森のかけら | 大五木材


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昨日の続きですが、そうやって少年時代に「怪物・江川」の存在を知り、こんな凄いピッチャーが阪神タイガースに入ってくれたらいいのになあと思いながらも、度重なる入団拒否の挙句に野球協約の盲点を突いた巨人入団で、一気に悪役のレッテルが貼られ、巨人入団後の江川には常に後ろめたさのようなものがついて回っていたように思います。その典型的なのが、オールスターでの未遂に終わった『9人連続奪三振記録』。あまり野球に詳しくない方のために説明しますと、セ・リーグとパ・リーグがリーグ対抗で争うオールスター戦という夢の球宴があります。

ファン投票や監督推薦などによってその年に活躍した選手たちが選ばれて、2試合(以前は3試合制)を戦います。そのためピッチャーはひとり3イニングまでと決まられているので、最大でも9人との打者としか対決できません。その9人すべてのリーグを代表するバッターから連続ですべて三振を奪う、そんな離れ業をやってのけたピッチャーが過去にひとりだけいます。それが、わが阪神タイガースの江夏豊!南海・広島に移籍しての技巧派のリリーフとしての印象が強いでしょうが、江夏豊は入団2年目には401個の前人未踏の奪三振記録を作った剛腕だったのです。

残念ながらその後、心臓病や血行障害などで剛腕投手としての道は絶たれてしまうのですが、入団から7年間200個以上の奪三振記録を継続しました。私がピッチャー・江夏を強く意識して観るようになったのは、広島に移籍したからなんで、今思えばモッタイナイことをしたなあ・・・と。そんな伝説の剛腕・江夏豊ただひとりしかなしえていなかった夢の記録『オールスターの9人連続奪三振』の記録に並びかけたのが、江川卓だったのです。順調に8人のバッターを三振にして、残るはあとひとり。江夏の時は私も5歳で当然試合など観てもいませんが、江川の時はリアルタイムでテレビで観ていました。あと、ひとり!球場全体が異様な雰囲気に包まれ、夢の大記録に誰もが期待を寄せていました。

9番目のパ・リーグのバッターは、近鉄の大石大二郎。身長170㎝に及ばない小兵でしたが卓越したバットコントロールで通算17年で1800本を超えるヒットを放ち、三度の盗塁王にも輝いた名選手です。野球の世界に「もし」は禁句ですが、もし最後のバッターが業師の大石でなくほかの選手だったら9連続奪三振は達成できていたのではないかというのはプロ野球ファンの定番の『もしもあの時ああだったら』の鉄板ネタ。私は、大石選手でなかったとしても(一発狙いの振り回してくるタイプの代打が出たとしても)9連続は出来てなかっただろうと思っています。まだまだ続く・・・




誕生木・12の樹の物語』を共同制作した兵庫県明石市の住空間設計Labo渡辺喜夫社長のご厚意で、今年も甲子園の阪神戦のチケットをいただきました。自分で買う事も出来ますが、自分で日にちを選ぶとなると来週は何々があるし、次の週は地元の行事が、来月は子供の部活の送迎が・・・と、選べそうで選べなくなってしまうので、ビシッと日にちが指定された方が腹が決まるので動きやすいということもあります。愛しの阪神タイガースは今年も苦戦しておりますが、長年の阪神ファンは慣れっこ。日々買ったの負けたの楽しませてくれて、活力をいただければそれで十分です。

という事で甲子園で阪神戦を堪能させていただいたのですが、甲子園といえば高校球児の聖地でもあります。その聖地では今まで数多くの「怪物」たちによってドラマチックな試合が繰り広げられてきました。怪物といえばPL学園の清原・桑田のKKコンビや横浜高校の松坂大輔が思い浮かびますが、昭和41年生まれの私にとって最初に甲子園で「怪物」を意識したのは、1973年の夏の甲子園大会で「怪物」の名をほしいままにした江川卓。当時私は7歳で、リアルタイムで怪物の活躍を観たわけではありません。

今のように甲子園がショー化されていなかった時代、地方に住んでいて甲子園が遠い世界の話であった少年にとって、怪物を知ったのは「アサヒグラフ」などの雑誌や漫画。今では信じられないくらい個人情報に対する扱いがユルユルの時代で、甲子園で活躍した選手などは、その幼少期の話から家族の事まで事細かに漫画化されていました。それで怪物・江川卓物語みたいな話があって、杤木県予選での完全試合やノーヒットノーランの偉業や、最後の夏の甲子園で雨中の銚子商業戦の痛恨の押し出し四球などを読んで知ったのです。

確かまだその時は江川はプロには入っていなかった頃(作新学院卒業時のドラフトで阪急ブレーブスから一位指名を受けるも入団を拒否して法政大学に進学。4年後のドラフトでは、クラウンライターライオンズから一位指名を受けるも再度これも拒否して、単独でアメリカに野球留学する。その翌年、わが阪神タイガースが一位指名して、球界を騒然とさせた「空白の一日事件」が起こってしまう。※詳しい経緯は➡細腕奮闘記・小林繁とあわら市①*)なので、まだその後彼が巨人のユニフォームを着るとは思ってなく才能豊かな怪物の魅力に酔いしれていたのです。更に更に続く・・・




ということで、本来の主題に戻します。最近はほとんど展示会などに出店することは無くなりましたが、昔はよく各地の展示会に出店していました。それこそ子供がまだ小さかった頃は、下の双子を二人乗り用のベビーカーに乗せて、家族総出で出店していて、お客さんから「大変だね」と同情されたものです(笑)。今その様子を見直してみると、確かに他人から見れば悲壮感が漂っていたのかもしれません。決してそれを「売り」にしたりはしていませんでしたが、もしかしたらそれでモノが売れていたのかも?!

当時はまだまだ自分の中に材木屋としての背骨が定まっていなかった頃でして、同じようなスタイルでゴールを目指す先輩材木屋もいなかったので、何をするにの試行錯誤。当たって砕けろの精神で、声をかけていただいた展示会にはほとんど出店させていただきました。中には木材の展示会以外の町の催し的な時もありましたが、なにせすべてが初体験だったので、がむしゃらに動き回っていました。また出店してもどういうタイミングで誰にどう声をかけていいのかも分からず、ブースに来る人すべてに100%の力で対応する為、疲労感も半端でなかったです。

最初の頃は、ちょっとでもドアが開いたら隙間に足先を滑り込ませて強引にグイグイと入ってくる悪徳新聞勧誘(さすがに今の時代はないか)のように、わずかなご縁でもどうにかねじ込めないかと、TPOも分からずただただオウムのように成功事例を繰り返すだけでした。そういうスタイルなので、当然打率も低くなり、体力ばかりを消耗していました。今となってはそれはそれで今の自分の基礎を作ってくれた貴重な体験だったと思っていますが、当時は展示会が1日終わると身も心もクタクタになっていました。「待つ」という事を覚えたのはそれから数年後の事。

この人は本気で訊いてきているのか、ただの冷やかしか。ただの興味本位なのか、本気で購入を考えているのか、この場で話すより後日会社に来てもらう方がいいのではとか、どうにか手探りで自分のストライクゾーンを固定させる事が出来るようになりました。思えば若い頃は、ストライクゾーンを相手に合わせて大きくしたり小さくしたりとまったく居所が定まっていませんでした。さあ、ここからが話の本題!という事で、まあいい意味での「手の抜きどころ」というものを会得していった私の脳裏に思い浮かんだのひとりの野球選手の姿。明日に続く・・・




いかん、戒めの他者への攻撃になるのでもう止めときます。すっかり横道に逸れてしまいました。言いたかったのは、思い込みや決意表明も含めてとにかく前向きな内容のブログにしようということ。そして最後が、毎日書くという事。これが本当は一番大切な事で、最初の5、6年ぐらいは数日の遅れはあったもののほぼリあるタイムで更新できていたのですが、ここ数年は遅れに遅れてしまっています。しれっと書いているので気づいていらっしゃらない人もいるかもしれませんが、このブログの日付は6月で、現実とは3か月近く乖離しているのです(汗)

そんなにずれているなら飛ばしてリアルタイムで書けばいいじゃないかと思われるかもしれませんが、ライフワークとして考えている『今日のかけら』も含めて、中途半端にしたくないので(それなら毎日書いとけと言う話なんですが)、はじめの誓いを何とか死守したく、遅れに遅れながらも365日分埋めようと必死に時間を追いかけております。戦艦ヤマトのように誰かに期待されたり求められているわけでもないのに、自身の妄想の中ではこのブログを書き続けることが『かけらの神』へのサクリファイスなのだと・・・危ない人間ではありません。

最初のテーマからあまりに脱線しすぎて、これって本来は何について書くつもりだったのか自分でも見失いかけていました。今そのことには気づいたものの脱線ついでに、先に出した『サクリファイス』について少しだけ。サクリファイス(sacrifice、直訳すれば『生贄』という意味ですが、私が初めてこの言葉を知ったのは、1987年に公開された映画『サクリファイス』によってです。難解で知られる映画監督アンドレイ・タルコフスキーの作品で、当時の私にはただひたすらに退屈で内容もほとんど覚えていません。

今そのスタッフを見てみると、ウディ・アレンノーマン・ジュイソン、ルイ・マルなどの錚々たる顔ぶれの監督を支えてスウェーデンの名カメラマン、スヴェン・ニクヴィストがカメラを回していて、映像はきっと素晴らしかったはずなのに、記憶にも残っていません(恥)、先日リアルタイムで映画を観ることの喜びについて書きましたが、リアルタイムで観るにしてもそれに相応しい年齢というものがあります。54歳で亡くなったタルコフスキーの歳に近くなった今の自分が観れば、何か感じるものがあるかもしれません。たまには難解の海にも飛び込もうかしら。更に明日に続く・・・




随分前の話になるので恐縮なのですが、「平成30年度福祉・介護関係事業所 合同入職式」がひめぎんホールで開催され、愛媛社会福祉協議会さんから新たにその仕事に従事される方に配られる記念のコースターを作らせていただきました。関係者の方が弊社で作っている木のものづくりに興味を持っていただき、愛媛県産の木を使いたいというご要望でしたので、いろいろな福祉・介護の職場で働かれる皆さんがこれから連携して協力出来たらという思い込めて、「友情」の木言葉を持つ『ホオ(朴)の木を選んでいただきました。

ホオのコースターの中央に描かれた「」の文字は、愛媛県今治市出身で、歌いながら書道をする日本唯一のシンガーソングライター友近890(ともちか やっくん)さんが描いたもらったものをレーザーで彫字しています。入職式でも「被災地ライブを経て笑顔を届ける」と題して講演ライブが開催されました。恥ずかしながらそれまで存じ上げていなかったのですが、歌いながら書道をするというスタイルで全国各地の福祉施設などを回られ、その距離は既に地球6周目に入っているとか!

家を建てられるのは仕事も年齢も千差万別なので、昔ながらの材木屋の仕事だけをしていても、施主さんとしていろいろな方とつながってはいるのでしょうが、木材の納材業者としてはどうしても間接的な立場となるためなかなかその先の施主さん、お客さんと接することがありませんでした。それが【森のかけら】を作り始めて直接に最終購買者につながるようになってからは、一気に世界が広がりました。それまで無縁だった業界ともこうして結びつくようになったのはありがたい事です。

直接話ができるという事で、いろいろな提案も出来るようになりました。誰かが間に入ってしまうと、私が煎れたかなり癖はあるけどそれなりに深みのあるブラックコーヒーのような提案にも、間の方がボトボトとクリームを入れられて甘ったるくして癖も深みも無くした口当たりだけがいいコーヒーにしてお客さんに出してしまうので、折角の深みも毒もなくなってしまい、弊社の介在する意味そのものが薄れてしまっていました。なのでこういう距離感で思いが届けられるチャンスはありがたい!

ホオノキは、日本の広葉樹の中でも軽軟な木に分類されます。木の中でもひときわ目立つ緑色。触るとツルンとした滑らかな触感というよりは、カツラみたいに木綿のような温かみのある触感です。そのほどよい軟らかさが刃物との相性がよいということで、昔からまな板の材料として使われてきました。また刃物を傷めないという事で、刀の鞘としても重宝されました。下駄の歯としても有名です。大きな葉っぱは朴葉味噌などにも利用されるなど、目立たないところで活躍する縁の下の力持ちなのです




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