森のかけら | 大五木材


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20150702 1明石で思い出深い一日を過ごした翌日は、朝から大阪に移動。県外の出張がある際は、なるべくいろいろ絡めて当地の人と会ったり、会社を訪問させていただくように心がけています。今回の明石出張では、以前かずっと機会をうかがっていた名栗専門店・橘商店さんをはじめいくつかの大阪周辺の会社に狙いをつけていました。しかしちょうど第四土曜日という事も重なって会社がお休みだったり、関西の熱き材木フェチたちは旭川金沢に出張中(みんな全国的な規模で動いています。いよいよ木ファチたちにも光が当たる時代が到来したのか~?!)。

 

20150702 2そこで今回は橘商店1本に絞ることにしました。橘商店の代表である橘明夫君は、フットワークの身軽さは業界では有名で、現役の日本木青連の会員という事もあって全国的なネットワークも充実していて、電話一本で木と人をつなげる「ひとり総合商社」。ネット社会の中でそういうスタイルを取る材木屋は多いものの、明夫くんの場合は実際に当地まで自ら足を運んでしっかりした人間関係を構築しているのが立派。実際に会ってみれば分かりますが、関西人独特の人懐っこさで、まあ憎まれない存在。出会って数年ですがディープな付き合いをしております。

 

20150702 3その明夫くんの工場があるのは、大阪市西区立売堀。前からこの地名が読めなくて何度明夫くんに訊いていました。「立売り堀=いたちぼり」です。今回の訪問ついでに地名の由来を予習したところ、現在は金属・機械工具の町として有名な当地ですが、かつては木材と非常に結びつきが深い場所だったということです。元和年間(1615~1624年)に、幕府の許可を得た土佐藩がこの地で材木市場を開き、材木の立て売りを行ったのが起源と言われています。元和元年といえば大阪夏の陣が起こった年という事ですから相当に歴史と由緒ある地名という事でした。

 

20150702 4立て売りというのは、文字通り客に見えやすいように材を立て掛けて商いをしていたことだと思います。当時は材木を船で運ぶのが主流でしたので、旧淀川から引いた堀が流通の要でした。そこから立売堀の漢字がついたようですが、それをなぜ「いたちぼり」と呼ぶようになったかというと、大阪冬の陣・夏の陣の時に参戦していた伊達政宗がこの地に陣を敷いたことから、「伊達堀(だてほり)」と呼ばれるようになり、その後伊達が「いたち」に変化していったという事です。よくよく周囲を見渡せば、当時の名残の地名があちこちに残っていました。




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