森のかけら | 大五木材


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鈴木商店の大番頭・金子直吉の八面六臂の活躍で、当時世界市場の9割を占めていた台湾産樟脳の独占売買権を獲得し、飛躍的に発展。明治末期には直営工場6、海外代理店3、関連会社20ほどを傘下に収める一大企業集団に急成長したのです。その頃に、神戸製鋼所や日本商業(のちの日商岩井)なども設立させています。学生時代は鈴木商店の波乱万丈の歴史にこそ興味はあったものの、その成長を支えた「樟脳」についての知識は皆無で興味もありませんでした。

それが不思議なもので材木屋をするようになって、改めて鈴木商店の数奇な社歴を見た時にその命運を握った「樟脳」という存在が、鈴木商店とその人々がより一層興味の対象として輝きを放つようになったのです。材料としても優れた耐湿性を持ち厳島神社の大鳥居はじめさまざまな場面で利用されているクスノキですが、樟脳の採れる素材としても古くから日本人に関わりがありました。織田信長が活躍した16世紀の半ばには、既に樟脳の輸出が行われていました。

江戸時代に入ると輸出も本格的になり、明治時代の台湾統制時代には台湾の地に多くの樟脳製造工場が作られ、そこから世界中に台湾は輸出され、一時期日本は世界一の樟脳生産国だったこともあるのです。国は樟脳の官営専売化を決定。官営化は樟脳業者にとって死活問題でしたが、金子直吉は官営推進派として立ち回り、その引き換えに台湾樟脳油の独占販売権を獲得。その後樟脳油はセルロイドなどの原料として、驚異的な需要の高まりを受け暴騰していくのです。

鈴木商店発展の一時代を支えた樟脳でしたが、昭和37年に専売制も廃止され、その後高度経済成長期になるとそれまで主流であった「水蒸気蒸留法」(クスノキのチップを水蒸気で蒸して、樟脳成分を含んだ水蒸気を集めてから冷やし出来た結晶を脱水・脱油を繰り返し乾燥させて作る天然樟脳)から、化学合成して作る製法に移行し、天然樟脳は急激に衰えていくのです。そして彗星のような輝きを放った巨大商社・鈴木商店もまた昭和2年に倒産し、その姿を消すのです。

鈴木商店の倒産は、樟脳市場の変化という小さなものではありませんでした。第一次世界大戦後の反動で株価が下落、世界的な軍縮傾向による不況、船舶運賃の下落などにより、最盛期には「スエズ運河を通る船の一割は鈴木の船」とまで謳われた鈴木商店の攻めの経営が時代と噛み合わなくなるのです。クスノキとの関わりが深かったこともあり、鈴木商店という個人商店が天下を取ったひとときのきらめき、ざわめきは今も私の心を震わせて止むことはないのです。

 




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