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案外知られていませんが、愛媛県は【裸麦】の生産量日本一です。先日に新聞にも出ていましたが、いままさに黄金色に染まった麦畑の刈り取り作業が進められています。近年県産の裸麦は、みそや焼酎の原料として人気が高いそうです。最近たまたま松前付近へ出ることが多いのでよくこの風景を見かけていましたが、太陽の光りを受けてあまりに黄金色が美しかったので車を止めてつい撮影しました。
まさに『黄金色が一面にパァーッと!』という光景ですが、『黄金色が一面にパァーッと!』というフレーズは別の意味で私の心を捉えて離しません。掲載されたのが1988年の頃ですから、もう20年ほど前になりますが、尾瀬あきら作【夏子の酒】という漫画があります。男性の作家ですが、女性のような柔らかいタッチの画を描かれる方で、最初は少女漫画のような印象を受けますが、これがどうして!単行本で全11巻の長編ですが、この仕事をし始めた頃の20代の私をどれほど勇気付けてくれたことか。
当時はまだ独身で、実家を離れて会社の2階を改造したスペース(今の展示スペースの奥のおもちゃを展示している場所)に一人暮らしをしていました。6帖二間の空間で8年ほど暮らしましたが、独り者にとっては充分な広さでした。その頃の私は、商売のイロハも何も訳がわからずただひたすらに水より安い汗を流していました。桧も杉も知らずに木材業界に飛び込み、相談出来る人もいない状況で、何をどうすればいいのかすら分からず、体を動かし木を動かすことだけの日々でした。まだ木青協にも入会しておらず、友と呼べる仲間もおらず、ひとり悶々と悩む私の支えは『本』でした。その頃はお陰で本ばかり読んでいました。
しかしどんな立派な本よりも、当時の私の境遇の支えとなり励ましとなったのは、この一冊の漫画でした。それが【夏子の酒】です!この漫画は、東京でコピーライターを目指す夏子に、故郷で造り酒屋を継いだ兄の斑訃報が届きます。夏子の実家は、新潟の佐伯酒造という小さな酒蔵です。兄は30歳の若さで病魔に倒れるのですが、亡き兄の意思を継ぎ兄の夢見た『幻の酒』を造ろうと奮闘する話です。しかし、女人禁制といわれる酒造りの古いしきたりや無農薬米への反発、蔵人や杜氏たちとの確執などさまざまな障壁が夏子を待ち受けます。一切の妥協を許さず、周囲との激しい葛藤を繰り返しながらも信念を貫く夏子の姿に、自分の未来をオーバーラップさせ今の自分を慰めたりしていました。夏子だってここまで頑張るんだから、というのがかなり自分を救ってくれました。
また夏子の置かれた状況が自分とも似ている部分があり(と勝手に拡大解釈したりして)、とても他人事とは思えませんでした。たかが漫画とあなどってはいけません。物語の根底に流れる精神は、今取り組んでいる【もの造り】の原点を成すものです。漫画の中で、【酒良醸和】(わじょうりょうしゅ)という言葉が登場します。「和は良酒を醸す」という意味です。他にも【酒屋万流】など多くの言葉と、その精神を学びました。何も哲学書やビジネス書ばかりが高尚というわけではありません。その時々の自分の心に何が届くのかという事が重要で、それは自分の周りの些細なところに潜在していて、それに気づくかどうかということだと思います。当時の私は【夏子の酒】に背中を押され、へこたれそうになるといつも本棚から出して読んでいました。今の私の考え方に相当影響を与えています。
その中に、今でも深く心に刻まれている場面がいくつかあります。ひとつは、夏子が尊敬する造り酒屋の若社長の事を老杜氏が語る場面。そこは、夏子の蔵の4分の1程度の蔵ですが、毎年品評会で金賞を取り夏子が目標とする蔵元です。そこで老杜氏は、『小さな蔵だからこそ格が、杜氏にはプライドが必要だとおっしゃった。年は親子ほども違うが、わしから出稼ぎ根性を拭い去ってしまわれた。』静かにそう語ります。他にも感動的な場面が多くあるのですが、冒頭の『黄金色が一面にパァーッと!』というセリフは、田舎に帰省していた夏子に、元気だった頃の兄が『幻の酒』の話を物語ります。その酒を造る幻の米『龍錦』が田んぼに実る姿を、東京に戻る夏子に向かって嬉しそうにこう呼びかけます。『夏子、秋には帰って来い。借り入れの頃、龍錦がうちの田んぼに実っているところを見せてやる。黄金色の稲穂がこう、一面にパァーッとだ!』しかしその時夏子は兄の余命が短いことを知っていました。
あの頃はまだバブルの余韻も残り、仕事もたくさんありました。でも先の事も分からず、ましてやその後こういう時代が来ることなど夢にも思わず、ひたすらに今日の仕事をこなしていました。職業こそ違え、いつか自分も【夏子】のようになれると信じて。その後結婚し、生まれた長女には【奈月子】(なつこ)と名付けました。和の象徴・古都奈良のような日本らしさと、暗い夜をほのかに照らしてくれるお月様のような慈悲深い女の子になって欲しいという願いを込めました。でも私は密かにその名前の裏に、【夏子】のような信念を貫き通すような人間になってほしいという願いも込めていました。いずれ長女が大きくなって社会人になる頃に、贈ってやろうと思っています。
黄金に実った裸麦を見るたびに思い出します。今いちどあの頃のがむしゃらでひたむきな気持ちを思い出す必要があると思います。いまの時代、理屈ばかりではどうにもならない事もあります。しかし信念がなければ意味がありません。思いは心に秘め、天に向かって伸びる裸麦のごとく、あの頃のようにひたむきに汗を流してみようと思います!
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