森のかけら | 大五木材


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★今日のかけら番外篇・E039アカメヤナギ/赤芽柳】 ヤナギ科・ヤナギ属・広葉樹

こちらがお元気だった頃の在りし日の『衣掛の柳』。実に堂々としたものです。記録によるとこのヤナギは『マルバヤナギ(円葉柳』という事でした。四国にも生育する『アカメヤナギ(赤芽柳』の別名らしい。解説によれば「日当たりのよい湖畔や河畔などに自生する落葉高木で、高さは20mにもなる。新葉が赤褐色を帯びる事から赤芽柳の名が付いた。芳が楕円形で丸みがあることから円葉柳の別名がある」との事。往時は樹高18m、目通り幹囲3.9m、推定樹齢150年

ん?推定樹齢150年!推定という事なので多少の誤差はあるとしても風土記に書かれているのは1,200年前の事、あまりに開きがあり過ぎではないでしょうか!まあこれがその当時の何代目かの子孫かもしれないし、早速の切株の傍からひこばえが生えて来ていたので、またそれが大きくなった頃にかの木の子孫として伝説を受け継いでいくのかもしれません。倒れてはいたものの遭えてよかった。ところでこの余呉がいろいろな物語があるところだとは調査不足(今回はほぼ雇われドライバー状態)でした。帰ってから本を読んだりしていろいろ気づいたが後の祭り・・・。

余呉湖の別の場所にはこんな立派な天女の像もあったらしいのに存在に気づかず。琵琶湖から隔てられた事で波静かで、風の無い時は水面が鏡のようになって周囲の山々の景色を湖面に映し出すことから『鏡湖』とも『日本のウユニ湖』とも呼ばれるんだとか。そういえば風の無い翌日の朝の湖は美しかった。ただ私はそれよりも雪は大丈夫だろうかとそっちの事で頭が一杯だったので、天女も見惚れて思わず水浴びをしてしまったほどの余呉湖の美しさはそこまだ伝わっていなかった・・・その気持ち誰にも伝わらず、切なし。

ま。、という事で余呉湖ではいろいろありましたが、それから車を走らせて娘たちが選んでおいた次の目的地に向かいます。琵琶湖の周囲を車で運転したのは今回が初めてでしたが、湖沿いを走ればどこまでもどこまでも左右どちらかにお琵琶湖が見えていて、どれぐらいの距離走ったのか感覚が麻痺してしまいそうになりました。この感覚どっかであった気がする思っていたら島根の宍道湖に行った時に感じたような湖周辺を走る感覚。そんな事を考えながら運転していたら次の目的地に到着しました。滋賀紀行まだまだ続く・・・




この話の起源はギリシア神話にあってそれがアジアに伝播したとも言われています。その昔、鉄が武器としても非常に重要な時代に、地球の磁場を頼りに方角を決めるとも言われる白鳥などの渡り鳥の跡を追うと、鉄鉱石や砂鉄などが見つかると、渡り鳥の姿を目印に鉄を追った民族がいて、彼らに大きな恵みをもたらす渡り鳥たちを天女のように崇めたのだとしたら・・・あるいは水辺を求める渡り鳥の跡を追えば水辺に辿り着けることから地獄で仏のような感謝の気持ちが、天女伝説へと昇華していったのかもしれません

私が初めて天女の羽衣伝説を意識するようになったのは、子供の頃に読んだ手塚治虫先生の『火の鳥・羽衣篇』から。羽衣篇は他の話に比べると非常に短いのですが、手塚先生らしい実験的な手法で描かれていて、舞台を観ている感覚を漫画で表現されていて、読んだ当時は演出の意図も分かりませんでした。そんな事より背景がずっと同じなので、背景をコピーして手抜きしてるんじゃないかと荒さがしに夢中になった記憶があります。当然1コマ1コマ手書きだったのですが。当時から手塚漫画では実感的な試みは多かったので何となく構図が面白いと思った程度でしたが、後に羽衣伝説が能舞台でよく演じられていることからそういう設定にされたのだと知りました。

ところで泊まったのは琵琶湖の北湖にあたる、余呉という場所で目の前が余呉湖。実はそこに伝わる羽衣伝説こそが日本で最古のものらしいのです。最古というのは、文献に残っている中でという意味で、今から1,200年以上前に書かれた『近江国風土記』という書物に『天女の羽衣伝説』が記されているのだそうです。宿に向かった時は真っ暗で湖も見えなかったのですが、翌朝窓から見れば本当に目の前が余呉湖で水鳥がせわしそうに飛び交っていました。よし、それならば是非とも天女が羽衣を掛けたという木とやらを見に行こう!(しかも子供たちの次のポイントの通り道)

ナビで見ると宿からはほんの数分。まさかこんないいポイントに宿を見つけるとは娘たちもなかなかやるじゃないかと(たまたまなんですが)独り悦に入ってたら、大木らしきものの見当たらない畑の中でナビが「目的地に到着しました」・・・「えっ?!」。よく見ると切株と石碑が。もしやと思って車から降りて確認すると、間違いなくそこが伝説の場所でした。なんと、2017年の台風21号による強風で倒れてしまっただとか!嗚呼、来るのが少し遅かった~!しかし、今このタイミングでお会いできるのもご縁というもの。




豊国神社」を出る頃にはすっかり日も落ちていて、宿に向かう事にしたのですが心配は。雪マークが出ていなかったことから過信していたのですが、琵琶湖の北部に向かって車を走らせば、すれ違う車の屋根には白いモノがドッサリ!まだ雪はチラチラで積もるような雰囲気ではないのですが、ノーマルタイヤなもんで恐る恐る。しかもナビでガソリンスタンドが沢山あったので油断してたら、そのほとんどが正月休み。雪とガス欠の恐怖の中、ナビの指し示す道は離合も出来ないような田舎道に案内される・・・大丈夫なのか?!

と心配していたら、どうにかガソリンスタンドも見つかり、ほどなく宿に到着。宿の人に「このあたりも雪降るんですね。明日とか凍結したりしませんか?」と訊くと、「このあたりは豪雪地帯でこんなのは幼稚園レベル。ひどい時は2m近く積もるよ~」とサラリ。通常だとノーマルなどでこの時期ここに来るのは無謀以外の何者でもないと言われて肝を冷やしました。翌日のお天気も雪ではなかったので、ようやく落ち着いて館内を歩いているとやたら天女の絵画が飾ってありました。湖、天女の絵・・・これはもしやと思い検索してみるとやはり『天女の羽衣伝説』がありました!

大きな湖がある場所には天女の羽衣伝説がよく残っているのですが、そのほとんどは同じような物語で、ある日天下ってきた天女が池(湖)で水浴をしていると、それを見ていた人間の男が天女の衣を隠してしまい、天に帰れなくなった仕方なく男と夫婦になるというところまでの大筋は大体共通。ここから先が地方によってさまざまで、子どもが出来たり、出来なかったり、見つけた羽衣を見つけて独り天女が天に帰る、男も天女を追って昇天して七夕の星となるなどさまざま。一説には、かぐや姫の『竹取物語』の原型だとも言われています。

しかもこれって日本だけでなくヨーロッパやアジアなどにも同様の話が残っています。海外では『白鳥処女説』として伝わっているようです。話の大筋は一緒ですが、海外の場合は白鳥が人間の処女の女性に姿を化して地上に降りて、水浴中に衣を隠されるというもの。その後、結婚した女性がその家にさまざまな形で恵みをもたらすという豊穣神話として伝えられています。細部はどうあれ、同じような話が世界各地に伝わっているという事は、各地で何かしら同じような現象が起きて、それを目撃した人が語り伝えたという事。




今回の家族旅行は旅の行程をガチガチに決めていなかったので、走っていて気になる店とかあれば入るつもりでしたが、子どもたちがいくつか寄りたいポイントは決めていました。そのうちの1つが滋賀県長浜市にある「黒壁スクエア」。私はどういうところか全然知らなかったのですが、明治時代から黒壁銀行の愛称で親しまれた古い銀行を改装した「黒壁ガラス館」を中心に、ガラスショップや工房、ギャラリー、体験教室、レストランやカフェなどのお店が古い街並の中に点在していて若い人の人気のスポットでした。

正月という事で人出はなかったものの、年間300万人の観光客が訪れる湖北随一の観光地で、なるほど正月休みで閉めている店もありましたが、なかなか面白そうな店が並んでいます。そしたらこれも全然意識してなかったのですが、突然「曳山博物館」の看板が!この旅で色々なシンクロニシティがあったのですが、その曳山博物館も地元の消防の旅行候補ひとつになっていて、工程表に名前しか載ってなかったので、皆でどういうところなんだろうと話していたのですが、まさかこういう形で出会おうとは!当日は閉館中で中には入らず。消防の旅行の候補からも漏れましたが・・・

黒壁スクエアの入口付近の駐車場に車を停めたら、その向かい側が「海洋堂フィギュアミュージアム黒壁」!でっかい恐竜が大きな口を開けて迎えてくれています。これは萌える!しかしまったく関心の無い女子チームは先を急ぐので、ここで息子とふたり男子チームは別行動。海洋堂のフィギュアは、それを海洋堂という会社が作っていると知るずっと前から集めていて、高知に店が出来た時も出かけて分厚いレゾネまで購入しました。レゾネというのは作品カタログなのですが、3000点のフィギュアが掲載されていてそれを見ているだけでも十分楽しめます。

こういう多品種のシリーズモノを集めるという行為が昔から大好きで、旅先の弁当の包み紙から、チケットや切手などさまざまはモノを集めまくっていました。海洋堂も最初は子供向けの食玩と馬鹿にされていたものがいまや世界の海洋堂!『マニアでいいんだ!無心に道を究めるマニア魂こそがエネルギー!』という宮脇社長の信念が素晴らしい!しかも四万十町という不便な場所にわざわざ作るという事、これからはモノにではなく、そこまで行く行為や事にお金をかける時代という事をこの後でまざまざと体感することになります。

海洋堂を楽しんだ後は、そろそろ宿泊地に向かおうかとなったのですが、黒壁スクエアの近くに神社の灯りが。登旗には豊臣秀吉の名前が!そうか、長浜城主は秀吉だった。という事で長浜城主豊臣秀吉公を祀る豊国神社に参拝。秀吉公と共に恵比須様が祀られ、ちょうど1日が十日戎という事で提灯に灯りがともっていました。町のあちこちに秀吉やら賤ヶ岳の七本槍なんて言葉が躍っていましたが、嗚呼まさにこのあたりは歴史の表舞台であったんだなあと実感。京都や奈良とは違ってその辺りをあんまりゴイゴイに押し出していない控えめなところがまたよろし。




彦根城の話の続きです。本当は国の名勝にも指定されている『玄宮楽々園』(江戸時代前期に作庭された大規模な池泉回遊式庭園)も彦根城博物館も観たかったのですが、さすがに子どもたちの興味なさそうな顔を見ていたらそうとは切り出せず、彦根城はこれにて終了。出口にひこにゃんの看板がありましたが、本丸でもひこにゃんが登場する時間が書かれていて、それを待っている観光客もいましたが、子どもたちもさすがに着ぐるみに興味を示す年齢ではなくなったので、冷ややかにスルー。

大手門側から入城した我々にとっては出口となった、表門の券売所付近には立派な門松も飾ってありました。1月の誕生木はマツ(松)ですが、その由来はこの門松にあります。そもそも門松を飾る意味は、毎年家々に訪れて家族の幸せや豊作をもたらしてくれる年神様が迷わないための『依り代(よりしろ)』としての意味があります。そもそも日本には土や石、樹木などあらゆるものに命が宿っているというアニミズムという思想がありますが、中でもマツは「祀(まつ)る」につながる事からめでたい木として使われ、昔はマツだけを飾っていたそうです。

文献によれば門松が初めて飾られるようになったのは平安時代後期らしく、その当時はマツだけ飾っていたようですが、室町時代に入ると長寿の象徴でもある竹も一緒に飾られるようになったそうです。また門松の切り口には斜めに切った「そぎ」と真横に切った「寸胴」の2タイプがありますが、そぎの由来は、徳川家康が生涯たった一度の敗北した武田信玄との『三方ヶ原の戦い』にあります。強すぎる武田軍に手も足も出ず、敗走する家康は恐怖のあまり脱糞するのですが、次に刃を交わすときには必ず「武田を切る」という強い思いから、竹を武田に見立てて切り口を斜めにそぐようになったようです。

昔はよく見かけた門松ですが、最近は大きな店舗や銀行などでしか見かける事がなくなりました。私が子供の頃は実家でも門松を飾っていましたが、いつ頃からか飾らなくなっていました。大五木材木材でも飾っていなかったので、幸せや五穀豊穣をもたらす年神様が依り代が見当たらないので迷われているのかもしれません。結局今年の正月は滋賀に行ったので飾れませんでしたが、来年はせめて平安時代の起源スタイルの竹1本でも飾っておこうかと思っています。

さて彦根城を出ると、彦根城のお堀にかかる京橋からすぐのところに江戸時代の城下町をイメージして整備された「夢京橋キャッスルロード」に行きました。白壁と紅殻に煤を混ぜた黒格子、いぶし瓦。切妻屋根の傾斜を揃え、町屋風に統一された街並みは、古いモノと新しいモノが混在する不思議な空間。さすがに正月という事で閉めている店も多かったのですが、気になったのは店々に掲げられた木の看板。こういう店構えですから木の看板が映えます。それと彦根は招き猫発祥の地らしく、町の至る所に招き猫が見受けられました。彦根面白い!




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