます。愛媛だけでも結構幅があるのですから全国ともなると職種の幅も扱われている樹種も相当広がってきます。あたかも健全な森のように多士済々なメンバーがいるわけですが、そんな仲間が一堂に集まるのが、年に一度全国の地区ブロック持ち回りで開催されている全国大会。愛媛はもとより四国での開催も初ですが、しかも60回記念大会という事で多くの木材人が集まり、熱い木の話を沢山聞けるものと楽しみにしています!




今から10年ほど前、愛媛木材青年協議会(愛媛木青協)において私たちの世代が中心的な会の運営に携わらせていただく時代がしばらく続きました。それは私の年齢の上下1、2歳幅の間に松末繁治、實田貴史、岡慎治、井上剛、日野猛仁、井部健太郎、井部勇治、渡部康彦と同世代がたまたま集中していて、しかもそれが皆酒好きで気の合う連中ばかりであったという事もあり、ほぼ共有する価値観のもと、これらのメンバーがバトンを受け継ぐように、会長となり、出向者となり、およそ10年近くにわたり深く愛媛木青協の舵取り役の任を負ってきました。

 

20150421 2そんな男たちはまじめに会の運営をする一方で、他地域の同じ価値観、同じ感度を持つ人間との交流にも熱心で、中でも我々が注目したのが安東真吾そのひと!安東さんは私たちより少し遅れて美作木青に入会されてきたのですが、その時から我々のリーダー・松末繁治が独特の嗅覚で目をつけて接触。頭脳明晰で広い視野と見識を持つ一方で、子どものように負けず嫌いでわがままな寂しがりだと見抜かれた安東さんは、本人の望む望まずに関わらず、どこまでも執拗に獲物をつけ狙うオオカミのように我々につきまとわれることになったのです。

 

20150421 3安東さんは日本の木材業界を代表する銘建工業の人間ですが、我々が興味があるのは『銘建の安東』ではなく、あくまでも負けず嫌いで寂しがりで涙もろくなってきた安東真吾という個人。そうでなければこういう交流は絶対に長続きしません。地元の美作でも盛大に卒業祝いが開催されたそうですが、かなり若返った美作木青では安東さんと同世代の会員は少ないようで、懐かしい木青協の昔話に花を咲かせましょうと、愛媛でも卒業会を開かせていただいた次第。結局何かにかこつけて楽しく飲みたいというだけなのですが・・・

 

20150421 4わざわざ旧知の仲の香川からも樋口哲也大先輩も駆けつけていただき、飽きるほど見慣れた連中に囲まれながら、いつものように昔のとんでもなく楽しく懐かしい話に花が咲いたのでした。同じ木材業とはいえ、それぞれ互いに取り扱い品種が違っていたり業態が違っているので、実際の商売上の付き合いがあるというのは少ないのですが、むしろだからこそこうして今も付き合いが出来るのかもしれません。いつの日か我々も第一線を退く日が来るでしょうが、仕事上の付き合いを越えてこうしていつまでも集まれる仲間でいたいものです。

 

20150421 5地元の指針となる先輩たちが次々と卒業していく中、他会団ながら安東真吾という人がいたからこそ愛媛木青において、自分を奮起させ目標を持ち続ける事が出来ました。しかし思い出を振り返ってばかりもいられません。あの頃の木青協の昔話の賞味期限が長いのも、夢中になって全力を傾注していたからこそ。更に10年後に、今の時代を上質の酒の肴にして友と飲めるためにも、日々を精一杯生きねばと思うのです。安東さん、それでは人生劇場『第一幕・出会いと木青協』終了。第二幕でもお付き合いよろしくお願いいたします~!




20150420 1年上の先輩に対して『盟友』などという言葉を使うのははなはだ恐縮ながら、盟友という言葉以外思い当たらない方がいる。そのひとりが、私より1歳年上の安東真吾さん。その安東さんがこのたび所属されていた美作(みまさか)木材青壮年経営者協議会をご卒業されたという事で、愛媛の同世代の木材業者が集まってささやかながらご卒業の慰労会を開催させていただきました。年上で卒業が前後する事に違和感を感じられるかもしれませんが、会の定年というのは各地区でそれぞれ異なっていて愛媛は45歳、美作は50歳となっています。

 

20150420 2そのため、年下が年上の方の卒業を見送るという形になって、私は45歳で愛媛会団を卒業しました。各県(地区)の会団は、日本木材青壮年団体連合会という全国組織に所属していて、各会団の地域での活動とは別に、会団長や各委員会の担当者が出向して全国の連合会を組織運営しています。私も40歳前後から数年間出向などを経験させていただきました。そこでの会議や懇親会などを通じて全国のさまざまな木材人と交流が広がっていくわけですが、中でも中国・四国地区など身近な近隣県の方々とは結びつきがより深くなっていきます。

 

長く所属していると顔見知りの連中も増えてきますし、会運営というひとつの目的を持っていわけですから自然と親密にもなりますし、お酒でも入って語り合えば昵懇の仲にもなります。その中でも、私が現役の頃から個人的なお付き合いを越えて、会団同士が深いお付き合いをさせていただいてきたのが美作会団。このブログでも過去に何度もご紹介させていただきましたが、岡山県の北東部に位置する美作、真庭、勝山地区は西日本有数の林業の先進地域で、スギ・ヒノキを中心に確たる『美作ブランド』を築き上げてこられました。

 

そこには全国にその名を轟かせる木材業界のビッグネームが軒を連ねています。そんな企業を作ってこられた美作の大先輩たちは、私にとって天上人のような存在でありました。一家言を持った論客がズラリと居並ぶ姿は、同じ中四国地区に所属する私にとってすら誇らしく思えたほどです。当時は随分歳の差もありましたし、気軽にお話をさせていただくという立場でもありませんでした。それから歳月も流れ、世代交代も進み、自分たちが少しずつ地区でも責任ある立場になってきた頃出会ったのが、後に盟友となる安東真吾そのひと。明日に続く・・・




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