森のかけら | 大五木材


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では、マツはいつ頃日本に現われて、マツを利用していたのでしょうか。遥か縄文時代に、マツで作った丸木舟が発掘されたという記録が残っていますが、その数は僅かでそれ以外には目立ったマツの遺物は発見されていないそうです。また花粉が地層の中にどれぐらいに含まれているかを分析した調査でも、ごく一部の例を除いて、当時日本中にマツが栄華を誇っていたというデータは見当たらないようです。それが一転するのは弥生時代から古墳時代にかけて

その時代になると、中国地方辺りで盛んに「たたら製鉄」が行われるようになります。たたら製鉄は、映画「もののけ姫」でも登場しましたが、砂鉄を採集するために大掛かりに山を崩して土砂を流します。その結果、山は荒れ地となります。以前に、世界遺産で有名な石見銀山に行った時、たたら製鉄の名残り「清水谷製錬所跡」を見ましたが、かなりの山奥で製鉄がされていて事がうかがい知れました。製鉄に欠かせないのが火です。

その火を作る原料として大量のが必要となります。周辺では多くの木々が伐採されました。そんな開かれた荒れた土地を好むのがアカマツ。成長力も旺盛で、日当たりのよい場所を好む『陽樹・マツ』は、待ってましたとばかりに勢力を拡大。成長に時間のかかる広葉樹を凌駕し、原生林のマツが伐り尽くされると二次林が生まれ、それは薪の材料としても大量に消費されました。製錬所跡の薪の分析でも圧倒的にマツが多いそうです。

マツは、広葉樹に比べると火持ちこそしないものの火力が強い事から、高い燃成温度が求められる陶器などの焼き物や製塩などにも燃料として利用されました。その結果、たたら製鉄や陶器、製塩などの盛んだった西日本中心にマツの分布域が拡がっていきました。東日本ではクヌギやナラ、クリなどの広葉樹が燃料として使われた痕跡は残っているものの、まだまだマツは近畿から中国地方の一部にとどまるローカルな木だったようです。

 




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