
当ブログに記載の商品の料金、デザインは掲載当時のものであり、
予告無く変更になる場合がございます。
現在の商品に関しまして、お電話、又はオンラインショップをご覧ください。
| 本日も田村潤著『キリンビール高知支店の奇跡』の話の続き。200ページに満たない本なので、ご興味のある方は実際に買って読んでいただいきたいのですが、簡単に内容を説明しますと、舞台は1995年の高知。隣県が舞台となり、その後もわが愛媛も出てきたことも強く惹かれた理由の一つ。1954年に国内シェア1位について以来永らくその地位を揺るぎないものとしてきた業界のガリバー・キリンビール(シェア60%超!)でしたが、1987年にライバルのアサヒビールがスーパードライを発売した事で事態は一転!キリンの売上は急落! |
 |
 |
思えばちょうど私が大学生の頃、コクがあるのにキレがあるという、本来対立するはずの概念をひとつにさせたスーパードライは業界を席捲。苦みのあるキリンに比べて飲みやすいことから私も随分お世話になりました。当時は味どうこうよりも量さえ飲めればという感じでしたので。それに対抗してキリンも1990年に「一番搾り」を発売して大ヒット。しかし1993年に総会屋への利益供与事件、1995年には新製品に雑菌が混入する事件が発生して、60%を超えていたシェアは50%以下にまで落ち込むという急落でガリバー・キリンは苦境に! |
| そういえば当時はテレビでも両雄のCMがバンバン流れていましたが、喉にビールを流し込んでいた学生の私には舞台裏の戦いを知る由もなく・・・。苦みのある喉越しが売りであったはずのキリンですが、危機感から100年続いた味の方向転換を図ることになります。これがその後キリンをさらなる苦境へと追い込むことになるのです。その頃の高知支店は、全国でも最下位ランクの支店で四国でもお荷物と言われる存在。そこへ赴任した著者は、まずその無気力体質に呆然となります。研修や会議を重ねても一向に結果は出ない・・・。 |
 |
 |
そういう状況を打破すべく著者が考えたのは、自分たちで目標を設定させそれを地道に実践させるという事。言葉で書くと当たり前すぎて拍子抜けするでしょうが、当時の高知支店の営業マンは12名(うち二人は内勤の女性)。あの広い高知の東西を実質9名でカバーするわけです。しかも宿敵アサヒは勢いがある、同じことをしていては勝てない。ということで彼らなりに高い目標を立てるものの、数字が伸びない。検証してみると約束した問屋訪問も達成できていない。それまで見守ることに徹していた著者が全社員を集めて激を飛ばすのです。 |
| さて本日もラジオ『武田鉄矢 今朝の三枚おろし』の話です。鉄矢氏もの凄い読書家で、読まれる本の量も驚くのですが、その独自の分析力が面白くて、しかも分かりやすい。買って読んでみようと思わせる素晴らしい語り口で、いろいろ勉強になります。聴いた直後は本のタイトルも控えたりして読む満々なのですが、実際に本屋で手に取って活字の塊を目にすると、まあ内容はほとんどラジオで聴いちゃってるしまあいいか・・・という事が多い中で久々に実際に買って読んだのが、田村潤著『キリンビール高知支店の奇跡』。 |
 |
 |
サブタイトルには、『勝利の法則は現場で拾え!』と書いてあるように、何も知らないといわゆるビジネス書の1冊だと思ってしまいます。著者の肩書も「元キリンビール代表取締役役副社長」なんてありますから、いかにもその筋の経営ノウハウを綴った啓発本の類に思えます。ラジオで知っていなければ私も手にすることはありませんでした。ところが実際はそういったお堅い経営ノウハウの本ではなくて、著者が左遷された(著者がそう書かれている)キリンビールの高知支店で奮闘する様子がなエネルギッシュに描かれた痛快な内容。 |
| まるでドラマの原作のように次々と降りかかる問題に果敢に挑む、地方支店の支店長と当初は諦めモードだった社員たち。鉄矢氏も、今ならありえない話と断りを入れられているように、いかに休むかという事がテーゼである働きかた改革が論じられる昨今では内部告発されかねないようなモーレツ支店長と社員たちの熱い戦いの記録なのです。これが最近の若者にどれだけ受け入れられるか分かりませんが、私はもの凄く感銘を受けました。勤労は美徳であると信じる古い人間だからなのかもしれませんが、読みながら何度頷いたことか。 |
 |
 |
本を読んで感銘したというよりは、ラジオで聴いた場面や台詞を後追いしながら、その内容が合致しているのを楽しんで、改めて感銘を受けたという感じです。例えるならば原作のある映画を観てから、後で原作を読むといったところ。実際に読んでみると、鉄矢氏がいかに本から換骨奪胎して鉄矢風に味付けしなおしていたのかが分かって面白いのと、言葉でひとに伝える話術の素晴らしさに惚れ惚れしたところです。本の中身についてはポッドキャストかユーチューブで番組を聴いていただいた方が面白いとは思いますが敢えてご紹介すると・・・ |
| 弊社のような零細材木屋ではおよそ考えられない単位のボリュームある仕事をさせていただいていて、日々その加工に追われています。その内容についてはまだ明かせませんが、量こそ多いものの小さなもので加工自体も単純作業。それがうちには似合っていて、うまく端材が活かせることから実にありがたい仕事なのです。ただし量が半端なくてゴールがかなり遠いところに設定してあるので、毎日作っても作ってもゴールは霧の中。この数か月ほぼ毎晩のように独りで8時頃まで残業しているのですが、その時支えになっている言葉があります。 |
 |
 |
最終的なゴール(年間の)はあまりに遠すぎるので、自分の中で短期的な目標を立てていて、月産いくら、週産いくらとそれぞれの「見える目標」を心の拠り所としています。とりあえずそれをクリアすべく頑張っているのですが、動きをすっかり体が覚えてしまっていて、スピーディになり生産性は飛躍的に向上した半面、時間が長くなり、作業が単調なため眠くなったり、筋肉疲労でもう今日は止めてしまうおうかと思った時に、頭の中で繰り返すのが「その目標は自分が決めたことではないか!」という己への叱咤激励。 |
| 車で木材を配達する際にラジオを聴くことが多いです。朝早い時間だと楽しみにしていたのが、文化放送が制作して全国のAMラジオ局で平日の朝に放送している10分番組『武田鉄矢 今朝の三枚おろし』(愛媛は南海放送の『モーニングディライト』内で放送)。鉄矢氏が、毎週何かのテーマを決めて、それを自己流に分析して解説するという内容ですが、最近は自分で読まれた本を扱う事が多く、その軽妙な語り口と独特の切り込み方が面白くて毎回楽しみにしています。それが最近はその時間帯の配達が少なく聴けていませんでした。 |
 |
 |
1つのテーマが1週間続くので、月曜、火曜とかだけ聴いて後が聴けないと、結論どうなったのか分からないままで消化不良状態となりモヤモヤとした気分になることも(その逆もあって導入部分を聞き逃すと話が見えない)。それが数か月前からポッドキャストなるものの存在を知り、今では好きな時間に何度も繰り返し番組を聴いています。その中で、特に私のお気に入りなのが、元キリンビールの代表取締役副社長だった田村潤さんがお書きになられた『キリンビール高知支店の奇跡』という本を取り上げられた回。明日に続く・・・ |
| 昨日の話の続き・・・私自身は、アナログ人間なので紙媒体をせっせと集めたくなるタイプなので、様子を見に行ったつもりが、ミイラ取りがミイラになるパターン。ビニール袋詰め放題コーナーで、かつて揃えていた『あぶさん』に手を出してしまいました。それだけでなく、傍にあった映画のパンフレットにも目がいってしまい、一旦持ち場に戻ってから同じく映画マニアの藤山さんを伴って再来店。まさに我々世代にとってドストライクである80年代の映画パンフを、ああでもないこうでもないと喋くりながら品定め。 |
 |
 |
昔はこの映画のパンフレットが、映画の制作秘話などを知れる唯一の媒体であったので、観た映画はほぼ買っていましたが(今考えれば、値段の割に中身がスカスカのものも沢山あって、相当スカも掴まされましたが)、今や映画パンフレット業界も風前の灯との声も聞きます。まあ公開前からネットなどでこれほど情報(動画を含め)が公にされてしまうと、わざわざ買うもの好きも少ないでしょう。そんな数少なくなったもの好きの一人である私は5冊購入。それがこちらのタイトル、我ながらかなりの偏りがあります! |
| そして最後の1冊がこちらの『泥の河』。1977年に出版され、太宰治賞を受賞してこれが作家デビューとなった宮本輝の小説が原作。それをこれまた映画監督デビューとなる小栗康平がメガホンをとり映画化。1981年に公開され多くの映画賞に輝く珠玉の名作です。私はテレビ放送で初めて見たのですが、「あのとき少年時代は終わった。いま痛みの源流へ遡(さかのぼ)りたい。」のキャッチコピーと共に、多感だった私の心に大きな衝撃を残しました。今でもみるたびに心が締め付けられそうになる切ない映画です。 |
 |
 |
部隊は、まだ終戦の匂いの残る昭和31年の大阪。大阪市内を流れる安治川べりに肩を寄せ合い暮らす人々が舞台。まだまだ貧しかった頃の日本がモノクロ画面に映し出されるのですが、それは私が生まれるわずか10年前の日本の風景なのです。うどん屋の両親に育てられている9歳の少年・信雄は、ある日同い年の「きっちゃん」と呼ばれる少年とその姉に出会う。きっちゃんは、両親から決して近づいてはいけないといわれた舟に暮らしていた。そこはきっちゃんの母(加賀まり子)が春を売る廓船だった。 |
| 何も知らない信雄はある日、その船に足を踏み入れてしまう。無垢な少年が目にするのは、今まで知らなった別の世界。それは少年がおとなになっていくための通過儀礼でもある。わけもなく信雄の瞳から溢れ出てくる涙、岸辺を離れる舟、きっちゃんの名を叫びながら舟を追う信雄、それぞれに事情を抱えてわけありの人生を送る人間模様。舞台となっていたのは、大阪市内の堂島川と土佐堀川が合流し、安治川と名前を変える一角。綺麗に整備された今の姿からは想像もできません。「あぶさん」の南海ホークスも消え、昭和は遠くになりつつあります。 |
 |
| 材木屋という職業柄、『木』とか『森』というキーワードに非常に敏感になっていて、まったく木材とは関係のない言葉の中にでもその文字が入っていると無意識に反応してしまうのは材木屋の性です。例えば苗字でも「木村」とか「大森」とか妙に意識してしまいますし、名前にも木に関する言葉が使われていたりすると過剰反応!『桜子』だの『胡桃』、『梓』、『桂子』なんて、もうその木を使うことが運命づけられているとしか思えないので、そういう方と木の仕事で繋がると必ずその木をどこかに使うご提案をするのが礼儀。 |
 |
 |
ところで、先日映画『キングコング 髑髏島の巨神』を観た際にも、劇場での予告編に『木』が登場して目が釘付けになりました。それは、宇宙のはみ出し者たちの活躍を描いたアクション映画「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」(残念ながら未見)の続編「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー リミックス」に登場する、『歩く植物ベビー・グル―ト』。前作を観ていないのでその背景がよく分からないのですが、どうやら前作では巨木だったグルートが今回は可愛いキャラとして登場するということらしいのですが、 |
予告編ではそのベビー・グルートに(話せるのは「ボクはグルート」という設定)、銀河の運命が託されたにも関わらず、周りから「危ないから押すなよ、絶対押すなよ!」と言われながらも笑顔で起爆装置のボタンを押しそうになってどこかへ走り去るという、ダチョウ倶楽部的なノリでしたが、ポスターのキャッチコピーには、『最終兵(器)木』の文字が!言葉遊びとしては面白いものの、材木屋としては『木』が『兵器』になってしまうというのは、ある意味で深いのですが、コピーそのものには深い意味はないと思います(笑)。 |
 |
 |
「リサイクル可能な資源」としてはさまざまな用途で汎用的に利用されている木材ですが、時にそらは命をつなぐ希望ともなります。かのイースター島では先住民族であるポリネシア人による無計画な森林の乱伐(偶像モアイを製造・運搬するために大量の丸太が必要)によって深刻な環境破壊が起こり(土壌が流失して食物の栽培ができなくなる)、食料を争う争いによって滅んだとされています(現在ではこのエコサイド説に対して、ヨーロッパから到来した船によって島に疫病がもたらされたという説を唱える学者も現れていますが)。 |
| そういう意味では、森林とそこから産される木材は『最終兵器』と言っても過言ではないかもしれません。日頃は、倉庫に中でなかなか売れない(売らない?)木材たちの前に仁王立ちになって、これを何に加工すれば売れるのだろうかと頭をひねっているものの、もし本当に森が消えてしまえば、イースター島のように釣り竿1本作れなくなってしまう(代替材があるという野暮な事は言いっこなしで)と思うと、「何にしようか」ではなく「何にでもなる」という思考でいないとイメージも広がらないし、それこそ最終兵器にすらなりえない。 |
 |