森のかけら | 大五木材


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私たちが紫電改展示館を訪れたのが平日の昼間だったので誰もいないのではないかと思ったら、駐車場に九州ナンバーの車が停まっていて、中に入ると老夫婦が展示されている資料を食い入るようにご覧になって、奥さんに何か説明をされていたので、もしかしたら関係者の方だったのかもしれません。現在、紫電改は世界に4機しか残っていないといわれていますが、日本では唯一ここ愛南町に「平和のシンボル」として永久保存されているこの1機のみということで、非常に貴重なものなのです(残りの3機はアメリカにあります)。

兵庫県の加西市の鶉野(うずらの)飛行場跡地には紫電改の実物大模型が展示されているそうですが(一般公開は日時限定)、大戦中はそこに川西航空機姫路製作所鶉野工場(現・新明和工業)があり、「紫電改」など500機余りの戦闘機が組み立てられ、試験飛行を同飛行場で行っていた事から、実物大の紫電改の模型が制作されたようです。一度そちらも見てみたいのですが、現在、滑走路跡地は加西市で管理され、他の一部は神戸大学農学部の敷地として利用しているとのことで、余計にご縁を感じてなりません。

この紫電改と零戦がよく混同されますが2機は別物です。先に作られたのが零戦で、設計したのはジブリの映画『風立ちぬ』ですっかり有名になった三菱重工業堀越二郎。1940年(皇紀2600年/神武天皇即位を紀元とするする日本独自の紀年法)日本)に零戦が制式採用となったため、皇紀の末尾数字を取って零式と呼ばれるようになりました。アメリカでは「ゼロファイター」と呼ばれたことから、「ゼロ戦」の呼び名が有名になりましたが、正式名称は『零式艦上戦闘機』。

太平洋戦争初期には世界最高水準の戦闘機で,戦闘能力に優れた零戦は連合国空軍を震え上がらせたが、徐々に日本が劣勢になってくると零戦に変わる機体が必要となり、本土決戦の切り札として製作されたのが紫電改です。開発を受け持ったのは川西航空機(現・新明和)。つまり三菱重工が作ったのが零戦、川西航空機が作ったのが紫電改ということになります。私にとっての紫電改と言えばちばてつやの漫画『紫電改のタカ』。主人公の滝城太郎は松山市出身で、この343空剣部隊に編入して撃墜王となってゆく話ですが、当時はそんな背景も分らず、ただ戦争漫画としてしか読んでいませんでした。 展示館でも販売されていていましたが、この歳になって読んだら感じるものが随分違うと思います。心から合掌。更に続く・・・

展示館からは、紫電改が引き揚げられた久良湾が一望できます。今は気持ちのいい風が吹いて、鳥のさえずりが聞こえるこんなのどかな場所の上空でも激しい戦闘が繰り広げられていたと思うとやりきれない気持ちになります。紫電改の碑の隣には、元343剣部隊隊員の方が無き戦友を偲んで献上された『陽光桜』が植樹されていました。春には美しい花を咲かせるそうです。陽光桜というのは、『伯方の塩!』で有名な伯方塩業の初代社長・高岡正明さんが作出された日本原産のサクラの交雑種です。

 




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