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| 12月、クリスマス、モミ(樅)とくれば、外せないのが『12月の誕生木の出口商品・スノーファーマン』!過去にアップの時期を逸してしまい後出しじゃんけんになること幾数年・・・ようやくその反省を生かして、今年は無事にクリスマス前にご紹介出来ます。と、時期を逸したことが売れなかった原因のような思いあがったようなもの言いですが、原因はそれだけではない事は作った本人が一番分かっています。だからといってここでなかなか売れない理由をあげつくろう気持ちなど毛頭ありません。 |
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今までにさまざまなオリジナル商品を作ってきましたが、宮本武蔵先生の『我、事に於いて後悔せず』が私のものづくりの製作信条であります。うまく出来なかろうが、売れなかろうが、神の啓示を受けてそれを思いついてデザインしたり、物語を盛っている時の心の高揚感、捕らぬ狸の皮算用で妄想のそろばん勘定をした時の満腹感、材料が揃っただけなのに既に完成したような充実感、思い描いたモノが形となって出来上がった時の多幸感、もうそのプロセスだけで私の心は喜びで満たされているのです。 |
| その商品の一番のファンであり続ける事こそが、作り主の責任と覚悟。いいのです、売れなくとも。その製作過程で得たノウハウ(私自身が加工しているわけではないけれど)、その木に与える事の出来た新しい出口(向こうも見えないけれど)、それを手にした人が嬉しそうにSNSにアップした時の嬉しそうな顔(まだスノーファーマンでは味わってないけれど)、そういうものが私の血となり肉となり、膝から崩れ落ちそうになる私を支えてくれているのです。だから決して諦めたりはしないのです。 |
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売れていないのではなく、まだブームが来ていない、そういう事なのです。そうやって自分を奮い立たして魂を鼓舞し続けていかなければ、こんな事を続けていけません。「え~っ!12月の誕生木ってモミの木なんだ~。そのモミで作った雪だるまの形をしたディフューザーって、なんて可愛いんだろう少々お値段は高いけど気に入ったから、よし買っちゃえ!」こんなサンタクロースのような心優しい天使のような方がいつかきっと現れるはず・・・先日、その願い天に届き天使が御降臨なさいました。 |
| 昨日に続いて、『日本で一番軽い木・キリ(桐)』の話。厚めに削ってすっかり綺麗になったキリですが、今回は耳を活かして使う用途なのでディスクグラインダーで耳を削ります。きちんと勉強をしていないので鉋のような精緻な木工道具は苦手ですが、こういうワイルドな道具は大好きです。気分だけでも木工家になったようで、作業中は妄想爆発です!こういう作業をしながら、もともと自分はひとを使うような立場の仕事じゃなくて、こうして独りで黙々と創作活動をする仕事の方が向いていたし、そこを目指していたのですが・・・。 |
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作業自体は楽しいのですが、素材が軽いキリで、しかも20年以上も乾かしてカラカラになっていたという事もあって、大量に噴出するグラインダー屑を全身に浴びるので、気がつくと腕も作業着も真っ白。私は眼鏡をかけているのですが、もちろん眼鏡の内にも外にも木粉がビッシリ。マスクは必需品ですが、眼鏡が曇るので、面倒でマスク無しで挑んで撃沈することもたびたび。気管支にも木粉が入ってゲホゲホなのですが、綺麗になった耳を見れば疲れも吹っ飛びます。さあこれから耳を仕上げていきます。 |
| グラインダーでザックリ仕上げた部分を今度はサンダーで耳を磨いていきます。長年使い続けたサンダーは、(自分のイメージの中では)自分の腕と同化したように動いてくれます(あくまで脳内イメージ)、のはずなんですが、なかなか実際にはそうはならなくて、こっちを磨けばあっちが凹み、あっちを磨けばこっちが飛び出しを繰り返しながらどうにか仕上がり。その頃にはすっかり腕は痺れているのですが、デスクワークよりもこちらが向いているなあと思うのは、たまにやるお父さんの日曜大工の感想レベル・・・。 |
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ま、どうにかそうして完成。片耳付きで、室内の踏み台となります。キリは軟らかい素材ですが、使い方の作法さえ守ってやれば、繊細な素材で、内部に空気を沢山取り込んでいるので、触ると木の温もりがほどよく感じられます。スリッパなどではなくて、靴下も履いてない素足で触れてほしいところです。素材の特徴に合わせて、それぞれの木が活躍できる場面は沢山あるはずなのに、価格や手間、利便性、供給安定性などいろいろな事情で木が表舞台に出れないなかで、木の出番を増やすためには、まず木を知ることからですね。 |
| 実際にその木を触った事が無い人でも(触った事はあってもそれがそうだとは認識していない事も含めて)『日本で一番軽い木』といえば、大抵の人はその答えが『キリ(桐)』だと知っているのではないかと思います。それぐらい認知度のあるのが、キリという木です。しかもその出口といえば、これも実際にそのものに触れたことがなくとも、『桐箪笥(たんす)』とか『下駄』とか『琴』とか、その用途までも答えられるほど、『使われて親しまれている木』というよりも、『語られて親しまれている木』だと思います。 |
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そんなキリの木ですが、生命力は逞しくて、すぐに太くなります。なので一般的に、『お手頃で少し大きめの板』の基準となる直径300㎜(あくまでも私の独断)ぐらいのサイズは容易に手に入ります。成長のスピードが速いので、非常にエコロジカルな木でもあるのですが、成長が速い分材としては軟らかく、箪笥や下駄といった有名な使い方以外では案外お声がかからないというのも皮肉な話。なにしろ軟らかくて軽いので、300㎜を越えるサイズでも簡単に肩に担げます。しかしそれゆえに用途が限定され意外と足が遅い。 |
| キリには灰汁(あく)があるので、昔は水に浸して灰汁抜きを行っていたところもありましたが、弊社にはそういうスペースはないので、天日で時間をかけて乾燥させます。すると灰汁が表面ににじみ出て来て、表面は濃い灰褐色になります。これをプレーナーで強めに削っていきます。通常の木材であれば2,3mmも削れば瑞々しい木目が顔を出してくれますが、キリの場合はなかなかその表情には出会えません。今回はそれも見越して15~20㎜以上削れるぐらい厚みのあるサイズのキリがあったのでそれを使います。これは削る前の写真。 |
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これをプレーナーで削っていきます。幅は450㎜ぐらいありますが、こういう時に軽い素材だと助かります。しかしその分、傷もつきやすいので加工中も細心の注意を払わないと、すぐに傷ついたり凹みが出来たりするので油断は出来ません。熱く削れるといっても一度に5㎜も10㎜も削れるわけではないので、根気よく1,2mmずつ削っていきます。ひと削りすれば表面の汚れは取れるものの、やはりまだ染み出してきた灰汁が残っています。これを時間をかけながら削っていくと、次第に木の色が変わってくるのが分かります。続く・・・ |
| 数年前に地元で大量の『ユリノキ』の丸太が入荷して、板に製材してテーブルやカウンター、クラフト細工などいろいろなものに利用してきました。まだまだ大きめの耳付き板も残っているので、そちらは改めて紹介するのですが、丸太を賃挽きしたため、このような丸太の最後の端材も発生しました。いわゆる『ガッパ』というモノですが、さすがに私でもどう使えばいいのか頭を悩ますレベル。ガッツリ樹皮が残っているのと、これ以上のいいコンディションのモノが大量に挽けたためとりあえず桟を入れて放置。 |
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屋外で雨ざらしの中で数年経過してすっかり真っ黒にんなってしまいました。樹皮に引っ張られて内側に少し丸まってしまっています。まあ一見すれば何の木やらも分からず、とても使えるようなものには見えません。通常ならばそのままチップになるか廃棄されてしまうようなものです。丸太を扱えばこういう端材が大量に発生するので、いちいち顧みていては仕事にもなりません。放置している間に腐ったり、虫害に遭って本当に使い物にならなくなってしまう事の方が多いのですが、どうやらこれはまだ使えそう。 |
| 幸いにもそれほど反りもなくて、腐りも見受けられなかったので、プレーナーで削ってみると、真っ黒だった顔の下から乳白色の綺麗な顔が現れました。端は多少変色しているものの、使い方次第でまだまだ活かせれそうです。真っ黒の荒材の状態ではさすがにどこからもお声はかかりませんが、こうしてひと削りしておけば、こういう素材だってうまく活かして使っていただく人も現れます。こんなところに手間かけてる暇があったら、その本体の方に手間暇かけんかいっという声が聞こえてきそうですが・・・ |
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なんか誰からも相手にされないような材を見るとほっとけいのです。市場なんかでも形や状態が悪くて、「こんなの使えん」とか「使えない木」だなんて悪態をつくひとがいると、敢えてそういう木を買ってしまう(しまいそうになる)のです。そんな風に言われたら木も可哀想だし、そんな木を救えるのは俺しかいない!なんて勝手に使命感に浸ってしまう馬鹿な性格です。でも材木屋が木を見限ったら、救いが無いと思うのです。素人が見たら使いようが無いような木でも生かすことが出来るのが材木屋の腕の見せ所! |
| 少し前の話になりますが、今年も地元の中学生が職業体験という事で、大五木材にやって来ました。さまざまな職種のリストがあって、子供たちがその中から興味のある職業を選んで体験するのですが、その中に「材木屋」が入っているわけです。職種として選ばれたというわけではなくて、学校の周辺でこのプログラムを受け入れてくれる先の1つにたまたま材木屋があったという事だと思うのですが、毎年3人ぐらいの中学生が体験に訪れます。彼らにとって「材木屋」ってどう映っているのだろうか? |
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私が子供の頃は、「町のお店」として「お肉屋さん」や「お魚屋さん」、「八百屋さん」、「電気屋さん」などが当たり前のように描かれていました。それが普通というかそういうものだと思っていましたが、今ではそれらの専門店は巨大スーパーなどに淘汰され、地方の商店街からすっかり姿を消してしまいました。よほど特徴がなければ専門店は生きていけない時代。時代によって仕事の形態も変わっていくのは世の常ですが、子供たちが夢見る職業ってどういうものなんでしょうか。 |
| 恐らく、将来材木屋になりたいなんて考える子供は、材木屋の息子ぐらいのもので、そういう仕事自体が存在していることすら分かっていない子供が圧倒的だと思います。なにしろ町の中に材木屋って見かけませんもんね。愛媛の松山ですらそういう状況ですから、都会の子にしてみたら、ホームセンターの少しマニアックなところぐらいのイメージなのかもしれません。別に悲嘆しているとかいうわけではなくて、わが社は田んぼのあぜ道、けもの道を行く会社ですのでそれで間違ってはいないのですが。 |
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ただ職業として体験しに来た子供たちにとっては、そういうマニアックな材木屋での経験が『材木屋』という職業として擦り込まれるのはいいのか悪いのか(笑)。これが材木屋の仕事なのか~って思って、もしも将来ほかの材木屋にでも就職することになったらビックリするのではないだろうかと、そんな事を妄想したり。自分自身の中でも、もう何が材木屋の本道、王道なのかすらも分からなくなっております。そろそろ「材木屋」から「木のモノ屋」って謳った方が分かりやすいのかも、と思案中。 |